富山鹿島町教会

宗教改革500年記念礼拝説教

「ただ信仰によって義とされる」
ハバクク書 2章1〜4節
ガラテヤの信徒への手紙 2章15〜16節

小堀 康彦牧師

1.宗教改革500年
 今年は宗教改革500年の年です。1517年10月31日にマルティン・ルターがヴィッテンベルク城教会の扉に「95ヶ条の提題」を掲示したことから宗教改革が始まったと言われています。今年、ドイツでは10月31日が休日となり、ヴィッテンベルクの教会で記念礼拝が持たれ、メルケル首相も出席したというニュースが流れておりました。世界中で宗教改革500年の記念の催しが行われています。10月31日といえば、最近ではハロウィンで仮装をする人もいるようですが、私共にとっては、10月31日と言えば宗教改革記念日でしょう。
 宗教改革がルターによって始まったのは確かなことですけれど、ルターだけで宗教改革が為されたわけではありません。多くの同労者がおりましたし、同じ時期にルターと同じ考えの人が行動を起こし、宗教改革は瞬く間に全ヨーロッパを巻き込む運動となりました。ドイツの隣国であるスイスのチューリッヒ、ジュネーブ、ベルンといった都市においても宗教改革が起きまして、これが改革派教会となっていきます。ドイツのルター派とスイスの改革派、これが宗教改革によって生まれた新しいキリスト教会の二つの大きな流れとなります。私共の教会は改革派の流れにある教会です。
 宗教改革は、ある日突然起きたというよりも、歴史の流れの中で起きるべくして起きました。その歴史を支配しておられるのは神様ですが、宗教改革はたまたま起きたというよりも、必然的に起きた、起きるべくして起きた、そう言って良いだろうと思います。
ルターと同じような主張をしていた人はルターよりも前にもいました。代表的な人を二人挙げるとすれば、14世紀のイングランドのウィクリフとボヘミアのヤン・フスです。彼らはルターよりも100年以上前の人ですが、二人とも異端とされ処刑されました。ウィクリフもフスも、ローマ教皇の権威よりも聖書の言葉に従うべきだと主張して処刑されたのです。このような人たちの背景には、14世紀から始まるルネッサンスによって人文主義という運動が起き、聖書をラテン語ではなく、ギリシャ語原典、ヘブライ語原典に遡って研究するようになったということがあります。  ルターの宗教改革も、彼が神学博士であり、聖書の研究をしている中で明らかにされた福音の真理、そこから見て、現実の教会の姿はあまりに違うのではないかということから起きたことです。

2.宗教改革以前の教会
 では、ルターが「95ヶ条の提題」を掲げねばならなかった中世の教会、中世の社会はどんなものだったのか、ざっと見てみます。
中世ヨーロッパの特徴は、教会と一般社会が一体となっていたということです。教会の頂点にはローマ法王がおり、大司教、司教、司祭、助祭という聖職のピラミッドがありました。司教や大司教は広い領地を持っていて、領主でもあったわけです。ヨーロッパ全体を支配する王はおりませんでしたから、ローマ法王が各国の王の上に君臨している、そう言っても良いほどに、教会の権威と世俗の権威は一体となっていました。ウィクリフやフスが処刑されたのも、ローマ教会が異端と宣告すれば、世俗の領主はその決定に従って処刑しなければならなかったからです。
 これを象徴するような事件が1076年に起きたカノッサの屈辱と呼ばれる事件です。当時のローマ法王グレゴリウス七世が、神聖ローマ皇帝ハインリッヒ四世を破門し、この破門を解いてもらうために、皇帝がカノッサ城にいた法王に赦しを請うたという事件です。どうして、そうまでして破門を解いてもらわなければならなかったのか。それは、神聖ローマ皇帝といえども、ローマ法王によって破門されたならば、彼の下にいた諸侯たちは彼に忠誠を誓う義務がなくなるからです。つまり、神聖ローマ皇帝であっても、いつ捕らえられて処刑されてもおかしくない、そういう状況に追い込まれてしまったからなのです。
 ローマ教会は神の代理人として、その人の罪を赦すも赦さぬも自ら決めることが出来ました。その中核にあったのが告解(こっかい)というシステムです。人々が自分の罪を司祭に告白すると、司祭はその罪を赦す宣言をし、そのために「○○をしなさい。」と告げる。どうしてそんなことが出来るかと言いますと、ローマ教会には聖人がいる。聖人とは一般の人から見るととんでもなく聖なる人で、自分の罪を赦してもらうための善い行い以上の善い行いをした。その余分の善い行いをローマ教会が管理し、それを告解というシステムの中で人々に分配するというものでした。もうお気付きのように、中世のローマ教会は、「信仰だけでは救われない。善き業がなければ救われない。」そのように教えていたのです。一般の人々の救いに足らない分を、聖人の善き業から分配する。それを管理しているのがローマ教会であるという理解でした。これは単なる理念ではなくて、実際の生活の隅々にまでローマ教会の支配が及んでいるということでした。
 こう言っても良いでしょう。神様は、御自身と罪人である私共の間に、イエス・キリストという「まことの人にして、まことの神」であられる仲保者を与えられた。このイエス様を信じるならば救われる。それが聖書の告げていることです。しかし、中世のローマ教会は、このイエス様と私共罪人の間に、マリア様や聖人を立て、それを管理するローマ教会を置き、私共とイエス様の間を遠く隔たったものにしてしまったのです。ですから、「イエス・キリストの御名によって祈る」ということさえ、廃れていました。マリア様や聖人に向かって祈るということが一般的になっていたのです。
 当時、聖書はありましたがそれは大変貴重なもので、教会や修道院くらいにしかありませんでした。しかも、それらはすべてラテン語訳の聖書で、主の日の礼拝もすべてラテン語で為されておりました。お祈りも賛美も説教も聖書の朗読も、すべてラテン語です。ラテン語は中世ヨーロッパにおいては現代の英語のようなもので、国際語でした。大学ではラテン語で講義がされておりましたので、ヨーロッパでは国を超えてどこの大学へも自由に移動が出来ましたし、不便はありませんでした。しかし、ラテン語を自由に使うことが出来て理解出来たのは、そのような高度な教育を受けた人たちだけでした。ですから、主の日の礼拝において何が祈られ、何が語られているのか、聖書に何が記されているのか、一般の人にはさっぱり分かりませんでした。現代の日本に当てはめれば、お経を聞いているようなものですね。

