富山鹿島町教会

礼拝説教

「主の御業の証人として」
レビ記 4章13〜21節
ヨハネによる福音書 18章26〜40節

小堀 康彦牧師

1.自分の思いを超えて神様の御業の証人として立てられる
 先週に引き続いて、ピラトの裁判の前半の所から御言葉を受けます。ヨハネによる福音書を共々に読み進めておりますが、そこで繰り返し示されることは、主イエスと関わった人たちが、自分の思いを超えて、主イエスの救いの御業の証人として立てられてしまうということです。本人はそんなつもりはないのです。しかし、後から見ると、どう見ても主の救いの御業を証ししている、指し示している、そういう役割を果たしてしまっているということです。私共は、信仰というものは自分の自覚的な決断や、信じるという気持ちの問題だと思っているかもしれません。それは大切なことですけど、私共は自分の思いを超えて、天と地とその中のすべてを造り、すべてを支配しておられる父なる神様の御手の中で生かされているのです。この事実は重大です。神様は、私共が信仰者として自覚している時だけお働きなっているわけではないし、信仰者だけを造って支配されているわけではないのです。神様は、天と地とその中にあるすべてのものを造り、支配されているのです。ですから、神様の御支配、神様の御業というものは、私共の思いを超えて遂行されていきますし、そのことを主イエスに関わった人々の姿は私共に示しているのです。
 私の前任地でこんなことがありました。着任して10年程した頃でしょうか、私は町内会長をすることになってしまいました。私は知らなかったのですけれど、その年は私の住んでいた隣組の組長が、町内会長をすることになっていたのです。まあ順番だから組長は仕方がないと引き受けましたら、町内会長もしなければならない、更に連合町内会の書記もしなければならないということになってしまいました。「私は牧師ですから、町内会がお世話をする神社の祭りには出られませんよ。日曜日の行事にも一切出られませんよ。」そう言っても、「それでもいいから引き受けてくれ。」ということで、「困ったことになったな。」と正直なところ思いましたけれど、仕方がないと引き受けました。色々なことをやりました。敬老会のお世話とか、市から来る回覧板のお世話とか、ですね。結構忙しかったです。秋になって、神社のお祭りの準備が始まりました。私は関係ないと思っていたのですが、子供太鼓の練習のための大きな楽譜を作ってくれと頼まれました。まあ、練習に出ろとか、祭りの日に出ろというのではないので、そのくらいは仕方がないかと思って、やることにしました。模造紙を三枚くらいつなぎ合わせて作りました。前任地は幼稚園がありました。妻が園長をしてくれていました。園児が帰った後で、園舎で大きな紙を広げて作業しておりました。すると、主任の先生が来て、私がやっていることを見ているわけです。「先生、何を作っているんですか。」と聞かれましたので、「神社のお祭りでやる子供太鼓の楽譜を作っている。」と申しますと、「へーっ、牧師先生もそんなことするんだ。」と言うのです。確かに、牧師がそんなことをしても良いのか、そういう理解もあるでしょう。私は、地域サービスという思いで割り切っておりました。すると、その年のクリスマスに、この先生が洗礼を受けると言い出したのです。私が赴任しました時、幼稚園の先生にキリスト者は一人もおりませんでした。何とかキリスト者が生まれて欲しい。それが私共夫婦の切なる祈りであり、願いでした。毎日礼拝がありますし、私は1時間程度の聖書研究を先生一人ずつに毎月行いました。既にこの主任の先生は何百回と聖書の話を私から聞いていた。話は分かる。しかし、礼拝出席、洗礼とはつながらない。私共は「礼拝に出るように幼稚園の先生たちには言わない。」と決めておりました。私共が言えば、業務命令になるでしょう。業務命令で信仰が伝わるとは思わなかったからです。ただ御言葉を語り続ける。そこで御言葉そのものが事を起こすと信じて語り続けていました。でも、10年しても何も起きないのです。この主任の方は漁村に嫁いでいました。漁村は、農村よりも地域のつながりが強いです。そういう所に嫁いだ彼女は、自分はキリスト者にはなれない、そう決めていたというのです。ところが、牧師が町内会長の御用をする、神社の子供太鼓の楽譜さえ作っている。そういう姿を見て、こういうあり方もあるんだ、それでもいいんだ、そう思ったというのです。それで目が覚めたように、洗礼を受けるということになった。自分で作っていた垣根を取り除くことが出来たのです。私は、自分が町内会長をするということが、そんな風に見られているとは少しも思ってもいなかったものですから、ただただ驚いて、喜んだことを覚えています。
 神様は、私共の思いを超えて働いてくださる。そのことをよくよく思い知らされた出来事でした。

