1.S保育園の百周年記念式に出席して
私は昨日、T教会のS保育園の百周年記念式に出席いたしました。この保育園の理事をしていますので、その関係で出席したわけです。N教会のK牧師が開会礼拝をされ、北陸学院のK院長が記念講演をされました。そこで改めて教えられましたことは、S保育園は北陸女学校(現・北陸学院)の附属第三幼稚園として出発したということでした。1913年(大正2年)のことです。そして、7年後の1920年、北陸女学校附属第二幼稚園となります。どうして、第三から第二になったのか。それは、第二幼稚園が閉園したからです。そして、その閉園した第二幼稚園があったのがこの富山でした。このことは、私共の教会の百年史にも出てきません。このことは、富山では忘れ去られてしまった過去なのです。富山にあった第二幼稚園の閉園は、富山にはアームストロング青葉幼稚園もありましたので、そちらに任せたということであったのかもしれません。『北陸学院125年史』の中に、「富山の附属幼稚園はマンディという婦人宣教師が担当していたが、1921年頃、不振のためやむなく閉鎖した。」という一文があるだけです。「1921年頃」です。正確な年も良く分からないのです。S幼稚園の初代園長はジョンストン、二代目園長はライザーです。どちらも、北陸女学校の付属第一幼稚園の園長でもあり、北陸女学校の責任も持っておられた婦人宣教師ですので、この二人の名前は私も何度も聞いたことがあります。しかし、マンディという婦人宣教師の名前は初めて知りました。この婦人宣教師は、ジョンストンやライザーと同様に北米長老教会から遣わされた宣教師であったでしょう。私は、百年前、この富山での伝道に労苦されたこの婦人宣教師の名を覚えておかなければならないと思いました。忘れてはならないと思いました。そして、この婦人は、どんな思いで日本に来て、100年前にこの富山の地で幼児教育を初めて行い、そして去っていったのだろうか。いろいろなことを思いました。そして、その名が残るということは、その名を覚えている人がいるからだということを改めて思わされたです。
2.アリマタヤのヨセフとニコデモ
今朝与えられております御言葉は、主イエスの遺体が埋葬された場面です。ここに二人の名が記されています。一人はアリマタヤ出身のヨセフ、もう一人はニコデモです。この二人の名が記されているということは、この福音書が記されました時、この二人の名を覚えている人たちがいたということではないかと思います。もっとはっきり言えば、この二人は何らかの形でキリストの教会と関わりがあったからではないかと思うのです。つまり、この二人は、主イエスの遺体を十字架から取り降ろして埋葬しただけではなくて、その後キリストの弟子として生きた。その姿を、ヨハネによる福音書を記した人は知っていた。それでこの名が残った。そう考えるのが自然なのではないかと思います。今朝は、この二人について思いを巡らしたいと思います。
最初に、アリマタヤ出身のヨセフです。この人については、他の三つの福音書も記しています。マタイは、彼が「金持ち」で「イエスの弟子であった」と記しています。マルコは、「身分の高い議員」で「この人も神の国を待ち望んでいた」と記しています。ルカは、「議員」で「善良な正しい人で、同僚の決議や行動に同意しなかった」「神の国を待ち望んでいた」人であったと記しています。総合いたしますと、この人は金持ちで、議員であり、主イエスの弟子であったということになろうかと思います。ヨハネは38節で「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフ」と記します。彼は、主イエスの業を見、主イエスの言葉を聞いて、主イエスを信じ、主イエスの弟子となった。けれども、ペトロやヨハネのように主イエスに従って共に歩むということはせず、弟子であることを隠していたのです。それは、彼が金持ちであり、ユダヤの議会の議員、つまり主イエスを殺すことを決めた議会のメンバーであったからでしょう。皆が主イエスを殺そうとしている時に、自分がその人の弟子だとは公に言えなかったということなのだと思います。ルカは、そんなヨセフが、議会において主イエスを死刑と決める時に同意しなかったと記しています。公に主イエスの弟子であるとは言えなくても、さすがにその死刑に同意することは出来なかったのでしょう。
次にニコデモです。この人の名は、ヨハネによる福音書にしか出て来ません。この人がヨハネによる福音書に最初に登場いたしますのは3章です。1節に「ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。」と記されています。彼は、「ある夜」主イエスを訪ねて、主イエスに「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」と言われ、「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」と答えた人です。ここで注目すべきは、ニコデモが主イエスを訪ねたのが「夜」であったということです。つまり、彼は人目につかないように、他の人には分からないように、主イエスを訪ねたということです。彼が議員だったからでしょう。彼の名は、もう一カ所、7章50節に出て来ます。祭司長たちが、主イエスを捕らえようとして失敗した時、「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。」と言ったことが記されています。
