1.アドベントを迎えて
今日からアドベントに入りました。既に聖歌隊の練習が始まっておりますし、教会学校ではページェントの土曜練習も始まっております。アドベントに入り、いよいよクリスマスに向けての歩みが始まっていきます。もっとも、デパートなどでは、アドベントを待たずにクリスマスツリーが飾られておりまして、アメリカのクリスマス商戦が日本にも入って来てしまった感があります。アメリカでは、年間の売り上げの四分の一がこのクリスマスの時期にあるということですので、アメリカ中がクリスマス一色になるようです。しかし、当たり前のことですが、アドベントというのは元々、クリスマスの雰囲気を盛り上げるために、商売繁盛のために、定められたものではありません。クリスマス前の四回の主の日を含む期間をアドベントと定めたのは、主が再び来たり給うを待ち望む、その信仰を改めて心に刻もうとするためです。アドベントという言葉も、到来、来ることを意味する、ラテン語のAdventusからきた言葉です。到来する、主イエス・キリストが来られる、そのことを心に刻むのです。私共はこのことをしっかり覚えておきたいと思います。
私共の教会では用いておりませんが、教会暦、教会の暦というものがあります。それによれば、このアドベントから一年が始まるのです。そこにおいて意図されておりますことは、このアドベントの期間を旧約の時代と重ね合わせ、救い主の誕生を待ち望む時として受け止めるということです。そして、クリスマスからイースターまでを主イエスが地上を歩まれた時と重ね合わせ、ペンテコステ以降を教会の時代と重ね合わせるわけです。ですから、アドベントというのは、「もういくつ寝るとクリスマス」というのとは少し違うのです。旧約の民が救い主の誕生を待ち望んだように、私共は主イエスの再び来たり給うを待ち望む。この信仰を、はっきりしっかり受け取る時だということなのです。
2.イザヤは見た
さて、今朝与えられております旧約の御言葉は、イザヤ書9章におけるキリスト預言として、この時期になりますと必ず読まれる箇所の一つです。イザヤがこの預言をいつ頃語ったのかは諸説ありますけれど、紀元前700年頃ではないかと考えられます。これはどういう時代かと申しますと、南ユダ王国がアッシリア王センナケリブによって攻められて、風前の灯火となった時期です。4節に「地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく、火に投げ込まれ、焼き尽くされた。」とあります。悲惨な戦場をイザヤは見ているのです。そこには、累々と続く戦死した者たちの屍があったことでしょう。1節にある「闇の中を歩む民」「死の陰の地に住む者」とは、巨大なアッシリア帝国の軍隊の前に、明日をもしれぬ状況に追い込まれていた人々のことです。これからどう生きていけば良いのか、生きる希望も勇気も失った人々です。
しかし、そのただ中にあって、イザヤは見たのです。神様の救いの御業を見たのです。それが、1〜4節にあることです。「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり、人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように、戦利品を分け合って楽しむように。彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を、あなたはミディアンの日のように折ってくださった。地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく、火に投げ込まれ、焼き尽くされた。」イザヤはこの情景を過去形で語ります。目の前にあるのは、アッシリアの軍隊に踏みにじられた大地と痛めつけられた人々という、悲惨な状況です。しかし、彼は見たのです。その悲惨な状況を突き抜けて、そこにもたらされる神様の救いの御業を見たのです。それは将来起きることです。しかし、イザヤは過去形で語るのです。なぜなら、それは既に起きてしまったことと同じように確かなことだからです。これが、終末的信仰に生きるということなのです。私共がアドベントのこの時、心にはっきり刻まなければならないのは、このことです。世界は暗い。闇がおおっている。戦争があり、飢えがあり、病があり、不景気があり、いじめがあり、犯罪がある。そのただ中にあって、私共もまた、イザヤが見たように、主の御手の中にある救いの日を見るのです。
