富山鹿島町教会

花の日合同礼拝説教

「神様はすごい方」
歴代誌 上 29章10〜13節
ローマの信徒への手紙 11章33〜36節

小堀 康彦牧師

1.花の日
 今日は花の日礼拝です。花の日は毎年六月の第二日曜日なのですが、今年はその日がペンテコステの日だったので、第三日曜日の今日、行うことになりました。花の日というのは1865年、今から146年前にアメリカの教会で始まりました。子どもたちが心も体も健やかに成長するように、神様を信じ、神様の子どもとして育っていくようにと願って、たくさん花を飾って大人も子どもも一緒に礼拝したのが始まりです。今朝、教会の玄関を入ると、教会学校の子どもたちが作ったたくさんの花瓶があったのに気付かれましたか。この花瓶は父の日のプレゼントするために教会学校の子どもたちが作ったのですけれど、教会学校の先生たちがこれに花を生けてくださいました。そして、この講壇にもたくさんの花が飾ってあります。午後にはこれを持って、病気の方のお宅や病院にお見舞いに行きます。ここには小さな花や大きな花が色とりどりに咲いています。この一つ一つの花が神様に造られ、神様によって咲かせていただいているのです。この花と同じように、私たちも一人一人違う顔で、違う声で、違う性格ですけれど、みんな神様に造られ、守られ、生かされています。花は自分が神様に造られたことを知らないけれど、私たちは知っています。だから私たちは、神様ってすごい!と思います。

2.神様がすごい方である「しるし」
 本当に神様はすごいのです。教会の横のケヤキ並木は、冬の間は一枚の葉もありませんでした。ところが、今は青々とした葉がいっぱいです。四月から五月にかけて、毎日毎日どんどん葉っぱが出てきて、二週間もすると、すっかりきれいな新緑の葉でおおわれてしまいました。それを見ながら、今年も春が来たと思いました。そして、神様はすごいと思いました。雪が降る冬から春に、そして春から夏に、神様は決して忘れることなく、ちゃんと季節をめぐらせてくださいます。春から冬になることもないし、夏から春にもなりません。この花も緑の木々も、神様が季節を回してくださるから、みんな芽を出し、花を咲かせ、そして秋には実をつけます。もし、春からまた冬になったら、花は咲きませんし、枯れてしまいます。だから、花が咲いているのを見ても、木々の緑を見ても、神様はすごいって思います。
 三週間前の日曜日の午後、ちょうど台風が来ていたのですけれど、私は教会の玄関の階段で転びました。ちょっと転んだのではなくて、一番上から下まで、空中を飛ぶようにして転びました。左脚と左の肩をしこたま打って、歩くのも痛い。腕は動かない。そんな状態でした。痛いのは嫌ですね。ところが、一週間経ち、二週間経ち、三週間経つと、ちゃんと歩けるし、腕だって上がるようになりました。神様ってすごい!と思いました。この体は神様が造ってくださったものですから、治る力もまた神様から与えられているのです。どんなに高級な、立派な自動車でも、パンクしたら誰かが直さなくてはいけません。二週間、三週間置いておいたら、誰も直さなくてもパンクが直っているなんてことはありません。この違いは、自動車は人間が造ったものだけれど、私たちの体は神様が作ってくださったものだということなのです。私は自分の力で足が痛いのを治したり、肩が痛いのを治すことは出来ません。自分の力で治せるなら、二週間も三週間もかけません。痛いのは嫌ですから、三分で痛くないように治します。でも、私には自分の思い通りに自分の怪我を治すことは出来ないのです。ただ神様だけが、私の体に直る力を与えてくださり、私の体に働きかけてくださって、少しずつ治してくださるのです。本当に神様ってすごいのです。
 今年、私たちの教会は結婚式がたくさんあります。五月に一つ、六月に一つ、七月に二つ、八月に一つ、九月に一つあります。こんなに続けてある年は、私も初めてです。毎週のように、結婚する方と結婚の準備会をしています。そこでは、この二人が出会って結婚することになったのは、神様が二人を造られる前から結婚することをお決めになっていて、そうさせてくださったということを、聖書を開いて一緒に学びます。ここでも、神様はすごいって思うのです。全く違う環境で生まれ育った二人が出会って、これからこの人と一生一緒に生活していこう、一緒に生きていこうと思う。同じような年の人はたくさんたくさんいるのに、他の人ではなくて、この人と一緒に生きていく。そう二人が思うのです。他にもっと良い人がいるかもしれない、そんな風には思わないのです。この人しかいないって二人が思えるのです。これはすごいことです。そして、このすごいことを起こされる神様って、本当にすごいって思います。
 八年前に私が富山に来た時には、言葉がなかなか出なくて両親が心配していた子は、本当におしゃべりになりました。三分黙っていなさいと言うと、私死んじゃうと言っていたおしゃべりな女の子は、立派な高校生になりました。八年前はまだ生まれていなかった子が、もう小学生になりました。本当に神様はすごいと思います。

