富山鹿島町教会

礼拝説教

「恵みの召し出し」
イザヤ書 6章1〜8節
ガラテヤの信徒への手紙 1章13〜24節

小堀 康彦牧師

1.生ける神様との交わり
 私共が受け継ぎ、私共がそれによって生きている聖書の信仰の中核には、生ける神様との出会いと人格的な交わりというものがあります。聖書の信仰というものは、様々な教えを丸飲みにして信じ込むというようなものではありません。聖書は、生けるただ一人の神様と出会い、この方に圧倒され、この方との交わりに生きる者とされた者たちの証言としてあるのです。ですから、聖書のここにはこう書いてある、といった知識をいくら増やしても、聖書が分かったということにはならないのです。逆に、聖書の全体についてはまだよく分からないけれども、この聖書の言葉は自分に向けられた神様の言葉だということが分かった。この、神様が自分に語ってくださったということが分かったならば、聖書の言葉を通して生ける神様との出会いが与えられたということであり、その人は聖書の信仰の中心にあるものを受け取ったのです。そしてその人は、モーセに起きた出来事も、イザヤやエレミヤに起きた出来事も、ペトロやヨハネそしてパウロに起きた出来事も、自分の上に起きた出来事と重ねて受け取ることが出来るのです。聖書に記されている様々な出来事が、遠い昔の遠い異国での出来事ではなく、私の上に起きた出来事と同質の、神様との出会いの出来事、神様からの語りかけとして聞き取ることが出来るのです。そして、神様と出会った者が皆、その僕として自らをささげて生きる者とされたように、自分もまた、そのように生きる者となるのです。

2.イザヤの召命
 今、イザヤ書6章の初めの所をお読みいたしました。ここは預言者イザヤの召命の記事であり、預言者イザヤが誕生した場面です。彼はエルサレム神殿において不思議な体験をします。それは聖なる体験というべきものでした。客観的に言えば、イザヤはここで幻を見たということになるのかもしれません。幻や夢などというものは、現代においては、少しも重要であるとは考えられていないかもしれませんが、この幻の出来事を通して、預言者イザヤが誕生したということは間違いがないありません。今、イザヤがここで見た幻が何であったのか、詳しく述べる時間はありません。しかし、はっきりしていることは、この時イザヤは聖なる神様の御前に立たされ、自らの罪を知らされ、そしてその罪を赦されたということです。そして、イザヤは神様の「誰を遣わすべきか。」との御言葉に対して、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」と応えたのです。
 イザヤは神様に召され、それに応え、預言者として立てられ、遣わされたのです。ここには神様の召命、そしてイザヤの献身という神様との出会いの出来事が、あざやかに記されております。イザヤは、紀元前8世紀、神の民がアッシリアによってまさに滅ぼされそうになっていた時代に立てられた預言者でした。この時イザヤは、時の王様や大祭司によって預言者に任命されたのではありません。ただ生ける、聖なる神様によって預言者として召され、立てられ、遣わされたのです。これが聖書の信仰の中核にあり、神の民を生かし続けてきた、神の民を神の民たらしめてきた伝統なのです。

3.召命によって立てられる伝道者
 今年の8月、北陸連合長老会は夏期伝道実習生として2人の東京神学大学の夏期伝生を受け入れました。私共の教会でも2人の夏期伝生が御奉仕くださいました。お二人とも当教会での滞在の期間が短く、皆さん全員と親しく交わることは出来なかったのですが、家庭集会等ではそれぞれ献身の証しを語っていただきました。私は、夏期伝生を受け入れ一番楽しみにしているのは、この献身の証しを聞くことなのです。生ける神様のお働きを、はっきりと確認させられるからです。彼らは二年後、三年後に伝道者として立っていくのですけれど、その歩みの最初に神様からの召命の出来事があり、それに応えて献身するということが明確になければならないのです。もしそれがなければ、伝道者となることは出来ません。確かに、日本基督教団の教師となるためには検定試験に合格しなければなりません。私もその試験の責任をしばらくの間負っておりましたけれど、試験の前提となるのは、この神様からの召命というものなのです。時々、この試験を自動車免許と同じように教師としてのライセンスを取るのだと思っている人がいるのですが、そんなものではないのです。ライセンスを取るのなら、召命を問われることはありません。しかし、神様からの召命がなければ、この試験を受ける資格がないのです。召命を受けていない者が教師になるとすれば、これほど生ける神様を侮ったことはないでしょうし、聖書の信仰に生きる神の民の伝統を全く無視した、神の民であるキリストの教会を根本から破壊する行為であると言わなければならないと思います。