この二人はとても似ています。それは、二人とも議員であったこと、主イエスを信じていたけれど公にはそれを言い表していなかった人であったということです。
3.主イエスの十字架に対する責任
ところが、この二人が大きく変化します。主イエスの遺体を引き取りたいとピラトに申し出たのです。処刑された人の遺体を引き取るということは、家族とか、仲間とか、いずれにせよ、その人と自分は深い関わりがあるということを表明するのと同じです。この二人は、今まで主イエスとの関わりを公にしてこなかったのです。それは良く分かります。主イエスの弟子たちだって、主イエスが捕らえられ、十字架に架けられた時に逃げたのです。仲間である、弟子であるということが明らかになれば、自分にも危害が及ぶと思ったからでしょう。その上彼らは、ユダヤ教会の中にあって尊敬される地位もあり、財産もあった。それをも失うかもしれないのです。だから今まで黙っていたのです。ところが、主イエスが十字架に架けられて死んでしまった、この期に及んで、彼らは自分たちが主イエスの弟子たちであることを、その行動によって公に言い表してしまったのです。どうしてそんなことをしたのでしょうか。
彼らの心の中で何が起きたのか、本当のところは分かりません。しかし、きっと彼らは主イエスの十字架を見て、「何ということをしてしまったのか。」と思ったのではないか。「何ということになってしまったのか。」ではありません。「何ということをしてしまったのか。」です。何故なら、彼らは議員だったからです。主イエスを十字架に架けることを決めた議会のメンバーだったからです。私は、この二人だけが主イエスの十字架の責任を感じたのだと思います。他の弟子たちは、自分が主イエスを十字架に架けたとは、自分に責任があるとは、この時思っていなかったでしょう。ピラトもまた、主イエスを十字架に架ける最終決定をしたのは自分であったにもかかわらず、自分は助けようとした、ユダヤ人たちがバラバを助けてイエスを十字架に架けろと叫んだから仕方なくそうしたまでだと思っていたでしょう。他の議員たちや祭司長、大祭司たちは、イエス一人が十字架の上で死ねば、イエスを担いで反乱を起こそうという民衆を鎮めることが出来る。もし反乱ということになれば、ローマによってユダヤは潰されてしまう。これで良かった。そう思っていたでしょう。そういう中で、この二人だけが、主イエスの十字架に対して自分の責任を感じていたのではないでしょうか。そうであるが故に、今自分が出来る精一杯のことをした。死んでしまってからでは後の祭りということかもしれない。しかし彼らは、そうしないではいられなかったのです。
彼ら二人は、主イエスの十字架は自分の弱さ、自分の罪の故であったということを最初に知った者たちだったのではないでしょうか。彼らはまだこの時、主イエスの十字架が、自分の罪の裁きを自分に代わって主イエスが我が身に受けられたものであることを知りません。この後、復活されるということも知りません。しかし、主イエスの十字架が自分の責任であることを思い、悔いた。それは確かなことだったと思うのです。主イエスの十字架に対して、申し訳ないと心から思った。だから、彼らは自分たちが出来る精一杯の葬りをしたのでしょう。この時彼らは、こんなことをしたら後でどうなるか、自分の立場は、自分の地位は、そんなことを考えることもしなかった。ただただ申し訳ないと思ったのではないでしょうか。主イエスの十字架を自分との関わりの中で受け止めた最初の人が、この二人だったのだと思うのです。
4.ユダヤ人の王としての葬り
この二人は、それでは何をしたのでしょうか。アリマタヤのヨセフは、マタイによる福音書によれば、「岩に掘った自分の新しい墓」を提供しました。また、41節には「イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。」とあります。ここには、「園」にあった新しい墓であったと記されているのです。園にある新しい墓というのは、大変立派な、それこそ王侯貴族の墓です。大変高価であったと思います。現代でも、自分が死ぬ前に自分の墓を用意するということがあるように、金持ちで社会的地位もあった彼は、きっと自分のためにこの立派な墓を用意していたのでしょう。それを主イエスのためにささげたのです。
