富山鹿島町教会

礼拝説教

「マルタ島にて」
詩編 91編1〜16節
使徒言行録 28章1〜10節

小堀 康彦牧師

1.神様の導きによってマルタ島へ
 パウロたち一行を乗せた船は、嵐に巻き込まれて14日間も海の上を漂った後、陸地に近づきました。砂浜にたどり着く前に座礁してしまいますが、何とか全員無事に上陸することが出来ました。広い海の上で、嵐に流され漂流した果てに島にたどり着くということ自体、あり得ないほどの幸運ですが、何とその上陸した所はマルタ島であったと聖書は記すのです。このマルタ島の位置を聖書の巻末にある地図9『パウロのローマへの旅』で確認してみますと、長靴のようなイタリア半島の先に付いているシチリア島の南100kmほどの所にある島です。富山から見れば、富山湾を挟んでちょうど能登半島の七尾の少し先くらいにシチリア島があるわけで、晴れた日ならばはっきりとシチリア島が見えたはずです。嵐に巻き込まれ、どこを漂っているのか分からない内に、何と目的地であるローマに向かっての最短コースをこの船は進んでいたということなのです。神様のなさることの不思議を思わずにはいられません。神様は、その御計画の中で、パウロをローマに連れて行くことにしておられました。この神様の定められた目的地に向かって、パウロたちは嵐の中を漂流しながらも真っ直ぐに進んでいたということなのです。たとえ嵐の中を進んでいる時も、どこに行き着くのか分からず、これからどうなるのだろうと不安に思う時も、神様はパウロたちを御自分の目的地に向けて導かれていたのです。私共も同じだと思います。どのような時を辿っている時にも、どんな境遇の中を歩んでいる時にも、私共は神様が用意してくださっている所にちゃんと向かっている、そしてやがてそこにたどり着くことになっているのです。私共はそのことを信じ、安んじて良いのであります。神様の御支配、守り、導きというものは、嵐さえも用いられるほどなのです。
 さて、このマルタ島に上陸したパウロたち276人は、この島の住民に大変親切にしてもらいました。島に上陸したといっても、その島が無人島で飲み水にも困るような所であったなら、276人もの人たちはどうやって生き延びることが出来たでしょうか。それこそ各自が生存を賭けて、地獄のような修羅場になってしまうということだってあり得たのです。しかし、神様はパウロたちのために、親切な島の住民たちを備えてくださっていたのです。このマルタ島というのは、その位置から考えればすぐ分かるように、当時すでにローマの文化圏に入っていた島ですから、一行の中にローマの百人隊長や兵士がいたということも幸いしたと思います。島の人々は、ずぶぬれになって上陸した人々のために、たき火をたいてもてなしてくれたのです。

2.人殺し?それとも神様?
 ここで小さな事件が起きます。たき火のために枯れ枝を集めていたパウロに蝮(まむし)がかみついたのです。新共同訳では「絡みついた」となっていますが、ただ絡みついただけならばどうということはないのであって、ここは口語訳がそうであったように、「かみついた」と訳すべき所だと思います。
 少し話が逸れますが、この時パウロがたき火用の枯れ枝を集めて火にくべていたということは、注目して良いと思うのです。パウロはこの時、上陸した人々のために率先して働いていたのです。ボーっとたき火にあたっていたのではないのです。ここには、伝道者パウロの日常の姿があります。パウロはこの時だけ、いわゆる下働きのような作業をしたのではないでしょう。これが日常だったはずです。仕える者として生きるということは、こういうことなのだと思わされるのです。
 さてパウロは、手にかみついた蝮を、何事もなかったかのように火の中に振り落としました。これを見ていた島の人々は、4節「この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、『正義の女神』はこの人を生かしておかないのだ。」と互いに言ったとあります。「正義の女神」というのは、この島の人たちが信じていた神様なのでしょう。ここには、この島の人々の素朴な信仰が表明されています。島の人々は、パウロの身体が腫れ上がるか、急に倒れて死ぬか、と様子をうかがっていましたが、パウロの身体には何の変化も起きません。そこで島の人々は6節「この人は神様だ。」と言って、一気にパウロを人殺しから神様に格上げしてしまうのです。
 何と極端なことかと思いますが、ここには、現代の日本人にも共通する宗教感情があると思います。何か不思議な業を見せられると、簡単に「この人は神様のような人だ。だから、この人が言っていることは本当だ。」となるのです。現代の日本にある小さな宗教の教祖は、ほとんどこの類と言って良いでしょう。カルトと呼ばれる反社会的な宗教は、トリックを用いて、これを意図的・組織的に行っているのです。これは、私共の信仰のあり様とは決定的に違います。パウロはここで、「ほら、蝮にかまれても、私はピンピンしているでしょう。」などとは言っておりませんし、「だから私を信じなさい。」とも言っておりません。

