富山鹿島町教会

礼拝説教

「パウロの受難」
エレミヤ書 37章11〜21節
使徒言行録 21章17〜36節

小堀 康彦牧師

1.パウロが上った当時のエルサレムの状況
 みんなに反対されながらも、パウロは遂にエルサレムに着きました。エルサレムに上ればそこで投獄されることになると、パウロたち一行は何度も聖霊によって示されてきました。それでパウロの周りの人は、エルサレムに上らないようにと何度もパウロを止めたのですが、パウロはその忠告を受け入れることはせず、遂にエルサレムに上ってきてしまいました。
 パウロがエルサレムに来た理由。それは、先週の説教でお話ししましたように、パウロが伝道した異邦人教会からエルサレム教会への献金を届けるためでした。しかし、ただ献金を届けるだけならば、何もパウロ自身が行かなくても良かったでしょう。パウロはこの時、エルサレム教会と異邦人教会との間の一致を確立する。その使命が自分にはある。そう信じたが故に、我が身の危険をも顧みず、エルサレムへとやって来たのです。この時代、パウロが身を挺して一致を保とうとしなければならないほどに、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者との間には律法をめぐっての深い溝があったのです。
 時代的な背景もあったと思います。パウロがエルサレムに上ったのは、紀元後57年頃だと考えられていますが、この頃には反ローマの武力闘争や反乱が幾つも起きていたのです。ユダヤにおいて、民族主義・愛国主義といった空気が大変激しく盛り上がっていた時代だったのです。10年ほど前にはテウダによって扇動された反乱がありましたし、2年前には、21章38節にありますようにエジプト出身のユダヤ人による騒乱がありました。そして、この時から9年後の紀元後66年にはユダヤ戦争が起きたのです。ユダヤ戦争というのは、ローマに対してのユダヤの独立戦争のようなものと考えて良いと思いますが、結局、紀元後70年にはエルサレムが陥落し、廃墟と化しました。そしてマサダの要塞に籠城していた千人が集団自決をして、紀元後73年に幕を閉じました。この戦争でユダヤはローマによって徹底的に破壊され、国を失いました。この時からユダヤ人は、国家というものを持たない流浪の民となったのです。ユダヤの民族主義・愛国運動というものは、ユダヤ教に対しての忠誠という形を取ります。ユダヤ戦争が始まったきっかけも、エルサレム神殿の宝物をローマ人が持ち出したことによるものでした。この時代、エルサレムに行くということは、このユダヤ民族主義の火が燃えさかっているただ中に入っていくということを意味したのです。

2.パウロとエルサレム教会の長老たちとの会見 〜ユダヤ人キリスト者たちの動向〜
 パウロはエルサレムに着くと、ヤコブを訪ねました。このヤコブというのは、主イエスの弟子のヤコブではありません。主イエスの使徒であるゼベダイの子ヤコブは、使徒言行録12章2節に殉教したことが記されています。ここに出てくるヤコブは、主の兄弟ヤコブと呼ばれる人で、主イエスの弟です。多分、主イエスの復活の後に教会に加わった人で、この時にはエルサレム教会の指導者となっていました。この時、十二使徒たちはそれぞれ伝道に出かけてしまっていて、エルサレム教会には誰も残っていなかったのではないかと思われます。パウロがヤコブを訪ねますと、そこにはエルサレム教会の長老たちが皆集まっていました。私は、このエルサレム教会の長老たちが皆集まってパウロを迎えたというパウロに対しての対応の仕方に、エルサレム教会もまた、パウロの訪問の意図を理解し、エルサレム教会と異邦人教会との間の一致を保つということを大切に考えていた思いが表れているのではないか思うのです。
 パウロはその場で、自分がガラテヤ、アジア、マケドニア、アカイアといった地方で主イエスの福音を宣べ伝え教会を建てていった歩みを語り、そこで神様によって何が起きたのかを語ったのです。エフェソの町で3年にわたって伝道したこと、エフェソを中心に近隣の町々に伝道したこと、多くの異邦人教会が生まれたこと、またそこで伝道者たちが起こされ一緒に伝道してきたこと、等々。神様が異邦人を救うために、どんなに素晴らしい御業を為してくださったかを語ったことでしょう。ヤコブもエルサレム教会の長老たちも、パウロの報告を聞いて心から神様をほめたたえ、神様を賛美したのです。生ける神様が、異邦人たちも救いに与らせるために出来事を起こし、働いてくださっている。このことを喜び、神様を誉め讃えることにおいては、パウロもヤコブもエルサレム教会の長老たちも同じでした。異邦人教会からの献金を渡したのも、この時だったかもしれません。
 しかし、この時ヤコブを始めエルサレム教会の長老たちの心は、少し違うことによって占められていました。彼らの関心は、エルサレムのユダヤ人あるいはエルサレム教会の中に、パウロに対しての誤解や無理解がある、それをどう抑えるか、どうやってトラブルを起こさないようにするかというところにあったのです。
 エルサレム教会は、使徒たちによって生まれた最初のキリスト教会でした。しかし、エルサレム教会はエルサレムにあるという理由から、メンバーの中にほとんど異邦人がいなかったのです。ユダヤ教徒からキリスト者になった人たちだけで構成されていたのが、このエルサレム教会でした。20節に「兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。」とありますように、エルサレム教会の人々はキリスト者であり、同時に律法を守る人たちだったのです。もっとはっきり言えば、エルサレム教会の人々は、ユダヤ教の中のイエス派、ナザレ派という意識だったのかもしれません。まだユダヤ教とキリスト教が完全に分かれていない、そういう時代状況だったのです。そのような人々にとって、律法は絶対です。律法を守らないで救われるなどということは考えられないわけです。この律法を守るという根本には、割礼を受けるということがあるわけで、これはユダヤ教徒になるということですが、それは同時にユダヤ人になるということを意味していたのです。つまり、ユダヤ人にならなければ救われない、異邦人のままで救われるなどということは考えられない、そういう人がエルサレム教会の中にも少なからずいたということなのだと思います。そしてそういう人たちにとって、パウロの異邦人伝道というものは、我慢のならないものだったのです。
 21節「この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。」ここには明らかな誤解があります。パウロは、ユダヤ人に割礼を施すな、慣習に従うなとは教えていないのです。彼は異邦人に対して、割礼を施さなくても主イエスを信じるなら救われる、そう教えていただけです。慣習に従うなというのも、ユダヤ人は異邦人とは一緒に食事をしないのが慣習ですが、キリスト者になった以上、兄弟姉妹なのだから、そこにはユダヤ人も異邦人もなく、一緒に食事をし、交わりを為しなさいと指導していただけなのです。しかし、ユダヤ教徒のユダヤ人やユダヤ人キリスト者から見ると、それは律法をないがしろにし、唯一の神の民であるユダヤ人の尊厳を傷つけること、ユダヤ人の裏切り者、売国奴という風に見られたのでしょう。
 パウロの異邦人伝道の様子は、それを迫害したユダヤ人たちからもエルサレムの人々へ伝わっていたに違いありません。そしてその伝わり方は、以上申し上げたような、ユダヤ教とキリスト教がまだ完全に分離していない中での、ユダヤ民族主義というメガネを通してパウロを見たものだったのでしょう。ですから、パウロ一行がエルサレムに来るという知らせは、エルサレム教会の内と外とを問わず、エルサレムの町で大変なニュースになっていたのだと思います。

