富山鹿島町教会

礼拝説教

「あなたを証人とするために」
ヨナ書 4章10〜11節
使徒言行録 25章23節〜26章18節

小堀 康彦牧師

1.アグリッパ王の前で
 使徒パウロは、総督フェストゥス及びアグリッパ王とベルニケの前で弁明することとなりました。フェリクスの後任としてユダヤの総督に着任したフェストゥスは、フェリクスが残していったパウロをどのように処理すれば良いのか、決めかねていたのです。パウロはローマ皇帝に上訴することを明言いたしました(25章11節)。これはローマ市民の権利でありますから、総督フェストゥスは退けることは出来ません。しかし彼は、パウロに明確な罪状を見出すことが出来なかったのです。フェストゥスはこう告げております。24〜25節「アグリッパ王、ならびに列席の諸君、この男を御覧なさい。ユダヤ人がこぞってもう生かしておくべきではないと叫び、エルサレムでもこの地でもわたしに訴え出ているのは、この男のことです。しかし、彼が死罪に相当するようなことは何もしていないということが、わたしには分かりました。ところが、この者自身が皇帝陛下に上訴したので、護送することに決定しました。」こういう状況の中で、アグリッパ王が新しい総督フェストゥスを表敬訪問に来たのです。フェストゥスはユダヤの事情に詳しいアグリッパ王に相談するような思いで、パウロをアグリッパ王とベルニケの前に引き出したのです。
 ちなみに、このアグリッパ王というのはヘロデ大王の孫に当たるアグリッパ一世の息子で、アグリッパ二世のことです。そして、ベルニケというのはこの様な書かれ方をしているとアグリッパ二世の妻のように読んでしまいますけれど、彼女はアグリッパ二世の妹であって妻ではありません。もっともこの二人の関係は、兄妹の関係であると同時に夫婦でもあったのではないか、と昔から言われております。
 主イエスが十字架にお架かりになる時、総督ピラトの尋問の合間に、ヘロデ王が主イエスを見たいと思って尋問したように、ここでアグリッパ王は、使徒パウロの言うことを聞きたいと思って、パウロと会えるよう総督フェストゥスに願い出たのです。ここでも、主イエスの裁判とパウロの裁判は重ね合わせるように記されています。アグリッパ王はユダヤの王でありますから、ユダヤ教については、当然ですが新任の総督フェストゥスよりもずっと詳しく知っておりました。そして、ユダヤ人たち、特に大祭司たちといったユダヤの主だった人たちがパウロに対してどう思っているのか、その辺のこともよく知っていたと思います。また、生まれたばかりにキリスト教についても、ある程度のことはすでに知っていたことでしょう。しかし、主イエスの福音を宣べ伝えている者から、直接主イエスの福音を聞いたことはなかったと思います。アグリッパ王は、取り調べるという思い以上に、パウロの口から直接その教えを聞きたいと思ったのでしょう。そこで、アグリッパ王はパウロに「自分のことを話してよい。」と告げました(26章1節)。こう言えば、パウロの口から直接主イエスの福音を聞けると思ったのでしょう。このように促されて、パウロは喜んで主イエスの福音を語り始めました。それが26章に記されていることです。これをパウロの弁明と呼ぶか、パウロの演説と呼ぶか、それともパウロの説教と呼ぶか、人によって様々ですが、私はパウロの説教、しかも伝道説教であったと思っています。今朝はその18節まで、パウロの回心の出来事を語るところまでを見てみたいと思います。

2.召命の出来事としてのパウロの回心
 使徒言行録においてパウロの回心の場面が述べられているのは、これで三回目です。まず9章において、パウロがキリスト者たちを縛り上げるためにダマスコへ行く途上で、復活の主イエスと出会い回心した出来事が記されておりました。そして22章において、エルサレム神殿の外で、ローマの兵隊に保護され兵営に連れて行かれる途中、殺してしまえと叫ぶ群衆に対してパウロは自分の回心の出来事を語り、主イエスが自分を異邦人伝道へ遣わされたことを語りました。そしてこの26章です。
 三度も同じことが記されているということは、この出来事が大変重要な意味を持っているということでありましょう。当然、使徒言行録を読んだ人は、このパウロの回心の場面を、決して忘れることの出来ないこととして心に刻んだと思います。この出来事は、使徒ペトロたちが「あなたは人間をとる漁師になる。」と主イエスから召命を受けて弟子となった出来事と同じであります。パウロの回心の出来事は、パウロの主イエスによる召命の出来事であったのです。
 主イエスの召命を受けて主イエスの弟子となる。この出来事は、キリストの教会にとって、とても大切な、なくてはならない、信仰の筋道を与えるものだったのです。主イエスの弟子。それは主イエスの召命を受けた者であり、その召命を受け献身した者のことであることを示しているのです。キリストの教会はペトロ以来、この主イエスの召命そして献身という事実によって建ってきたのです。それは今も変わりません。私共は皆、その時、場所、状況は違いますけれど、主イエスと出会い、主イエスの召命を受け、主イエスを信じ、主イエスの救いの御業にお仕えするために献身した者なのです。

