富山鹿島町教会

礼拝説教

「神様に喜んでいただくために」
箴言 16章1〜9節
テサロニケの信徒への手紙一 2章1〜8節

小堀 康彦牧師

1.パウロとテサロニケの教会
 テサロニケの信徒への手紙一の2章1節以下から御言葉を受けます。
 テサロニケの教会は、パウロが伝道して建った教会でした。と言っても、私共がイメージするような、礼拝堂があって、牧師館があって、というようなものではなかったと思います。イエス様を信じる者の小さな群れが生まれたということです。そのパウロのテサロニケ伝道のことは使徒言行録の17章1〜9節に記されています。この時テサロニケにおいて伝道したのは、パウロとシラス(この手紙ではシルワノとなっていますが、同一人物です)の二人です。この二人のテサロニケの町での伝道は決して長い期間ではありませんでした。聖書には記されておりませんのではっきりしたことは分かりませんが、数ヶ月くらいではなかったかと思います。その間に、ユダヤ人の会堂に来ていたギリシア人や婦人たちが、パウロの伝えるイエス様の福音を信じたのです。しかしこのことは、ユダヤ人たちの反感を買うことになりました。ユダヤ人たちはならず者を抱き込んで暴動を起こし、パウロたちが町に居られないようにしたのです。パウロもシラスもテサロニケの町を去らなければならなくなりました。伝道者・指導者を失った生まれたばかりの小さな教会。それは人間の目から見れば風前の灯火、いつ無くなってもおかしくないような存在でした。しかし、テサロニケの教会は消えなかった。ユダヤ人たちによる厳しい迫害の中にあっても、テサロニケの教会の人々は神の福音に立ち続けたのです。その様子は、全ギリシャのキリスト教会の模範となりました。伝道者パウロにとって、自分たちが去った後も人々がしっかり信仰に立って歩んでいるということほど嬉しいことはありませんでした。逆に、自分が去った後で人々が信仰から離れてしまったということほど、伝道者にとって悲しく、寂しいことはないのです。テサロニケの教会の人々は、しっかり福音に立ち続けました。その報告を受けてパウロは喜び、この手紙を書きました。
 1節「兄弟たち、あなたがた自身が知っているように、わたしたちがそちらへ行ったことは無駄ではありませんでした。」とあります。これはパウロの実感でした。パウロたちはテサロニケにおいて、生命の危険にさらされるほどの苦難の中で福音を語り、伝道した。それによって、それほど多くはなかったでありましょうが、イエス様を信じる者が起こされたのです。そして、その人たちは今もしっかり信仰を守っている。自分たちの為したことは無駄ではなかった。そうパウロは思うことが出来たのです。それは伝道者パウロにとって、本当に幸いなことでした。