4.人によるのか、神によるのか
 パウロが、ガラテヤの信徒への手紙で戦っているのは、この神の民がそれによって生き、立てられていった根本問題においてなのです。
 パウロは、主イエスの十字架と復活によって救いの御業が完徹された今、私共はただ主イエスを信じる信仰によって救われる、そう主張し、伝道してきました。それに対して、信仰だけでは救われない、割礼を受けなければ、律法を守らなければ救われない、そう主張する人々がガラテヤの教会に来て、ガラテヤの教会の信徒たちを惑わしたのです。彼らは、「自分たちはエルサレムから来た。エルサレムの使徒たちによって遣わされて来た。だから権威があり、正しい。パウロはエルサレムの使徒たちに比べれば、使徒としての権威に劣る。」ということを根拠にしていたのです。彼らが自分たちの権威の拠り所としたのは、エルサレムであり、エルサレムの使徒たちでした。それに対して、パウロが語ったのは「私は生けるただ一人の神様によって、主イエス・キリストによって召命を受け、使徒として立てられた者だ。」ということだったのです。ここにあるのは、人間の権威によるのか、それとも神の権威によるのかということなのです。「私は神様から、復活の主イエスから召命を受けた者だ。」この事実こそ、パウロをどんなどんな困難の中にあっても彼を伝道者として立たせ続けたものであり、聖書の信仰の中核にあるものなのです。
 13節以下に記されているのは、使徒言行録9章に記してあります、ダマスコ途上での出来事であります。パウロはそれまで、フィリピの信徒への手紙でいうならば、3章5〜6節「生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人、律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者」だったのです。そのようなパウロにとって、キリスト教徒の存在は、アブラハム以来の神の民を破壊するとんでもないものであり、滅ぼさなければならないものでした。実際、彼は一生懸命そのようにしようとしていたのです。その時のパウロは、14節「先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心」でした。彼は、生ける神様から召命を受け、その神様との交わりの中で、キリスト者を迫害していたのではありません。彼は「先祖からの伝承を守る」ことのために熱心だったのであり、ユダヤ教当局者から与えられた権威によってキリスト者を迫害していたのです。つまり、彼は人の教えを守るために、人から権威を与えられ、キリスト者を迫害していたのです。そのようなパウロに、ダマスコ途上で復活のキリスト御自身が出会い、召したのです。
そのパウロからすれば、割礼を受けなければ救われないと言ってガラテヤの教会の人々を惑わしている者たちは、主イエスと出会う前の自分と同じだと思えたのではないかと思うのです。主イエスをキリストと信じるといっても、彼らは今生きて働いておられる主イエス御自身と出会っていない。主イエスの救いの恵みに圧倒されていない。だから未だに割礼だ、ユダヤ人だ、エルサレムの使徒の権威だというようなことを言っている。しかしパウロは、そんなものが全く問題にならないほどに、主イエスとの出会いによってその恵みに圧倒され、180度変えられ、生まれ変わってしまったのです。自分の誇りもキャリアもかなぐり捨てたのです。いや、パウロにはそれを捨てるという意識さえなかったと思います。そんなものはどうでも良いものになってしまったのです。後生大事に取っておかなければならないものではなくなったのです。そのパウロから見れば、救われるためには割礼が必要だと言っている人々、エルサレムの使徒たちを笠に着ている人々は、人間を頼りとし自分を頼りとする、主イエスと出会う前の自分のシッポのようなものを引きずっている人に見えたことだろうと思います。

