富山鹿島町教会

礼拝説教

「主の宮を建てる」
列王記 8章27〜32節
ヨハネによる福音書 2章13〜22節

小堀 康彦牧師

1.キリストの教会は建物ではない
 今、私共は東北関東大震災で被災された方々のために祈りを合わせました。そして、被災された教会の兄弟姉妹を覚えて祈りました。その私共に、今朝はっきりと告げられております神の言葉は、「教会は建物ではない」ということです。傷つき、ひび割れた礼拝堂を目にし、途方に暮れている人々に向かって、そして私共に向かって、聖書は「教会は建物ではない」と告げるのです。私共は今、目に見える建物ではない主の教会に目を向けなければなりません。揺れる大地の上に、今も揺らぐことなく立っている主イエス・キリストの十字架に目を向けなければなりません。この十字架は主イエス・キリストを信じる人の心の中に立ち、その人々の交わりの中心に立っています。この十字架が立っている所に教会はあるのです。キリストの教会は、主イエス・キリストを信じる一人一人であり、主イエス・キリストを信じる人々の交わりなのです。これが即ち、キリストの体なる教会です。目に見える礼拝堂がどんなに傷つき、ひび割れ、瓦礫の山となったとしても、このキリストの体は崩れはしません。何故なら、このキリストの体なる主の教会は、主イエスの十字架の死を突き抜けた復活という出来事によって、聖霊の注ぎという神様の御業によって建てられたものだからです。
 私共は目に見える事柄に心を奪われます。それは当然のことです。毎日テレビで映し出される被災地の状況に心を痛めます。福島第一原発はどうなるのか、不安を覚えます。当然のことです。しかし、私共は今朝、もう一つの現実とでも言うべき、神様の御業に目を注ぐように促されています。それは、あの被災地にもキリストの十字架は立っているということです。主イエス・キリストは被災された一人一人を愛し、その御手に一人一人を抱き取っておられるということです。この現実は被災された方々には見えないかもしれません。しかし、キリスト者である私共は、それを見て、確認して、希望を持つ責任があるのです。主にある希望、神様によって与えられる希望です。この希望を持つこと、持ち続けること、それがキリスト者の責任なのです。すべての人が希望を失ったとしても、希望を持てなくなったとしても、それでもなお希望を持つ。そのような者として召されているのが私共キリスト者なのです。何故なら、私共のために、この世界のために主の十字架は立ち、主イエスは復活されたということを私共は知っているからです。

2.「宮清め」が始めにある意味
 さて、今朝与えられております御言葉は、いわゆる「宮清め」と言われる出来事です。「宮清め」は、ヨハネによる福音書以外の三つの福音書すべてが、受難週の初めの出来事として記しています。主イエスがエルサレムに入城して、最初に行ったのがこの「宮清め」でした。ところが、このヨハネによる福音書では、カナの婚礼において水をぶどう酒に変えるという最初の奇跡のすぐ後に記されています。主イエスの救い主としての公の生涯、弟子たちと共に教えを宣べ伝え、数々の奇跡を為した歩み、それは三年間ほどであったと考えられております。この宮清めの出来事がその三年間の初めに為されたのか、それとも最後に為されたのか、少々頭を悩ますところです。ある人は単純に、主イエスは「宮清め」を二度行ったと言います。これなら悩む必要はありません。しかし、私はこう考えます。ヨハネによる福音書は、他の三つの福音書とは書き方が違うのです。他の三つの福音書は、起きたこと、話されたことを、比較的順序立てて書こうとしています。しかし、ヨハネによる福音書はそれ以上に、出来事の本質は何か、この出来事の意味は何か、そのことを記そうとしている。だから、主イエスの誕生の記事にしても、ヨハネによる福音書には星も羊飼いも博士も出て来ないのです。「言葉は肉体となって、わたしたちの間に宿った。」そう記すだけです。そう考えると、ヨハネによる福音書において「宮清め」が公生涯の最初の方に記されているということにも意味がある、そう考えるのが妥当でしょう。では、その意味とは何か。それは、受難週の最初の出来事を主イエスの公生涯の始めに持って来ることによって、主イエスの三年間の歩みのすべてを、受難週の歩み、つまり十字架と復活への歩みとして位置付ける、そのような意図があると考えて良いと思うのです。
 ヨハネが記す「宮清め」は、13節「ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。」と始まります。この前のカナの婚礼の奇跡が為されたのはガリラヤです。ガリラヤからエルサレムに上る。しかも、過越の祭りの時です。これはもう、主イエスの十字架の出来事を、これを読む私共に意識させる装置、仕掛けになっていると見て良いでしょう。

