1.苦難の道を歩んだダビデ
神様によって選ばれ、神の民の王となったダビデです。しかし、彼の生涯は苦難に満ちたものでありました。神様によって選ばれた後も、すぐに王になるどころか、サウル王によって妬まれ、命を狙われ、長い逃亡の日々が続きました。やがてサウル王が死に、ダビデが王となってからも、彼は平穏な日々を過ごすということにはなりませんでした。その中でも最も厳しい試練は、自分の三男であったアブサロムによってエルサレムを追われた時ではなかったかと思います。それまでも、長男であるアムノンが妹のタマルを犯すという事件があり、その後タマルの兄であるアブサロムがアムノンに復讐するという事件があって、家族が仲良く平和に暮らすということからは程遠い生活でした。そして遂に、アブサロムが兵を挙げてエルサレムに迫り、ダビデはエルサレムから逃げ出さなければならないという事態が起きたのです。自分の息子に王位を奪われる。父親ダビデの嘆きと驚きは如何ばかりであったろうかと思います。
神様によって選ばれ、神様によって神の民の王とされたダビデでありました。にもかかわらず、次から次へと苦難がダビデを襲うのです。どうしてそんなことになるのか。この問いに対しての答えは簡単ではありません。ただ、このように言うことは出来ると思います。神様に選ばれた者として、ダビデだけが苦難に出遭ったわけではない。神様によって選ばれ、神様によって立てられた者が、生涯平穏な日々を送るということの方が稀なのではないかと思う。アブラハムも、モーセも、パウロも、ペトロも、みんなそうでした。彼らの生涯は、決して平穏無事な日々であったわけではありませんでした。そして、誰よりも主イエス・キリスト御自身が十字架にお架かりになったのです。神様によって選ばれ、神様によって立てられたという事実と、平穏無事な生涯を送るということは、私共の期待に反して、簡単には結びつかないものなのです。私共は、このことをよく弁えておく必要があると思います。神様は、私共に平穏な日々を与えるために、私共を選ばれたのではないのです。神様は、その御心を実現するために、アブラハムを、モーセを、ダビデを、ペトロを、パウロを、そして私共を選ばれたということなのです。
そのように申しますと、神様の守りは一体どこにあるのかという問いを受けることになるかもしれません。神様の御業を為すために選ばれた者には、神様の守りと支えがあるはずではないのか。その通りです。神様によって選ばれ、立てられた者には、必ず神様の守りと支えとがあるのです。しかしそれは、神様御自身が選ばれた者は一切の苦しみや嘆きから遠ざけられるということではなくて、神様に選ばれた者はたとえ苦しみや嘆きの中にあったとしても、必ず神様が守りの御手を伸ばしてくだる、支えてくださるということなのです。困難の中でも、不思議なように助け手を備えられる。そういうあり方で、神様は私共を守り支え導き続けてくださるということではないかと思うのです。
2.神様に備えられた助け人
今お読みしましたサムエル記下17章には、息子アブサロムによってエルサレムを追われたダビデが、態勢を整えてアブサロムと戦うための備えをした時のことが記されております。アブサロムの軍勢と激突する直前の所です。ここに至るまでも、神様の御手の中での不思議な守りがありました。もし、エルサレムから逃げたダビデたちをアブサロムがすぐに追撃していれば、ダビデたちは反撃の余地もなく、間違いなく滅ぼされていたでしょう。ダビデは何よりそれを恐れていました。しかし、エルサレムに残しておいたフシャイという知恵者によって、「すぐに追撃するのは得策ではない。エルサレムから全イスラエルに命じ、全国から兵士を集結させ、その大軍をもってダビデを撃つべし。」との提言がエルサレムに入ったアブサロムに為され、アブサロムがそれを受け入れるということによって、ダビデはヨルダン川の向こうに逃げることが出来、更に態勢を整える時間を与えられたのです。このフシャイという知恵者もまた、ダビデのために神様によって備えられた、神様の守りの具体的な存在と言えるでしょう。
