1.書き加えられた21章
ヨハネによる福音書を共々に読み進めてまいりまして、最後の章になりました。この章で終わるとなると、長く一つの書を連続講解説教してきた場合はいつものことですが、もっとこのことは語るべきであったというような、離れ難い思いがわいてきます。
今朝与えられております所はヨハネによる福音書の21章ですけれど、先週お話ししましたように、20章の最後にヨハネによる福音書のあとがきのようなものが記されております。それで、元々のヨハネによる福音書は20章で終わっていたのだと考えられております。しかし、どうしてもこの21章を書き加えないではいられない事情があったのでしょう。多くの注解者たちは、20章までを著した人と21章を著した人とは、その文体、言葉遣いなどから別人だと考えています。私もそうなのだろうと思います。しかし、後から書き加えられたとしても、その価値が低いというようなことは全くありません。
どうしてこの21章が書き加えられたのか。私はこう考えています。ヨハネによる福音書はマタイ・マルコ・ルカより後に書かれたものです。そのマタイ・マルコ・ルカにおいて、復活の主イエスが弟子たちにその姿を現されたのはエルサレムであったというのと、ガリラヤであったというのと、二つの伝承があるのです。ルカはエルサレムです。マタイはガリラヤです。マルコはエルサレムでありガリラヤでありといったところでしょうか。しかし、エルサレムかガリラヤか、どっちが本当だろうと考える必要はないと思います。復活の主は弟子たちの前にエルサレムにおいて現れ、そしてガリラヤでも現れたのだと考えて良いでしょう。その順番を考えるならば、最初はエルサレムで復活の主イエスと出会い、その後にガリラヤで出会った、そう考えるのが自然でしょう。もし、ヨハネによる福音書が20章で終わりますと、ガリラヤにおける復活の主イエスとの出会いの話が抜け落ちてしまう。それはいけない。そういう思いから、21章が書き加えられたのだと思います。
2.弟子たち、ガリラヤへ
しかし、どうして弟子たちはガリラヤに行ったのでしょう。エルサレムにおいて復活の主イエスと出会い、聖霊を与えられ、罪の赦しを告げる者として遣わされた。それなのに、どうしてガリラヤに戻り、しかも昔の職業である漁師に戻ったかのようになったのか。
一つは、マタイによる福音書の最後の所28章10節で、復活の主イエスはマグダラのマリアたちに「わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」と言われました。マルコによる福音書16章7節にも同様の言葉があります。つまり、主イエスがガリラヤで会うと言われたから、弟子たちはガリラヤに来たということになります。
また、こう考える人もいます。弟子たちは復活の主イエスと出会い、聖霊も受けた。派遣もされた。でも、どうやって、どこに、誰に伝えたら良いのか分からない。生活の糧もない。そこで、故郷のガリラヤに一時戻って来た。
いずれにせよ、弟子たちはガリラヤに来た。来てはみたものの、やることが無い。その時ペトロが、3節「わたしは漁に行く。」と言いだした。大の大人がやることも無く、毎日ぶらぶら過ごすというのは、一日二日なら良いですが、一週間も持たないでしょう。目の前には湖がある。ペトロは元漁師です。そんな時に、「わたしは漁に行く。」と言い出したのもうなずけます。他の弟子たちも一緒に行くと言う。彼らは舟に乗り込んで漁に出た。元漁師であったペトロは三年ぶりの漁でした。しかし、彼らはその夜何もとれなかった。がっかりしたことでしょう。
3.主イエスが岸に立って
4節「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。」とあります。この一句は重要だと私は思います。主イエスはいつから立っておられたのでしょう。書いてありませんので想像するしかありません。ルカによる福音書15章にある放蕩息子のたとえの中で、息子が父のもとに帰ってきた時、父は息子が「まだ遠く離れていたのに」見つけました。私には、この場面での父の姿と、この岸に立っていた主イエスの姿が重なるのです。放蕩息子の父は、毎日毎日息子の帰りを待っていたのでしょう。だから、まだ遠く離れていたのに息子を見つけたのでしょう。それと同じように、主イエスはこの時、弟子たちが夜通し漁をしている間中、網を打っても打っても何もとれないという虚しい作業をしている間中、ずっと立って見ておられたのではないかと私は思うのです。弟子たちはそんなことは知りません。しかし、主イエスは見ておられた。見守っておられたと言った方が良いかもしれません。
私共は、この時の弟子たちと同じように、やってもやっても成果が上がらない、自分は何をやっているのか、そういう徒労感を味わうことがあると思います。牧師だって、教会だってそういう時がある。主イエスの御命令に従って事を為しているつもりなのだけれど、少しも成果が上がらない。そういうことがあるのです。主イエスはどうして事を起こしてくださらないのか。そう呟くことだってある。しかしその時、主イエスは私共のすべてを見ておられるのです。この時、主イエスは弟子たちを岸から見ておられた。舟と岸との間は200ペキス、約90mです。主イエスは弟子たちを見ていた。しかし、弟子たちはそれが主イエスだとは分からなかったのです。
