富山鹿島町教会

キャンドルサービスメッセージ

「恐れるな」
ルカによる福音書 2章8〜20節

小堀 康彦牧師

1.クリスマスは夜の出来事
 イエス様の誕生は、夜の出来事でした。それは単に、イエス様は日が沈んでから誕生されたということではありません。この夜の闇は、この地上の世界を覆っている悲しみ・嘆き・争い・飢え・不安・恐れ・絶望といったものを象徴しています。罪に満ちたこの世界の現実と言っても良い。それが闇です。自分のことしか考えられない心。自分は正しく周りがいつも悪いとしか考えられない心。神様を信じ信頼することが出来ない心。自分の人生の主人は自分であり、自分の力・富・能力しか信じることの出来ない心。そのような人間の思いが支配する闇の中に、神様の愛、私共を救わずにはおれない神様の御心が現れました。天から光が差し込んできたのです。闇の中に「まことの光」であるイエス・キリストが来られた。闇の中に光が灯された。それがクリスマスです。光が来たら、闇は退かなければなりません。もう、闇の時代は終わった。闇の支配は終わったのです。

2.ろうそくの灯は隣りにあげても減らない、無くならない
 今、皆さんの手元にはろうそくの火が灯っています。電気を消して真っ暗になったこの部屋に、ろうそくの火が入ってきました。そして、その火から皆さんの一つ一つのろうそくに火が灯されていきました。そして、ろうそくの灯はこの部屋一杯に広がっていきました。これは、イエス様が来られて「まことの光」が与えられ、この一つのキリストの光が全世界に広がっていった、今も広がり続けている、そして私の所にも来た、そのことを示しています。
 そして、このろうそくの灯は、隣の人にあげても、自分の光が小さくなったり、暗くなったり、消えてしまったりすることはありません。この光はイエス・キリストの光です。イエス様が私共の中に宿り、信仰を与え、愛を与え、希望を与えてくださいました。そのイエス様の光は無くならないのです。私共は、自分の持っているものを人に分ければ、自分の持っているものが減ってしまうと思っているでしょう。確かに、目に見えるものはそうかもしれません。しかし、神様が与えてくださった光は、隣の人に分けても、決して減りはしないのです。与えれば与えるほど増えていき、周りが明るくなっていくのです。

3.野宿をしていた羊飼いに天使が神の御子の誕生を告げた
さて、イエス様の誕生を最初に知らされたのは、羊飼いでした。彼らが野宿をしながら夜通し羊の群れの番をしていた時、天使が現れて、彼らに神の御子、救い主、メシアの誕生を伝えたのです。神の御子の誕生は、王様や貴族に告げられたのではありません。当時のユダヤでは卑しいとされていた羊飼いたちに知らされたのです。これはとても大切なこと。神様の御心がここに現れています。イエス様の誕生によって与えられる光は、この世で満ち足りた生活をしている人たちだけに与えられるものではなく、すべての人に与えられる光だということです。
 誰でも心に闇を持っています。明日への不安であったり、自分が置かれている状況に対しての不満であったり、自分の能力や力に対しての自信の無さであったり、子どもは子どもなりに、大人は大人なりに、年老いた者は年老いた者なりの不安や不満や嘆きを持っています。しかし、イエス様の誕生は、その闇に光を灯すものでした。イエス様の誕生は、神様が私共一人一人のことを覚えていてくださっており、愛してくださっており、大切にしてくださっていることの確かな「しるし」だったからです。

4.神の御子の「しるし」としての飼い葉桶
 イエス様はお生まれになると、布にくるまれて飼い葉桶に寝かされました。柔らかく暖かなベッドではありませんでした。生まれた場所も馬小屋でした。少しも綺麗なところではありません。家畜の臭いがするところです。それが、赤ちゃんイエス様が救い主である「しるし」でした。それは、どんなに小さな、どんなに弱い、どんなに貧しい人とも、神の御子であるイエス様は共におられ、そのことによって私共一人一人に対しての神様の愛を示すためでした。