ダビデはヨルダン川を渡り、ギレアドの地にあるマハナイムという町で態勢を整えました。そしてそこには、27節にありますように、ダビデとその兵士を支えるために、寝具や「たらい」といった日用品から、小麦やチーズなどの食糧までを差し出す人々がいたのです。彼らは直接、兵士と共にダビデの軍勢に加わったというわけではないのです。しかし、ダビデの軍勢にとって無くてはならない物を提供するというあり方で、ダビデとその軍勢を支えたのです。この人たちの中に、バルジライという人が出て来ます。彼は19章32節以下に記されておりますように、既に80歳でした。彼は、ダビデがマハナイムに滞在する間、ダビデとその兵士たちの生活を支えたのです。この時だけではありません。このバルジライのような人々が、ダビデの生涯にわたって備えられ続けたのです。私はここに、神様の守りと支えがどういうものであるかということを見るのです。
神様は全能のお方でありますから、どのようなあり方でも、私共を守り、支え、導いてくださいます。私共が天の御国に至ることが出来るようにと、すべての道において守りの御手を伸ばしてくださいます。あと1分ずれていたら、大災害に遭っていたということもあるかもしれません。先の大戦で、南の島でマラリアにかかり、もう駄目だと思ったが、神様に祈って不思議に癒やされたという証しを聞いたこともあります。この方は、「自分が生きて日本に帰れたら、自分の生涯を教会に捧げます。」と祈り、癒やされて無事に故郷に帰ってくることが出来ました。そしてその祈りの通り、自分の生涯を、故郷の小さな教会の長老として、教会学校の校長として、教会の会計として、付属の幼稚園の役員として仕え、文字通り教会を支え続けられました。そのような証しを皆様もいくつも聞かれてきたことと思います。私共の信仰の歩みは、この様々な神様の守りの業の証しに満ちていることでしょう。
神様は全能のお方ですから、その時に応じて様々なあり方で私共を捕らえ、守り、支えてくださいます。しかし、その中でも、人との出会いというものは、神様が与えてくださる最も大きな、具体的な守り、支え、導きなのではないかと思います。私共は、この人と出会おうと思って、出会っているのではありません。人との出会いというものは、神様が備えてくださるものです。あの時、あの人に出会っていなければ、今の私はない。そういう出会いが、私共の人生には必ずある。そしてそれは、一人や二人ではないでしょう。実におびただしい人との出会いをもって、父なる神様は私共を今まで守ってくださったし、今も一日一日私共を守り支えてくださっているのです。
3.結ばれた愛と真理
さて、週報にありますように、来週からマルコによる福音書から御言葉を受けてまいります。ヨハネによる福音書の連続講解説教を始めたのが2011年2月でした。それから、ヨハネの手紙一、二、三と続きまして、私共は二年半にわたってヨハネ文書から御言葉を受け続けてきたわけです。そこで私共が繰り返し繰り返し教えられてきましたのは、愛でありました。主イエスが弟子たちを愛されたように、私共も互いに愛し合う。この愛の交わりを形作り、ここに愛があるということを証しするために、私共は選ばれ、召されたのだということでした。そして、愛と真理は分けることは出来ないということでした。それは、愛も真理も主イエス・キリストというお方によって示され、この方に結ばれることによって私共に与えられるものだからです。主イエス・キリストは私共に、愛は与えたけれど真理は与えられないということはありませんし、真理は与えたけれど愛は与えられないということもありません。このことを私共はよく弁えていなければなりません。どちらか一方だけというのは、あり得ないのです。愛を生まない真理はなく、真理と反する愛もないのです。何故なら、主イエス・キリストは愛であり真理であられるからです。主イエス・キリストに結ばれるということ、この方と一つとされるという救いの恵みの中で、私共は「主イエス・キリストこそまことの神様であり、まことの人である。」「この方によって救われる。」という真理を知らされます。同時に、主イエス・キリストが私共を愛してくださっている愛を知らされ、与えられるのです。そして、私共はこの真理と愛によって結ばれた共同体を形作る者として歩む者とされたのです。
ヨハネ文書から御言葉を受ける最後の時にあたっても、やはり同じことが告げられているのです。
4.真理に歩むガイオ
