1.アンナスの家へ
主イエスは捕らえられ、縛り上げられ、アンナスの所に連れて行かれた。そうヨハネによる福音書は記します。しかし、マタイ・マルコ・ルカの各福音書には、アンナスの所に連れて行かれたという記述は出て来ません。大祭司の所に連れて行かれたと記されているだけです。そして、この時の大祭司はカイアファでした。主イエスが夜中と明け方の二度ユダヤ人たちに裁かれ、その後でローマの総督ピラトのもとで裁かれたことは、四つの福音書に共通しています。しかし、そのユダヤ人たちに裁かれた場所が大祭司カイアファの家なのか、最高法院なのか、或いはアンナスの家なのか、少しずつ違って記されているわけです。どれが本当なのかと考えるよりも、それは何を意味しているのか、そのことを考えることの方が意味があると思います。そもそも、ヨハネによる福音書は他の三つの福音書と違う書き方をしている所が少なくありません。この福音書だけに記されていることもたくさんあります。そこには、ヨハネによる福音書としての意図があるので、そのところを私共は見なければいけないでしょう。
このアンナスですが、13節には彼が「その年の大祭司カイアファのしゅうとだった」と記されています。彼は、紀元6年から15年まで大祭司であった、元大祭司です。しかし、彼は自分が大祭司を退いた後、五人の息子を次々と大祭司にした人です。そして、この時の大祭司カイアファは娘の婿でした。わざわざ、大祭司カイアファがアンナスの娘婿であったと書いているのは、このアンナスが当時のユダヤの本当の支配者、実権を握っていた人であったことを示しているのです。ローマ帝国の支配の元にあったユダヤにおいて一番位が高かったのは大祭司です。しかし、その大祭司の裏に、すべてを握っている黒幕、本当の権力者がいる。それがアンナスだった。そのアンナスによって主イエスは裁かれた、とヨハネによる福音書は記しているわけです。藤原の誰々とか、平の誰それを思い起こさせます。つまりヨハネによる福音書は、ユダヤを支配している表向きの権力者以上に力を持ち、富を持ち、すべてを支配している者、大祭司でさえ逆らうことの出来ない者、それによって主イエスは裁かれたと言っているのです。それはヨハネによる福音書の言葉で言えば、「この世の力」によって裁かれたということになるでしょう。
ちなみに、主イエスがエルサレム神殿において羊や鳩を売ったり、両替していた人たちを、「『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」と言って追い出した(ルカによる福音書19章46節)という、いわゆる宮清めの出来事がありましたが、あの場所はアンナスの広場と呼ばれている所だったのです。
一方、大祭司のカイアファでありますが、主イエスがラザロを復活させ、人々が主イエスこそ救い主、メシアではないかと信じ始めた時、「一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。」(11章50節)と言って、主イエスを殺すことに決める道を開いた人です。しかし、このカイアファの発言も、本人の意思を超えて、主イエスの十字架の死というものが、民を救う身代わりの死であることを指し示す預言となってしまったわけです。
2.アンナスとカイアファの関心
アンナスにしてもカイアファにしても、彼らの興味関心は、どうしたら自分たちの権益を守ることが出来るかということです。元大祭司や現役の大祭司なのですから、どうしたら神様の御心に適うのかという所で考えても良さそうなものですが、そうではなかった。ローマ帝国の支配のもとにあるユダヤにおいて、その支配者たちが最も恐れていたのは反乱でした。反乱が起きれば、ローマ帝国はその圧倒的な軍事力を持ってユダヤを制圧し、今認められている自治権も何もかも奪われてしまう。実際、主イエスが十字架に架けられた40年後の紀元70年に、ユダヤはそのようになってしまいました。エルサレム神殿は瓦礫の山となってしまったわけです。
そのようなアンナスが、主イエスについて最も気にしたのはその弟子の数であり、誰が弟子であるかということでした。弟子が数十人なのか、数万人なのか。数十人なら、主イエスを殺してもたいしたことはない。しかし、数万人となれば、十分反乱に発展する可能性があるわけです。また、弟子たちの中に、ユダヤ社会における有力者がたくさん含まれていれば、自分たちの権力基盤を揺るがすことにもなります。そこで大祭司は、19節に「大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた。」とあるのです。まず弟子のこと。それは、人数はどれくらいで、誰が含まれているかということだったと思います。それから教えです。この教えというのも、既存のユダヤ教、それはエルサレム神殿を中心としたユダヤ教ですが、それと対立するものなのかどうか、その辺のことを調べようとしたということなのでしょう。この大祭司の質問に、彼らがどのように主イエスと関わったかが明らかに示されていると思います。
彼らの関心は、結局のところ自分なのです。自分の権力、自分の富、自分の生活、自分にとって損か得かです。その基準で神の御子を裁いているということなのです。人間が神を裁く。これがこの場で行われたことなのです。人間が神を裁く。これは全く倒錯しています。神様が人間を裁くのであって、人間が神様を裁くというのは全く反対なのです。しかし、それがここで行われたこと、主イエスを裁いて十字架につけるということなのです。
3.私に利益をもたらすから神なのか?
