1.はじめに
今私共は、子どもたちの祝福を共に祈りました。今年は人数が多く、講壇の周りを囲むようにしなければ子どもたちが並べないほどでした。嬉しいことです。私が一人一人の名前を呼んで、幼な子の頭に手を置いて「主が共におられるように。」と祈り、皆さんがアーメンと祈りを合わせました。主が共にいてくださる。これこそが、幼な子から年老いた者たちまで、どんな状況の中に生きる者にとっても変わることのない、最も大いなる神様の恵み、神様の祝福です。そしてこの祝福は、私共の肉体の死を超えて、変わることがありません。この地上の歩みにおいて主が共にいてくださったのなら、その祝福は肉体の死を超えて、私共に与えられ続けるものなのです。そのことを、今朝与えられた御言葉は私共に示しております。
2.死にて陰府にくだり
イエス様は十字架の上で死んで、墓に葬られました。イエス様の死んだ体は、墓の中に横たえられたのです。私共は死にますと、現代の日本では、火で焼かれ灰となって、その遺骨が墓に納められるわけですが、イエス様の時代のユダヤでは、遺体はそのまま布にくるまれて、墓のために掘られた横穴に納められたのです。イエス様も、十字架の上で死んだ後、アリマタヤ出身のヨセフに引き取られ、他の人と同じように亜麻布に包まれて墓に葬られました。イエス様は、私共と同じように死を味わわれ、そして墓に葬られたのです。それは、死んで墓に葬られる私共と、どこまでも共にあられるためでありました。
代々の聖徒たちが告白し、私共も告白しております使徒信条には「十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、」とあります。イエス様が死んだことと葬られたことを一つのこととして、「死にて葬られ」と告白します。実に、イエス様が墓に葬られたということは、本当に死んだのだということを示しているのです。死にそうであったとか、仮死状態であったとかいうことではなくて、本当に死んだのだということです。本当に死んだから、三日目のよみがえり、復活が意味を持つのです。では、この本当に死んだということは、どういうことなのか。使徒信条は、陰府に下ったということであると告げるのです。陰府。それは死者たちが行く世界、神様に捨てられ、一切の光が閉ざされている世界です。そこにイエス様は行かれたというのです。
先ほど詩編88編をお読みいたしました。この詩編は、詩編の中で最も暗い詩と言われています。死の暗闇に覆われた嘆きの詩です。4節から読みますと「わたしの魂は苦難を味わい尽くし、命は陰府にのぞんでいます。穴に下る者のうちに数えられ、力を失った者とされ、汚れた者と見なされ、死人のうちに放たれて、墓に横たわる者となりました。あなたはこのような者に心を留められません。彼らは御手から切り離されています。あなたは地の底の穴にわたしを置かれます、影に閉ざされた所、暗闇の地に。」とあります。ここには陰府の暗さが告げられています。陰府に下った者は、神様に心を留められることなく、神様の御手から切り離され、暗闇に閉ざされるのです。イエス様が陰府に下られたとは、そのような者たちの所に下られたということです。
このイエス様の陰府下りは私共に重大なことを教えます。それは、イエス様を知らずに陰府に下った者たちの所にまで、イエス様は行かれたということです。ペトロの手紙一3章19節には、「霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。」とあります。この「捕らわれていた霊たち」とは、神様が忍耐して待っておられたのに従わなかった者たちのことです。つまり、神様を信じることなく、神様に従わずに死んで陰府に下った者たちのことです。イエス様は、十字架の上で死んで墓に葬られて、神様を知らずに既に地上の生涯を閉じた者たちの所に下って行かれた。しかも、イエス様は陰府において宣教されたというのです。ということは、イエス様を知らずに地上の生涯を閉じた、私共の父や母、兄弟、姉妹、そのような人たちの救いの可能性が閉じられていないということをはっきり示しているということでしょう。私共はあきらめなくても良いのです。死んだらすべてがお終いではないのです。もちろん、この地上の命がある間に、イエス様の救いに与るほうが良いに決まっています。しかし、そうでなかったとしても、それで終わりではないのです。
そして、このことはイエス様の救いの御業、救いの御手というものが、人間の死を超えて陰府にまで伸びているということでもあります。そして、このことはイエス様が私共と共にいてくださるということが、肉体の死をもっても終わらないということをも示しているのです。イエス様が十字架の上で死んで墓に葬られたという出来事は、イエス様の救いの御手が死を超えた所にまで伸ばされており、私共は主と共にあるという祝福の中に、肉体の死を超えてあり続けるのだということを示しているのです。
3.アリマタヤのヨセフ
