富山鹿島町教会

礼拝説教

「あなたはわたしの希望・喜び・誉れです」
箴言 17章1〜7節
テサロニケの信徒への手紙 一 2章17〜20節

小堀 康彦牧師

1.パウロとテサロニケの教会
 テサロニケの信徒への手紙一を共に読み進めております。この手紙を書いたパウロとテサロニケの教会はとても良い関係にありました。パウロの、テサロニケの教会に対する熱い思いが、至る所で噴き出している。そういう手紙です。今朝与えられております個所もその一つです。伝道者・牧師と教会との関係はこういうものなのだと改めて思わされる所です。
 使徒言行録17章に記されておりますように、パウロとシラスはテサロニケの町で伝道しましたけれど、その期間は多分数ヶ月程度ではなかったかと考えられています。彼らはすぐにテサロニケの町を離れなければならなくなりました。テサロニケの町で暴動が起きてしまったからです。パウロたちがイエス様の福音を宣べ伝えると、ユダヤ人の会堂に集っていた人たちの中からパウロたちが宣べ伝える福音を信じ受け入れる人たちが出たのです。そのことでユダヤ人たちはパウロたちをねたみ、暴動を起こし、パウロとシラスを捕らえようとしたのです。二人は、何とかその場を逃れて次のベレアという町へ行きました。そして、そこでも彼らはイエス様の福音を宣べ伝えました。

2.伝道は割に合わない。しかし、尊く、美しい。
 パウロたちの伝道は、テサロニケの町では成功したと言って良いでしょう。パウロたちの伝道によって、テサロニケの教会が建ったからです。イエス様を信じる者たちの群れが生まれたのです。それは私共の教会よりも小さな群れだったかもしれません。しかし、教会が生まれた。イエス様を信じる者たちの群れが生まれた。これは本当に素敵なことでした。パウロたちの伝道は小さいなりに成功した。しかし、成功したが故に、パウロたちは危険な目に遭わなければならなかったし、テサロニケの町を離れなければならなかったのです。逆に言えば、伝道がうまくいかなければ、イエス様の福音を信じ受け入れる人が与えられなければ、パウロたちはテサロニケの町に居続けることが出来たのですし、危険な目にも遭うことはなかったのです。何とも皮肉なことです。伝道がうまくいって進展したならば危険な目に遭う。伝道がうまくいかなければ安全にそこに居られる。どっちにしても、良いことは無いようにも思えます。伝道とは何と割に合わない営みなのか。そう思う人もいるかもしれません。確かに、我が身の安楽ということを考えるならば、伝道というものは割に合わない、ちっとも良いものではないと言えるかもしれません。しかし、キリストの教会は、この伝道こそが人間が為す最も尊い業、最も美しい業だと考え、それに仕えてきました。
 何故でしょうか。それは、復活されたイエス様が弟子たちに、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(マタイによる福音書28章19〜20節)と命じられたからです。伝道は、実にイエス様から、しかも復活されたイエス様から、直接こうしなさいと弟子たちに命じられたことでした。伝道は、復活されたイエス様の御命令に従うことです。ですから、それは尊い業であり、大切な業であり、為すべき業なのです。
 こう言っても良いでしょう。弟子たちと共に歩まれたイエス様は、様々な奇跡を行い、教えを宣べられました。キリストの体である教会によって為される伝道において、実にこのイエス様の歩みが継続されることとなる。キリストの教会は、復活のイエス様の御命令である伝道の業に仕えることにおいて、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28章20節b)とのイエス様の約束の真実を知らされていくのです。
 また、こう言っても良いでしょう。キリストの教会、またキリスト者は、伝道の業に仕えることによってイエス様の十字架と一つにされていく。イエス様の十字架は私共の救いのためでありました。そして伝道は、その福音を受け入れる人の救いのために労苦することです。その人が救われるために労苦する伝道の業は、私共を救うために為されたイエス様の十字架と重なります。そして、この伝道の歩みにおいて、その労苦において、私共はイエス様と一つにされる恵みへと導かれていくのです。ですから、伝道が割に合わないというのは、当たり前のことなのです。しかし、このイエス様の十字架と一つにされるが故に、伝道はまことに美しい業なのです。