4.原点に返る
この時、主イエスの方から声をかけられた。5節「子たちよ、何か食べ物があるか。」一晩中漁をしていたけれど何もとれなかったのですから、「ありません。」と答えるしかない。すると、主イエスは「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」と言われた。
これと同じ事が以前もありました。ルカによる福音書5章に記されている、ペトロが召命を受けた時です。夜通し漁をして何もとれなかったペトロに、主イエスは人々に話をするので舟を出してくれるよう頼んだ。主イエスは舟から人々に教え、話が終わると、ペトロに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。」と言われた。夜通しやっても何もとれなかったのです。「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」と答えてペトロが網を降ろしてみると、おびただしい魚で網が破れそうになった。ペトロは驚き、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです。」と言いました。しかし、そのペトロに向かって主イエスは、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」と言われたのでした。主イエスと最初の出会いの時です。
この時も、網を打ってみると、魚があまりに多くて網を引き上げることが出来なかったのです。網を引き上げようとすると、手にぐっと力が入ります。腕に力を入れて網を引き上げる度ごとに、その網の手応えに、ペトロは「あの時と同じだ。」という感覚がよみがえってきたに違いありません。ペトロはこの時改めて、主イエスと最初にお会いして召し出された時の言葉を思い起こしていたでしょう。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」場所も同じ。状況も同じ。復活の主イエスからの再召命を、この時ペトロは受け取ったに違いありません。
何故ガリラヤなのか、その答えがここにあります。原点に返るということです。ペトロたちはガリラヤで主イエスと出会い、召されて主イエスと共に生活し、エルサレムにまで行った。その主イエスはエルサレムで十字架に架けられて死んでしまった。すべてが終わったと思った。しかし、終わっていなかった。復活された主イエスが、あの最初に出会った場所で、同じ奇跡をもって私に出会ってくださった。これから自分は、復活の主イエスと共に旅をしていく。人間をとる漁師として旅をしていく。肉体の目をもって、手で触れて確認するあり方ではなく、しかしそれと同じように確かに、復活の主イエスが私と共にいてくださる。そのことをペトロは受け取ったに違いないのです。
そして、7節「イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、『主だ』と言った。」ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだのです。私は、この時のペトロの姿がとても好きなのです。そして、自分もまたこうでありたいとも思うのです。ここには冷静な判断とか計算といったものはありません。何も飛び込まなくたって、舟で岸に向かっても、そんなに時間は違わないでしょう。それに、主イエスの前に出るからと上着を着て飛び込むというのは、泳ぎづらいし、上着だってずぶ濡れです。冷静に見れば、間の抜けた愚かな行為です。しかし、ここには熱があります。ただの馬鹿ではない。熱い馬鹿です。主イエスに対する熱い愛によって突き動かされた愚かな行為です。私はこれが美しいと思うのです。この熱い愚かさこそ、ペトロが一番弟子であった理由であり、この熱い愚かさこそ、キリストの教会に脈々と受け継がれているものなのではないでしょうか。
私共の信仰の歩みにおいても、この原点に返るということはとても大切です。私共は、信仰者として歩んでいく中でいろいろな経験をしていきます。聖書の知識も教理的な学びも身に着けていきます。しかし、あの主イエスとの出会い、あの洗礼を受けたころの生き生きとした主イエスとの交わり、熱い思い。それは決して失われてはならないものなのです。弟子たちは、エルサレムにおいて復活の主イエスと出会いましたけれど、具体的に何をしたら良いか分からなかったのでしょう。その弟子たちにガリラヤで主イエスは出会われ、ガリラヤで初めて出会った時のことを思い起こさせ、これから何をすれば良いのかをはっきり示されたのです。それは、復活の主イエスと共に生きるということです。ガリラヤからエルサレムまで主イエスと共に旅をしたように、今度は復活の主イエスが共にいて一緒に旅をしてくださる。だから、弟子たちは人間をとる漁師としての旅をすれば良い。復活の主イエスと共に在る旅をすれば良いのです。復活の主イエスが共にいてくださるのですから、恐れることはないのです。
