富山鹿島町教会

礼拝説教

「嵐の中で」
詩編 107編23〜32節
使徒言行録 27章1〜26節

小堀 康彦牧師

1.主イエスの守り
 御一緒に読み進めてまいりました使徒言行録も、残すところ、あと二つの章になってしまいました。使徒言行録を読み進む私共に何度も繰り返し告げられてきたことは、主イエスの守りであり、主イエスの導きということでした。主イエスを信じ、主イエスの福音を宣べ伝える弟子たちと共に主イエスはいて下さり、彼らを導き、守り、支えてくださいました。生まれたばかりの小さな群れに過ぎなかったキリストの教会。そのただ中に主イエスは共にいてくださり、御言葉と御業とをもって守り、支え、導いてくださったのです。それは、昔も今も変わることはありません。主イエスは、この私共の群れのただ中におられ、今も私共を守り、支え、導いてくださっています。
 この主イエスの守りと支えと導きの中で伝道し続けた人。それが使徒パウロでした。彼の三回にわたる伝道旅行は、困難の連続でした。主イエスの福音を宣べ伝えては迫害を受け、逃げるようにして次の町へ移っていかなければならなかったことも一度や二度ではありませんでした。コリントの信徒への手紙二11章24〜27節には、「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」とパウロ自身が記しております。しかし、このような目に遭いながらも、パウロは守られ続けました。彼の歩みは主の導きによるものであり、彼は主の御言葉によって支えられ続け、主の御業にによって守られ続けました。
 しかし、私共はここで主の守り、支え、導きというものを考えてみなければなりません。もし、主の守り、支え、導きというものが、私共を一切困難な目に遭わせないということを意味するとするならば、使徒パウロの歩みそのものが、そのようなものは無かったということを示しているのです。しかし、私共は使徒言行録を読み進めながら、確かにパウロは主の守りと支えと導きのもとにあったということを知らされ続けてきました。では、主の守り、支え、導きとは、どういうものなのでしょうか。それは、私共の願いが叶うとか、私共が安楽に生活出来るとか、そのようなことを保証するものではないのです。誤解してはなりません。そうではなくて、主の守りと支えと導きというものは、神様が私共を主の御業を為さしめるために立て、その御心の中で用い、主の栄光を現すようにするものなのであります。この御心の中で私共は導かれ、支えられ、守られているということなのです。今朝与えられております御言葉も、このことをはっきりと私共に示しております。

2.囚人としての旅
 使徒パウロは、エルサレムにおいて捕らえられ、カイサリアの総督の所で二年間監禁されました。そしてパウロは、ローマ皇帝に上訴したことによって、ローマに囚人として護送されることになりました。今朝与えられております御言葉は、このローマへの船旅において起きたことが記されております。
 27章1節「わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロと他の数名の囚人は、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという者に引き渡された。」とあります。パウロは、ローマの百人隊長ユリウスによって、ローマまで護送されることになったのです。ここで「わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき」とあります。主語は「わたしたちが」です。ですから、このローマへの船旅には、使徒言行録の著者ルカも一緒であったと考えて良いと思います。さらにもう一人、2節にありますアリスタルコも一緒でした。パウロは囚人として護送されるといっても、私共が囚人の護送ということからイメージするような扱いを受けていたのではないようです。付き人と言っても良いような、ルカやアリスタルコと一緒の旅でした。更に3節を見ますと「翌日シドンに着いたが、ユリウスはパウロを親切に扱い、友人たちのところへ行ってもてなしを受けることを許してくれた。」とあります。囚人の護送というイメージからほど遠い姿です。二年間監禁されていたパウロにとって、この旅は楽しみさえあるようなものだったと思います。この船旅の航路については、皆さんの聖書の巻末にあります地図の9、『パウロのローマへの旅』を見ていただくとよく分かります。
 パウロたち一行は、シドンから船に乗りました。キプロス島の北を回り、小アジアの沖を航行し、ミラという港に着きました。ここでアレクサンドリアの船に乗り換えて、イタリアに行くことにしました。多分、この船はアレクサンドリアから穀物を運ぶためのものではなかったかと思います。37節を見ると、この船には276人が乗っていたとありますから、かなり大きな船だったと思います。当時ローマは、必要な穀物の何分の一かをエジプトから供給しておりました。ですから、このような船がたくさんアレクサンドリアとイタリアとの間を行き来していたのだと思います。