3.エルサレム教会のパウロへの申し出をめぐって 〜自由と愛の中で〜
 そこで、エルサレム教会の人々がパウロにした提案は、23〜24節「だから、わたしたちの言うとおりにしてください。わたしたちの中に誓願を立てた者が四人います。この人たちを連れて行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出してください。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も葉もなく、あなたは律法を守って正しく生活している、ということがみんなに分かります。」というものだったのです。これは、律法をないがしろにする異端者・売国奴というパウロに対しての誤解を解くためのパフォーマンスです。エルサレム教会の長老たちは、こうでもしなければ、エルサレムにおける「パウロ憎し」の思いを鎮めることは出来ないと考えたのです。
 パウロはこの申し出を受け入れました。パウロにしてみれば、このように律法を守っていることを人々に見せて、自分は律法を守っていますというパフォーマンスをすることこそ欺瞞であり、救いには何の関係もない無駄なことだと思っていたはずです。しかし、パウロはこの申し出を受け入れ、律法を守る人としてのパフォーマンスをエルサレム神殿で行ったのです。どうしてパウロはこんなことをしたのでしょうか。「こんなことは必要ない。救われるためには、律法を守ることではなく、ただ主イエス・キリストを信じ、この方にすべてを委ねることだ。」と、どうして言わなかったのでしょうか。主イエス・キリストへの信仰によってのみ救われるという福音の真理を、パウロは捨てたのでしょうか。そんなはずはありません。だったら、どうしてパウロはこの申し出を受け入れたのでしょうか。
 ここで、パウロが書いている手紙を少し長いですが読みたいと思います。コリントの信徒への手紙一9章19〜23節「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」これがパウロの行動原理なのです。ここにあるのは自由と愛です。キリスト者の自由と、キリストによる愛です。
 私は、この時パウロは、エルサレム教会の抱えている深刻な問題をきちんと受けとめたのだと思うのです。そして、そのエルサレム教会を指導しているヤコブや長老たちの教会をまとめ上げていく労苦、その思いを受け止めたのです。だから、自分の信じることを貫いて「律法なんて関係ない」などと言ったら、エルサレム教会に混乱を招くし、異邦人教会とエルサレム教会との間の一致も危うくなる。まかり間違えば、エルサレム教会の存続自体が危うくなる。その様な状況の中を歩むエルサレム教会の困難さを理解し、受けとめたのです。だから彼は、エルサレム教会の人々の申し出を受け入れたのです。
 私は、このパウロの姿を、私共のキリスト者としての歩みにしていかなければならないと思うのです。自分の正しさ、自分が正しいと思うことを主張し、貫くこと。それは本人としては気持ちが良いかもしれませんけれど、それはいつでもキリスト者の自由の中に生きていることにはならないし、いつでもキリストの愛に生きている者の姿を示すとは限らないのです。相手があるのです。相手の心を受け止めなければ、愛に生きることは出来ませんし、その人に仕えることも出来ません。自分の考え、主義主張、それを絶対に正しいこととして貫くことが、私共の信仰者としての歩みではないのです。正しい方は神様しかおられない。そのことを私共は知っています。私共の考える正しさは、いつも括弧付きでしかないのだと思います。もちろんパウロは、ここで主イエス・キリストに対する信仰によってのみ救われるという福音の真理を、どうでも良いこととしているのではありません。これは、私共の真理ではなく、神の真理ですから変えようがありません。しかし、それをどう伝え、その福音にどのように仕えていくのか。その有り様においては、絶対これが正しいなどということはないのでしょう。この日本においてキリスト者であるということは、ある面、頑固であることが求められることもあるでしょう。しかし、それが福音の本質に関わらない、自分のやり方を貫くだけの頑固さならば、それはキリスト者の自由に生き、キリストへの愛、隣り人への愛に生きる中で変えられていかなければならないのだと思うのです。自分の小さな正義を振り回して、周りの者たちに斬りつけ、裁いていくような愚かな歩みと、私共は決別しなければならないのです。

