1.いつまでわたしを信じないのか
モーセに率いられてエジプトを出発したイスラエルの民は、次の年に、神様が約束されたカナンの地に入ろうとしていました。モーセは各部族から一人を選び、12名の者たちがカナンの地へ偵察に遣わされました。彼らは40日にわたってカナンの地を偵察し、戻って来て、「その土地は乳と蜜の流れる所と言うほどに豊かです。しかし、その土地に住む人々は強く、町は城壁で囲まれており、とてもイスラエルの民が上っていって占領することは出来ないように思う。」という報告が為されました。偵察に行った12人の内、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブだけが、「偵察してきた土地は素晴らしい。主が我々を導き入れ、あの土地を与えてくれるだろう。そこの住民を恐れてはならない。主が我々と共におられる。」と主張いたしました。しかし、12人の内の2人だけです。残りの10人は、モーセに代わる指導者を立てて「エジプトに引き返そう。」と言い出したのです。そして、カナンに上ることを主張するヨシュアとカレブを石で打ち殺そうとさえしたのです。その時、主がモーセに告げられた言葉がこれです。民数記14章11節「この民は、いつまでわたしを侮るのか。彼らの間で行ったすべてのしるしを無視し、いつまでわたしを信じないのか。」
この時までイスラエルの民は、ナイル川が血に変わる災い、蛙の災い、ぶよの災い、あぶの災い、疫病の災い、はれ物の災い、雹の災い、いなごの災い、暗闇の災い、そして最後に主の過越の出来事という、神様の御手による数々の奇跡によってエジプト人を打ち、奴隷だったエジプトの地から神様が自分たちを脱出させてくださったことを経験しました。エジプトを脱出した後も、エジプト兵に追いつめられたイスラエルの民の目の前の海の水が左右に分かれて、その道を通って逃げるという「海の奇跡」によって救われました。神様はイスラエルの民が荒野において食べ物に困ると、うずらの大群とマナを与えてくださり、養ってくださいました。荒野の旅においては、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって神様は彼らを導かれました。そして、シナイ山において十戒を与え、契約を結んでくださったのです。
このようにイスラエルの民は、ここまで何度も何度も神様の救いの御業を見、その御業によって救われ、主が共にいてくださることを知らされてきたのです。それにもかかわらず、いざ約束の地に入ろうとした時、イスラエルの民は神様の守り、神様の導きを信じることが出来ず、約束の地に入ることをやめてエジプトに帰ろうと言い出したのです。神様はこのような民に対して、いつまで信じないのか、どうして信じられないのかと、嘆き怒ります。そして、このような民は捨ててしまおうとまで言われたのです。しかしモーセが神様に対して必死に執り成しをして、何とか滅ぼされることを免れました。しかしこの不信仰の故に、イスラエルの民は約束の地に入るまで40年間荒野の旅を続けなければならないこととなったのです。主の守りと導きを信じたヨシュアとカレブを除く他の者たちは、この40年の間に荒野で死に、約束の地に入ることは出来なかったのです。この時の神様の言葉、「この民は、いつまでわたしを侮るのか。彼らの間で行ったすべてのしるしを無視し、いつまでわたしを信じないのか。」これが今朝、私共に与えられている主の言葉です。私共は、信じない者にならないで信じる者となるように、今朝ここに集められているのです。
2.アグリッパ王の前での弁明
使徒パウロは、自分を殺そうとするユダヤ人たちから保護されるようにしてローマ兵に捕らえられ、カイサリアにあるユダヤの総督の牢に2年間も入れられておりました。その間に、ユダヤの総督は、パウロを捕らえた時の総督フェリクスからフェストゥスに替わりました。フェストゥスは、フェリクスから引き継いだ囚人パウロの処理をどうするか決めかねておりました。しかし、パウロがローマ皇帝に上訴すると明言いたしましたので、パウロをローマ皇帝のもとへ護送するということだけは決まりました。けれど、ローマ皇帝のもとに囚人を送るというのに、その罪状を記すことが出来ません。そこにユダヤの王であるアグリッパが来ました。