富山鹿島町教会

礼拝説教

「新しいぶどう酒は、新しい革袋に」
イザヤ書 61章1〜11節
マタイによる福音書 9章14〜17節

小堀 康彦牧師

1.天上の宴の先取りとしての礼拝
 預言者イザヤはこう告げました。「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために。」(イザヤ書61章1節)このイザヤの預言は、イエス様によって成就しました。イエス様は、貧しい人々に神様の愛を伝え、罪の縄目にあった者を解き放ち、神様と共に生きるまことの喜びを与えてくださいました。罪の値としての死を滅ぼし、永遠の命の希望を与えてくださいました。私共はその救いの恵みを喜び祝うために、イエス様が復活された主の日の度毎にここに集い、礼拝を捧げています。ですから、この主の日の礼拝は、何よりも喜びの礼拝です。そしてこの喜びは、結婚式の宴、結婚披露宴のような喜びです。イザヤは61章10節でこう告げます。「わたしは主によって喜び楽しみ、わたしの魂はわたしの神にあって喜び踊る。主は救いの衣をわたしに着せ、恵みの晴れ着をまとわせてくださる。花婿のように輝きの冠をかぶらせ、花嫁のように宝石で飾ってくださる。」私共は「救いの衣」を着てここに集います。「救いの衣」、それはイエス・キリスト御自身です。神の国の祝宴の晴れ着は、主イエス・キリストです。私共は、主イエス・キリストを着た者として神様の御前に立つのです。
 もちろん、復活されたイエス様を着、永遠の命の体を与えられるのは、終末において、神の国の完成においてです。しかし、私共は既に信仰においてイエス様を着ています。私共は罪人でありますが、イエス様を信じることによって、イエス様を着る。神様は、愛する独り子イエス様を見る如く私共を見、愛してくださり、罪赦された者として扱ってくださる。「アバ父よ」と呼ぶことを許し、親しい交わりに生かしてくださる。神の国は既にここに来ています。私共は、信仰において既に永遠の命に与っているのです。その喜びの場、感謝の場、賛美の場、宴の場、それがこの主の日の礼拝です。
 しかし、宴の場と言っても、酒も食事も無いではないか。そう思われる方もおられるでしょう。いや、あるのです。それが聖餐です。聖餐はイエス様の体と血とに与る時です。イエス様の救いに与り、イエス様と一つにされた者として、イエス様を着た者として、神の国における祝宴に喜び与る時です。私共は聖餐を毎週は行いません。毎月第一の主の日に行うだけです。しかし、聖餐のテーブルはいつもここに置かれています。それは、この礼拝がいつも天上の喜びの宴につながる場であることを示すためです。

2.その時
 今朝与えられております御言葉は、そのことを私共にはっきり示しています。14節「そのころ」と始まっています。「そのころ」と訳されている言葉は、口語訳では「その時」と訳されておりました。このほうが、今朝与えられておりますヨハネの弟子たちとイエス様の断食をめぐる対話と、この直前にありますイエス様が徴税人や罪人と一緒に食事をした出来事との関係がはっきりして良いのではないかと思います。「その時」、つまり、イエス様が徴税人や罪人たちと一緒に食事をしていた「その時」です。この食事にはお酒も出ていたのかもしれません。救われるはずがないと考えられていた徴税人や罪人たちと一緒に、イエス様は食事をされたのです。「わたしはあなたたちの仲間だ。神様はあなたがたを排除してはおられない。あなたがたも神様に愛されている。あなたがたも神様の救いに与る。そのためにわたしは来た。」そう告げるイエス様と一緒に、徴税人や罪人たちは本当に嬉しく楽しく、喜びの食事をしていた。この食事は、イエス様によってもたらされた神の国というものがどういうものであるかを、具体的にはっきりと示すものであったと思います。イエス様と共なる喜びの宴です。そこには、生まれも、育ちも、社会的立場も、罪人も、正しい人も、みんな神様に愛されている者として集い、つまらないこの世のしきたりも関係なく、喜びに溢れるのです。
 しかし、これを見ていたファリサイ派の人々は、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか。」と言いました。イエス様は「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。…わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」そう告げられました。彼らは神様の愛が分からなかったのです。
 そして「その時」に、今度はヨハネの弟子たち、このヨハネというのはイエス様に洗礼を授けたヨハネ、洗礼者ヨハネ、バプテスマのヨハネのことです。彼らはイエス様にこう言うのです。「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食をしているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」