2.誹謗・中傷を受けて
 しかし、パウロたちの伝道について誹謗・中傷する人たちがいたようなのです。ですから、3節「わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また、ごまかしによるものでもありません。」、5節「あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、相手にへつらったり、口実を設けてかすめ取ったりはしませんでした。そのことについては、神が証ししてくださいます。」とパウロは記さなければならなかったのです。つまり、パウロたちの宣教を、「迷いや不純な動機に基づくもの」「ごまかしによるもの」「口実を設けてかすめ取ったりするためのもの」と誹謗・中傷する人たちがいたのです。多分、パウロたちの伝道によって信徒を取られたと思ったユダヤ教の人々でしょう。彼らの立場にしてみれば、そう言いたくなる気持ちも分からないではありません。しかしパウロは、そのような中傷をそのままにしておくことは出来ませんでした。そんな中傷をテサロニケの教会の人々がまともに受け取ってしまったら、イエス様への信仰から離れてしまうことだって十分に考えられるからです。自分たちに福音を伝えた人がとんでもない詐欺師だと思ったら、その人が伝えた信仰など、まともに信じる気にはならないでしょう。
 パウロたちの伝道に対する中傷は、これは金集めのためではないか。人が信じやすいように、割礼は要らないとか、律法を守るから救われるのではない、イエス様を信じるだけで救われるとか言っているのだ。また、神の御子があなたのためにあなたに代わって十字架に架かってくださったとか、復活されて永遠の命への道を拓いてくださったとか、ありもしない作り話をして、信者を獲得しようとしているだけなのだ。そのようなことではなかったかと思います。イエス様の福音というものは、ユダヤ教の立場から言えば、そう言いたくなるような内容だったのですから、これは仕方の無いことだったとも言えます。これは今風に言えば、パウロたちのイエス様の福音の伝道をカルト宗教の一つと見なしての非難であったということでしょう。
 カルト宗教というのは、いつの時代にもどの国にもあるものです。宗教の形を借りて、人の弱みにつけ込んで、その人の富や人生までも食い物にするエセ宗教です。現代における統一原理などはその代表的なものです。しかし、統一原理ばかりではなく、仏教系のカルト、神道系のカルトも実にたくさんあるのです。実名を挙げればきりが無いほどあります。そして、その多くは、信徒との間に金銭トラブルを起こし、訴訟を起こされています。金銭トラブルで訴訟を起こされている宗教というのは、どんな言い訳をしてもダメでしょう。ユダヤ教の会堂にいた人々から見れば、パウロの語ること、パウロのしていることは、カルト宗教にしか見えなかったということなのでしょう。

3.伝道の担い手:神様に委ねられた者
 パウロは弁明いたします。この弁明の中に、パウロの伝道とは如何なるものだったのか、キリストの教会が二千年の間為し続け、今も為している伝道とは如何なるものなのか、そのことがはっきり示されております。
 第一に、伝道は神様に委ねられて為すものであるということです。伝道は、私がしたいからとか、自分たちの勢力を拡張するためとか、そんなことでするのではありません。伝道というものは、天地を造られた神様が、罪の中であえぐ私共を救うために救い主イエス様を送ってくださった。そのイエス様が、私のために私に代わって十字架についてくださり、そして復活させられた。このことを伝えることであります。それは、御子を十字架にお架けになってまで罪人を救おうとされる、この神様の何としても罪人を救わんとする、その意志に従うことです。しかも、神様はその意志を私共に伝え、そのために生きる者を召し出し、立て、遣わされるのです。パウロは、神様がこの伝道のために召し出し、立て、遣わされた者なのです。パウロは、この神様の御心、神様の御業の中で伝道したのです。4節「わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。」と告げている通りです。
 だからパウロたちは、神の福音を語ることが出来ましたし、どんな困難の中でも語ることを止めなかったのです。2節に「無駄ではなかったどころか、知ってのとおり、わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。」とある通りです。この「以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども」とあるのは、使徒言行録16章に記されていることを指しています。パウロたちはテサロニケで伝道する直前、フィリピの町で伝道したのです。この町での伝道も大変なものでした。フィリピの町でパウロたちは、占いの霊に取りつかれていた女性から、その霊を出て行かせました。すると、その女性を使って金儲けをしていた主人が、パウロとシラスを広場に引き立て、二人が町を混乱させていると申し立て、群衆もそれに同調したのです。その町の役人は、パウロたちを公衆の面前で鞭打ち、牢に入れました。その夜、神様によって地震が起き、結局パウロたちは釈放されたのですが、このようなことがあっても、パウロたちは福音を語ることを止めはしませんでした。「わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語った」とパウロは言うのです。パウロたちを常に励まし、支え、伝道へと導いたのは、神様御自身でありました。だから止めないのです。神様はパウロたちを伝道者として立てただけではありません。パウロたちが為す伝道の歩みを共に歩んでくださり、勇気づけ、出来事を起こして道を拓き、テサロニケへと招き、そこでも福音を宣べ伝えさせられたのです。