3.嵐に巻き込まれる
 当時の船は、大型の船といっても風頼みです。ミラの港から出発したこの船は、良い風に恵まれず、なかなか進むことが出来なかったようです。ようやくクニドスの港に近づいたのですが、風向きが良くなくて港に入ることが出来ず、クレタ島のサルモネ岬を回って、島の南側にある「良い港」と呼ばれる所に着きました。ここまでの航行でだいぶ日数を取られたようで、航海するには適さない季節になってしまいました。9節に「既に断食日も過ぎていた」とありますが、これはレビ記23章27節にある「第七の月の十日は贖罪日である」のことと考えられます。これは現在の9月末か10月始めです。当時の船旅は、風や海の状態から、春から夏にかけて行われることになっており、この時期になるともう航海するのが危険なことは、誰もが知っていることでした。これは、冬の日本海を航海することを考えれば分かると思います。ですから、このまま航海を続けてローマまで行こうとするのは全く無謀なことで、このクレタ島で冬を過ごすことは誰の目にも明らかなことでした。船長や船主はこのような航海をずっと続けていた人ですから、当然そのように考えておりました。しかし、このまま「良い港」で冬を越すのか、それとももう少し先、この港より70kmほど西にあるフェニクスの港で冬を越すのかで意見が分かれました。この「良い港」という港は、名前は「良い港」なのですが、あまり良い港ではなかったのでしょう。冬を越すならフェニクスの港の方が良い。それが船長たちの意見でした。多分、フェニクスの方が港も町も大きく、200人を超える船員たちが冬を越すのにいろいろな施設が整っていたのだろうと思います。「クレタ島で冬を越すならフェニクスの港で」ということが当時の船乗りたちの常識だったのかもしれません。しかし、パウロはこの「良い港」で冬を越すことを主張しました。そして、10節「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります。」と言ったのです。しかし、囚人の意見より船長たちの意見の方が説得力を持つのは当然でしょう。パウロの意見は通らず、船はフェニクスの港に向けてもう少しだけ航海することになったのです。
 13節「ときに、南風が静かに吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ。」とあります。ちょうど良い具合に静かな南風が吹いて来たのです。フェニクスの港までは、この分なら一日か二日で行けそうだ。パウロを乗せた船は錨を上げて港を出ました。しかし、この静かな南風は長くは続かず、しばらくすると「エウラキロン」と呼ばれる暴風が吹き出したのです。これは台風のようなものを考えたらよいと思います。こうなってしまうと、流されるにまかせるしかありません。しかし、この暴風は少しも止みませんでした。一日が経ち、二日が経ちました。船は木の葉のように逆巻く波の上で揺れ、流されていくだけです。船員たちは少しでも船を軽くして沈没するのを防ごうと、積み荷を海に捨て、船具までも捨ててしまいました。20節「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。」とあります。太陽も星も見えないということは、自分たちがどこにいて、どこに向かっているのか分からないということです。そして、暴風に吹きつけられ、大波の間を上下しながら、流されていく。船の中は、上も下もないほどに揺れ続ける。そして、人々は助かる望みを全く失いそうになったのです。三日も激しく揺られ続け、太陽も星も見えなければ、誰でもそう思うでしょう。