総督フェストゥスは、パウロとアグリッパ王を会わせ、パウロの罪状が書けるように取り調べてもらうことにしました。このアグリッパ王は、使徒ヤコブを殺したヘロデ・アグリッパ王の子であり、主イエスが十字架に架けられた時の王ヘロデ・アンティパスは祖父の時代の人であり、主イエスが生まれた時にベツレヘム一帯の2歳以下の男の子を皆殺しにしたヘロデ大王の曾孫に当たります。パウロはアグリッパ王の前で弁明をいたします。それが26章に記されているものです。このパウロの弁明は、パウロが死罪に当たるようなことは何もしていないということに対しての弁明というよりも、その内容は、アグリッパ王に対しての説教、しかも伝道説教と言うべきものであったと思います。
パウロはまず、自分がキリスト者を迫害していた者であったけれど、復活の主イエスと出会いキリスト者となったこと、そして主イエスの福音を宣べ伝える者となったことを語りました。すなわち、パウロは自分が召命を受けた時の証しをしたのです。それが18節までです。
3.悔い改めを求めたパウロ
そして、今日与えられている19節以下です。パウロは、自分が召命を受けてキリスト者となり、主イエスの福音を宣べ伝える者となったことを語ってすぐ後に、自分が何をしてきたのかを告げました。19〜20節「アグリッパ王よ、こういう次第で、私は天から示されたことに背かず、ダマスコにいる人々を初めとして、エルサレムの人々とユダヤ全土の人々、そして異邦人に対して、悔い改めて神に立ち帰り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと伝えました。」パウロは、悔い改めることをユダヤ人にも異邦人にも告げたというのです。悔い改める。それは、自分がやったことを悪かったと反省するのとは少し違います。自分が神様に対して全く間違った態度をとり、それ故、神様に対してまことに申し訳なかったと悔いることであり、これからは神様を信じる者として、神様の言葉に従って生きる者に変わるということです。
私共は、主イエスに出会い主イエスの救いに与るまで、自分が生まれてきたということが、神様に創造されたのだということを知りませんでした。毎日必要な食べ物があり、生きていることを当然のことと思っておりました。日々の歩みの中に神様の守りと支えがあることを知りませんでした。それ故、神様に感謝することを知らず、自分の人生は自分のものだと思い、自分の欲を満たすために生きていることを少しも悪いとは思いませんでした。自分の命が神様から与えられたものであって、それ故神様の御心を為すために生きる、まことの生き方を知りませんでした。そのような私共に向かって、信じない者にならないで信じる者になりなさい、そこにこそあなたの本当の命がある、滅びに至る道ではなくて命に至る道がある、と教えるために神様は伝道者パウロを立てられたのです。
まことの神様に対しての悔い改めを求めるということは、ユダヤ教においても為されていました。ですから、パウロにしてみれば、ユダヤ人たちから迫害を受ける理由はないのです。パウロは、自分が伝えていることは、旧約聖書に示されている神様の御心に少しも反していないと確信しておりました。ですから、22節「預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べていません。」と明言するのです。そして23節です。「つまり私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです。」ここには、主イエスという言葉は出て来ていませんけれど、このメシア、救い主、旧約以来ユダヤ人が待ち望んでいた方が遂に来られた、そしてその方こそ主イエス・キリストである。そうパウロは告げてきたのです。もしパウロが異邦人に対して悔い改めを求めるだけだったならば、ユダヤ人たちはパウロを迫害したりはしなかったでしょう。しかし、十字架に架けられ三日目に復活された主イエス・キリストこそ、旧約において預言されていたメシア、救い主であるということを告げたために、パウロはユダヤ人たちに迫害されることとなったのです。そして、この主イエスの復活こそ、パウロがどうしても伝えなければならないことだったのです。
