1.主イエスの復活の故に
今朝私共は主イエスが復活されたことを記念する礼拝を守っています。先週は、主イエスが十字架にお架かりになった御言葉を主の日に受けて受難週の歩みを始め、火・水・木と朝夜二回の祈祷会を守りました。主イエスが十字架にお架かりになるまでの歩みを心に刻みつつ、今朝のイースターの礼拝に備えました。主イエスが金曜日に十字架にお架かりになり、死なれた。それは確かなことです。しかし、それですべてが終わったのではないのです。三日目に、日曜日に復活された。このことの故に、私共は主イエスをまことの神の子、救い主と信じ、主イエスが復活された日曜日に、主イエスを神として崇め拝む礼拝を守っているのです。
主イエスがもし復活されなかったのなら、十字架の死で終わってしまっていたのなら、キリスト教は誕生しなかったのです。主イエスがどんなに素晴らしい言葉を語り、驚くべき奇跡をなさったとしても、十字架の死で終わってしまったのなら、それは偉大な人ではあっても、まことの神様として人々が拝むことにはならなかったでしょう。主イエスと共に歩んだ弟子たちの記憶には残ったでしょうが、それで終わりです。
主イエスは十字架の上で死んで復活された。死で終わらなかった。その驚くべき事実、恐るべき出来事の故に、主イエスはまことの神にしてまことの人であり、私共を一切の罪から救いだしてくださる救い主であることが明らかにされたのです。死という、生きとし生けるものすべての上にある限界を打ち破られた方だからであります。この復活の出来事によって、主イエスの十字架の意味も、主イエスの語られた言葉の真実も、主イエスが為された様々な奇跡が示していたことも、すべてが明らかにされたのです。この復活の光に照らし出されて初めて、主イエスというお方が誰であり、何を私共にもたらしてくださった方であるかということが明らかにされたのです。実に、この復活という出来事こそ奇跡の中の奇跡であり、主イエスの上に掛けられていたベールが取られ、主イエス・キリストの本当の姿が顕わにされた出来事だったのです。
2.復活の証人である主イエスの弟子
主イエスが捕らえられ十字架に架けられた時に主イエスを見捨てて逃げてしまった弟子たちが、再び立てられて、全世界にキリストの福音を宣べ伝える者として出て行きました。その弟子たちは、何よりも「主イエスの復活の証人」として立てられ、遣わされ、宣べ伝えてきたのです。使徒言行録の1章15節以下に、主イエスを裏切ったイスカリオテのユダが自殺してしまったので、使徒たちがその欠けを補充したことが記されています。弟子たちの中から二人の人が候補として挙げられ、最後はクジで決められました。この時、この二人の候補を立てる条件として、21~22節に「そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」と語られています。ここで注目すべきは、使徒たちが自らを「主の復活の証人」と言っていることなのです。使徒たちに加えられるとは復活の証人になるということだ、と言われていることなのです。
十字架と復活は分けることが出来ません。十字架にお架かりになったイエス様が復活されたのであり、復活されたイエス様は確かに十字架の上で死なれた方なのです。この復活の光から十字架を見る時、初めて十字架の意味が明らかにされます。復活がなければ、主イエスの十字架は、当時のユダヤ社会における宗教的異端者として殺されたということでしかないでしょう。歴史の教科書が教えるのも、その程度のことです。しかし、その十字架にかけられた方が復活したとなれば、話は別です。死を打ち破る方が、何故十字架の上で死ななければならなかったのかという問いが生まれるでしょう。多くの奇跡を為すことの出来た方が、何故その力を十字架の上で用いなかったのかということになるでしょう。そこで、私共の一切の罪を引き受け、私共のために私共に代わって十字架にお架かりになったという、十字架の本当の意味が明らかにされることになるのです。復活がなければ、十字架もまた私共の救いの根拠となりませんし、意味のないものになってしまうのです。十字架と復活は一つのことなのです。
3.何故8節で終わるのか
さて、今朝与えられておりますマルコによる福音書の16章ですが、今朝与えられております御言葉の1節から8節がマルコによる福音書に元からあったもので、主イエスが復活された日曜日の朝の出来事を伝えているものです。そして、この8節で元々のマルコによる福音書は終わっていたと考えられています。聖書を見ていただくと分かるのですが、9節以下の所は大きなカギ括弧でくくられていて、結び一、結び二と小見出しが付いています。この大きなカギ括弧でくくられている所、ここは、後で付け加えられたものである、後で教会が書き加えたものであると考えられている所なのです。9節以下に記されておりますことは、マタイによる福音書やルカによる福音書に記されている復活の記事を要約したものです。マルコによる福音書は一番古い福音書ですから、元々そういうものがここにあるはずがないわけです。では、どうして後の教会は、マルコによる福音書に書き加えるというようなことをしたのでしょうか。
それは、8節に「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」とありますが、これで福音書が終わりというのは何とも心許ない。そう後の教会の人が思ったからでしょう。ある人は、復活の主イエスと弟子たちが出会った記事が元々あったのが失われ、それを教会が後で補ったのだと言います。それも一つの合理的な説明ではありますが、私はそうは思いません。この問題については、マルコによる福音書の16章を注解するすべての学者が、何らかの説明をしています。何故9節以下が書き加えられたのか、何故8節で終わりでは都合が悪いのか、そんな説明をしています。しかし、私はそのような説明は全く不要だと思っています。