3.パウロの回心の場面が三度も記されている理由
 さて、使徒言行録にパウロの回心の場面が三度も記されているということでありますが、このことを私は単純にこう考えております。これは、パウロがこの出来事を何度も人々に語ったということを意味しているのだと。
 それは、ペトロが主イエスを三度知らないと言った場面と同じです。あの時ペトロは他の弟子たちと離れて一人で主イエスの後を追ったのですから、主イエスを三度知らないと言ったことなど、ペトロが黙っていれば誰も知らないことだったはずなのです。しかし、どの福音書にもこの出来事は記されています。理由は簡単です。ペトロがそのことを話したからです。しかも、何度も語ったに違いないと思います。
 主イエスの福音を宣べ伝えたペトロ。そのペトロが主イエスを語る時、ペトロは自分が召命を受けて主イエスに従ったこと、そして主イエスが捕らえられた時その後をついて行ったけれど、恐ろしくなって主イエスを知らないと三度も言ってしまったこと、そのような私を主イエスは赦してくださり、再び主イエスの復活の証人としてこのように立たせてくださったことを語ったに違いないと思うのです。キリストの教会に集った人々は皆、ペトロの口からこの話を聞き、この三度主イエスを知らないと言った出来事を知っていたのです。この出来事は、確かにペトロの弱さを示すものでありましたが、同時に主イエスの愛、主イエスの赦しという恵みを示すものでもあったのです。ペトロはこの出来事を語ることなく、主イエスの愛・主イエスの憐れみ・主イエスの赦しというものを語ることは出来なかったのでしょう。
 私は、パウロの回心の出来事もそれと同じだったと思います。この回心の場面の出来事は、パウロの口を通して何度も何度も語られたに違いないのです。自分が主イエスを信じる者たちを縛り上げるために働いていたということ、最初の殉教者ステファノが石打たれて死ぬ時にそれに賛成していたということ。そのようなことは、伝道者パウロにとっては隠しておきたいような過去であったのかもしれません。しかし、パウロはそうしなかったのです。何故か。それは、キリスト者を迫害していたその私が主イエスから召命を受けたという事実、この事実こそが、主イエスとは誰であるか、主イエスの福音とは何であるかを明確に示していたからです。罪の赦しの福音を語るパウロは、罪の赦しというものがどれほど徹底したものであるのか、それを身をもって示したのであります。
 「我が身の恥は、神の栄光」という言葉があります。自分の恥ずかしい過去を示すことによって、そのような自分が赦され、新しくされ、今日の私があることが明らかとなり、神様の救いの御業が証しされ、栄光を神様に帰することとなる、という意味です。こう言っても良いでしょう。主イエスの福音の光は、主イエスに出会う前の自分の罪の闇を語ることによってはっきりする。そして同時にそれは、今主イエスを知らず、それ故に自分の罪の中を歩んでいる人に対して、あなたも新しくなれる、主イエスの救いに与ることが出来るという招きにもなったのだと思います。
 ここで、パウロの回心を記した他の箇所にはない、「とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う」という主イエスの言葉が記されています(14節)。これは、当時の農業生活から生まれた諺です。まだ主人の言うことをよく聞くように調教されていない馬や牛は、すぐに足を蹴り上げます。すると、足の後ろにとげのある棒が取り付けてあって、痛い目に遭うという具合です。そんなことを何度かする内に、馬も牛も主人を蹴り上げたりしなくなるということから生まれました。パウロのキリスト者迫害を、主人を蹴り上げる馬や牛にたとえているわけです。確かに、パウロはこの主イエスからの召命の出来事以来、まことの主人である主イエスに完全に従う者に変えられたのです。