3.エルサレム神殿の境内での商売
 主イエスはエルサレム神殿の境内に入られました。するとそこは、牛や羊や鳩を売る人々、それを買う人々、また両替する人々でごった返していたわけです。雰囲気としては、山王さんのお祭りのような状況を考えてもらったら良いと思います。山王さんの祭りは食べ物の屋台が多いのですけれど、当時のエルサレム神殿の境内で売られていたのは食べ物ではありません。動物です。それも多分、何百頭という数だったと思いますので、相当うるさかったし、しかも相当臭かったでしょう。
 どうして牛や羊や鳩を売っていたのか。それは、エルサレム神殿で為されていた礼拝が、いけにえをささげるというあり方で為されていたからです。もちろん、自分で持って来ても良いのですけれど、神様に献げるいけにえ、犠牲のささげものは傷がないものでなければなりませんでした。エルサレム神殿に参拝する人々はユダヤ全土、或いはローマ帝国中から来るのですから、とても動物を連れては来られませんし、たとえ連れて来ても、少しでも傷があればそれはささげられないわけです。神殿の境内で売っている動物は、これは傷のない、神様にささげても良いものです、と神殿の保証書が付いているようなもので、神殿の外で買うよりだいぶ高い値段でしたけれど、みんなここで買うことになっていたのです。過越の祭りは、ユダヤ三大祭りの一つで、この時エルサレムの人口は、いつもの住民の何倍かに膨れ上がります。その人たちがみんな動物を買うものですから、その数たるや大変な数に上ったと思います。当然、その売り上げも莫大なものでしたし、その売り上げの何割かは神殿に納められることになっていたわけです。
 では、両替はどうして行われていたか。それは、神殿にささげる献金のための両替です。当時使われていたお金には、ローマ帝国の皇帝の肖像が刻まれておりました。ローマにしてみれば、このお金は皇帝が造った、皇帝の物だということを示すものでしたが、これは皇帝礼拝につながるので、エルサレム神殿で神様にささげることは出来ないと神殿が決めていました。ですから、当時もう使われていなかった、昔ローマに支配される前にユダヤが造ったお金に両替して、神殿にささげる。そういうことが為されていたのです。そのお金は普段は使われていないのですから、みんなここで両替しなければならなかったし、その手数料の何割かは神殿に入るということになっていたのです。

4.三日で建てられる新しい神殿
 イエス様はそのあり様を見て、怒りを顕わにされました。15節を見ると、イエス様は縄で鞭を作り、牛や羊を境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒した、とあります。大変な騒ぎになったと思います。どうして主イエスはこんなことをされたのでしょうか。
 16節で、主イエスはこう言われています。「わたしの父の家を商売の家としてはならない。」主イエスは神殿を「わたしの父の家」と言います。主なる神様を指して「わたしの父」と言われた。主イエスは、ここで自らが神の子であることを宣言されたのです。そして、その神の子の権威をもって、商売の家とするなと言われた。では、神殿は本当は何の場所なのか。他の三つの福音書では、この宮清めの場面で主イエスは「祈りの家でなければならない。」と言われました。神殿が商売の家ではなく、祈りの家でなければならないというのは、当然過ぎるほど当然のことでしょう。しかし、そのことが分からないほどに、このエルサレム神殿の境内における商売は当たり前のこととして為されていたのです。
 こんなことをすれば当然、「何でこんなことをするのか。」と問われるわけです。18節「ユダヤ人たちはイエスに『あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか』と言った。」とあります。これは、「こんなことをしてただで済むと思っているのか。お前は何様のつもりだ。神殿を『わたしの父の家』と言うならそのしるしを見せてみろ。しるしを見せることが出来ないのなら、首を洗って覚悟しろ。」、そう言ったのです。この時の主イエスの答えは、19節「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」というものでした。これは主イエスが十字架に架かり、三日目によみがえることを語られたのですが、言われた方はそんなことは分かりません。それで人々は、20節「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか。」と言ったのです。主イエスの時代のエルサレム神殿は、ヘロデ大王が大規模な修復、改築を始めて、46年間も工事を続けている。しかも、まだ完成していない。これが完成したのは更に40年ほどして、紀元66年だと言われています。しかし、そのわずか4年後の紀元70年には、ローマ軍によって瓦礫の山になってしまったのです。このヨハネによる福音書が記されたのは紀元90年頃と考えられていますから、これが記されたときは、既にエルサレム神殿は瓦礫の山となっていたはずです。
 エルサレム神殿の一番奥には至聖所と呼ばれる所がありました。大祭司だけが、年に一度だけ入れる場所です。そこに神様は臨んでくださり、神殿でささげられる祈りを聞くと考えられていました。しかし、主イエスが十字架にお架かりになった時、この至聖所を仕切っていた幕が真っ二つに裂けたのです。神殿の一番奥にあって、私共と神様とを隔てていた幕が裂けた。つまり、至聖所でなくても、エルサレム神殿でなくても、神様はいつでもどこででも私共と共にいてくださる。インマヌエルの恵みに生きることが出来るようになったのです。この恵みの中に生きるようになったのが、キリストの教会なのです。神様は教会の建物の中におられるのではなく、キリストを信じるすべての者の中に、キリストを信じるすべての者と共におられるのです。キリストの十字架は、私の中に、私共の交わりの中に、しっかり立っている。このことを見据えなければなりません。
 この主イエスによって「宮清め」が為された時、主イエスの弟子も、この時の主イエスの「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」という言葉の意味は分かりませんでした。21〜22節「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思いだし、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。」と言われている通りです。言われた時には分からなかった。しかし、主イエスが十字架に架かり、三日目によみがえった時、この主イエスの言葉の意味が分かったのです。主イエスは目に見える神殿ではなく、目に見えない神殿、復活の主イエスがいつでもどこでも共にいてくださるという、キリストの体なる教会という神殿を建ててくださったということが分かったのです。私共にはすぐには分からないことが多いのです。しかし、やがて分かる。はっきり分かる。このことを信じて、今語るべきことを語れば良いのです。
 エルサレム神殿においてささげられていたのは、動物の犠牲でした。しかし、主イエスがその十字架と復活によって建ててくださった新しい神殿、キリストの体なる教会においてささげられる礼拝は、霊とまことをもってささげられる礼拝であり、ささげられるべきものは私共自身なのです。ローマの信徒への手紙12章1節に「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」とある通りです。牛や羊や鳩やお金をささげて、礼拝したつもりになっていてはいけない。礼拝と言いながら、自分の財布の中身を勘定するな。あなた自身をささげるのだ。そう言われたのです。