3.宗教改革の始まり
 そういう中で、ローマ教会は聖ピエトロ大聖堂の建築に着手します。私は行ったことはありませんけれど、ローマの聖ピエトロ大聖堂は大変大きく、壮麗で、贅を尽くしたものであり、これを建てるには莫大な資金を必要としました。そのためにローマ教会が発行したのが免罪符、或いは贖宥状(しょくゆうじょう)と言われるものです。「これを買えば誰でも救われる。天国に行ける。」そう宣伝して売られたものです。
 ルターはこれを見過ごすことが出来ませんでした。そして「95ヶ条の提題」を掲げたのです。この「95ヶ条の提題」の表題は、『贖宥の効力を明らかにするための討論』でした。ルターは、何を根拠に贖宥状を売ったりしているのか、そのことを純粋に神学的に問うたのです。
 ルターは、初めから宗教改革を意図していたのではありませんでした。神学者として、聖書学者として、当時のローマ教会に公開の質問状、贖宥についての討論を申し出たのです。ルターの主張は単純なものでした。「わたしたちはイエス・キリストの十字架と復活によって救われるのでしょう。聖人によって救われるのではないでしょう。ただ恵みとして、信仰によって救われるのでしょう。善き業を積み上げて救われるのではないでしょう。」それだけです。聖書を読めば、当たり前のことです。しかし、この主張がローマ教会に激震を走らせました。ローマ教会のしていることを真っ向から否定することだったからです。
 ローマ教会はルターとの討論会を開きます。ルターの自説を撤回させるための討論です。その間、ルターは精力的に本を著します。それらはグーテンベルクが発明した活版印刷によって瞬く間に全ヨーロッパに広まっていきました。ちなみに、「95ヶ条の提題」はわずか2週間で全ヨーロッパに広まったと言われています。
 そして1521年、「95ヶ条の提題」から4年後、ルターは破門を宣告されます。当然ルターは、世俗の王の保護を失うこととなりました。破門されたウィクリフやフスは処刑されたのですが、ルターは何故か処刑されませんでした。それは、神聖ローマ帝国(実際はドイツですが)の皇帝を選ぶ権利を持つ諸侯の一人で、最も大きな力を持っていたザクセン候フリードリッヒによって守られたからです。ルターが教えていたヴィッテンベルク大学は、このフリードリッヒが建てた新しい大学でした。ザクセン候フリードリッヒは、自分の大学の先生を守るのは当然と考えていたのでしょう。ヴォルムスの国会で自説の撤回を拒否したルター。この時ルターは「我、ここに立つ。」と言ったと言われています。ルターは、この帝国議会から誘拐されたように見せかけて、ザクセン候フリードリッヒの城の一つであったヴァルトブルク城に身を隠しました。ザクセン候フリードリッヒは大変賢く、ルターをどこに匿うのか、自分にも知らせるなと部下に命じたそうです。自分が口を滑らすことがないためです。この時、ルターは聖書をドイツ語に翻訳しました。このルターによるドイツ語訳聖書が、後のドイツ語の元になったと言われています。
 こうして、破門されることによって、ルターの意図とは違いましたが、ルターの主張に付く王と、ローマ教会に付く王との戦いへと進んでしまいます。宗教改革は教会の改革にとどまらず、ヨーロッパの国家の秩序を変えることにもなっていったのです。