4.私の回心
 先日、東北学院大学の伝道礼拝に行ってまいりました。そこでお話ししましたことは、私の若い時の証しでした。これは、北陸学院でもお話ししたことがあります。
 私は、キリスト教とは全く関係のない家で育ちました。ただ幼稚園はカトリックの幼稚園に通ったことがありました。小学・中学・高校と栃木県の生まれた町で育ちました。そして、浪人して東京に出ました。その時からキリストの教会に通うようになったのです。その頃の私の願いは、要するに@出世すること、A金持ちになること、B美人の妻を持つこと、この三つでした。まことに情けない話ですが、この三つ以外に人生の成功というものを具体的にイメージすることが出来なかったのです。主イエスの光を知らないが故に、このようなことしか考えることが出来なかった。つまり、この様にしか自分の人生をイメージすることが出来ないということが闇の中にいることなのだ、ということにさえ気付きませんでした。
 ある時、映画を見ました。題名も忘れましたが、町のチンピラがマフィアのボスに成り上がっていくという映画でした。その映画の中で、チンピラが何度も何度も繰り返して叫んでいたのがこの三つ、@出世する、A金持ちになって大きな家に住む、B美人の妻を持つ、でした。この映画を見終わって、私は、自分がこのチンピラと全く同じだ、何とつまらない人間だろうと思いました。本当に自分が嫌になりました。このようなものを手に入れるために一生懸命になっている自分を情けなく思いました。そしてある時、通っていた教会の説教の中で、イエス様と出会いました。こんな私のために十字架に架かり、一切の罪を赦し、まことの命へ、新しい命へと召し出してくださる主イエスと出会った。どうして牧師は自分の気持ちを知っているのだろうと思いながら、自分のためだけに語られているとしか思えない説教に涙しました。次の週も、その次の週もそうでした。そして、洗礼を受けることを決めました。この方と歩んでいきたいと思った、二十歳のクリスマスでした。
 私はあの時から、闇の中を歩む者から光の中を歩む者へと変えられました。そして、自分の中の願いが変えられていったのです。もちろん、洗礼を受けてすぐに、すっかり願いが変えられたということではありません。少し時間が必要でした。ですから、神学校に行くのはそれから7年の後になったのです。そしてあれから34年。今、私の中の三つの願い。それは、@御名が崇められますように、A御国が来ますように、B御心が天になるごとく地にもなりますように、というように変わりました。
 パウロは、この回心の出来事によって、それまでの歩み、願い、大切なもの、そのすべてが変えられたのです。それまで、ユダヤ教の中でファリサイ派の一員として若きエリートであったパウロです。しかし、それらのことが全く意味のないものとなり、ただ主イエス・キリストの弟子として生き、主イエスの救いの御業にお仕えし、神の国へと招き入れられることだけを望みとする者になったのです。

5.奉仕者、証人として召された私共
 主イエスは、続いてパウロにこう告げました。16節「起きあがれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである。」この主イエスのパウロへの召命は、すべてのキリスト者に与えられているものです。私共もまた、主イエスの救いの御業に奉仕する者、主イエスの救いの恵みを証しする者として立てられているのです。キリストの教会とは、この奉仕者、証人として立てられた者たちの群れなのです。私共福音主義教会が、宗教改革以来大切にしてきた「万人祭司」とは、そういうことです。私共は「万人平信徒」ではないのです。私共が信仰を告白して洗礼を受けたとき、私共は主イエスの御業の奉仕者として立てられたのであり、主イエスの救いの恵みを証しする者として立てられたのです。この召命に生き、この召命に応えて献身する者の群れ。それが私共の教会なのです。
 そしてこの奉仕、証しの目的は、18節にありますように「それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。」ということであります。闇から光へ、サタンの支配から神様の支配へと、人々を立ち帰らせることです。それは、主イエスを知らない者に主イエスを信じる信仰を与え、それによって罪の赦しを得させ、聖なる者とされた人々、つまりキリスト者とされた人々と共に、神様の与えてくださる全き救い、復活の命であり、永遠の命であり、天に備えられている朽ちることなき資産、全き平安、全き喜び、全き祝福を受け継ぐ者とならせるということなのであります。この神様の救いの御業にお仕えすること以上に尊い業はありません。神様は、取るに足りない私共を、このようなまことに尊い御用に用いるために召し出し、立ててくださったのであります。まことにありがたいことであります。

 私共は今から聖餐に与ります。この聖餐は、私共がお仕えし証しする救いとは何であるのか、それを私共に示します。この小さなパン、小さな杯は、主イエス・キリストの体であり、主イエスの血潮です。主イエスによって与えられる神様の命です。そして、主イエスの十字架の御業によって私共に与えられることになった、神の国で囲む食卓を指し示しています。私共は、この恵みを目指し、この恵みを全ての人に指し示しつつ生きる者とされたのです。このことをしっかり心に刻んで、この一週も主と共に、主の御前を歩んでまいりたいと心から願うのであります。

[2010年6月6日]

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