4.神殿にて 〜パウロ、捕らえられる〜
 さてパウロは、エルサレム教会の人々の申し出に従って神殿に行きました。そこで、アジア州から来たユダヤ人たちに、パウロは見つけられてしまいます。彼らは、パウロが異邦人伝道をした時に彼と出会ったことがあった人たちだったのかもしれません。そして、こう叫んだのです。28節「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった。」この叫びは、誤解に基づくデマですが、当時のユダヤ人のパウロに対する見方がストレートに表れています。「信仰によってのみ救われる」と説いて回っていたパウロは、ユダヤ人たちからは、神の民を無視し、律法を無視し、神殿を無視している、そう見られていたのでしょう。
 しかし、このように叫んでいるだけなら、それほどの騒動にはならなかったかもしれません。問題は、それに加えられた「ギリシア人を連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった」という言葉です。もちろん、パウロはそんなことはしていません。パウロが神殿に来たのは、誓願を立てた四人の人を連れてその費用を出すためだったのですから、この時パウロはユダヤ人と一緒に神殿に来ていたのです。29節に「彼らは、エフェソ出身のトロフィモが前に都でパウロと一緒にいたのを見かけたので、パウロが彼を境内に連れ込んだのだと思ったからである。」とあるように、トロフィモという異邦人の弟子とパウロがエルサレムで一緒にいるのを見ていたので、トロフィモを神殿に連れて来たと思い違いをしたのです。全くの誤解だったのです。しかし、この言葉は一度叫ばれると、単なる思い違いでは済まなくなりました。エルサレム神殿には異邦人の庭というのがあり、そこまでは、割礼を受けていない異邦人も神様を拝みに入ることが出来ました。しかし、そこから先はユダヤ人しか入ることが出来ず、それを破れば殺されることになっていたのです。ここには、ユダヤ人は神の民であり聖なる民、異邦人は汚れた民、という理解が形として表れています。異邦人がその禁を破って神殿の奥にまで入るということは、神殿を汚すことであり、ユダヤ人の心に土足で入ることであり、ユダヤ民族主義に火を付けることだったのです。この叫びは、神殿に詣でていたユダヤ人の心に火を付けたのです。そして、パウロを捕らえ、神殿の外に連れ出しました。全ての神殿の扉は閉められました。神殿の中で血を流すことは出来なかったからです。騒ぎは神殿の門の外から始まり、エルサレムの町全体に広がりました。そこで、治安部隊であるローマ軍が出動することとなったのです。ローマ兵の姿を見ると、人々はパウロを殴るのをやめました。ローマ兵の出動が遅れれば、パウロは多分、この場でリンチに遭って殺されていたでしょう。
 千人隊長は、人々が口々に叫び立てて事の真相が分からないので、パウロを鎖で縛り、兵営に連れて行くことにしたのです。この時、大勢の民衆がこう叫びました。36節「その男を殺してしまえ。」私には、この民衆の叫び声が、主イエスを十字架に架けた時の民衆の叫び「十字架につけろ。」と重なって聞こえます。自らの正しさを絶対化し、神様の恵みを受け入れることの出来ない人間の罪が、ここに顕わに表れています。私共の信仰の歩みがこのような歩みとならないよう、聖霊なる神様の導きを心から願いたいと思うのです。正しいのは神様だけなのです。私共は間違うことがある。いや、間違うことばかりです。罪人なのですから。そのことを肝に銘じておきたいと思います。その上で、主が用いてくださるならば、愛と自由の中で、神と教会と隣人に仕えることにおいて、存分に私共を用いてくださることを共に祈りたいと思います。

[2010年4月18日]

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