3.引き離されても、心は離れない
 さて、パウロは17節でこう告げます。「兄弟たち、わたしたちは、あなたがたからしばらく引き離されていたので、−−顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではないのですが−−なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みました。」先程申し上げたように、パウロたちは数ヶ月でテサロニケの町を離れ、テサロニケの教会の人々と別れなければなりませんでした。生まれたばかりの小さな群れ。パウロは、もっともっと共に居て、教え導きたいと願ったことでしょう。もっとこの町にとどまって伝道すれば、もっと多くの人にイエス様の救いを宣べ伝えていけるのにという思いもあったかもしれません。しかし、それは出来ませんでした。暴動を起こされてしまったのですから、仕方ありませんでした。しかし、パウロの思いは、このテサロニケの教会の人々から離れたことはなかったのです。1章2節に「わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。」とある通りです。
 断腸の思いでテサロニケの教会を離れたパウロの思いが、この17節には良く表れています。「兄弟たち、わたしたちは、あなたがたからしばらく引き離されていたので」とありますが、この「引き離されて」と訳されている言葉は、「みなしごにされる」「両親を奪われて孤児にされる」という意味を持つ言葉です。パウロは、2章7〜8節では「ちょうど母親がその子供を大事に育てるように、わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。」と言い、11〜12節では「わたしたちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。」と言っています。パウロはテサロニケの教会の人々に対して、母親のようにそして父親のように、心を注いだのです。そして、テサロニケの教会の人々と別れると、「みなしご」のようになったと言うのです。それほどまでに心を注いだのです。だから、「あなたがたの顔を見たいと切に望」んだのです。
 私はこの説教の備えをしながら、自分がこの教会に転任してきたときに、「前任地の教会へは行かない」と決めていた自分が、頑な過ぎたのではないかと思いました。会いたいけれど会わない。そう決めていた。私の後任の牧師に対する気遣いの故です。前任地からM姉妹が私共の教会に他住会員として転入されたときも、私は夏休みと冬休みに訪問聖餐のために前任教会のある町に行きましたけれど、M姉妹以外の信徒の方々とは会わずに帰ってきていました。でもそれは頑な過ぎたのではないか。もっと自由で良かったのではないか。そんな風に思いました。会いたいのです。懐かしいのです。きっと、この教会の前任牧師であるF先生も、前々牧師のO先生も、そう思っておられることでしょう。
 しかし、ここでパウロがテサロニケの教会の人々に会いたいというのを、ただ懐かしいからというように読んでは十分ではないと思います。2章14節にありますように、テサロニケの教会の人々は、ユダヤ人からも、そしてギリシャ人からも迫害を受けていた。それをパウロは知っていた。だから、何としても彼らを御言葉をもって励まし、支え、導きたいと願った。だから、会いたかったのでしょう。自分がテサロニケに行って、イエス様の福音にしっかり立って歩むように励まし、支えたかった。それが、自分の為すべきことだとパウロは思ったのです。伝道者だからです。

4.サタンの妨げ
 しかし、行くことは出来ませんでした。18節「だから、そちらへ行こうと思いました。殊に、わたしパウロは一度ならず行こうとしたのですが、サタンによって妨げられました。」とあります。何度もテサロニケ行きを計画したのだけれど、実現出来なかった。どうして行けなかったのか、その理由は分かりません。パウロはそれを「サタンによって妨げられた」と申します。
 具体的に何があったのかは分かりません。しかし、パウロは行くことが出来なかった。どうしてここでパウロは「サタンに妨げられた」という言い方をしているのでしょうか。この「サタン」という言葉の使い方は気を付けなければなりません。自分の思いや願いが妨げられた時、すぐに「サタンのせいだ。」と言うのはいかがなものかと思います。そこには、自分の思いや願いを叶えるのが神様、それを邪魔するのがサタン、そんな図式があるように思います。しかし、神様は私共の願いを叶えるためにおられるのではありませんし、私共の願いが叶えられないのはすべてサタンのせいなのでもありません。そもそもサタンもまた神様の御支配の下にあるのであって、神様に敵対する絶対的存在ではありません。確かに、サタンはその力と策略をもって神の民を苦しめ、一時は神様の救いの御業の前進を阻むことが出来ましょう。しかし、それは一時のことです。そして神様は、遂にはそのサタンの業さえも用いて、救いの御業を完成されるのです。このことは、イエス様を十字架に架けるというサタンの業をも用いて、イエス様の復活という出来事を起こし、神様はその救いの御業を成就されたことからも明らかです。そして、この時パウロがサタンによって妨げられてテサロニケの教会の人々の所に行くことが出来なかったとしても、神様による救いの御業が止まってしまったとか、神様の救いの御業が完成されなくなったということではないのです。サタンが妨げたとしても、それはほんの一時のことでしかないのです。