イザヤは、その神様の救いの御業の決定的出来事として、みどりごの誕生を見たのです。5節「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」このみどりごこそ、主イエス・キリストであります。主イエスが生まれる700年も前のことです。このイザヤが見た救い主の誕生、これが本当に出来事となったのがクリスマスなのです。神の民は、この救い主の誕生を待ち続けました。アッシリアの後にバビロンが、バビロンの後にペルシャが、ペルシャの後にギリシャが、そしてその後にローマが、神の民の上にはいつも外国の王が君臨し続けました。しかし、彼らは待ち望み続けたのです。そして、主イエスは来られました。
イザヤは更に、6節で「ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。」と告げました。このみどりごによる支配、このみどりごの国、それはすなわち神の国のことであり、それはとこしえに立つのです。私共はここで、ニカイア信条の告白の言葉、「生きている者と死んだ者とを裁くために、栄光をもって再び来られます。その御国は終わることがありません。」を思い起こすでしょう。主イエスは来られました。神の国は始まりました。しかし、まだ完成されていません。完成されるのは主イエスが再び来られる時、終末の時です。それまで、私共はまだしばらくの間、待たねばなりません。そして、主イエスが再び来られて神の国が完成した時、その御支配は終わることがないのです。それは平和と正義と恵みに満ちた世界です。私共はそこに向かって歩んでいるのです。
イザヤは、これらの救いの御業について、「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」と告げます。神の国の到来は、私共の熱意によってもたらされるのではありません。主の熱意、主の熱心によってもたらされるのです。この主の熱意、主の熱心こそ、愛する独り子を天より遣わし、おとめマリアから生まれさせ、十字架にお架けになってまで私共を救おうとされた愛の熱意、愛の熱心なのです。
3.イザヤの預言の成就
この神様の熱意が、時が満ちるに及んで、一人のまだ幼いと言って良いほどの女性、神様に選ばれたマリアのもとに届きました。天使ガブリエルがマリアのもとに来て、こう告げたのです。30〜33節「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」この言葉は、先程見ましたイザヤ書9章の5〜6節の言葉と同じです。つまり天使が告げたことは、神様がイザヤに与えた預言が出来事となり、ここに成就するということなのです。
この時マリアは、何が何だか分からなかったと思います。彼女にしてみれば、まだ結婚もしていないのに、どうして男の子を産むなどということが起きるのか、起きるはずがない、そう考えるのは当たり前のことです。しかし、天使ガブリエルはマリアを説得します。37節「神にできないことは何一つない。」これがマリアを納得させた言葉でした。確かに、親戚のエリサベトは不妊の女と言われていたのに、既に子を宿して六か月になっていました。エリサベトが何歳だったのか分かりませんけれど、50歳か60歳くらいにはなっていたのではないでしょうか。このエリサベトに起きたことも、マリアに天使ガブリエルの言葉を受け入れさせた理由のひとつであったと思います。しかし、決定的だったのは「神様にできないことは何一つない。」この天使の言葉でした。このことを信じる。これが私共の信仰です。これは、私共の経験やそれに基づく見通しといったものを放棄し、神様の御手に自分を委ねるということでありましょう。これはなかなか難しいことであるに違いありません。しかし、ここに私共の信仰の一歩は始まるのですし、ここに神様の御手による輝かしい救いが展開していくのです。私共が自分の経験や見通しだけに立っている限り、神様の御業を見ることは出来ないのです。それはどこまでも自分の熱心による業であり、その結果もまた予想通り、想定の範囲内ということでしかないのです。そして、どうせこの程度なのだから、やってもしょうがない、やるだけ無駄だということになりかねないのです。しかし、このアドベントの時、私共が心に刻まなければならないことは、「神様にできないことは何一つない」ということと、「神様の熱心が事を起こしてくださる」ということなのです。
そして大切なことは、この時マリアは天使の言葉に対して、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と答えたことです。「お言葉通り、この身に成りますように」です。神様の奇跡が、自分の知らない、遠い所で起きる分には、私共は「そういうこともあるかもしれない」と言って済ませることも出来るでしょう。しかし、神様の救いの御業というものはそういうものではないのです。私共自身が用いられるのです。神様の奇跡は、私共の人生の上で起きるのです。このことを信じ、神様の御業に用いられることを喜び、神様の御業にお仕えする。これが私共の為すべきことなのです。マリアは我が身に救い主を宿すというあり方において、神様の救いの御業の道具・器とされたのです。