5.天使は「民全体に与えられる大きな喜び」を告げた
 さて、天使が羊飼いに告げた言葉はこうでした。10〜12節「天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』」
 ここで天使は、「民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」と言います。民全体です。民の一部に与えられたのではありません。民全体です。この喜びからはじかれている人は一人もいません。みんながこの喜びに与れるのです。
 そして、その喜びは「大きな喜び」なのです。私共は色々な喜びを知っています。色々な喜びがあります。スポーツで賞を取った。恋人が出来た。結婚した。子どもが出来た。美味しいものを食べた。それらはみんな嬉しい、喜びの出来事です。しかし、この時天使が告げた喜びは「大きな喜び」です。それは、どんな悲しいこと、苦しいこと、嫌なこと、不安や不満によっても失われることのない喜びということです。
 そして、この「大きな喜び」を与える出来事こそ、救い主であるイエス様がお生まれになったということなのです。どうして、イエス様の誕生がすべての人の大きな喜びとなるのか。それは、このイエス様が私共のために、私共に代わって十字架にお架かりなったからです。私共の身代わりとなって、私共の一切の罪の裁きをお受けになったからです。このことによって、私共は、神様に向かって「父よ」と呼びかけ、祈ることが出来るようになった。神様の子とされ、永遠の命に与ることになったからです。神様が、愛する独り子であるイエス様を与えるほどに私共を愛しておられることが明らかになったからです。

6.天上の喜び
 イエス様がお生まれになった時、この神の御子の誕生がすべての人に生きる力と勇気を与える、まことの光の到来であることを知る人はいませんでした。ですから、この世界で最初のクリスマスの日、イエス様の誕生を喜び祝ったのは、イエス様の父であるヨセフと母であるマリア、それと何名かの羊飼いだけ。10名にも満たなかった。今は全世界でクリスマスが祝われます。全世界で、今日は何十億という人たちがクリスマスを喜び祝っています。しかし、世界で最初のクリスマスの時、それは本当に小さな出来事でした。しかし、それは地上においては、です。この日、天上では天の大軍が神様を賛美して歌ったと聖書は記します。
 その歌が14節に記されています。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」この天使の歌の「いと高きところには栄光、神にあれ」のラテン語がこの後で皆さんと御一緒に歌う讃美歌21-263で繰り返される「グロリア イン エクセルシス デオ」です。「グロリア」は栄光、「イン エクセルシス」は高い所に、「デオ」は神。直訳すれば「栄光、高い所の神に」となります。
 クリスマスの日、天の大軍による賛美がなされました。この時、天使たちは総動員されていたことでしょう、すべての天使たちが神様を賛美して歌った。天の大軍と言うのですから、この時の天使たちは100や200という数ではなく、天を埋め尽くす程だったのではないかと私は思います。永遠の神様の救いの御業が、いよいよここに始まった。神様の御心がここに現れた。この時、天上では喜びの賛美の歌に沸き返っていたのです。
 クリスマスの喜びとは、この天上の喜びに与ることです。私共は天使たちと共に神様を賛美する。それがクリスマスです。

7.恐れるな
クリスマスの喜びを知らなかった時、私共は目に見えるこの世界がすべてでした。この世界で多くの物を手に入れれば勝ち組、それを手に入れることが出来なければ負け組。そんな風にしか、自分の人生を受け止めることが出来なかったかもしれません。何かを手に入れれば、大した者だと自惚れ、そしてそれを何とか手放すまいと必死になる。手に入れることが出来なければ、自分は駄目な奴だと思う。この日、羊飼いたちはひょっとすると負け組の愚痴を互いに言い合いながら、野宿をして羊の番をしていたのかもしれません。
 しかしこの夜、天使が彼らに現れて告げた言葉は「恐れるな」でした。そして、その天使の言葉を、クリスマスを迎える私共も今宵聞くのです。

あなたがたのために救い主がお生まれになった。だから、恐れるな。
あなたがたはどんな悲しみによっても消されることのない大きな喜びを与えられる。だから、恐れるな。
神様はあなたのことを愛しておられるし、心に留め、あなたのために救いの道を備えてくださっている。だから、恐れるな。
人が自分をどう見ているか、そんなことにばかりを気にして、恐れるな。
お金のことを心配して、恐れるな。
明日の自分の健康ばかり気にして、恐れるな。
あなたは神様の子とされ、永遠の命に生きることになる。だから、恐れるな。
死も病気も争いも飢えも、この方によって解決される。だから、恐れるな。

 この「恐れるな」との天使の言葉は、クリスマスのこの時、神様から私共に与えられるメッセージです。この神様の御心を信じて受け入れる者は、どんな時でも生きる力と勇気を必ず与えられます。心の中に、何によっても消されることのない灯りが灯されるからです。イエス様が、まことの光が、私共の中に宿ってくださるからです。私共は弱い。私共は愚かです。私共は我が儘で身勝手です。しかし、神様は強く、神様は賢く、神様は愛に満ちておられます。この神様が私共に心を注ぎ、全能の力で私共を守り、支え、導いてくださる。その為にイエス様はこの地上に来られました。だから、大丈夫なのです。そのことをしっかり受け止めて、共々に神様をほめたたえたいと思います。

[2017年12月24日キャンドルサービス]

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