悔い改めるとはまことの神のもとに立ち帰ることですが、パウロにとってこの立ち帰るべきまことの神こそが主イエス・キリストの父なる神であり、主イエス・キリストを死人の中からよみがえらせた方だったのです。そして、この主イエス・キリストの十字架と復活の出来事こそ、イスラエルの民が出エジプトの際に経験した海の奇跡やマナの奇跡以上の、神様による決定的な救いの御業だったのです。この主イエスの十字架と復活の出来事をもってしても、神様を信じない者は、神様から「いつまでわたしを侮るのか。わたしの行ったしるしを無視し、いつまでわたしを信じないのか。」と告げられることになってしまうのです。だから、パウロは主イエスの十字架と復活の出来事を告げ、この方を信じ、まことの神様に立ち帰りなさいと宣べ伝えたのです。
4.怯まぬパウロ
アグリッパ王と共にパウロの話を聞いていた総督フェストゥスは、パウロがメシアの復活を語ると、大声でこう言いました。24節「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。」死者の復活という出来事は、ギリシャ・ローマの教養を身につけていたフェストゥスにとって、「頭がおかしい」者の言い草としか思えない、とても受け入れることの出来ないことでした。
私は、この時のフェストゥスの思いが分かります。私が初めて教会に行った18歳の時、それは4月でしたのでイースターの前後だったのでしょう、主イエスの復活が説教されておりました。私は何を話されているのかさっぱり分からず、ここに集まった人たちは本当に復活なんて信じているのだろうか、信じているとすれば頭がおかしい人たちの集まりだ、と思ったのです。本当にそう思ったのです。しかしその私が、主イエスの復活の恵みを伝えるためだけに生きる者とされた。ここでフェストゥスが、パウロは頭がおかしいのではないかと思ったのは本当でしょう。しかし、彼の人生の中で、このパウロとの出会いは強烈な印象を持って心に刻まれたに違いないと思います。イエスの復活などという、馬鹿げているとしか思えないことを伝えるために命を狙われている男。命を狙われても少しも怯むことなく、この馬鹿げたことを伝えている男。そして、王や総督を前にしても少しも怯むことなく、その馬鹿げたことを堂々と語る男。しかもこの男は、「学問のしすぎ」と言って良いほどに教養もあり、その言葉には力がある。この男は何者なのか。そんな思いをフェストゥスに抱かせたのではないでしょうか。フェストゥスがこの時のパウロの弁明を聞いてキリスト者になるということはありませんでした。しかし、このパウロという男のことが心に残り、どこかでキリスト教というものが気にかかる、そのような出会いにはなったに違いないと思います。これも又、一つの伝道の結果と言えるでしょう。
パウロはフェストゥスの言葉に遮られても、怯むことなく言葉を続けます。25〜26節「フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです。王はこれらのことについてよくご存じですので、はっきりと申し上げます。このことは、どこかの片隅で起こったのではありません。ですから、一つとしてご存じないものはないと、確信しております。」先程申しましたように、主イエスが十字架に架けられたのはこのアグリッパ王の祖父の代であり、使徒パウロを殺したのは父のアグリッパ一世です。ですから、このアグリッパ王が知らないことは何もないのです。パウロは、知っているならどうして信じないのか、そうアグリッパ王に迫ったのです。更に続く27節の言葉「アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」は、アグリッパ王にパウロがたたみ掛けた言葉です。アグリッパ王はユダヤ人の王であり、どこまで信じていたかは別として、ユダヤ教徒です。ユダヤ教徒である以上、預言者たちの語ったことを信じないとは言えません。しかし信じていると言えば、それならばどうして預言者たちが語った預言の成就であるメシア、死人の中から復活した主イエスを信じないのか、そうたたみ込まれるだろうとアグリッパ王には分かりました。それで彼は、こう答えるのがやっとだったのです。28節「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」これは、真正面から向かってくるパウロに対して、逃げるような答え方です。アグリッパ王はここで逃げたのです。