3.サタンの時代は終わった
 しかし、この使徒言行録に記されているということは、この出来事には何か大切なメッセージがあるのです。
 そのメッセージとは、サタンの支配、罪の支配の時代は終わった、主イエス・キリストによる新しい時代が始まった、ということであります。ここでの蝮、毒蛇というものは、旧約から一貫して聖書において告げられている、救い主が来られる時に滅ぼされる悪の力、サタンの象徴だと理解して良いでしょう。
 何個所か見てみましょう。すぐに思い浮かぶのは、創世記3章です。蛇は、アダムとエバをそそのかして、神様が食べてはいけないと言われていた木の実を食べさせてしまいます。それが人間の罪の始まりでした。そして、先程お読みした詩編91編13節には「あなたは獅子と毒蛇を踏みにじり、獅子の子と大蛇を踏んで行く。」とあります。ここでの「あなた」は、救い主と読むことが出来ますし、信仰者と読むことも出来ます。そして、イザヤ書11章8節には、「乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。」とあります。このイザヤ書11章はキリスト預言の代表的な箇所であり、主イエスによって与えられる救いの世界を預言して、こう言われているわけです。幼子は主イエスを指し示しており、この主イエスに対しては蝮も何ら危害を加えることが出来ないわけです。パウロが蝮によって何の害も受けないというのは、この主イエスの守りの故であると言っているのでしょう。そして、マルコによる福音書16章15〜18節です。復活された主イエスが弟子たちに語った言葉ですが、その18節で「手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」と語られていることを、パウロはここで為しているわけです。他にも何個所も挙げることが出来ますが、このパウロが蝮にかまれても平気であったという出来事は、パウロが、サタンに勝利している主イエスの守りの中におり、その力と権威とを与えられた者であったということを示しているのです。サタンがどんなに邪魔をしようとしても、神様の守りはびくともせず、パウロを守るのです。パウロの今までの歩みがそのことを証明しているのですが、この島での出来事もまた、そのことをはっきりと私共に示しているのです。
 このパウロに与えられておりました神様の守りは、私共にも与えられているものであります。悪しき力は、私共に様々な困難をもたらします。しかし、そこまでです。それ以上のことは私共に対しては出来ないのです。私共に与えられております主イエス・キリストによる救い、すなわち罪の赦し、体のよみがえり、永遠の命の救いが、サタンによって私共から奪われることは決してないのです。何故なら、主イエスはすでに一切のサタンの力に勝利されているからです。
 そしてこのことは、7節以下の病人のいやしにおいて更にはっきりと示されているのです。この島の長官プブリウスという人が、パウロたちを三日間手厚くもてなしてくれました。この時、プブリウスの父親が熱病と下痢で床についておりました。パウロはその人に手を置いて祈り、いやしたのです。ヤコブの手紙5章15節に「信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。」とあるとおりです。この出来事は、神様がパウロと共にいて下さることを明らかにしましたし、復活された主イエスが弟子たちに語られたことの成就だったのです。このことが、小さな島のことですから、あっという間に伝わったのでしょう。パウロのもとに多くの病人がやって来ました。そして、パウロたちはその人たちも癒したのです。