4.伝道する内容:神の福音
 第二に、パウロたちが伝道した中身、それは「神の福音」でありました。パウロが考え出した新しい福音でもなければ、他の人が考えてパウロに教えたものでもありません。天地を造られた神様が、独り子であるイエス・キリストの十字架と復活という出来事をもって与えてくださった福音です。ですから、パウロたちはこれを変えることは出来ません。それが原因で迫害されようと、この伝えるべき内容を変えることなど決して出来ないのです。キリストの教会が二千年の間変えることなく伝えてきた福音。神様の救いの喜ばしい知らせ。それは、神様によって与えられたものであり、神様によって保持され、伝えられてきたものなのです。パウロにしても、代々の聖徒たちにしても、代々の教会も、この神様の御業の道具であるに過ぎません。
 時代は変わり、文化も変わります。しかし、神の福音は変わりません。もちろん、その伝え方や表現方法は変わります。それは、時代によって、伝道する場所の文化によって、変わってくるでしょう。しかし、伝えられる福音は変わりません。神の福音だからです。神様御自身が与えてくださった救いの道だからです。私共は、ただイエス・キリストを信じ、愛し、この方に従って生きるならば、一切の罪を赦され、永遠の命、復活の命に与ることが出来るのです。この神の福音によって生かされ、これを伝え、この福音に生きる者。それがキリスト者なのです。

5.伝道の目的:神様に喜んでいただくため
 第三に、この神の福音の伝道は、ただ神様に喜んでいただくために為されます。人に喜ばれるためではありません。4節b「人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神によろこんでいただくためです。」と記されている通りです。
 これは少し分かりにくいかもしれません。福音伝道は、それによって伝えられた人が救われるのだから、人にも喜ばれるのではないか。その通りです。だったら、どうして「人に喜ばれるためではなく」とパウロは告げるのか。
 ここには伝道の優先順位が示されていると言って良いでしょう。牧師が説教を語る場合のことを考えると分かりやすいと思います。説教学という、説教について考える神学の一つの分野があります。そこで、しばしばこう言われます。説教の第一のテキストは聖書である。これは説明するまでもないでしょう。説教は、聖書に基づき、聖書が告げていることを語ることです。どんなに感動的な話でも、聖書と関係ない話ならば、それは説教にはなりません。しかし、説教学においては、第一のテキストという言い方からも分かりますように、第二のテキストがあると言われるのです。それは会衆です。説教は第一のテキストである聖書を語るのです。しかし、その説教を聞く会衆がいるわけで、その会衆に伝わらなければ、説教は説教になりません。この第二のテキストである会衆を読み間違いますと、さっぱり分からない説教になってしまいます。このことは、幼稚園の子どもたちに語る説教と、この主の日の礼拝で語る説教は同じではないということを考えればすぐに分かることです。しかし、ここで問題が起きるのです。第二のテキストにばかり心が向きますと、聖書をねじ曲げてしまうということが起きるのです。分かりやすい話にしようとして、本来聖書が語っていることとは別のことを語ってしまう。ここでパウロが言っているように、4節「人に喜ばれるため」、あるいは5節「相手にへつらったり」ということが起きてしまうのです。これは説教者・伝道者がよくよく心しておかなければならないことです。
 ユダヤ教の人たちから見れば、パウロのやっていることは、まさに相手にへつらい、聖書の語っていることをねじ曲げている。そういうことだったのでしょう。ユダヤ人たちが大事にしていたこと、これをしなければ救われないという筋道、割礼であったり、律法遵守であったりを、救われるための絶対条件ではないと言って伝道したからです。しかしパウロは、「そうではない。わたしが伝え、わたしが語っているのは、神の福音なのだ。わたしは人に喜ばれるためではなく、ただ神様に喜んでいただくために伝えているのだ。」と告げたのです。
 こう言っても良いと思います。神様を知らなければ、他人とどう上手くやっていくか、この世でどう成功するか、人はそういうことしか考えません。それが自分の人生の目的であり、意味となります。しかし、主イエス・キリストに救われた者は、神様の御前で生きるという新しい命を与えられました。そこで、一番大切なことは、神様に喜ばれることであり、神様を愛し、神様を信頼し、神様にお仕えすることであることを知ったのです。もちろん、この地上に生きている以上、人との関係はどうでもよいということはありません。これも大切です。しかし、それは第二なのです。第一は神様の御心です。神様の御前に、神様に喜ばれる者として生きるということなのです。
 キリスト者とは、この三つのこと、神様に委ねられた者として、神の福音を、神様に喜ばれることを求めて、伝えていく者とされた者なのでしょう。伝道者とは、その生涯を通してこの三つに生きることを、身をもって証しするために立てられている者のことなのでしょう。

