1.アドベントを迎えるに当たって
今日からアドベントに入ります。教会の玄関にはリースが飾られ、アドベント・クランツは1本目のろうそくに火が灯されました。教会の暦では、このアドベントから一年が始まることになっています。アドベントというのは、クリスマスより前の四つの主の日を含む期間のことで、この期間がクリスマス・シーズンとなるわけです。教会の外ではクリスマスと言えば12月25日のことで、その日だけ祝うものだと思っているようですが、週報にありますように、今週の土曜日12月3日には富山刑務所のクリスマス、その日の午後からは北陸学院大学同窓会富山支部のクリスマス会が行われます。アドベントと共にクリスマス・シーズンが始まるのです。今日から12月25日まで4週間、クリスマス・シーズンが続くわけです。
キリストの教会がこのアドベントから一年が始まると決めておりますのは、「イエス様が来られた」、そのことによって時代が変わったということです。私共のアイデンティティーと申しますか、私共の生きる目的、意味、存在の根拠、それがこのイエス様が来られたということによって与えられたと考えているのです。イエス様の御降誕を祝うクリスマス、その前の四つの主の日から暦が始まる。それは、イエス様の誕生より前に旧約の時代があった、救い主の到来を待ち望む時代があったということを意味しています。それと同時に、私共は、再び来られるイエス様を今待っている。その日に向かって歩んでいる。それがキリスト者であり、キリストの教会なのだということなのです。だから、アドベントから一年を始めることになっているのです。
2.出エジプト記11章までを振り返って
さて、今日は11月の最後の主の日ですので、旧約から御言葉を受けてまいります。9月の最後の主の日は伝道礼拝、10月は召天者記念礼拝ということで、二ヶ月旧約から御言葉を受けることが抜けてしまったのですが、今日は8月の続きの出エジプト記12章です。これまでのところを少し振り返っておきましょう。
イスラエルの民はヤコブの時代にエジプトに来ました。ヤコブの息子ヨセフがエジプトで宰相の地位まで昇り、大飢饉に見舞われた時に父ヤコブとその家族をエジプトに呼んだからです。その時の人数は男だけで70人、ヤコブの12人の息子と孫たちでした。時が過ぎ、ヨセフを知らない王の時代となり、イスラエルの人々はエジプトの奴隷のような立場になってしまいました。イスラエルの人々の嘆きは、天の神様のもとに届き、神様はイスラエルの民をエジプトから救い出すことをお決めになりました。そこで神様が選び立てたのがモーセでした。神様は口下手なモーセを助けるために、モーセの兄アロンをも選ばれました。モーセは兄アロンと共にエジプト王ファラオの所に行き、イスラエルの民をエジプトから去らせてくれるように交渉します。しかし、エジプト王にしてみればイスラエルの民は貴重な労働力ですから、簡単に手放すはずがありません。それに、王様が奴隷の言うことなどまともに聞くはずもなく、モーセとアロンの言う通りに「はい、どうぞ。」なんて言うはずもありません。
神様は、モーセとアロンがエジプト王ファラオと交渉する際に、「もし言うことを聞かなければ○○の災いが起きる。」と言うようにお命じになりました。最初の災いは、ナイル川の水が血に変わるというものでした。しかし、それくらいのことでファラオが神様の言うことを聞くことはありませんでした。次には蛙の大発生。これにはファラオは少し心が動いて、蛙を去らせるように神様に祈ることをモーセに求めます。蛙がいなくなれば民を去らせる、とファラオは言いました。しかし、モーセが神様に祈り、実際に蛙がいなくなると、ファラオは前言を翻し、イスラエルの民をエジプトから去らせませんでした。第三にぶよの災い、第四にあぶの災い、第五に家畜の疫病の災い。第六にはれ物の災い。これは人と家畜に膿の出るはれ物が出来るというものでした。第七に雹の災い。かつてなかったほどの激しい雹が降り、野に出ている人も家畜もそして作物も雹に打たれました。この時にもファラオはモーセに雹が降らないよう神様に祈ることを願い、そうすれば民を去らせると言いましたが、雹がやむと、心をかたくなにして民を去らせませんでした。第八の災いはいなごの大発生。いなごは雹の害を免れた作物も木も食い尽くしてしまい、後には何も残りませんでした。この時もファラオは同じようにモーセに願いましたが、いなごがいなくなると、やっぱり前と同様に心をかたくなにしました。そして、第九の災いは暗闇の災いでした。神様は三日間太陽を隠され、暗闇がエジプト全土を覆いましたが、イスラエルの民が住む所には光がありました。しかし、ファラオはそれでもイスラエルの民を去らせようとはしませんでした。