5.恵みの選びによる神様との出会い
 パウロはユダヤ教徒です。ファリサイ派の一員です。律法学者ガマリエルのもとで学んだ人です。ユダヤ教徒としての当時の第一級の教育を受けた人です。ですから、もちろんモーセもイザヤもエレミヤも知っていました。しかし、ダマスコ途上での出来事以前、パウロはモーセやイザヤやエレミヤが出会った神様とまだ人格的に出会ってはいなかったのだと思います。ですから、彼の行動基準は「先祖からの伝承」であり、ユダヤ教の当局者たちだったのです。そして、それまでの彼の聖書の読み方は、ほとんど旧約聖書を諳んじるほどのものであり、緻密でしたけれども、その中心が分かっていなかったのではないかと思います。それまでのパウロにとって、救いの根拠は律法を守る自分の熱心であり、真面目さであり、自分の努力でした。しかし、ダマスコ途上で生ける神様、復活のキリストと出会って、その全てが変わってしまったのです。彼は、人間の権威を頼りに生きるのではなく、ただ生ける神様の召命によって生きる、ただ神様との生きた交わりの中に生きる者へと変えられたのです。そして、主イエス・キリストの十字架と復活の意味を知らされた者として、ただ信仰によってのみ救われるという福音、主イエスによって宣べ伝えるようにと命じられた福音を告げ知らせる者となったのです。この福音から照らし出された旧約聖書の言葉は、パウロにとって、全く新しい響きをもって聞こえたのです。自分と出会い、自分を救い、自分を召し、伝道者として立ててくださった生ける神様からの言葉、福音を告げる言葉として聞こえてきたのです。パウロは、やっと旧約聖書に記されている神様の救いの御心がはっきりと判ったのです。旧約聖書の言葉を、単なる文字としてではなく、生ける神様からの言葉として聞くことが出来るようになったのです。
 この時から、パウロにとって大切なのは、主イエス・キリストだけになりました。自分の中に誇るべきものは何もないことを知らされ、また、そのようなものが必要でない人間に変えられたのです。パウロがこのようにキリストの使徒とされたのは、パウロが熱心で、真面目で立派な人だったからでしょうか。確かに、パウロは熱心で真面目でした。しかし、それはキリストを迫害するために熱心だったのです。主イエスから見れば、敵対している者でしかなかったのです。にもかかわらず、主イエスはパウロと出会い、救いに与らせ、主イエスの福音を宣べ伝える者とされたのです。ここにおいて、パウロは何一つ誇ることなど出来ない者になっていたのです。自分の中に何一つ誇るべきものがない、それにも関わらず救われた。それは、一方的な神様の恵みによる選びとしか言いようがないことでした。それをパウロは15節で「わたしを母の胎内にあるときから選び分け」と言ったのです。母の体内にある胎児には、良きことなど何一つ出来はしません。その胎児の時に選ばれたとうことは、この選びには何一つ自分の側からの良き業は根拠になっていないということです。そして、この一方的な神様の恵みの選びこそが、これだけが、パウロが今、キリストの福音の伝道者として立つことが出来ている根拠なのです。私もそうです。皆さんもそうなのです。私共が神様を選んだのではなく、神様が私を選んで、主イエスの救いに与らせてくださったのです。何もない私共を神様は選んでくださり、出会ってくださり、「我が子よ、我が僕よ」と呼びかけてくださった。そして、私共は神様に向かって「父よ」と呼びかけ、祈ることが出来る者とされたのです。有り難いことです。これが福音です。そして、この福音がもっとも明瞭に私共に示されたのが、主イエスの十字架なのです。私のために、私に代わって、神様の裁きを受けてくださった主イエス。ここに福音があります。
 23節に「ただ彼らは、『かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている』と聞いて、」とあります。パウロのキリストの福音の伝道者としての姿、迫害者が伝道者に変えられたという所に、神様の圧倒的な救いの恵みの大きさを見て、キリスト者たちは神様をほめたたえたのです。パウロは、自らがキリスト教会を迫害していた者であったことを隠しません。隠しようがないほどに皆が知っていることだったということもあるでしょう。しかしそれ以上に、この自分の変身こそ、神様の救いの恵みを証しするものであったからです。自分の過去の一切から、福音はパウロを自由にしたのです。この自由の中に、私共も生かされているのです。