3.断食の理解の違い
 ファリサイ派の人々は週に二回断食したと伝えられています。ファリサイ派の人々は、神様に従う善き業として断食をしました。自分はこれほど神様に従う生活をしている、その具体的な行為としての断食でした。一方、ヨハネの弟子たちも断食をしていました。ヨハネの弟子たちの断食は、悔い改めの断食、自らの罪を思い神様に赦しを求めて祈るための断食でした。ファリサイ派の人々とヨハネの弟子たちは同じ断食をしていても、その意味は違っていたのです。しかし、断食をするという信仰の行為は大切なものだという所において、両者は一致していました。ヨハネの弟子たちの断食は、ファリサイ派の人々のような神様の御前に自らを誇る、善き業としての断食ではありませんでしたが、断食するまでの真剣な悔い改めがなければ神様の救いに与れないとする以上、断食しなければ救われない、断食を伴う真剣な悔い改めという業によって救われるということになってしまっていたのでしょう。
 しかし、イエス様は、断食そのものに意味を与えることをされなかった。もっとも、イエス様は断食そのものを排除されたというわけではありません。イエス様御自身、あの荒れ野の誘惑の時に、四十日四十夜の断食をされました。しかし、その断食の後、サタンの誘惑に遭うわけで、断食が誘惑に打ち勝つ手段であるなどとは全くお考えになっていませんでした。そして、断食が神様への服従のしるしとしての善き業であるということについて否定されたのです。私はこれだけのことをしました。しています。善い人でしょう。正しい人でしょう。そう考えること自体、間違いだ。そこに救いの道はない。イエス様はそのことをはっきりさせられたのです。
 救いはどこにあるのか。イエス様の十字架と復活です。自らの罪にさえ気付かず、完全に罪の闇の中にいた私共のために、イエス様は私共に代わって十字架にお架かりになり、復活されて、永遠の命への道を開いてくださった。ただこのイエス様の御業によって救われる。どんな罪人も救われる。神の子・神の僕としての新しい命に生きる者となる。これが福音です。
 これは、律法を守って正しい人になることによって救われると考えていたファリサイ派の人々にとっても、自らの罪を自覚して悔い改めの断食をするヨハネの弟子たちにとっても、全く新しいものでした。ヨハネの弟子たちには、断食を伴う真剣な悔い改めという業によって救われようとする思いがあったのでしょう。ヨハネの弟子たちにとって、断食は悲しみの業、嘆きの業でした。しかし、イエス様が告げられたのは喜びの知らせでした。一切の罪が神の独り子の十字架によって赦されるという、驚くべき全く新しい知らせでした。この喜びの知らせを受け取った者が、どうして悲しんでいられよう、どうして嘆いていられようということです。

4.イエス様によってもたらされる救いの三つのたとえ
 イエス様はここで、三つのたとえを語られます。第一に、15節b「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。」この花婿とは、イエス様御自身を指しています。イエス様が来られた。まことの救い主が来られた。神様の救いの御業が始まった。結婚の喜びは、人生の中での最大級のものでしょう。その喜びにもたとえられる大いなる喜びの時が来た。まことの救いの時が来た。イザヤが待ち望んだ救いの日が来た。パウロは、「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」(コリントの信徒への手紙二6章2節b)と言っています。ヨハネの弟子たちは、イエス様が誰であるのか、イエス様によってもたらされる救いが何であるのか知らなかった。だから、イエス様や弟子たちが断食しないことに疑問を持ち、非難したのでしょう。「しかし、花婿が奪い取られる時が来る。」というのは、十字架を指しています。イエス様は、この御自身の十字架を前提として、それによってもたらされる救いを知っておられ、その救いの喜びを招くために、徴税人や罪人たちと食事をされたのです。このイエス様の十字架の救いから排除される人など、一人もいないからです。
 第二のたとえは、16節「だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。」これは「継ぎ当て」という誰もが知っていることを取り上げながら、古い服に継ぎ当てするのに新しい布切れは使わないという、当時の日常生活における常識を用いてのたとえです。新しい布切れの方が丈夫ですから、引っ張られると、継ぎ当てした周りの古い布を破ってしまう。それと同じように、罪人の赦しという福音、この新しい布を断食という古い布の継ぎ当てに用いることは出来ない。断食は、善き業によって救われようという古いものの一部だから、イエス様によってもたらされる福音とは繋げることが出来ないのだと言われたのです。
 第三に、17節「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」私共は、ぶどう酒と言えば瓶に入っているものと思っていますが、当時ぶどう酒は革袋に入れられていました。古い革袋は弾力がありません。新しいぶどう酒は発酵が進んでいくとガスを出しますので、弾力を失った古い革袋に入れると、そのガスによって破れてしまう。しかし、新しい革袋は弾力があるので大丈夫。これは当時の人々の生活の常識でした。新しいぶどう酒、それはイエス様によってもたらされる福音です。そして、古い革袋とは、断食に示されるような、当時の信仰者の生活です。イエス様は、福音には断食に示されるような信仰生活ではなくて、新しい信仰のあり方が必要なのだと言われたのです。

