1.はじめに
今日は棕櫚の主日と呼ばれる、受難週の初めの日です。来週の主の日、私共はイースターの記念礼拝を守ります。イエス様の御復活を喜び祝う礼拝です。今週は、週報にありますように、火曜日から金曜日まで毎日、受難週祈祷会が守られます。婦人会・壮年会・長老会からそれぞれ奨励者が立てられます。それ以外の時は私が奨励します。今年は、イエス様の十字架上の言葉を一つずつ受けていこうと思っております。受難週祈祷会は午前と夜に行われますから、毎日は無理でも、皆さんどれかには必ず出席して、イエス様の十字架の出来事を心に刻んで、歓びのイースターを共々に迎えたいと思います。
2.イエス様の遺言として
今朝与えられております御言葉は、マルコによる福音書によれば、受難週の火曜日の出来事です。マルコによる福音書においては11章27節から13章の終わりまで、イエス様が神殿において為されたたくさんの教えや問答が記されております。受難週の出来事の記し方としては、この火曜日に実にたくさんの分量が割かれているのですが、ここにある教えや問答がすべてこの火曜日だけで為されたと考える必要はなかろうと思います。いろいろな時に為された教えがここにまとめられたと考えても差し支えないでしょう。11章27節から13章の終わりまでですから、かなりの分量です。議論や教えの内容も実に多岐にわたっています。これだけのものが、この日一日だけで為されたと考える方が無理があるかもしれません。しかし、これだれの分量の問答や教えがここにまとめられたというのには、それなりの理由があったはずです。その理由とは、イエス様は金曜日には十字架にお架かりになるわけですから、キリストの教会がこの受難週におけるイエス様の言葉というものを、イエス様が御自身の死を目前にして告げられた言葉、遺言と言っても良い、そのような重い言葉として受け止めてきたということなのではないか。そう思うのです。あるいは、もっと直接的に、ここにあるイエス様の言葉は、イエス様の十字架の出来事と結びつけられて受け止められなければならない、そのことを明確に示すために、受難週の言葉としてここに記したとも考えられます。
3.一日の出来事としての御受難
ちなみに、受難週の出来事として私共が記憶しているものは、木曜日の夜の最後の晩餐、ゲツセマネの祈り、イエス様が捕らえられる、そして裁判を受ける。更に、金曜日になって、総督ビラトのもとで十字架刑が宣告され、午前九時に十字架に架けられ午後三時に息を引き取る、そして日没までに墓に葬られるという流れでありましょう。私共は、この一連の出来事を木曜日の夜から金曜日の日没までと、二日間の事と考えるのですが、しかしこれはユダヤの一日の数え方では、すべて金曜日一日の出来事なのです。ユダヤの一日は、日没から始まって次の日の日没までですから、イエス様の受難の出来事は金曜日の始めから金曜日の終わりまでに起きた、そう聖書は記しているわけなのです。これらは全て一日の出来事なのです。それは、この一日が全てである、この一日に集中して神様の救いの出来事が起きた、と聖書は告げているということなのです。神様の救いは、福音は、この一日に、この一点に集中しているということなのです。この一点への集中こそ、聖書が私共に告げていることなのです。私共はこの一点から、この一日から、すべて見ていかなければなりません。
4.ファリサイ派とヘロデ派
さて、今朝与えられている御言葉において、イエス様の言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人が数人、イエス様のもとに遣わされました。彼らは遣わされて来たのですが、遣わしたのは誰かと言えば、11章の終わりの所で、イエス様に権威についての問答を仕掛けた祭司長、律法学者、長老たちであったろうと思います。彼らは、エルサレム神殿を中心とするユダヤ教の指導者たちであり、当時のユダヤ社会の指導者たちです。彼らに遣わされて、イエス様の言葉じりをとらえて陥れるためにやって来たのです。