5.主イエスの受難預言
 さて、主イエスの御復活の後になって、この宮清めの場面を思い出して旧約聖書の言葉を思い出したことが17節に記されています。17節「弟子たちは、『あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす』と書いてあるのを思い出した。」これは詩編69編10節の言葉なのですが、私は長い間、この言葉を誤解しておりました。この言葉は、主イエスの行為に対して言われたのですが、私は牛や羊を売っている人に向けられた言葉だと思っていたのです。つまり、目に見える神殿を思う人間の熱意が神様を食い尽くし、神殿を、果ては礼拝をも台無しにしている。そう読んでいたのです。しかし、この言葉はそういう意味ではありません。これは、主イエスが神殿のことを思う、神様をまことに神様を礼拝するところにしようと思う、その熱意によって自分自身が食い尽くされる。つまり、十字架にお架かりになって死なれるということを、弟子たちは思い出したということなのです。詩編69編10節を主イエスの十字架預言として、弟子たちは受け止めたということです。
 まさに、この宮清めの出来事が、主イエスを十字架への歩みへと決定付けた出来事だったのです。主イエスが人々を憐れみ、奇跡をなし、教えを宣べ伝えていても、主イエスを殺さなければならないとまでは考えなかったと思います。しかし、ユダヤ教の当局者にとって、このエルサレム神殿の権威をないがしろにする者を生かしておくわけにはいかなかったのです。ヨハネによる福音書は、これから語られていく主イエスの業と言葉を、十字架と復活への道筋にあるものとして語ろうとしたのです。ですから、私共も主イエスの業と言葉を、すべて十字架と復活に繋がるものとして受け取っていかなければならないのです。

6.揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けり
 最後に、関東大震災の時に作られた聖歌の歌詞をお読みして終わります。1923年9月1日、関東大震災の時、九死に一生を得た多くの被災者が明治学院の運動場で夜を迎えておりました。そこに、J.V.マーティンという英語教師が、彼は元々宣教師ですが、見舞いに行きました。その時、人々に支給されたロウソクの炎が、暗闇の中で輝く主イエスの十字架に見えたそうです。そこで出来たのがこの詞です。

1. 遠き国や海の果て いずこに住む民も見よ
なぐさめもて変わらざる 主の十字架は輝けり
なぐさめもて汝がために
なぐさめもて我がために
揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けり

2. 水はあふれ火は燃えて 死は手ひろげ待つ間にも
なぐさめもて変わらざる 主の十字架は輝けり
なぐさめもて汝がために
なぐさめもて我がために
揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けり

3. 仰ぎ見ればなど恐れん 憂いあらず罪も消ゆ
なぐさめもて変わらざる 主の十字架は輝けり
なぐさめもて汝がために
なぐさめもて我がために
揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けり

祈ります。

[2011年4月3日]

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