さて、42節に「既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、」とあります。「安息日の前日であった」とありますから、安息日は土曜日ですので、イエス様が十字架にお架かりになったのは金曜日であったということが分かります。そして、イエス様が十字架の上で息を引き取ったのが午後の三時。当時の一日は日没と共に始まりますから、金曜日の日没から土曜日、安息日に入ります。安息日に入れば、当時のユダヤでは買い物にも行けなければ、何も出来ません。勿論、イエス様の御遺体を十字架から降ろすことも、墓に葬ることも出来ません。残された時間は三時間くらいだったと思います。日没になってしまえば、イエス様の御遺体は十字架に架けられたまま、丸一日放って置かれることになります。鳥がついばむか、犬が食べるか分かりません。イエス様に従って来ていた婦人たちは、イエス様の十字架を遠くから見守っておりましたけれど、何も出来ませんでした。十字架という刑は見せしめという意味がありますから、勝手に十字架から降ろすことなど出来ないのです。
そこに一人の人が現れました。アリマタヤのヨセフです。彼は「身分の高い議員」であったと記されています。マタイによる福音書には「金持ち」であったと記されており、ルカによる福音書には「善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。」とあります。また、ヨハネによる福音書には、「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していた」人であると記されています。これらの記述をまとめてみますと、このアリマタヤ出身のヨセフという人は、金持ちで、サンヘドリンというユダヤの自治を任されていた議会の議員であり、善良で正しい人で、イエス様を十字架に架けることに同意しなかったけれども積極的に反対したわけではなく、イエス様の弟子ではあったけれどもそれを隠していた。そういう人であったようです。
イエス様の弟子であり議員だったのなら、イエス様が十字架に架けられる前にきちんと反対して、イエス様が十字架に架けられないように働けば良かったのに。そう思われる方もおられるかもしれません。そのように言われれば、アリマタヤのヨセフは反論できず、下を向いて「申し訳ない。」としか言えないのかもしれません。しかし、とても反対できるような状況ではなかったのでしょう。私は、このアリマタヤのヨセフを責める気にはなれません。それどころか、少し遅かったけれど、大したものだと思うのです。43節「アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。」とあります。マルコによる福音書は、他の福音書にはない一つの言葉を加えて、この時のヨセフの行動を告げています。それは「勇気を出して」という一句です。彼は今まで、自分がイエス様の弟子であるということを隠していた。それは自分が議員であり、大祭司を始めユダヤの政治の中心にいる人たちは皆、イエス様を殺そうとしている。イエス様を、自分たちの権威を傷つけ、ユダヤの伝統や文化を破壊する危険な人間とみている。そういう中で、自分がイエス様の弟子であると明らかにすることなど、とても出来ない。そんなことをすれば、議員としての立場を失うことになるかもしれない。そう思っていたのでしょう。その彼が、「勇気を出して」ピラトのところへ行き、イエス様の御遺体を引き取らせてくれるように願い出たのです。普通処刑された人の遺体を引き取るのは遺族です。アリマタヤのヨセフがそんなことをすれば、自分はイエス様の家族ではないが、とても深い関係にある、つまり弟子であるということを公にすることになります。そうなれば、彼はユダヤの議員としての地位も立場も失うことになるかもしれません。しかし、彼は勇気を出してピラトに願い出たのです。
4.勇気を出して
どうして彼はそんなことをしたのでしょう。私は、彼もまたイエス様の十字架を見て変えられたのだと思うのです。彼にしてみれば、自分が議会できちんと反対しなかったから、イエス様が十字架に架けられることになってしまった、そういう思いがあったと思います。つまり彼は、イエス様の十字架を自分の責任として、「自分がイエス様を十字架に架けてしまったのだ。」そのように受け止めたのではないか。そう思うのです。彼はイエス様の十字架を傍観者として見ることは出来なかったのだと思います。だから、彼は悔いたのです。何ということをしたのかと悔いた。イエス様の十字架のもとで悔いた。その時、彼に勇気が与えられたのです。自分の地位や立場より大切なものがある。この方を大切にすること。この方に従うこと。それ以上に大切なことはない。彼は変わったのです。そして、彼はピラトのところへ行き、イエス様の遺体を引き取ることを願い出たのです。