ここでファリサイ派やヘロデ派の人が遣わされているのですが、それはイエス様に向けられた問い、イエス様を陥れるために為された問いの内容と関わっています。元々、ファリサイ派の人とヘロデ派の人とは政治的立場が全く違うのです。ファリサイ派の人というのは、ユダヤ教原理主義と申しますか、神の民であるユダヤ人として、自分たちは律法を守って神様の救いに与るために全精力をそこに注いでいる人たちです。彼らからすれば、汚れた異邦人であるローマに支配されているのはまことに面白くないわけです。一方、ヘロデ派の人というのは、当時のガリラヤの領主であったヘロデ・アンティパスを支持する人たちです。ヘロデ・アンティパスは、ローマ帝国のもとで領主であることを許されている存在ですから、当然、ローマ帝国による支配という現実を支持しているわけです。このようにローマに対しての姿勢ということから見れば、この二つのグループは全く正反対の立場だったわけです。
5.問いの罠
その二つのグループの人がイエス様の所にやって来て、イエス様に問うのです。14節「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」この税金というのは、多分、人頭税であったと思われます。これはイエス様を陥れるための罠です。どういう罠になっているかと申しますと、「税金を納めなくて良い。」とイエス様が答えれば、それはローマに反逆する者ということになります。ヘロデ派の人が黙っていません。ローマに訴えて、イエス様を捕らえることが出来ます。逆に、「納めなければならない。」と答えれば、人々はイエス様が神様に遣わされた方で、その不思議な力でローマをやっつけて自分たちに独立と自由を与えてくれると期待しておりましたから、人々は失望しイエス様から離れるでしょう。更に、ファリサイ派の人々は「ユダヤには神様以外に王は無し。」と叫んで、イエス様を糾弾することさえ出来るわけです。このように、どう答えようともイエス様を追い詰めることが出来る、そういう罠がこの問いには仕掛けられていたわけです。
6.デナリオン銀貨
これに対して、イエス様は彼らの策略を見抜かれます。そして、「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」と告げられました。デナリオン銀貨というのは、当時ローマ帝国が発行していた貨幣です。労働者の一日の賃金が1デナリオンでした。ですから、現代の日本で言えば五千円札とか一万円札に相当すると考えて良いでしょう。この銀貨には、当時のローマ皇帝であるティベリウスの肖像と銘が刻まれておりました。お金というものは誰でもが造ることが出来るというものではありません。その国を支配する者だけが発行することが出来るのです。そして、お金というものは皆が使うものです。だから、ローマ帝国はそれに必ず皇帝の肖像と銘を刻むことにしていました。それは、このお金を造ったのが○○というローマ皇帝であると示すことによって、このお金を使う者は○○皇帝の支配のもとにあるのだということを示すためでした。ですから、ローマは皇帝が替わる度に、必ずその新しい皇帝の肖像と銘が刻まれた貨幣を造ったのです。ローマ帝国は広大ですけれど、新しいお金、コインを造ることによって、ローマ帝国の津々浦々まで皇帝が新しくなったことを知らせることにもなったのです。
7.神殿の内と外での使い分け
エルサレム神殿においてはこのデナリオン銀貨は使うことが出来ず、昔のユダヤのお金に両替しなければならなかったわけですが、ここには「神殿の中にローマの支配は及ばせない。」という思いがあったのだと思います。更には、十戒の第二の戒「あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。」に反するからということもあったのでしょう。そのようにローマのお金を使えないエルサレム神殿の中で、このようなやり取りが為されたというのも皮肉な気がします。エルサレム神殿の中では使うことの出来ないローマの銀貨を、彼らは持っていたのです。当たり前といえば当たり前です。神殿を一歩出ればローマのお金しか使えないのですから、財布の中にはローマのお金が入っている。皆そうなのです。エルサレム神殿に巡礼に来た人も、ヘロデ派の人もファリサイ派の人も、財布の中にはローマのお金しか入っていないのです。しかし、エルサレム神殿に納めるものはローマのお金ではいけない、そう言って両替しているわけです。何か変です。
神殿の内と外で全く違うように生きているわけです。神殿の外ではローマのお金を使い、ローマの支配の中に生きる。しかし、神殿の中ではローマのお金は使えない。神殿の中では、王はローマ皇帝ではなくて主なる神様ただ一人ということになっている。使い分けているわけです。
8.聖と俗を分ける?