6.教会の教えとパウロ
 さて、このように申し上げますと、パウロとエルサレムの使徒たちが対立していたかのように、あるいはパウロがエルサレムの使徒たちを認めていなかったかのように思われるかもしれませんが、そうではありません。パウロは、エルサレムの使徒たちを先輩として、同労者として重んじております。だから、エルサレムに上るということもしたのです。確かにパウロは、自分が受けた福音はエルサレムの使徒たちから教えてもらったようなものではないと申しました。ダマスコ途上において主イエスと出会って、召され、遣わされたパウロは、三年後にエルサレムに上るまで、使徒の誰とも会っていません。三年後にエルサレムに上った時にも、ケファ(=ペトロ)とヤコブ(主イエスの弟)以外には会っていませんし、その期間も15日間にすぎません。彼は、エルサレムの使徒に福音を伝えられたのでも、彼らによって使徒に任命され、遣わされたのでもないのです。しかし、彼らは敵対していたのではありません。使徒パウロもエルサレムの使徒たちも、共に主イエスの福音に与り、共に福音を宣べ伝えている者として認め合っていたのです。共に主イエスと出会って、生まれ変わった者たちです。彼らは、すぐに分かったと思います。自らを誇りとせず、ただ神様に栄光を帰す者とされ、ただ神様の救いの御業にお仕えする者とされた者だったからです。同じ臭いがしたのです。自らの力を頼って救いに至ろうとする者とは違う臭いです。彼らは結局、栄光を神様にではなく自分に与える者なのです。
 パウロはエルサレムの使徒達と共にキリストに仕えている確信がありました。バラバラのことを教えているのではないという確信がありました。自分が出会ったキリストとエルサレムの使徒達が出会ったキリストは、同じ方であることは疑いようのないことだったからです。同じキリストが、別のことを教えるはずがないからです。パウロとエルサレムの使徒たちの一致を保証するものは、それぞれを召し、立て、遣わされた主イエス・キリスト御自身なのです。
 私共は教会に集い、聖書の説き明かしを聞き、信仰を与えられました。私共は教会が保持してきた救いを知らされ、それを信じ、信仰を告白し、洗礼を受けました。その意味では、聖書を説き明かしてくれた牧師の存在というものが大きいことは間違いないでしょう。私を導いてくれた福島勲という牧師を、私は自分の恩人だと思っています。皆さんもそのような牧師が必ずいると思います。しかし、私は福島勲に召されたのでもないし、福島勲の福音によって救われたのでもありません。私は、福島勲が宣べ伝える主イエス・キリストと出会い、主イエスによって救われ、主イエスに召されて牧師となったのです。皆さんも同じでしょう。キリストと出会い、キリストによって救われ、キリストによって召されたのです。だから、私共はこの方を宣べ伝えるのですし、この方との交わりに生きるのです。教会が保持してきた様々な教えというものは、実にこの主イエス・キリストとの交わりの中で受け取られなければ、命のない、つまらない単なる教えになってしまうものなのです。

 私共は、今から聖餐に与ります。キリストの教会は、この聖餐において、私共は現臨するキリストと出会い、この方との交わりをいよいよ確かなものとされてきました。主イエスが差し出される肉と血潮に与り、私のために、私に代わって十字架にお架かりになった主イエス・キリストを我が内に迎えてきたのです。そして、この方によって一切の罪が赦されているというこの福音の現実の中で、主をほめたたえつつ、この一週も歩んでまいりたいと思うのです。

[2010年9月5日]

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