6.F教会のY牧師のこと
 週報にありますように、先週の水曜日に、F教会のY牧師が天に召されました。享年65歳でした。現役のまま天に召されたのは、中部教区では20数年ぶりということでした。木曜日に前夜式、金曜日に葬式を私が司式をして執り行いました。
 Y牧師は、今年の二月に感染症にかかり、金沢大学の大学病院に入院しておられましたが、そこでの治療はうまくいき、T総合病院に転院されて、何とか退院出来るのではないかというところまで来ていたのですが、5月23日(月)、24日(火)と食事が入らなくなり、急激に容態が悪化し、6月1日(水)午前0時27分に天に召されました。週報を見て初めて知り、驚かれた方も多いと思います。私は、伝道者の葬式というものは初めてだったのですが、前夜式・葬式の備えをしながら、改めて襟を正される思いがいたしました。
 Y牧師は、東京池袋にあるK教会で9年、F教会で23年、牧師としての歩みをなさいました。私はその最後の12年間しか知りません。24年前にC型肝炎のウイルスを持っていることが分かり、ウイルスが活動を始めて、肝硬変・肝がんへと進行。10年前に奥様のIさんの肝臓をもらって生体肝移植の手術を受けられました。しかも、その手術を受けた年に、幼稚園舎の移転新築をされました。私共の教会も出来る限りの支援をさせていただきました。その後、新しい幼稚園舎の道を挟んでの真ん前に土地を得て、教会堂と牧師館を建てられました。どちらも、ほとんど自己資産と言えるものも無く、教会員も10数名という中での事業でした。目先の利く人なら、どちらもやらなかったと思います。無理だ、出来ないと思うからです。しかし、Y牧師はやられた。そして、あれよあれよという間に建った。まるで出エジプトの時の海の奇跡のように、目の前の道が次々と開いていったのです。その都度その都度に、神様が助け手を与え、道を拓いてくださったのです。伝道とは、教会を建てるとは、本当に神様の業なのだと改めて思わされました。そして、その神様の御業に、Y牧師は用いられたのです。
 私は今日も礼拝後に、役員会と礼拝説教・聖餐執行のためにF教会に行きますが、行く度に、「この教会は奇跡の教会ですね。」と言うのです。すると、Y牧師の奥様のIさんも教会員も真顔で、「本当にそうです。」と言われる。F教会は、自らが神様によって建てられているということを学んだのです。これは本当にすごいことです。しかし、よく考えてみればF教会だけが奇跡の教会なのではありません。テサロニケの教会も、そして私共の教会も、キリストの教会はすべて、奇跡の教会なのです。神様によって建てられ、神様によって保持されているのです。しかし、私共はしばしばそのことを忘れるのです。伝道が自分たちの業であるかのように勘違いするのです。しかし、そうではありません。そのことを改めて教えていただきました。Y牧師は御国へと迎えられました。神様に喜ばれることを求める者とは、この御国に対しての希望に生きる者のことなのです。
 私共はただ今から聖餐に与ります。この聖餐は、私共の希望がどこにあるかをはっきり示します。私共はイエス様が再び来られる時、共々によみがえり、イエス様と共に食卓を囲むことになります。この聖餐は、その出来事を指し示しております。私共は、この聖餐に与った者として、その日を待ち望みつつ、何よりも神様に喜ばれることを第一のこととして、主に与えられた場において、為すべき業にそれぞれ励んで歩んでまいりたいと願うのです。

[2016年6月5日]

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