4.信仰義認
 さて、ルターが再発見した福音の真理は、信仰義認と呼ばれます。「ただ信仰によって義と認められる」ということです。このことを最も明確に示している聖書の箇所の一つが、今朝与えられたガラテヤの信徒への手紙2章16節の御言葉です。読んでみます。「けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。」ここで「律法の実行ではなく」という言葉が三回繰り返されます。そして、「キリストへの信仰によって義とされる」という言葉が二回繰り返される。実に、私共が救われるのは、律法を実行することによってではなく、イエス・キリストを信じることによるのだと繰り返し語るのです。これが信仰義認。信仰によって義と認めていただいて、救っていただくという教理です。私共は信仰によって義となるのではありません。私共は信仰を与えられても罪人です。しかし、神様はその罪人である私を、イエス様の十字架の故に赦してくださり、私を義しい者と認めてくださるのです。義しい人になったのではありません。ですから、私共は悔い改め続けるのです。この悔い改め抜きに、贖宥状や免罪符を買っただけで罪の赦しが与えられるなどという教えは、キリストの十字架を無意味にしてしまうもので、ルターには我慢出来ないものでした。

5.宗教改革の旗印、五つの「のみ」
 私共が救われるのは贖宥状を手に入れることによるのではなく、善き業を積み上げるからでもありません。私の側に救いの根拠など何一つないのです。私共は神様の御前に立てば、ただの罪人でしかない。聖人と言われる人であっても同じです。私共が救われるのは、主イエス・キリストの十字架の犠牲によってです。「キリストのみ」です。
 そして、その救いに与るのは、ただ「信仰によってのみ」です。善き行いを積み上げることによって救われるのではありません。
 更に、その信仰を与えられて救いに与るのは、ただ神様の恵みによるのです。自分たちが律法を全うする善き業によって救われるなら、イエス様の十字架は要りません。ただ神様が私共を憐れんでくださり、ただ恵みによって私共に信仰を与えてくださった。「恵みのみ」=「恩寵のみ」です。
 そして、この救いの筋道、信仰の筋道は「ただ聖書によってのみ」知ることが出来ます。司祭やローマ法王によって、或いは教会の伝統によって知るのではなく、ただ聖書によってです。  そして、イエス様の救いに与った者は、「ただ神様の栄光のみ」を求めて生きる者となります。
 今、私は五つの「のみ」を申し上げました。「聖書のみ」「信仰のみ」「恵みのみ」「キリストのみ」。そして、「ただ神の栄光のみ」です。この五つの「のみ」が、福音主義教会の旗印となりました。

6.宗教改革によって生まれた新しい人間・教会・社会
 宗教改革によって、全く新しい人間、全く新しい教会、全く新しい社会が誕生したのです。宗教改革は、神の御前に立って生きる全く新しい人間を誕生させました。神様の御言葉である聖書を自分で読み、自分の言葉で祈り、神様との親しい交わりに生き、神様の御言葉に応えてただ神様の栄光を求めて生きるという、全く新しい人間を生み出しました。そして、この新しい人間によって形作られる新しい教会を生んだのです。更に、この新しい人間が、近代市民社会を形作る担い手となっていきました。
 宗教改革によってもたらされた母国語の聖書は、グーテンベルクの活版印刷によってどこの家庭にも置かれるようになりました。聖書は聖職者たちの独占物ではなくなりました。ルター訳聖書は百万冊売れたと言います。母国語で聖書が読まれ、母国語で主の日の礼拝が行われるようになりました。母国語で讃美歌が歌われ、母国語で祈りが捧げられ、母国語で説教されるようになったのです。キリスト者が自分の言葉で祈りを捧げ、神様との親しい交わりに生き、神様の御前に生きる者たちの群れとしての教会が誕生したのです。
 聖書を読むためには、文字が読めなければなりません。そのために公立の学校が作られ、文字を教えるということが、この宗教改革によってもたらされたのです。
 そして、民主主義、人権、法治国家、平等、自由という近代市民社会における大切な価値は、この宗教改革に端を発するプロテスタント教会によってもたらされたと言って良いでしょう。
 宗教改革500年を記念するということは、「昔そういうことがあった」ということではなくて、500年の間、福音主義教会・プロテスタント教会はこの宗教改革によって発見された福音を保持し、この福音によって生きてきたし、今も生きているということです。五つのsola、solaというのはラテン語で「○○のみ」という意味ですが、五つのsola、「聖書のみ」「信仰のみ」「恵み(恩寵)のみ」「キリストのみ」「神にのみ栄光」という信仰に生かされ生きる民。それが宗教改革によって新しくされた教会に生きる私共です。この福音に生き生かされている幸いを心から感謝して、共に祈りを合わせたいと思います。

[2017年11月5日]

メッセージ へもどる。