私共は皆、このアリマタヤのヨセフのように深く悔いることがあるのではないでしょうか。あの時もっとキリスト者としてこう言えばよかった。このように行動すれば良かったのにと思い、悔いる。私にもあります。私の父は、キリスト者にならずに地上の生涯を閉じました。20年程前のことです。父は、息子が一生懸命キリスト教の伝道をしているのに、自分がキリスト者にならなくて良いのかと思っていたそうです。私には言いませんでしたが、長男夫婦にはそう言っていたそうです。肺がんになり、診てもらった栃木の病院では手遅れですので治療はしませんと言われ、私の前任地の舞鶴の病院で抗がん剤と放射線の治療をすることになりました。栃木と舞鶴を飛行機を使って2週間ずつ行き来をし、治療することになりました。半年ほど栃木県の家と舞鶴の病院とを行き来しました。次第に舞鶴にいる日が多くなり、私はその病床に毎日通いながら、遂に洗礼のことを言い出せなかったのです。何故あの時言い出せなかったのか。今も悔いが残ります。ですから、母が高齢になり家で生活出来ないことになった時、今度は何としても引き取って、キリスト者として神様の御許に送りたい。そう思ったのです。今回は勇気が出た。もちろん、妻の支えがあってのことです。
私共の信仰の歩みには、このような悔いが必ずある。私共は弱いのですから。しかし、私共は悔い改めるのです。新しくされるのです。そして、勇気が与えられるのです。アリマタヤのヨセフにとって、その悔い改めの第一歩が、イエス様の遺体を引き取るということだったのです。
5.神様が用いてくださる
彼はイエス様の遺体を引き取って、亜麻布に包んで墓に葬りました。イエス様を引き取ってから墓穴を掘ったのでは、当然間に合いません。マタイによる福音書は、その墓が「自分の新しい墓」であったと記しています。彼は、自分が入るために用意していた墓に、イエス様を葬ったのです。神様は、このヨセフの墓をイエス様の復活の場として用いられたのです。
イエス様が死んでしまってからあれこれして何になる。イエス様が生きている間にやることがあっただろう。そういう批判もあるでしょう。しかし、もし神様が私共の歩みをそのように見ておられるとすれば、誰も神様の御前に立つことは出来ないでしょう。ヨセフのしたことは確かに遅かったかもしれません。しかし、神様はこのヨセフの悔い改めを義しとされ、ヨセフが献げた墓を栄光に輝く復活の場として用いてくださったのです。神様はそのように、私共の献げる貧しく取るに足りないものを喜んで受け取ってくださり、私共の思いを超えたあり方でそれを用いてくださるのです。私共はそれを信じて良いのです。
6.復活の備え
ヨセフが、ピラトにイエス様の遺体を渡してくれるように願い出た時、44節「ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。」と記されております。十字架という刑罰は、釘を打たれた手と足から流れ出る血によって出血多量で死に至るというものですから、人によっては丸一日以上経って息絶えるということもあったようです。ですからピラトは、「朝の九時に十字架に架けて、まだ午後の三時過ぎ。たった六時間しか経っていないのにもう死んだのか。」と不思議に思ったということなのでしょう。そこで百人隊長を呼び寄せて、本当に死んだのかと尋ねたのです。当たり前のことですが、まだ生きているのに引き取らせるわけにはいきません。ピラトは百人隊長に確かめました。そして、ヨセフにイエス様の遺体を引き渡したのです。
このことは、イエス様は本当に死んだのだということを示しています。この「本当に死んだ」ということが、次のイエス様の復活の出来事の備えとなっているのです。46~47節の「ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた。」もそうです。
イエス様の墓の入り口は石でふさがれた。マグダラのマリアとヨセの母マリアは、イエス様の遺体を納めた場所を見ていた。だから、安息日が終わった日曜日の朝早く、彼女たちはイエス様の墓に向かうことが出来たのです。そして、石がわきへ転がしてあったことが、復活の一つのしるしとなったのです。また、イエス様の体が亜麻布で巻かれたのも、その亜麻布が空の墓の中に残っていたことにより、イエス様の復活の一つのしるしとなりました。イエス様の死、イエス様の葬りは、復活へと続くのです。
この時ヨセフもマリアたちもそのことは知りません。しかし、神様の救いの御業の中で彼らは用いられていきます。復活の証人として立てられていくのです。私共も今の現実がどのようになっていくのか知りません。しかし、今のこのことがあって、次がある。そしてそれは必ず、神様の救いの完成へとつながっていくことになるのです。私共は、この救いの完成としての御国に向かって、今という時を生かされているのです。そのことをしっかり心に刻んで、この一週間もまたそれぞれ遣わされた所において、キリスト者として、主の恵みの証人として歩んでまいりましょう。
[2015年11月8日]
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