2.ポンテオ・ビラトのもとで
 今朝与えられております御言葉の中に、ピラトが出て来ます。イエス様が十字架に架けられた時の、ローマから遣わされておりましたユダヤの総督です。イエス様は彼の裁判によって十字架に架けられることになったのです。ですから、使徒信条の中で、「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ」とあるわけです。二千年経った今でも、毎週日曜日になると世界中で「ポンテオ・ピラトのもとで」と何億人もの人に言われるのですから、可哀想なくらいです。これほど、後世に不名誉な名を残した人はいないでしょう。もちろん彼はそんなつもりではなかったと思います。総督として、やるべきことをやっただけだという思いだったでしょう。それがこんなことになってしまった。
 それにしても、なぜ使徒信条は「ポンテオ・ピラトのもとで」と彼の名前を挙げているのでしょうか。幾つも理由はあるでしょうけれど、第一に考えられますことは、彼は、主イエスの十字架という出来事が歴史上確かに起きたことであったということの証人、その出来事の日付の役割を果たしているということだと思います。主イエスの十字架の出来事は確かにあった。少しも観念的なことではない、事実だということです。第二に、このピラトによって主イエスの十字架は決定され、実行されたということです。主イエスは、何となく十字架に付けられたのではないのです。それを決め、それを実行した人がいるのです。その責任というものを曖昧にはしないのです。一億総懺悔と言った日本の政治家がおりますが、そのように責任の所在を曖昧にするようなことはしないのです。

3.主イエスが十字架に架けられた理由
 しかし、福音書を読んでみますと、ピラトは積極的に主イエスを十字架に架けて殺そうとしたのではありません。それどころか、何とか助けようとしたふしさえあるのです。しかし、結局の所、主イエスを十字架に架けることにしてしまった。なぜでしょうか。簡単に言えば、ユダヤ人たちの圧力に負けてしまったということでしょう。
 ピラトは、主イエスを訴えて連れて来たユダヤ人たち、そして主イエスとやり取りをしています。そして、主イエスを訴えているユダヤ人たちの訴えは宗教上のことであり、それでは主イエスを死刑にすることは出来ない、そのことを十分承知しておりました。ところが、ピラトはそれを貫くことが出来なかったのです。
 38節の後半を見ましょう。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。」そうピラトは明言しているのです。ユダヤ人たちは、主イエスがユダヤ人の王と称し、ローマに反乱を企てていると訴えていたのでしょう。だから、死刑にせよとピラトに迫った。しかし、ピラトが主イエスに「お前がユダヤ人の王なのか。」と問うた答えは、「わたしの国は、この世には属していない。」というものでした。主イエスの国は神の国であって、この世の国とは違うのです。ピラトは、この答えによって、主イエスが訴えられているのは宗教上のことであって、実際に反乱を起こそうとするような者ではないということが分かりました。ですから、「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。」と言ったのです。ローマの法に照らして、死罪に当たるような罪は見いだせない。そういう意味で言ったのでしょう。しかし、このピラトの言葉は、主イエスというお方が罪無き方であるということを証言する、そういう役割を果たすことになったのです。
 ピラトにしてみれば、総督として法を破ることはしたくないわけです。そこでピラトは、39節「過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」とユダヤ人たちに持ち掛けたのです。ところが、ユダヤ人たちの答えは、「その男ではない。バラバを。」というものでした。バラバ、彼は強盗でした。ルカによる福音書によれば、「暴動と殺人のかどで投獄されていた」(23章25節)者でした。おそらく、バラバは単なる強盗というよりも、反ローマの暴動を起こし、その騒ぎの中で殺人も強盗も行った人だったのではないでしょうか。こういう人が民衆の英雄とされるということはあり得ます。
 ここでユダヤ人たちの嘘がはっきりします。主イエスを反乱の名目で殺そうと訴えておきながら、実際に暴動を起こしたバラバを釈放せよと言う。全くの矛盾です。このような矛盾が起きたのは、ユダヤ人たちが嘘をついていたからです。ここでも、主イエスの真実とユダヤ人たちの嘘がコントラストを描いています。ピラトは、この嘘に気付いていました。しかし、その嘘を結果として受け入れることになってしまいました。そして、ピラトはローマの法を破ってしまったのです。ユダヤを治める者として、ユダヤ人たちの反感を買いたくなかったからです。ユダヤの総督として、その方がうまくいくと思ったからです。
 私は、このピラトの気持ちが良く分かります。責任ある立場に立つ者は、このような妥協というものをいつもどこかで求められているのではないかと思うのです。筋を通したい。しかし筋を通せば反感を買う、うまくいかない事態が予想される。ここでどうするのか、まことに悩ましい状況です。ピラトはここで筋を通す方を捨てて、面倒なことが起きないであろう、こっちの方がうまくいくであろうと考えられる方を選んだのです。その結果、「ポンテオ・ピラトのもとで」と毎週何億人にも唱えられる人になってしまったのです。このことは、「うまくいく」「何事もなく」ということで、責任ある立場にある者は事を決めていってはならない、そのことを私共に教えているのではないかと思うのです。もちろん私は、どんな時でも筋を通すことだけが正しいと言っているのではありません。何とか筋道を通し、そして混乱も生じない、そのような知恵を神様に求めなければならないのではないかと私は思うのです。このような知恵は本当に大切なのです。そして、そのような知恵は、信仰と愛によって神様に求めるならば、神様は必ず与えてくださる。私はそう信じています。