5.主イエスの養い
さて、弟子たちが陸に上がってみると、炭火がおこしてありました。そして、その上に魚がのせてあり、パンもあった。主イエスが朝食の用意をしてくださっていたのです。この時の魚とパンは特別なものだったのでしょうか。そうではないでしょう。ペトロたちがいつも食べていたものだったと思います。ここでイエス様は、弟子たちに長い説教をしたのではありません。朝食を用意したのです。弟子たちは驚いたと思います。主イエスは、弟子たちにいつも必要な養い与えてくださるのです。私共は霊だけで生きているのではありません。心も体も持っています。主イエスは霊の養いだけを私共に与えるのではないのです。心にも体にも、必要な養いを与えてくださるのです。
この主イエスの有り様が、キリストの体である教会の中にも生き続けていなければなりません。教会は、キリスト者は、霊の救いだけを求め、与えるのではないのです。その人が心も体も救われることを求め、それを与えていくものなのです。それは難しいことではありません。今この日本で、富山で、隣人との交わりの中で、自分が必要とされていることを、自分の出来る方法で提供していくということです。日本に福音を伝えた宣教師たちが医療・福祉・教育の分野において働いたのも、そういうことなのです。
この復活の主イエスとの食事は、五千人の給食、最後の晩餐と共に、聖餐式の源流の一つと考えて良いでしょう。五千人の給食、最後の晩餐の記憶を持つ弟子たちが、復活の主イエスと共に食事をしたのです。そして、弟子たちはこの聖餐に与るたびに、復活の主イエスがここにおられるということを確認してきたのです。復活の主イエスはどこにおられるのか。ここです。聖霊なる神様として、私共に御言葉を与え、信仰を与え、聖餐に与らしめて、共におられることを明らかに示してくださるのです。
復活の主イエスが弟子たちに現れたのは「これでもう三度目である」と14節にあります。どうして、何度も現れなければならなかったのでしょうか。それは、私共の信仰というものがいかに脆く、弱いのか、私共の罪というものがどれほど頑ななのかということを示しているのだと思います。先程、原点に返るということを申しました。逆に言うと、私共はすぐに忘れてしまう者だということなのです。
主イエスは、一度でダメなら二度、二度でダメなら三度と、私共に本当に分からせてくださるために何度でもその姿を現されるのです。私共の信仰の歩みとは、この何度も示される主イエスの恵みの御業によって支えられ、導かれ、守られていくのです。私共が自分の力で何とか処理をした時、それは夜通し漁をしても何もとれなかったように、徒労に終わることが少なくないのです。しかし、その徒労と思える労苦をする時、既に主イエスは共にいてくださり、その一切の歩みを見ておられ、必要な養いを備えて待っていてくださるのです。この主イエスの養いを受けて、私共は人間をとる漁師として歩んでいくのです。この様に申しますと、「牧師は人間をとる漁師かもしれない。けれど私はそんな大それた者ではない。」などと思われる方もいるかもしれません。しかし、主イエスに愛され、主イエスに選ばれ、主イエスに信仰を与えられた者は誰でもこの復活の主イエスと共に生きるのであり、この復活の主イエスと共に生きる者は、復活の主イエスの恵みの御業を証言する者として立てられているのです。自分だけが語ることの出来る証言が与えられているのです。
6.153匹の魚
ペトロがこの時とった魚の数は153匹でした。これが何を意味するか、昔からいろいろ考えられてきました。しかし、定説となったものはありません。これは当時考えられていた民族・部族の数が153であったとか、当時知られていた魚の種類が153種類であったとか、当時の教会の主だった人が153人いたとか、いろいろ言われています。その場合、網というのはキリスト教会を指すわけです。どんなに伝道の成果が上がり、世界中にキリスト者が増えても、教会という網は破れなかったと読むのです。それもなるほどと思います。けれども、あまりの大漁に、ペトロがこの話を語るたびに「大きな魚が153匹も入っていたんだ。」と繰り返していたと考える方が楽しいかと思います。そして、具体的な数字が、この出来事のリアリティーを伝えているのだと思います。
私共は、今から聖餐に与ります。この聖餐に与る時、主イエスは聖霊としてこの場に臨んでおられ、私共の歩みの一切を見てくださって、私共一人一人に必要な養いを与えてくださいます。「さあ、来て、食べなさい。」と招いてくださる主がおられます。この招きに応え、聖餐に与り、ここから主と共にある日々の歩みへと、歩み出してまいりましょう。
[2013年3月3日]
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