3.神様のすごい愛
 本当に神様は、天と地のすべてを造られ、そのすべてを支配してくださっている、すごい方なのですね。ちっちゃな昆虫から、空の太陽や月や夜の星々、大きな立山も神通川も、みんな神様が作られました。そして、びっくりすることは、その神様が、私たち一人一人を知ってくださって、愛しておられるということです。天と地のすべてを造られるようなすごい方は、私のことなんか忘れている。覚えているはずがない。そう思うかもしれません。確かに、私たちは十人の人のことを考えたら、もういっぱいいっぱい。他の人のことまで考えれません。しかし、神様は違います。だって、神様はすごい方ですから。神様は私たち一人一人を愛してくださって、「わたしの愛する子よ」と呼びかけてくださいます。そして、こうして日曜日に私たちをここに招いてくださっています。
 私たちは、神様に造っていただき、守っていただき、育てていただいたのに、「神様のことなんて知らない」と言うような恩知らずな者でした。でも、神様は、そんな私たちのために、私たちに代わって、愛する独り子イエス様を十字架にお架けになって、私たちの一切の罪を赦してくださいました。私たちは、嫌なことを言われたら、すぐに腹を立てます。あんな人とはもう口もきいてあげない。そんな風に思ってしまう時だってあります。しかし、神様はそうではないのです。どんなに神様に逆らっている人でも、それでも「わたしの愛する子よ」と招き続けてくださいます。何年も何十年も何百年も何千年も、神様は愛し、招き続けてくださいます。だから、私たちは今朝、ここに集うことが出来ているのです。神様は本当にすごい!
神様は本当にすごい方です。でも、私たちは、神様がすごい方であることは分かるのですけれど、どのくらいすごいのかはよく分かりません。すごすぎて、よく分からないのです。神様が私を愛してくださっていることは分かるのですけれど、神様が自分にこれからどんな道を拓いてくださるのかは分かりません。どんな人と出会うのか、どうしてこんな事が起きるのか、よく分からないことはたくさんあります。でも、それで良いのです。だって、神様は神様なのですから。神様のことは、人間にはよく分からないのは当たり前なのです。

4.神様をほめたたえる
 でも、私たちに出来ること、しなければいけないことがあります。それは、神様をほめたたえることです。神様をほめたたえる。少し難しい言葉ですね。これは要するに、神様に向かって、「神様ってすごい方ですね。」と言うことです。神様に言うのですから、これはお祈りです。神様に向かって、「神様ってすごいですね。」ってお祈りするのです。これは、歌っても良いのです。神様、あなたはこんな風にすごいですね。それを歌にしたのが讃美歌です。
 私たちは、イエス様から、こう祈りなさいと「主の祈り」を教えていただきました。そのお祈りは、「天にまします我らの父よ。御名をあがめさせ給え。」で始まります。これは、みんなが「神様はすごい!」って神様に向かって言うことが出来ますようにということです。私たちは、自分がみんなからすごいって言われることを求めてしまうところがあります。しかし、神様がすごいということを知っている私たちは、本当にすごいのは私たち人間ではなくて神様だということを知っています。だから、自分がすごいって言われることは恥ずかしいと感じます。すごいのは神様だけなのですから。神様がすごいということを知らない人は、自分がすごいって思われたいと思うものなのです。しかし、私たちはそうではありません。本当にすごいのは神様だけ。そのことを知っています。だから、私たちみんなで神様に向かってすごいって言えるようしてくださいと祈るのです。それが一番神様がお喜びになることだからです。 

[2011年6月19日]

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