4.神様の御業に用いられる
 いずれにせよ、バラバという男は、どう見ても死刑を免れることは出来ない、そういう犯罪人だったわけです。ピラトは主イエスを何とか助けようとして、祭りにおいて一人を釈放している慣例を持ち出したのですけれど、そのことは主イエスを助けることにはならず、バラバを釈放するという結果を招いてしまったわけです。ピラトにしてみれば、少しも自分の思い通りに事が運ばない。面白くなかったと思います。ところが、この出来事が、更に主イエスの十字架の意味を明確に示すことになってしまうのです。それは、主イエスが十字架に架けられることによって、死刑になるはずであった者が赦され、釈放されるということです。主イエスの十字架が罪人を赦すためのものであることが、バラバの釈放によってはっきりと示されたのです。このバラバは、私共自身を示しています。私共の代表と言っても良いでしょう。本来死すべき者、死罪に当たる罪人、それが主イエスが十字架にお架かりになることによって赦され、釈放されてしまう。主イエスが殺され、私共は生きる。主イエスが捨てられ、私共は助けられる。ピラトは、少しもそんなことは考えていなかった。しかしピラトは、「あの男に何の罪も見いだせない。」という発言にせよ、バラバが釈放されるという出来事にせよ、自分の思いを超えて、主イエス・キリストの救いの御業を指し示すことになってしまったのです。神様に用いられてしまったのです。まことに不思議なことです。しかし、私共もまた、自分の思いを超えて、神様の御業に用いられているのではないでしょうか。しかし、どうせ用いられるなら、ピラトのような用いられ方ではなくて、ペトロやパウロのような用いられ方をされたいと思うのです。
 確かに、ピラトの言葉や行動は、主イエスの十字架の意味を指し示す者として神様に用いられました。それ程までに、神様の御支配・御計画というものは大きく、完全なのです。しかしピラトは、「ポンテオ・ピラトのもとで」というあり方で名を残すことになってしまいました。私共はそんな不名誉な用いられ方はされたくないでしょう。私共は、主の御業に用いられるなら、神様の愛と真実に生きる者として、神様の救いと恵みを明確に指し示す者として用いられたいと思うのです。「我が僕よ、よくやった。」そう、主の御前に立つ時に言われたいと思うのです。
 そのように用いられる道が私共には開かれているのです。ピラトが主イエスに、「お前がユダヤ人の王なのか。」と問うた時、主イエスは「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。」と問い返されました。ある人は、この主イエスの問い返しは、ピラトに信仰を問うているのだと申します。更に、主イエスはここでピラトを伝道しているのだ、とさえ言います。私は、そのようにこのピラトと主イエスのやり取りの場面を読んだことがありませんでしたので、この言葉に驚きました。確かに、ピラトはこの時、主イエスと面と向かって出会ったのです。そして、主イエスは自分が何者であるかということをお語りになったのです。しかし、その出会いをピラトは無駄にしてしまった。それが、使徒信条において「ポンテオ・ピラトのもとで」というあり方で名を残すことになってしまった本当の理由なのでしょう。
 私共は、主イエスに対して、この時のピラトのように主イエスの問いを無視するのではなくて、「主よ、あなたこそまことの王、私の主人です。」そう答えたいと思う。そして、そのように答える者を、神様は必ず救いの御業の証人として、ピラトのようなあり方ではなくて、用いてくださるのです。祝福をもって用いてくださるのです。そして、私共はその様な者として召されているのです。

[2012年11月11日]

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