4.医療伝道
 ここで聖書には記されていないのですが、私は、パウロと同行していたルカ、この使徒言行録を記した人ですが、彼は医者でしたから、この時彼がパウロのそばにいて何もしなかったというのは考えられないだろうと思うのです。パウロは祈りによって、そしてルカは医術をもって、この島の人々のために、ルカもパウロと一緒になっていやしの業に励んだに違いないと思うのです。
 そう考えますと、これはキリスト教伝道における医療伝道の先駆けという風に見ることが出来ると思います。二千年のキリスト教伝道の歴史において、この医療伝道の果たした役割は大変大きなものがありました。150年前日本にプロテスタントのキリスト教が伝えられました時、その伝道の戦略は、教会・学校・病院を建てるということを同時に行うというものでした。それは、教派の違いを超えて共通していました。
 その一つのしるしとして、当時はお医者さんの宣教師がたくさん来られたのです。宣教師といえば、私共はすぐに牧師をイメージしてしまいますが、そうではないのです。信徒である医療宣教師、教育宣教師という人たちもたくさんいたのです。富山市では青葉幼稚園のアームストロング女史が有名ですが、彼女は信徒である教育宣教師でした。有名なヘボン宣教師は、この方をおいて明治の日本の伝道を語ることが出来ないほどの重要な働きをされた方であり、聖書の翻訳から明治学院を建てるまで実に幅広い活躍をしますが、日本にやって来た時に横浜の居留地において開いたのは病院でした。また、新潟に最初に福音をもたらしたのはクリスチャンの医師であり、パーム病院を建てました。そして、私が舞鶴に着任した時に大変お世話になり影響を受けた方に、ウィルス先生夫妻というカナダ人の方がおられたのですが、この方は世界中に個人として伝道し続けたお医者さんで、医療宣教師と言うべき方でした。舞鶴の市民病院に、お医者さんを教えるお医者さんとして招かれて来ておりました。彼は、私にこう言いました。「まだ世界には、キリスト教の宣教師としては入国出来ない国がたくさんあります。しかし、医者は世界中どこにでも行けます。キリスト教が禁止されている国にも行きました。今度の日曜日は何時から誰々の家で、そう言って礼拝を守りました。そして、そういう中でも、個人的にバイブルクラスをやり続け、そしてキリスト者が生まれました。」私はこの方から、伝道のスピリットから伝道する具体的な方法まで、いろいろ教わりました。「キリストの香り」というものがこんなに芳しいものであるかということも、この方と出会って知りました。
 私共の教会は付属施設を持っておりません。もちろん、教会と学校・社会福祉施設等の関係はいろいろ難しい問題があることを、私は百も承知しています。しかし、キリストの福音を伝えるためならば何でもやってきた、すべての賜物を捧げて福音伝道に仕えてきた、それがキリスト教の歴史なのです。私共は、それぞれの賜物をささげて、精一杯神様の御業のために用いられたいと思うのです。

5.必要なものは備えられる
 最後に10節を見ましょう。「それで、彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた。」とあります。この船出のときというのは、11節に「三か月後」とありますから、マルタ島で三か月を過ごした後ということです。パウロたちは、三か月の間病人をいやしたりしていたのでしょう。それで、この島の人たちから大変ありがたいと思われた。276人もの人たちが漂着して三か月もの間過ごせば、この島の人たちにとっては大変な負担ではなかったかと思いますけれど、嫌がられるどころか、深く敬意を表され、別れの時には必要な物を持って来てくれるということまで起きたのです。この三か月の間に、パウロたちとこの島の人々との間に大変麗しい関係が生まれたということでしょう。神様は、私共が行く所、行く所で、麗しい交わりを与えてくださるのです。それが私共にはなくてはならないものだからです。
 そして、島の人々はパウロたちが必要な物まで持って来てくれたのです。神様はいつも必要なものを与えてくださいます。有り余るものは与えてくださらないかもしれませんが、必要なものは与えてくださる。神様がこの島の人々を用いて、パウロたちに必要な物を与えてくださったのです。神様の守りというものはこのように具体的なのです。不思議なあり方で与えられる時もあるし、このように隣り人を通して与えられる時もある。その一つ一つの出来事の背後に神様がおられ、神様の愛、神様の配慮があるのです。これをきちんと見極めて、神様に感謝しつつ、この一週も神の国への旅を共に歩んでまいりたいと思うのであります。

[2010年7月18日]

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