今、駆け足で九つの災いを見てきました。どれも大変な災いですけれど、だんだん事が大きく、深刻になってきているのが分かると思います。そして、ファラオは九度までも、イスラエルの民の神様の力を知り、これを畏れ、敬い、神様の言う通りにイスラエルの民を去らせることも出来たのに、それをしなかった。その結果何が起きたか。それが今日与えられている十番目の災い、最後の災いである、過越の出来事だったのです。
3.過越の出来事
過越の出来事とはどういう出来事かと申しますと、エジプト人の家において人も家畜もその初子(長男)すべてが神様に撃たれて死んだという出来事です。神様は九つの災いまでは大目に見てきたけれど、最後には徹底的な裁きをエジプト王ファラオとエジプト人に与えたということなのです。しかしこの時、神様の裁きはイスラエルの人々の家を「過ぎ越し」ていきました。イスラエルの民は救われたのです。そして、事がここに及んで、遂にエジプト王ファラオもすべてのエジプト人も、「お前たちがいると、こっちが滅んでしまう。さっさと出て行ってくれ。」とイスラエルの民を急いで国から去らせようとしました。こうして、イスラエルの民はエジプトを脱出することになったのです。
イスラエルの民がエジプの国で奴隷だったのは約400年間と言われています(12章41節)。そして、この過越の出来事こそ、イスラエルの民にとって、自分たちがエジプトの奴隷の状態から救い出された、記念すべき出来事でした。ですから、12章2節に「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。」とあるように、この過越の出来事があった月、それをイスラエルの暦においては正月とすることになったのです。ここから自分たちの新しい時代、新しい時が始まる。それがイスラエルの民にとっての過越の出来事だったのです。この月はアビブの月、或いはニサンの月と呼ばれ、現在の私共の暦で言うと3月から4月に当たる月です。春分の日があり、ちょうどイースターがある時期です。このことについては、また後でお話しします。
4.過越の祭り
さて、出エジプト記12章全体が過越の出来事を記しているのですけれど、この書き方はとても不思議な形を採っています。神様の言葉が記されているのですが、そこで何が記されているかと言いますと、過越の祭りの仕方なのです。14節「この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。」或いは24節「あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。」とありますように、イスラエルの民はこの過越の出来事を覚えるために毎年祭りを行うことになりました。これが「過越の祭り」です。ユダヤ人は今も毎年これをしています。
この過越の祭りにおいて大切なのは何かと申しますと、食事なのです。過越の食事です。私共は「祭り」というと、山車を出したり、神輿を担いだりするイメージですが、過越の祭りはそうではありません。それぞれの家庭で食べる食事が大切なのです。この食事は時代と共に、食べる順番、その時に告げられる言葉も定められていきました。しかし、原則としてこの食事において必ず用意しなければならないものは、三つです。まず小羊。傷の無い、一歳の雄の小羊が丸のまま焼かれ、それが出されます。次に、イースト菌の入っていないパン。これは七日間食べなければなりません。それと苦菜、苦い野菜です。この食事には、それぞれ意味がありました。
焼いた小羊。この小羊は、処理される時に血を抜かれます。そして、その血を家の入り口の二本の柱と鴨居に塗ったのです。それはかつて、神様が命じられたとおりに小羊の血が塗られた入り口の家には、神様の裁きがなかった。神様の裁きが過ぎ越していった。その出来事を覚えて、過越の祭りにおいては必ず小羊が食べられることになっているのです。しかも、その肉は翌朝まで残さない。残った場合には焼却するよう命じられています。これは何を意味するのか。多分、この過越の食事は厳密にイスラエルの民の食事、しかも宗教的食事なのであって、他の者が決して食べることがないようにするためであったと考えられています。それは、43〜48節に「過越祭の掟は次のとおりである。外国人はだれも過越の犠牲を食べることはできない。ただし、金で買った男奴隷の場合、割礼を施すならば、彼は食べることができる。滞在している者や雇い人は食べることができない。一匹の羊は一軒の家で食べ、肉の一部でも家から持ち出してはならない。また、その骨を折ってはならない。イスラエルの共同体全体がこれを祝わなければならない。もし、寄留者があなたのところに寄留し、主の過越祭を祝おうとするときは、男子は皆、割礼を受けた後にそれを祝うことが許される。彼はそうすれば、その土地に生まれた者と同様になる。しかし、無割礼の者は、だれもこれを食べることができない。」とあることから分かります。