私共は、このアグリッパ王の答えも分かると思います。そんなに急にたたみ掛けられても困る。私の立場もあるし、考えもある。もっとゆっくり考えさせろ。あるいは、お前の口車には乗らないぞ。そんな思いだったのではないでしょうか。一回の伝道説教を聞いて納得するほど、私共は素直には出来ていないのです。ですから、パウロのこのような語り方は急ぎすぎだと言うことも出来るかもしれません。しかし、主イエスの福音を伝えるということは、こうならざるを得ないのではないでしょうか。人が主イエスの福音を受け入れるということは、少しずつ、だんだんに心が備えられていくということであるのかもしれません。しかし、伝える方としては、だんだん、少しずつ福音を伝えるなどということは出来ないのではないでしょうか。福音を伝えるとは、主イエス・キリストの十字架と復活を伝えることであり、その救いに与るために悔い改めを求めるという以外にはないからです。
5.私のようになって欲しい
パウロは、アグリッパ王にこう答えます。29節「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが。」パウロは「私のようになって欲しいのだ」と言うのです。パウロは、牢に入れられ鎖につながれている身の上です。パウロの話を聞いているのはローマ帝国のエリート、ユダヤの総督であり、ユダヤの王である人たちです。自分よりも身分も高く、豊かで、権力のある人々、そして何よりも自分を裁く立場にある人たちに向かって、鎖につながれている身のパウロが、「私のようになって欲しい」と言うのです。もちろん、「鎖につながれることは別ですが」と言うように、パウロは、目に見える状況において自分と同じようになって欲しいと言っているのではありません。パウロは、主イエス・キリストに出会い、主イエスの救いに与り、サタンの支配のもとから神様の支配のもとで生きる者に変えられた。罪の赦しを与えられ、神様との親しい交わりに生きる者とされた。この肉体の命以上に大切なものがあることを知り、この自分の人生がどこに向かっているのかを知り、肉体の死を超えた命の希望に生きる者となった。あなたもこの命に与り、神様の子、神様の僕として、神様に造られた本来の自分を取り戻そう。パウロはそう招いたのです。
パウロの手紙の中には、「私に倣う者になりなさい。」という言葉が何度も出て来ます。それは、私のような立派な人になれということではないのです。主イエスの救いに与った者として、主イエスと共に生きる者となりなさい、主イエスの僕として生きる者となりなさいということなのです。信じない者にならないで信じる者になりなさいということなのです。主イエスを人生の本当の主人として我が内にお迎えしなさいということです。何故なら、そこにこそまことに幸いな生涯があるからであります。救いがあるからです。主イエスが我が内に生きておられるなら、私共は何も恐れることはないのです。
私共にとって、肉体の病も、家庭のトラブルも、老後の心配も、私共を捉えて離さない鎖であるかもしれません。しかし、私共が幾重にも鎖に巻かれたとしても、この時のパウロのように、復活の主イエスが聖霊なる神様として私共の内に宿ってくださるなら、私共は生きる力と希望を失うことはないのです。この世の権力を前にしても、少しも怯まず、堂々としていられるのです。この時のパウロの態度こそ、パウロが宣べ伝えている福音の力というものを最も如実に現しているのでしょう。私共も同じです。誰が見ても困窮している状況の中で、なお生きる力と希望を失わない私共の姿こそ、何よりも雄弁に、主イエスの福音とは何か、その力とはどれほどのものであるかということを示すのであります。その為に私共は召されているのです。私共は、このキリストを内に宿した者として、「信じない者にならないで信じる者になりなさい。」というメッセージを人々に向かって告げる者として生かされているのです。キリストを信じ、救われる者の幸いを我が身をもって証しする者として生かされているのです。この恵みを心から感謝し、この使命に生きる者として、この一週も歩んで参りたいと心から願うのであります。
[2010年6月20日]
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