4.絶望的状況の中で、なお希望を失わず
 次の港はすぐそこだ。ちょうどいい風も吹いて来た。これなら大丈夫だ。そう思って、この船は出発したのです。しかし、急にエウラキロンが吹き始め、船は暴風の中を漂い、人々は生きる希望を失ってしまったのです。誰も、これはダメだと思いながら事を始める人などいないのです。これなら大丈夫だと思って始めるのです。或いは、危ないけれどももう少しだから大丈夫だろう。そう思って始めるのです。しかし突然、思いもよらない暴風に巻き込まれる。私共の人生も同じです。突然の暴風。突然ですから、どうすれば良いのか分からない。何とかしようとして何とかなるのなら、人は希望を失ったりしません。何ともならない。どうにもならない。エウラキロンに巻き込まれたら、為す術がないのです。自分の力ではどうしようもないのです。しかし、本当にここで、私共は生きる希望を失うしかないのか。確かに、流されるままになるしかない、自力ではどうにもならない。しかし、そういう中でも希望を失わない道があるのではないか。聖書はそのことを私共に教えているのではないか。確かにその通りなのです。エウラキロンに巻き込まれてもなお、希望を失わない道があるのです。
 この時、この船の中でただ一人、希望を失わず、助かることを確信していた人がいました。パウロです。人々は食事もしていませんでした。食事も喉を通らないほどに、人々は生きる希望を失っていたのです。その人々に向かってパウロはこう語り出します。21節「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。」これは、「だから言わないこっちゃない。私の言うとおりにしていれば、こんな目に遭わなかったのに。」という皮肉を言っているのではありません。そうではなくて、「私の言うとおりになったでしょう。だから、これから言うことも、その通りになります。これから私の言うことをよく聞きなさい。」そうパウロは語りかけたのです。そして、こう続けます。22節「しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。」何とパウロは、皆が「もうダメだ、もう助からない。」そう思っている中で、「船は失う。しかし、命は助かる。だから元気を出しなさい。」そう告げたのです。「船は失う。」これは、全財産を失うということを意味しました。普段でしたら、このことだけで、これからどうすればよいのかと思うほど落胆し、生きる勇気を失わせるに十分なことでしたでしょう。しかし、もう自分の命がないと思っている人々は、「船を失っても、どんな財産を失っても、命が助かるのならば十分だ。それで良い。」そう思ったことでしょう。「命を失わなければ良いではないか」、ここに私共は気付かなければなりません。パウロが今まで経験してきた神様の助け、守りとは、そういうものでした。彼は何度も困難な目に遭ってきました。しかし、何を失っても、主は共にいてくださり、パウロの命を守ってくださったのです。私共に与えられている主の守りというのはそういうものなのです。否、たとえこの肉体の命を失っても、主は私共を永遠の命へと導いてくださっているのです。この神様の守りは決して揺るがないのです。
 パウロのこの確信に満ちた言葉の根拠は何だったのでしょう。神様の言葉です。23〜24節「わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』」とあります。神様は天使を通して御言葉を与え、もうダメだと思われる状況の中で、生きる希望、生きる力を与えたのです。天使は「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。」と告げました。この「出頭しなければならない」というのは、「出頭することになっている」という意味です。神様の御計画の中で、そういうことになっていると言うのです。だから「恐れるな」なのです。ここで海の藻屑となってしまえば、皇帝の前に出頭することになっている神様の御計画が頓挫してしまう。そんなことはあり得ない。だから、この海で死ぬことはないのです。パウロは、この神様からの言葉を根拠に、「皆さん、元気を出しなさい。」と告げたのです。

5.主の言葉を信じる者
 そしてパウロは、25節「わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。」と語るのです。ここに、私共の信仰とはどういうものであるかがはっきりと示されています。神を信じるということは、自分に告げられた神様の言葉を信じるということなのです。私共も神様を信じています。ですから、私共もまた自分に告げられた神様の言葉は、必ずそのとおりになると信じるのです。とても信じられないような状況の中で、なおも信じるのです。毎週この主の日の礼拝の中で与えられる神様の言葉を、私共は信じて生きるのです。
 そして、その信じている者がいるということが、とても生きる希望を持てないという人々に対しての希望となるのです。私共が世の光であるというのは、そういうことなのです。私共が世の光であるということは、私共がまことの神様を信じているから、人よりも裕福だったり、事業が成功したり、健康だったりするということではないのです。私共は主イエスを信じておりますが、他の人と同じように病気になったり、家庭で問題が起きたり、経済的に大変な状態になったり、事故にも遭ったりするのです。しかし、そのような目に遭ってもなお、主の日に与えられる神の言葉を信じて、生きる希望を失わず、神様が備えてくださっている明日に向かって生きている。神様の国に向かって歩んでいる。神様が共にいてくださり、神様の守りの中に生かされていることを信じて、主をほめたたえている。目に見える一切のものを失っても、失わないものがあることを知っている。ここに、私共が世の光とされている意味があるのです。
 私共は今から聖餐に与ります。この聖餐にこそ、私共の希望があります。この聖餐に与る者は、パウロと共にこうはっきり告げることが出来ます。「船は失うが、命を失う者はいない。」私共の持っている目に見えるすべてを失っても、決して失うことのない永遠の命が、私共には備えられているのです。ここに、私共の希望があります。この希望に生きる者として、この一週も、それぞれの場において、そこがたとえ嵐の中であったとしても、神の守りと支えと導きを信じて歩んでまいりたいと思います。

[2010年7月4日]

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