5.新しい革袋としての信仰生活
 ここで問題になるのは、だったら新しい信仰生活とはどのようなものなのかということでしょう。しかしここで、これが新しい信仰者の生活だといって幾つかの生活様式を挙げることには、あまり意味がないのではないかと思います。何故なら、生活様式というものは、いつの間にか形だけとなってしまい、その様式を守ること自体に意味があるかのように考え違いをしてしまうものだからです。イエス様がここで言われている新しい革袋とは、そのようなやがては古くなる生活様式のことではないのです。イエス様がここで言っている新しさ、新しい革袋とは、イエス様の福音という新しいぶどう酒にふさわしい器ということです。私共は、新しい革袋の方につい目も心も向かいがちですけれど、革袋は革袋に過ぎません。大切なのは中身。革袋に収められている福音です。この福音によって生かされ、この福音に生きようとするならば、自ずと革袋はそれに相応しいものとして備えられていくのです。
 キリストの教会は、この革袋として、主の日の礼拝を守るようになりました。安息日は土曜日でした。何もしない日でした。しかし、イエス様の福音に生きる者は、イエス様が復活された週の初めの日、日曜日を主の日として礼拝を捧げることにしたのです。安息日を守るという古い革袋ではなく、主の復活を喜び祝う礼拝こそ、新しい革袋としてふさわしいと考えたからです。
 そして、その主の日の礼拝の守り方もまた、時代と共にいつも新しくなってきました。先週私共は宗教改革500年を記念して礼拝を守りましたが、この宗教改革によって、母国語での祈り、母国語での賛美、母国語での聖書朗読、母国語での説教というものが生まれたと申しました。礼拝もまた、変わっていくのです。もちろん、変えること自体が目的ではありません。イエス様の福音の喜びに満ちた礼拝を求めていく中で変わってきたのです。
 キリスト者の生活も変わっていきます。しかし、イエス様は最も大切な掟として、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」そして「隣人を自分のように愛しなさい。」と教えてくださいました(マタイによる福音書22章34〜40節)。このイエス様の言葉に従う中で、私共は新しい生活を整えていく、新しい生活を形作っていくということになるのです。そして、その生活を貫いているのは、救われた喜びです。救われた感謝です。

6.ホランドから
 私が日本のキリスト教会の一つの課題と考えているのは、この新しい革袋がまだ十分に形作られていないのではないかという点です。だから、信仰がなかなか次の世代に受け継がれない。これはキリスト教会の文化形成と言っても良いです。これには時間がかかるのだろうと思いますけれど、イエス様は新しい革袋と言われたのであって、革袋は要らないと言われたのではないのです。イエス様に救われた喜びに与り続ける生活のあり方とはどういうものなのか、私共は具体的に整えていく必要があるでしょう。
 昨日、一昨日と、私はH学院大学のK学科のセミナーに講師として奉仕してきました。このセミナーは、教会で言えば修養会のようなものです。昔はミッションスクールでは必ず為されていたものですけれど、今でも全学生が参加するというあり方で行っているのはH学院大学くらいなのではないかと思います。そこで二本の講演をしたのですが、私は二十歳の若者に語る言葉を持っていないのではないかと、かなり落ち込みました。しかしそこで、アメリカから来られた英語の若い女性教師と少し話すことが出来ました。セミナーではみんなで食事をする時、食前の祈りをするのです。宗教委員をしている学生が食前のお祈りをして、みんなでアーメンと言って食事をする。こんな経験は初めてという学生も多かったと思います。そして、テーブル毎に「ごちそうさま」と言って終わります。そこで隣りに座ったR先生に、「アメリカでは『ごちそうさま』はありますか。」と聞きましたら、「ありません。」ということでした。しかし、「私の家では、食前の祈りは決まっていてそれをみんなでするのですが、食事が終わると、母が聖書を読んで、子どもたちが順番にお祈りしました。」と教えてくれました。「アメリカの家庭ではどこでもそうするのですか。」と聞きますと、「そんなことはないでしょうね。でも、わたしの家ではそのようにしていました。」と答えられました。それで「どちらから来られたのですか。」と尋ねますと、「ホランドからです。」と答えられました。それで「ああ、ホランドですか。ホランドですからね。」と言いますと、彼女は笑いながら、でも誇らしそうに「ええ、ホランドですから。」と言いました。私は、彼女が「ええ、ホランドですから。」と言った顔が忘れられません。彼女が育ったホランドという町はミシガン州にあって、アメリカのオランダ改革派教会の故郷と言っても良い町なのです。人口3万ほどの小さな町に170ほどの教会があり、世界で一番教会が多い町と言われています。ウエスタン神学校があり、ホープカレッジがあります。そこを卒業された宣教師は、私の神学校時代にもおられました。レーマン先生という方ですが、実に敬虔な方でした。しかし、その敬虔さはとても穏やかで優しく、いつもそばに居たいような方でした。オランダ改革派教会の敬虔さが息づいている町、それがホランドです。ホランドのどの家でもそうであるかどうかは分かりません。しかし、そのような家で育った若い女性が、英語を教えながら福音を伝えるために日本に来た。このような女性を育てる家庭のあり方。それが新しい革袋ということなのでしょう。福音の喜びに与り続ける、福音の喜びに生き続ける生活のあり方です。新しいぶどう酒を入れる、新しい革袋の大切さを思わされました。
 私共は、主の日にここに集う度、新しい命を与えられます。主と共に生きていく志を与えられます。それが具体的な生活の場において、喜びの中で神様を愛し、隣人を愛する者としての歩みとなるよう、そのような生活を形作っていくことが出来るよう、共に祈りを合わせたいと思います。

[2017年11月12日]

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