何故なら、この福音書は教会で読まれるものとして記されたものだからです。言い換えれば、この福音書は主イエスが復活されたことを信じている人々のために記されたものなのです。ですから、主イエスの復活はあえて語ることもない。それよりも、復活されたイエス様は何を語り、何を為された方なのか、そのことを語ろうとした。そういう性格のものなのです。ですから、イエス様の十字架に至る受難週の出来事、特に十字架にお架かりになった日の出来事は多くの字数を用いて丁寧に記されているのです。ユダヤの一日の数え方は日没から始まりますから、14章12節から15章のすべてが、主イエスが十字架にかけられた日一日の出来事を記しています。実にマルコによる福音書全体の6分の1です。イエス様は本当に十字架に架かって死んだのだ。こうして死んだのだ。そのことを記すわけです。何故なら、イエス様は死んだように見えただけだ、仮死状態だったのだ、そんなことを言う人がいたからです。いつの時代でも、人はそう言うのです。復活なんて信じられない。そう言うのです。つまり、マルコによる福音書は、復活を告げるために、イエス様は本当に死んだということを言おうとしたのです。
使徒信条という、世界中のキリストの教会が「アーメン」と言って告白している、キリスト教の最も古い信仰告白には、主イエスについて、「おとめマリアから生まれ」の後すぐに「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで、陰府に下り」と、「苦しみを受け」「十字架につけられ」「死んで」「葬られ」「陰府に下り」と言った具合に、同じような意味の言葉を重ねて、実にくどくどと主イエスの十字架の死を語るのです。復活についてはその後で、「三日目に死人のうちよりよみがえり」だけです。イエス様は本当に死んだのだ。本当に死んだその方に我々は出会った。それは復活された以外にないのだと言っているのです。何度も申しますが、このマルコによる福音書が記されました時、主イエスが復活されたことは説明の必要がないことだったのです。その事実がなければ教会は存在していなかったし、弟子たちが伝えたキリストの福音そのものが成立しなかったからです。
もっと言えば、主イエスが復活されなければ、主の日の礼拝が成り立たなかったのです。キリストの教会はその成立の当初から、この主の日の礼拝において、復活の主イエス・キリストと出会い、これを拝んでいたからです。礼拝において復活の主イエス・キリストが聖霊として臨まれる。この礼拝体験の中でマルコによる福音書は記され、読まれて来たのです。だから、マルコによる福音書が主イエスの復活について多くを語ることは必要なかったのです。
4.恐ろしい出会い、恐ろしい出来事
16章1節「安息日が終わると」とあります。安息日は土曜日です。金曜日の日没から始まり土曜日の日没までが安息日でした。この安息日には、当時のユダヤの規定では、人々は何もすることが出来ません。イエス様が十字架の上で息を引き取ったのが金曜日の午後3時。日没まであまり時間がありません。アリマタヤのヨセフという人が主イエスの遺体を引き取り、自分の墓に主イエスの遺体を納めました。日没までの慌ただしい葬りでした。主イエスに従っていた女性二人、マグダラのマリアとヨセの母マリアが、イエス様の遺体が納められる墓を見届けておりました。しかし、日没となり、彼女たちはそのまま帰りました。
そして、土曜日の日没と共に安息日は終わりました。しかし、夜に墓に行くことは彼女たちはしませんでした。わたしたちだってしないでしょう。だから、安息日が終わった日曜日の朝、東の空が白々としてくる頃を待って、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメの三人の女性が、主イエスの墓に向かったのです。主イエスの遺体に香料を塗るためでした。彼女たちは、愛するイエス様の死に際して、何もしてあげられなかったことを悔いていたと思います。愛する者を失った時、私共も精一杯の葬りをしてあげたいと思うのが自然でしょう。イエス様は罪人として十字架の上で処刑されましたので、また十字架の上で死んですぐに安息日でしたので、彼女たちは何も出来なかったのです。彼女たちは香料を買い、主イエスの墓へと行きました。
当時のユダヤのお墓は横穴です。高さ1メートルほどの横穴を掘り、そこに遺体を納めます。そして、入り口は大きな石でふたをするのです。女三人でその大きな石をどけることは出来ません。けれど、そんなことも考えず、とりあえず墓に行ったのです。すると、その墓の入り口の石は既にわきに転がしてありました。大きな石でした。彼女たちは「おや?」と思ったでしょう。