4.富山市民クリスマス
週報に、「刑務所のクリスマスがあります」「市民クリスマスの入場整理券が出来ました」「キャンドル・サービスの案内のハガキが出来ました」と記しました。どれも、このクリスマスの時、神様の救いへと導かれる人が起こされるように、私共がその神様の救いの御業に参与出来るようにと用意されたものです。ぜひ用いてください。参加してください。
市民クリスマスは、富山市にあるキリスト教会が、教派を超えてクリスマスの恵みを伝えようと始められたもので、今年で22回目になります。第一部で礼拝、第二部でヘンデルのメサイアが歌われます。今年は二番町教会の上田先生が説教してくださいます。このメサイアという曲は、全曲、聖書の言葉だけで成っている曲です。50曲からなる、全部演奏すると2時間30分にもなる大作です。もちろん、全曲は出来ませんので抜粋して演奏します。このメサイアの練習を、今年は当教会でしております。今年は私が実行委員長であり、実行委員長を出した教会で練習は行われるからです。実行委員長は各教会の持ち回りです。この教会に来て9年間、この富山市民クリスマスに関わりながら私がとても残念なのは、教会員の方たちの出席が毎年本当に少ないということです。毎年、数えるほどです。どうしてなのでしょう。ひょっとするとこの市民クリスマスのことを、歌の好きなクリスチャンが「メサイア」を歌っている会、歌の発表会、どこかそんな風に思う意識があるからではないでしょうか。しかし、メサイアの聖歌隊の人々は、ただ歌が好きでやっているのではないのです。そうではなくて、自分に与えられた賜物を神様にささげ、聖書の言葉を、クリスマスの喜びを、少しでも伝えていきたいと思ってやっているのです。伝道のためです。そのような営みを、どうかみんなで励ましてほしいのです。自分は歌は歌えないけれど、人を誘うことは出来る。自分が行くことは出来る。一緒に神様の御業にお仕えしよう。その思いを持っていただきたいのです。
メサイアという曲は本当に素晴らしいものです。皆さんも「ハレルヤ」という曲を聴いたことがあるでしょう。それが入っているのがメサイアです。クリスマスの喜びを、預言から始まって綿々と歌い続け、最後に長いアーメンの合唱で終わります。クリスマスの時にメサイアが歌われる。これは、キリスト主義学校がある町では必ず行われる行事ですが、富山にはそれがありませんので、なじみが薄いのかもしれません。クリスマスといえばメサイアなのです。これは直接的な伝道ではないかもしれませんけれど、この富山の地にキリスト教を根付かせていく一つの試みであるに違いありません。毎年アンケートをとっておりまして、そこでは、メサイアばかり歌ってマンネリではないか、という声が出ます。クリスマスをお楽しみ会として見ればマンネリなのでしょうけれど、これは教会学校のクリスマス会におけるページェント(降誕劇)と同じようなものです。ページェントは飽きないし、教会学校のクリスマス会からページェントを取ったら何が残るのでしょう。それと同じで、クリスマスと言ったらメサイアなのです。クリスマスになったらメサイアを聞かないと落ち着かない。そんな風になっていって欲しいと思うのです。これを根付かせていくことが大切なのです。ですから、どうか家族と友人と一緒に、市民クリスマスに参加してほしいと思うのです。神には出来ないことは何もないのですから、主の熱心が私共を生かしてくださっているのですから、マリアと共に「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と言って、主の御業にお仕えする者として歩んで参りたいと思うのです。
イザヤは、困窮した人々を前に、その現実を突き抜けて、輝かしい神様の救いの御業が成就する日を見ました。私共もそうなのです。富山は仏教王国だ。キリスト教は少数派だ。それは今、私共の目の前の現実に過ぎません。私共は、この現実を突き抜けて、神様の御手の中にある明日を見るのです。今は、家族の中で一人だけ礼拝に来ているかもしれません。町内で自分たち家族だけかもしれません。しかし、やがてみんなが集うようになるのです。必ずそうなるのです。出来ないことは何一つない方である主の熱心が、それを実現されるからです。私共はそれを信じるのです。
私共は今から聖餐に与ります。この聖餐は天上の食卓を指し示しています。この天上の食卓には、数え切れないほどのおびただしい人々が、主イエスを中心に、共に一つの食卓についているのです。この富山に住む多くの民が、共にこの食卓につく日が来るのです。私共はイザヤと共に、その日を見るのです。
[2012年12月2日]
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