そして、ニコデモです。彼は、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラも持って来たのです。百リトラというのは、今の単位に直しますと、何と33kgにもなるのです。没薬と沈香を混ぜた物は大変高価だったと思います。それを33kgも。こんな大量にどうして用意出来たのでしょう。ホームセンターに行って買ってくるという話ではないのです。ニコデモという人は、3章の主イエスとのやり取りから想像するに、高齢であったと考えられますから、私はこれもまた自分の葬りのために用意していたものではなかったかと思います。
アリマタヤのヨセフもニコデモも、自分の葬りのために用意していたものを、主イエスのためにささげた。彼らは、三日目に主イエスが復活することなど考えていなかったと思います。もしそうであったら、33kgもの没薬と沈香など用いはしなかったでしょう。
ここで神様は、この二人の献げ物を用いられます。そして、その御心の中で意味を与えられたのです。それは、主イエスの葬りを、「ユダヤ人の王として死んだ者の葬り」とされたのです。この箇所の記述は、ヨハネと他の三つの福音書は違います。他の三つの福音書においては、このような手厚い葬りはされなかったので、安息日が終わった日曜日の朝、マグダラのマリアたちが主イエスの遺体に香料を塗るために行き、そこで主イエスの御復活を知るということになっています。しかし、ヨハネによる福音書においては、そのようなことは記されていません。そうではなくて、ユダヤ人の王として主イエスは十字架に架けられたということが、この考えられないほど高価な葬りの記述によって示されているのです。「ユダヤ人の王」、これはもちろん霊的な意味においてですけれども、このユダヤ人の王というのは、本来は神の民の王は神様しかいないわけで、これはとても大切なことなのですが、このユダヤ人の王としての主イエスというものを強調しているのが、ヨハネによる福音書の一つの特徴です。主イエスの十字架の罪状書きには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語で書かれていたと記しています。ユダヤ人の王として死んで葬られたということが、アリマタヤのヨセフとニコデモの献げ物によって実現されたのです。
更に言えば、神様の御業はまだ誰も使ったことのないものを用いて為されます。主イエスがエルサレムに入城した時に乗った子ろばは、「まだだれも乗ったことのない子ろば」(ルカによる福音書19章30節)でした。主イエスの御復活の場は、まだ誰も葬られたことのない墓である必要があったのです。
5.弱い者が立てられ、用いられ、強められる
アリマタヤのヨセフもニコデモも、決して模範的な弟子であったわけではありません。しかし、主イエスの十字架を自分のこととして受け止めた時、変えられたのです。彼らはこの後、自分が主イエスの弟子であることを隠すことはなかったでしょう。もう隠してもしょうがない。みんなが知ってしまったのですから。そして、神様は自分の信仰を隠すような弱い信仰者もまた立たせ、用いられるのです。これは神様がなさることです。ですから、私共は「あの人の信仰は弱い」などという批判をしてはならないのです。そういう弱い者をも用い給う神様の御業を信じることです。もっと言えば、主イエスを見捨てて逃げた弟子たちを始め、キリスト者は元々皆弱いのです。その弱い者が、強められるのです。神様によってです。
パウロは肉体的な弱さを持っておりました。そこで、その肉体のとげを去らせてくださるように祈りましたが、そこでパウロに与えられたのは、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」(コリントの信徒への手紙二12章9節)との御言葉でした。私共は、自分が強くなって神様に用いられようと考えます。しかし、そうではないのです。弱い者が立てられ、用いられて、強くされるのです。信仰が強められるとは、そういうことなのです。
主イエスが十字架に架けられて死んだ時、弟子たちは逃げ、主イエスを葬る人はおりませんでした。そこで、神様はアリマタヤのヨセフとニコデモを立て、用いられたのです。私共はしばしば思います。人がいないと。私など、牧師の人事などに関わりますと、しょっちゅう思わされ、口にしてしまいます。本当に困り果ててしまうからです。しかし、神様はその御業を為すためには、石ころからでもアブラハムを起こすことがお出来になりますし、また、そうされるお方です。必要な人は必ず起こされ、与えられるのです。アリマタヤのヨセフもニコデモもそうでした。私共は、そのことを信じて良いのです。必要なものは、それが物であれ、人であれ、神様は必ず満たしてくださいます。この神様の御手の中で、キリストの教会は歩んできましたし、すべてのキリスト者はその生涯を全うしてきたのです。私共もそのことを信じ、すべてを支配し給う神様を信頼して、この一週もまた主の御国に向かって歩んでまいりましょう。
[2013年1月20日]
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