そして、イースト菌の入っていないパン。これは全く膨らんでいないパンですから、美味しくありません。このパンは、出エジプトの時にイースト菌を入れて時間をかけてふっくらさせて焼く、そんな時間が無かった。すぐにエジプトを出なければならなかった。そのことを覚えるためでした。
三番目の苦菜は、エジプトにおける奴隷の苦しさを覚えるためでした。この苦菜は、セロリやパセリのような苦い野菜なら良く、この野菜と指定されているわけではありません。イスラエルの民は毎年迎える正月にこの食事をしたのです。出エジプトの出来事を思い起こすためでした。
26〜27節を見ますと、「また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」とあります。イスラエルの民は、この過越の食事を毎年の正月に家庭で守ったのですが、その席上で、何故この祭りをしているのか、この食事を食べているのかということを子供たちに伝えたのです。それは、今はこうして自由の身となったけれども、自分たちはエジプトで奴隷だったのだ。その状態から神様が救ってくださった。エジプト人たちの長男は皆、神様に撃たれたけれど、小羊の血の印が付いていたイスラエルの民の家は無事だった。神様の裁きが過ぎ越していったのだ。だから今のわたしたちがあるのだ。そう親が子に教えてきたのです。
5.イエス様の十字架による過越と聖餐
さて、私共は神の民であります。しかし、ユダヤ人のように過越の祭りも過越の食事もしていません。どうしてでしょうか。それは、この過越の食事は、もっと完全な救いの出来事を指し示しているもの、もっと完全な救いを預言している出来事と理解しているからです。その出来事とは、イエス様の十字架の出来事です。
先程、過越の祭りがあるのはイースターの時期だと申しました。そうなのです。イエス様が十字架にお架かりになったのは、この過越の祭りの時だったのです。イエス様は十字架の上で血を流されました。私共のために、私共に代わって、一切の罪の裁きを我が身に引き受けられた。この血によって私共は救われました。神様の裁きを過ぎ越すことが出来るようにされた。まさにイエス様は、あの過越の食事の時に屠られた小羊によって指し示された神様の救いを、私共に与えてくださるお方。神の小羊なのです。
私共は過越の食事はしません。何故なら、過越の出来事は、イエス様によって与えられる完全な救いを指し示す出来事だったからです。そして、私共には過越の食事に代わる食事が与えられました。それが聖餐です。先程お読みいたしましたマタイによる福音書26章26〜30節は、イエス様が聖餐を制定された時の言葉が記されています。イエス様が十字架にお架かりになる前日の食事、いわゆる最後の晩餐と言われる場面ですが、この時イエス様と弟子たちが食べた食事が過越の食事でした。そして、その席上でイエス様は聖餐を制定されたのです。聖餐は、イエス様の体とイエス様の血に与る食事です。過越の出来事の時、柱と鴨居に小羊の血を塗った家を神の裁きが過ぎ越したように、このイエス様の十字架の血に与る者は、神様の裁きを免れ、救われるのです。十字架の上で死んで三日目に復活されたイエス様の命、復活の命、永遠の命に与るのです。
イエス様はこの時、28節「これは罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」と言われました。聖餐の杯、聖餐のぶどう汁は、イエス様が十字架上で流された契約の血なのです。過越の食事がユダヤ人だけの食事であるのと同じように、聖餐は、神様と契約を結び、神の民とされた者が与る食事なのです。そして、イエス様が十字架の上で私共のために、私共に代わって、神様と結ばれた契約。それは、イエス様を我が主、我が神と信じる者は皆救われるという契約です。そこには民族の違いも、社会的立場も、貧富の差も、一切関係ありません。ただイエス様を信じるかどうか、それだけです。だから今、世界中でイエス様の御降誕を祝い、イエス様が再び来られるのを待ち望む、アドベントが守られているのです。このイエス様というお方に、私共のすべてがかかっていると信じているからです。
イエス様は来られました。私を救ってくださるためにです。そして、イエス様は再び来られます。私の救いを完成し、新しい天と新しい地を造るためにです。私共はその日を待ち望みつつ、アドベントから始まる新しい一年を、イエス様と共に、神様の御前を歩んでまいりたいと心から願うのです。
[2016年11月27日]
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