しかし、この時のアンナスやカイアファを笑うことは、私共には出来ないでしょう。このことについて、私には苦い思い出があります。20歳で洗礼を受け、22歳の時です。今思えばたいしたことではなかったのですが、とても辛いことがありまして、多分、当時私は軽いウツ状態だったと思います。大学生でした。一応大学には行くのですが、行っても誰とも一言も話さない。教会学校の教師をしていましたので教会にも行っていました。しかし、礼拝は上の空です。そんな時期が半年ほど続いたでしょうか。こういう時にはヨブ記を読むと良い、と誰かに言われたのでしょう。ヨブ記を読みました。そして、その第1章を読んで更につまずいたのです。皆さん御承知のように、ヨブは富もあり、子供にも恵まれ、神様を敬い、幸せに生活しておりました。神様も、ヨブほどの者はいないと認めておりました。ところがある日、サタンが神様の所に来まして、ヨブが神様を畏れ敬い、正しく生きているのは、神様がヨブを祝福しているからだ。彼の財産を奪い、現在の幸せを奪ってしまえば、面と向かって彼はあなたを呪うに違いない、と言うのです。神様は、それならヨブの持つすべてのものをお前の好きなようにしてみろ、そう言われた。その結果、ヨブは財産を失い、子供も失う。ここからヨブ記が始まるのですけれど、私はこの第1章を読んだだけで、後を読む気がしませんでした。「こんな神様なら要らない。」そう思ったのです。こんな神様なら要らない。これはまさに、私がアンナスやカイアファのように、神様を裁いた時でした。私は、主イエスの十字架に出会い、自らの罪を悔い、涙して洗礼を受けたのです。しかし、それからわずか二年にして、その悔い改めの涙を忘れたのです。
砂を噛むような思いで日々を過ごし、礼拝に出ても説教を聞く気は無し。その日も、半分眠ったような状態で説教を聞いていたのですが、驚くべき言葉が耳に飛び込んできました。「神様は私共に良いことをしてくれるから神様なのではない。神様は神様なのです。だから、人間である私共は神様を礼拝するのです。」私は本当に驚いた。どこかで、神様は自分に良いことだけをしてくれるものだ、それが当然のことだと思っていたのです。真面目に礼拝を守り、奉仕をし、キリスト者として生きている自分に、神様が悪いことをするはずがない。そう思っていた。しかし、そうではなかった。私は神様に裏切られたような気がして、「そんな神様なら要らない。」そう思っていました。しかし、そうではないのだ。神様は、私共に利益をもたらすためにおられるのではない。そんな神は偶像です。神は神なのです。私共は人間に過ぎないのです。私の二度目の回心の時でした。
4.終に彼を捨てる
内村鑑三という人が、『聖書の研究』(1916年3月刊)の中でこのように書いています。大変印象深い言葉です。「国の為にキリストを信じたる者は終(つい)に彼を捨てる。社会人類の為にキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。教勢拡張を思い立ちてキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。キリストの人格にあこがれてキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。良き思想を得んとてキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。患難苦痛を慰められん為にキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。されども、おのが罪を示され、その苦痛に耐えずして、『ああ我、悩める人なるかな』の声を発し、キリストの十字架において神の前に義とせらるる唯一の道を発見し、その喜びに耐えずして彼を信じた者は、かかる者は、よし宇宙は消え失(う)すとも、永遠より永遠まで彼を捨てない。」
確かに、私共が主イエス・キリストを信じるようになったきっかけは、病苦から解放されたい、良き思想・考え方を知りたい、などというようなことであったかもしれません。確かに、キリスト教の信仰は、生き方、考え方を教えるでしょう。しかし、キリスト教は、思想に還元することなど出来ないものなのです。思想には、今生きて働き給うキリストとの交わりは要りません。キリスト教とは、実にあの十字架にお架かりになり、三日目に復活された主イエスを、神の御子、キリストと信じる信仰です。この方を愛し、この方との交わりに生きることです。確かに、主イエスは様々な教えをお語りになりました。「互いに愛し合いなさい。」とか、「右の頬を打たれたら左の頬を向けなさい。」とか、「敵を愛せよ。」とかあります。しかし、その教えは、イエス様を神の御子として信じ、愛し、この方に従うという所においてしか意味を持たないのです。自分に利益があるから信じるというのであれば、利益がなくなればこれを捨てるということになるでしょう。キリスト者であることが損になれば、これを捨てるということになるのです。それでは、アンナスやカイアファと同じなのです。