5.わたしたちの主イエスが来られる時
 そのことをパウロはよく分かっています。ですから、19節で「わたしたちの主イエスが来られるとき」と言っているように、終末における救いの完成の時へと目を向けるのです。サタンによってテサロニケの教会に行くことが妨げられたとしても、サタンには、イエス様が来られることを妨げることは出来ません。イエス様が再び来られる。その時、私共の救いも、この世界の救いも完成します。サタンであろうと、サタンの道具とされたこの地上のいかなる権力であろうと、それを妨げることは決して出来ないのです。
 そしてパウロは、今、様々な苦難、困難の中であえいでいるテサロニケの教会の人々に、そのイエス様が来られる時に与えられる栄光を思い起こさせるように、こう告げるのです。19〜20節「わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです。」
 これは、19節の冒頭の「わたしたちの主イエスが来られるとき」を読み落としますと、テサロニケの教会の人々は迫害の中にあっても信仰を立派に守っている教会だから、そのような教会になるようにわたしが伝道したのだから、わたしの誇るべき冠、わたしたちの誉れ、喜びだということになるでしょう。まるで、テサロニケの教会のことをパウロは自分の手柄として誇っているかのように読んでしまいかねません。
 しかし、パウロがここで言おうとしているのは、そういうことではないのです。イエス様が来られる時、終末です。その時、テサロニケの教会の人々は、神様の救いの完成に与る。それこそ、わたしたち伝道者の希望であり、喜びであり、誇るべき冠なのだと言っているのです。ここでパウロは、目を終末に向けているのです。そして、テサロニケの教会の人々にも、そこを見るようにと促しているのです。この終末における神様の救いの完成。その時私共に与えられる栄光。それこそが、私共の希望、喜び、誇るべき冠、誉れなのです。
 この時、テサロニケの教会の人々は迫害の中にあるのです。まさにサタンの道具とされた人々によって苦しめられ、信仰を捨てるように、イエス様から離れるように迫られているのです。その人々に向かってパウロは、何とか彼らを励まし、支えたいと願っている。今すぐにでも飛んで行って、顔を見て慰めたい、励ましたいのです。しかし、それが出来ない。ここでもサタンが働いている。しかしパウロは、そのサタンさえもどうすることも出来ない、神様の救いの御業の完成の時へと思いを向けて欲しいと願い、この手紙を書いているのです。終末に目を向ける以外に、この地上における苦難を乗り越えていく道はないからです。テサロニケの教会の人々は、ただの伝道者に過ぎないパウロから「私の希望だ、喜びだ、誇りだ」と言われて、この苦難を乗り越える力を得るでしょうか。それは嬉しいとは思うでしょう。しかし、そんなものは本当の力になりはしません。本当の力とは、イエス様が再び来られる時に与えられる救いの完成、それをしっかりと見上げることが出来たとき、この地上の如何なるものによっても奪われることのない喜びと希望と力とが湧き上がってくるのでしょう。パウロは、テサロニケの教会の人々の信仰の眼差しをそこに向けさせようとしているのです。
 私共は苦しいことがありますと、それがすべてであるかのように思い込んでしまいがちです。この苦しみがずっと続き、そこから逃れることが出来ないかのように思ってしまう。しかし、パウロは「わたしたちの主イエスが来られるとき」と告げるのです。この言葉こそ、私共がどんな状況にあっても決して奪われることのない希望、喜び、誇りを取り戻させる言葉です。「わたしたちの主イエスが来られるとき」です。
 私共の希望はどこにあるか。終末でしょう。イエス様が来られる時でしょう。そこにこそ、誰にも奪われない希望、どんな苦難の中でも失われることのない喜び、どんな屈辱の中でも取り上げられない誇りがあるのでしょう。

6.御国を目指したO・A姉妹
 昨日、二ヶ月前にこの地上の生涯を閉じられ、天の父なる神様の御許に召されたO・A姉の納骨式をここで行いました。新しい教会員の方はよく知らないかもしれませんが、この教会は戦前、戦中、戦後と、O・K長老と共に歩んできました。O・K長老は全力を注いで教会の業に仕えました。その生涯をこの教会に献げたと言っても良い程の方でした。そして、それを支えていたのが奥様のO・A姉でした。納骨式の説教の備えをしながら、改めてO・K、O・A夫妻が主の日の礼拝に集われていた姿を思い起こし、何のために、何をするために主の日の礼拝に集われていたのか、を思いました。
 そして、O夫妻は何よりも主をほめたたえるためにここに集っていたのだと思いました。この「主をほめたたえる」というのは、終末の先取りです。イエス様が来られる時、私共は共々に主の御前に立って賛美するのです。私共はその日を目指して、その日に向かって、この地上の生涯を歩んでいる。そして、この主の日の礼拝の度毎に、私共は信仰の眼差しを天に向け、終末に向け、私共の希望がどこにあるのかを確認させていただいているのです。
 O夫妻も、私共も、主の日の度毎にここに集い、主を誉め讃えつつ、主イエスが来られるときの先取りをしているのです。そして、誰にも奪われない希望、どんな苦難の中でも失われることのない喜び、どんな屈辱の中でも取り上げられない誇りを受け取る。そして、ここで私共がこの地上で歩んでいく道筋が示されるのでしょう。それは実に単純な道です。互いに仕え合い、愛し合い、イエス様の福音を宣べ伝えていくという道です。
 それぞれが遣わされた場所において今から始まる一週間の歩みが、主イエスが来られる時を目指して、そのような歩みとなるように、祈り願うものです。

[2016年7月17日]

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