このヨハネの手紙三は、長老ヨハネからガイオという人に宛てられた手紙です。このガイオという人がどこの人だったのかはよく分かりません。新約聖書には、ここに出てくるガイオの他に、3人のガイオが出てきますが、ガイオというのは当時最も多い名前の一つですから、それらが同じ人とは言えません。多分違うと思います。この手紙のガイオは、おそらく長老ヨハネから信仰の指導を受けた人であり、ヨハネが責任を持っていた教会の一つを任されていた人ではないかと思います。このガイオを、長老ヨハネがどれほど愛し信頼していたかは、1節、3〜4節を見れば分かります。「長老のわたしから、愛するガイオへ。わたしは、あなたを真に愛しています。」「兄弟たちが来ては、あなたが真理に歩んでいることを証ししてくれるので、わたしは非常に喜んでいます。実際、あなたは真理に歩んでいるのです。自分の子供たちが真理に歩んでいると聞くほど、うれしいことはありません。」
ここで「真理に歩んでいる」と繰り返されておりますが、これはガイオが主イエス・キリストを信じ、主イエス・キリストに生かされている者として、ふさわしい歩みをしているということでしょう。それは具体的にはどういうことであったかと申しますと、巡回伝道者とでも言うべき人をガイオはいつも喜んで迎え、これを丁寧にもてなし、愛の業に励んでいたということなのです。
当時のキリスト教会は、まだ教会としての制度が整っておりませんでした。多分、それぞれの教会には、その教会の群れを指導する人が立てられていたと思います。ガイオもそのような役割を担っていた人だと思います。しかし、当時の生まれたばかりのキリストの教会には、その他に巡回伝道者とでも言うべき人がおりまして、各教会を巡り、主の日の礼拝で説教をしたり、集会を開いたりしていたようなのです。現代のようにどこに行ってもビジネスホテルがあるという時代ではありません。ですから、その巡回伝道者を迎えて泊めたり、食事の世話をしたりすることが、教会に責任を持つ人のとても大切な務めだったのです。ガイオは、その務めをとても良く果たしていたようなのです。3節の「兄弟たちが来ては、あなたが真理に歩んでいることを証ししてくれるので、わたしは非常に喜んでいます。実際、あなたは真理に歩んでいるのです。」というのは、巡回伝道者のような人が「ガイオの所で大変世話になった」という報告を長老ヨハネにし、それをヨハネも大変喜んでいるということなのです。そして、5節の「よそから来た人たち」というのは、巡回伝道者を指しているのでしょう。
5.真理のために共に働く
ヨハネは、8節で「だから、わたしたちはこのような人たちを助けるべきです。そうすれば、真理のために共に働く者となるのです。」と告げます。ガイオ自身は伝道のために、巡回伝道者のように外に出掛けることはしません。しかし、巡回伝道者を助け支えるというあり方で、主の福音伝道のために共に働く者となっているのです。ガイオは、ダビデに対するバルジライのように、神様に選ばれ立てられた者を支えるというあり方で、神様の御業に仕えていた。私共も、そのような者として召されているのだと思うのです。
神様は、私共のためにたくさんのバルジライを備えてくださいましたし、今も備えてくださっています。しかし私共自身が、愛する者たちのために、神様の御業に仕えている人のために、バルジライとして働くことも求められているということを、忘れてはならないのです。
週報にありますように、今日は9月の第一の主の日ですので、東日本大震災救援のための献金を捧げます。3月、6月、9月、12月の第一の主の日は東日本大震災救援のために献金することを、私共の教会は決めました。震災復興のためには、まだまだ支援が必要です。被災した教会から、建て替え工事に入ったという報告が少しずつ来るようになりました。私共は、皆が被災した地域に出掛けてボランティアをすることが出来るわけではありません。しかし、ガイオが巡回伝道者を支えたように、バルジライがダビデを支えたように、今も被災地で主の御用のために働いている人々を支え、助けることは出来ます。そのことによって、私共もまた、被災された方々を愛する神様の御業にお仕えすることが出来るのです。真理のために共に働く者となることが出来るのです。
今日はこの後で、一人の姉妹が洗礼を受けます。大変嬉しいことです。この姉妹と私共は、これから共に主にある兄弟姉妹としての交わりを為していきます。互いに支え合い、祈り合い、仕え合って、ここに愛がある、ここに真理がある、そのことを証しする交わりを共に立て上げてまいりたいと願うのであります。
[2013年9月1日]
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