5.この世の力に屈することなく
さて、主イエスは大祭司の問いに対して、20〜21節でこう答えられました。「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。」主イエスはここで、自分が話したことはそれを聞いた人に聞けば良い、証人を呼んで聞けば良い、と言われたわけです。主イエスがここで言われたことは、ユダヤの裁判のあり方として全く正しいのです。ユダヤの裁判では、複数の証人による証言しか、証拠として取り上げられないのです。本人がどう言っているかは問題とはならない。イエス様はここで、律法に基づくユダヤ教としての正しい裁判をしなさい、そう言われたわけです。言うなれば、裁判長に向かって、被告が正しい裁判をしなさいと語っているわけです。実に堂々としています。そして、これを聞いた下役が、「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか。」と言って平手で打った、と聖書は記します。「不敬であろう。」ということでしょう。下役は大真面目であったと思います。彼にはこの世の権威しか見えない。しかし、主イエスは見えざる神の権威によって立っているのです。そして、主イエスは怯むことなく、23節「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」と答える。この世の力の前に臆することなく、怯むこともない主イエスの姿がここにあります。
江戸時代、この日本においてはキリスト教を信じることが禁じられました。それを徹底するために作られた制度が檀家制です。ですから、檀家制は江戸時代より前に遡るものではありません。何故、キリスト教が禁じられたのか。一番の理由は、「この世の権威に屈しない」という信仰の姿が、権力者にとって甚だ都合が悪かったということだと思います。それを決定的にしたのが島原の乱だった。キリスト教の救いの完成は終末にあります。キリスト者は終末に復活するという希望によって生きています。この終末信仰、終末のリアリティーが、この世の権力に膝を屈めないという姿勢を生むのです。この富山は、浄土真宗の割合が全国で最も大きい地域の一つですが、戦国時代に一向宗と呼ばれたこの教団に、時の権力者は本当に手を焼きました。彼らも、極楽浄土が約束されているという、死を超えた救いのリアリティーに生きていたからです。だから、彼らもこの世の権力、権威に屈することがなかった。それで徳川幕府は、浄土真宗を西本願寺と東本願寺に分裂させ、その力を弱めさせると共に、皇室から嫁がせることによって、この世の権力の中に抱き込んだわけです。キリスト教は、その浄土真宗ほどには全国に広まっておりませんでしたので、広まる前に禁止したということなのでしょう。
主イエスにとって大切なことは、「神様の御前にあって」ということでありました。主イエス・キリストの霊である聖霊の導きで生きるキリスト者もまた、同じであります。神様の御前に生きるのです。神様が良しとされることを第一にして生きる。神様が喜ばれることを喜ぶ者として生きるのであります。
6.公然と語る
主イエスは福音を公然と語りました。主イエスの福音は、ひそひそと内緒話のように伝えられものではないのです。公然と語られ、伝えられるべきものなのです。
10月20日(土)、21日(日)と伝道のための講演会と礼拝がここで行われます。新聞にチラシも入れます。ハガキも作りました。今日、伝道委員の方にハガキを手渡されたと思います。自分の友人、知人、家族、この人に主イエスの救いに与って欲しいと思う方に、祈って、自分の名前でお誘いしていだだきたいと思います。そこでは、自分の信仰が公然とならざるを得ません。これはまことに幸いなことです。公然と語られた主イエス・キリストの御姿と私共が、そこにおいて重ねられるからです。私共の願いは、自分の足が主イエスの御足の跡に重ねられるようにして歩むことでしょう。伝道のために、友人・知人にハガキを出す。この本当に小さな業が、私共の足を主イエスの御足の跡に重ね合わさせるのです。こんな幸いなことはありません。
私共は今から聖餐に与ります。主イエス・キリスト御自身がここに臨まれ、我が肉を食べよ、我が血を飲め、そう言って自らの体を私共に差し出されるのです。この聖餐に与り、キリストと一つにされた者として、私共はここから遣わされていくのです。それぞれ遣わされた場において、公然と主にお仕えする者として歩んで参りましょう。
[2012年10月7日]
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