イエス様は、彼らが持って来たデナリオン銀貨を見せて、「これは、だれの肖像と銘か。」と問われました。彼らが「皇帝のものです。」と答えると、イエス様は「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」とお答えになりました。この答えには、ファリサイ派の人もヘロデ派の人も言いがかりを付けようがなく、驚き、黙るしかありませんでした。 イエス様は「皇帝のものは皇帝に」と答えることによって、税金は納めるべきだと言われたわけです。これでヘロデ派は黙るしかありません。しかし同時に、「神のものは神に返しなさい。」と言うことによって、ただローマの支配だけを認めるのではなくて、ちゃんと神様の御支配を認めているわけです。これでファリサイ派の人も黙るしかありませんでした。
イエス様はここで、ヘロデ派の人からもファリサイ派の人からも責められることのない見事な答えをされたわけです。しかしここでイエス様は、神殿を支配している人々が神殿の外はローマ皇帝の支配、神殿の中は神様の支配というような使い分けをしているのを良しとして、このように言われたのではないのです。聞いた方は、そのように受け取ったかもしれません。しかし、イエス様の意図はそうではありませんでした。確かに、この「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」というイエス様の言葉が、この世の領域・世俗の領域と、教会の領域・信仰の領域とを分けなければならない、そのような考え方の根拠となったという歴史はあります。そして、このような考え方をしなければいけない時もあるのです。例えば、政教分離というあり方は、近代民主主義国家においてはとても大切なもので、これを失えば近代民主主義国家は成り立たないと言っても良いほどに重要なものです。最近の国際情勢においてしばしば問題になるイスラム原理主義の人々と私共との価値観の違いが先鋭化する一つの所は、この政教分離を認めるかどうかという所にあります。この政教分離というあり方は、人類が本当に多くの血を流してやっとたどり着いた知恵であり、私は何としてもこれは守らなければならないと考えています。そうでないと、必ずまた多くの血が流されることになります。
しかし、イエス様がここで言われたことは、「聖と俗とを分けなさい。」ということではないのです。「皇帝のものは皇帝に」というのは確かに、この世の秩序というものを認めるということです。イエス様は、デナリオン銀貨を使うな、税金を納めるな、ローマと戦え、そんなことは言われないのです。いつの時代でも、どこの国でも、理想的な政治、神様の御心が完全に反映されるような政治が行われるなどということはないのです。政治というのは、いろいろな立場の人がいて、それを認めながら、より良い妥協点を見つけるしかないのです。いろいろと欠けがあっても、それを認めていくしかない。消費税に反対だからといって、それを納めなくて良いということにはならないのです。私共はこの世の秩序を認め、良き市民としての歩みをしなければならないのです。
9.神のものは神に
問題は、「神のものは神に」です。この「神のもの」とは何なのでしょうか。デナリオン銀貨には、それを造った皇帝の肖像と銘がありました。では、神様によって造られたもの、それを造られた神様の肖像と銘が入ったものとは何なのでしょうか。それは、神様の似姿に造られた私共自身です。つまり、私共の命、私共の富、私共の時間、私共の能力、それらはすべて神様のものなのです。イエス様は「神のものは神に返しなさい。」と言われました。私共は、自分の持てるすべてを神様にお献げして生きるのです。ここまでは皇帝に、ここからは神に、そして残りは自分に。そういうことではないのです。すべてを神にです。
こう言っても良いでしょう。私共は、日曜日の朝だけキリスト者であるわけではないのです。教会にいる時だけ、礼拝している時だけクリスチャン。そんなわけがありません。私共はいつでもどこでも何をしていてもキリスト者なのです。この世の秩序のなかで、会社員として、主婦として、夫として、妻として生きている時も、キリスト者なのです。月曜から土曜までは皇帝の支配のもとで、日曜日は神様の支配のもとで。そんな使い分けは出来ないのです。どうしてか。それは、私共はあのイエス様の十字架によって、完全に神様のものとされてしまったからです。私共には最早、父・子・聖霊なる三位一体の神様以外に主人はいないのです。
ですから、この世の秩序の中に生きている時も、私共の主人、私共の王は、ただ主なる神様しかいないのです。私共は二人の王に兼ね仕えることは出来ません。ですから、もし私共が、明らかに神様の御心に反することをこの世の主人から求められることがあるとするならば、私共は断固「No!!」と言わなければならないでしょう。皇帝もまた、神様によってその地位を与えられているものでしかないからです。しかし、皇帝に仕える時、つまりこの世の秩序の中で生きる時、私共は神様のものとされている者として、ためらうことなく、健やかに生きるのです。この世界のすべては主なる神様のものだからです。私共はキリスト者として仕事を為し、キリスト者として食事を作り、キリスト者として子育てをするのです。私共の為す日常の営みのすべてが、主人である神様にお仕えする業なのです。牧師の仕事は聖なる業、信徒の日々の生活は俗なる業。そんなことは全くありません。どんな小さな業も、私共は神様に仕える業として、神様の栄光のために為すのです。それが、あの主イエスの十字架という一点において全てを新しくされてしまった、キリスト者という存在なのです。
[2015年3月29日]
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