5節「墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。」とあります。「白い長い衣を着た若者」とは、天使を表現しています。彼女たちは天使と会ってしまったのです。「婦人たちはひどく驚いた。」と聖書は告げます。そりゃあ驚くでしょう。私は天使を見たことはありません。しかし、この出来事を、「そんなことはないだろう」とは思いません。これは聖なる体験とでも言うべきことであって、科学的に立証出来るとか、そういう類いの話ではありません。そして、この時天使が告げたことは、もっと驚くことでした。6節「若者は言った。『驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。』」彼女たちは、イエス様の遺体に香料を塗るために墓に来たのです。彼女たちは、ひょっとするとイエス様が復活されているだろう、そんな風には全く考えていなかったのです。墓の入り口の石をどうしようなどと話しながら墓に来たのです。ところが、墓に行くと石は転がしてあり、墓の中には天使がおり、イエス様は復活されて既にここにはおられない、そう告げるのです。この出来事に対して、8節「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」ということなのです。彼女たちはただただ恐ろしく、震え上がったのです。
良いですか、皆さん。この時婦人たちは、イエス様の復活の知らせを天使から聞いて、喜び躍り上がったとは記されていないのです。当然ではないですか。もし、自分がこの場に居合わせたとしたら、どうでしょう。「お化けー」と叫んで、そこから逃げ出すのではないでしょうか。主イエスの御復活とはそういう出来事だったのです。あり得ない、恐ろしい、聖なる体験だったのです。そして、その体験はその後、使徒たちもすることになります。そして、それを告げ知らせる群れとして、キリストの教会は立ってきたのです。
天使は続けて、婦人たちにこう告げました。7節「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」ガリラヤ。私共は今、主の日の礼拝において、マルコによる福音書を初めから順に読み進めておりますが、ガリラヤは主イエスが弟子たちと初めて出会い、行動を共にした場所です。主イエスが教えを語り、様々な奇跡をした所です。ペトロやヨハネやヤコブといった弟子たちの故郷でもあります。そのガリラヤで、復活の主イエスが弟子たちと再び出会うというのです。復活の主イエスと出会うことによって、彼らは後に復活の証人とされていくのです。その知らせを受けた婦人たちは、当初はただただ恐ろしく、震え上がっていただけでした。恐ろしさのあまり、「だれにも何も言わなかった。」とあります。しかし、後には言ったのだと思います。そして、弟子たちはガリラヤで復活の主イエスと出会ったのでしょう。そのことによって、彼らは復活の証人となったのです。
大切なことは、マルコによる福音書が告げる主イエスの復活は、恐ろしさに震え上がるような出来事だったということなのです。この恐ろしさを抜きに、キリスト教の信仰は成立しません。この恐ろしさは、天地を造られたただ一人の神様が私共の生活のただ中に突入された恐ろしさです。神様は本当に生きて働いておられるということを思い知らされた恐ろしさなのです。私共のために救い主が来られた、私共のために救い主が十字架にお架かりになったという出来事は、この恐れを抜きにして受け取ることは出来ないものなのです。教会は、この恐ろしさが人生を根底から変えてしまうものであることを知らされた者の群れなのです。神様抜きに生きていたということが、どれほどとんでもないことであったのかを思い知らされた者の群れなのです。神様がいなければ、私共はすべて自分の欲のおもむくままに生きれば良いのです。どうせ死んだらお終いなのですから。しかし、この婦人たちの味わった恐れは、そうじゃない、死んで終わりなんかじゃない、神様がおられる。しかも、遠く離れてみているような方ではなく、私の人生に直接関わる方としておられる。そのことを思い知らされたのです。神様なんて、いるかどうか分からない。そんなたかをくくった生き方を許さない、厳粛な恐ろしい出来事として、主イエスの復活はあったのです。
5.復活の主イエスと出会う「主の日の礼拝」
この復活の主イエスと出会う所として、主の日の礼拝が守られてきました。その中心に、聞く御言葉としての聖書の朗読と説教があり、見える御言葉としての聖餐があります。復活された主イエスは40日の間、弟子たちにその姿を現し、天に上られました。今は天におられます。しかし、その復活の主イエスは聖霊としてここに臨み、私共に語りかけ、また自分の体を血を私共に差し出されるのです。聖餐において、「取りて、我が肉を食べよ。取りて、我が血を飲め。」と告げ、私共の目の前にパンと杯を差し出されるのです。まことに恐るべきことであります。しかし、この恐るべき出来事の故に、私共は死の支配から解き放たれ、永遠の命の希望に生きる者とされたのです。
私共の教会も高齢の方が増えてきました。高齢になりますと、体のあちこちが痛む、思うように動けない、そういうこともありましょう。しかし、最も重大なことは、死が近づいていることを思わされるということでしょう。しかし、イースターの朝、私ははっきり申し上げます。死は、既に主イエス・キリストの復活によって破られました。死は私共の最後ではなくなったのです。墓の入り口を塞いでいた大きな石は、既に転がされているのです。復活の主イエスが、私共の肉体の命を超えて、私共と共にいてくださいます。主イエス・キリストと一つにされた者は、主イエスの十字架と共に死に、主イエスの復活の命と一つにされているのです。ここに私共の喜び、私共の慰め、私共の力があります。だから、私共は主イエスの御復活の出来事を心から喜び祝うのであります。
[2014年4月20日]
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