富山鹿島町教会

礼拝説教

「あなたがたにはすべてを伝えた」
申命記 32章45〜52節
使徒言行録 20章13〜27節

小堀 康彦牧師

1.モーセの最後の言葉
 イスラエルの民をエジプトから導き出したモーセは、約束の地に入る直前にこの地上での生涯を終えます。モーセは、自分の後継者にヨシュアを定め、イスラエルの民に最後の説教をします。それが申命記の31章以下に記されているものです。これはモーセの告別説教と言っても良いでしょう。そして、その最後に、モーセはイスラエルの民にこう告げたのです。32章46〜47節「あなたたちは、今日わたしがあなたたちに対して証言するすべての言葉を心に留め、子供たちに命じて、この律法の言葉をすべて忠実に守らせなさい。それは、あなたたちにとって決してむなしい言葉ではなく、あなたたちの命である。この言葉によって、あなたたちはヨルダン川を渡って得る土地で長く生きることができる。」イスラエルの民と40年の間荒野を旅してきたモーセの最後の言葉、自分の命が尽きることを知っての言葉です。モーセが何としてもイスラエルの民に伝えたかったこと、それがここに表されていると思います。
 人は誰でも自分の死を覚悟した時、自分の愛する者にこれだけは伝えたい、自分の生涯をかけてあなたがたに語りたかったことはこのことなのだ、そういうものがあるのではないでしょうか。それは、「ありがとう。」かもしれないし、「兄弟仲良く暮らせ。」かもしれないし、「やりたいことをやれ。」かもしれない。どんな言葉であっても、その人と愛の交わりの中にあった者にとって、それは重く深く心に刻まれるものなのだと思うのです。イスラエルの民にとって、このモーセの言葉は心に深く刻まれ、世代を超えて神の民に受け継がれる言葉となりました。海の奇跡、マナの奇跡、雲の柱・火の柱によって導かれた日々、そして十戒を与えられたシナイ山での出来事、そのすべてがモーセと共にあったのです。生ける神との親しい交わりの中に生き、神の民を導くという使命を神様から与えられたモーセの最後の言葉。イスラエルの民は、一言も聞き漏らすまいと、その一言一言に集中して聞き入ったに違いありません。「神の言葉である律法を守って生きよ。この言葉はあなたがたの命なのだ。」そうモーセは告げたのです。
 このモーセの言葉と、モーセという人間を切り離すことは出来ません。切り離されてしまえば、その言葉は単なる記号になってしまいます。人を生かす、力ある言葉ではなくなってしまいます。言葉は、それを語る人間、その人格、その歩んできた日々と一つになって、力を持つのです。モーセの言葉は、モーセがイスラエルの民と共に歩んだ日々と一つになって、神の民の心に刻まれたのです。もし、モーセの歩んだ人生が、律法を守らず、神の言葉を蔑ろにするようなものであったのならば、その言葉は聞く者の心に届くことはなかったでしょうし、このように三千数百年も後の私共が読むこともなかったでしょう。この言葉を語ったモーセは、語った言葉通りに生きた、全精力をここに注いで生きたのです。そこには嘘がなかった。それ故、この言葉は真実であり、神の民を力づけ、励まし続けてきたのでしょう。
 私には、このモーセの告別説教と、今朝与えられておりますパウロのミレトスにおけるエフェソの教会の長老たちへの説教が、重なって見えるのです。もちろん、このモーセの告別説教に新約において対応するのは、ヨハネによる福音書13〜16章の、主イエスが十字架にお架かりになる前日の説教、あるいは最後の晩餐の時の聖餐制定の言葉ということになるのかもしれません。しかし、生涯を主イエスの福音を伝えることにささげた使徒パウロのこの説教も、キリストの教会にとって忘れることの出来ない言葉となりました。

2.パウロの告別説教
 今朝与えられている御言葉の13節から16節には、トロアスからミレトスの港に着くまでの船の航路が記されています。こんなに詳しく書かなくてもと思うほどに、ていねいに記されています。それは、この使徒言行録を記したルカ自身が、この時パウロと一緒に船に乗っていたからだと思われます。この部分が「わたしたちは」という書き方をしていることからも、そのことは想像出来ます。
 パウロはエルサレムに戻るのを急いでいたようです。その理由ははっきりとは分かりませんが、推測することは出来ます。しかし、今日はそのことには触れません。急いでいたパウロは自分からエフェソには行かず、船が泊まったミレトスに、エフェソの教会の長老たちを呼び寄せたのです。ミレトスからエフェソまでは陸路で60kmほどですから、ミレトスからエフェソに使いをやって、そのエフェソから長老たちが到着するまでに3日か4日はかかったと思います。エフェソの教会は、パウロが三年にわたって伝道を展開して建てた教会でした。この三年というのは、パウロが一ヶ所にとどまって伝道した町としては一番長いのです。次が一年半のコリントでしょう。エフェソの教会は周辺地域にも伝道を展開しておりました。パウロは、エフェソの教会をローマ帝国の東の地域における拠点教会にまで成長させたのです。もしパウロがエフェソに行けば、近隣の教会からもパウロに会うために大勢の人が集まってきたに違いありません。あるいは、パウロがエフェソを後にする直前に起きた、パウロを捕らえようとする騒動がまた起きるかもしれない。パウロはそのことを心配したのかもしれません。いずれにせよ、パウロにはこの時、時間の余裕がなかったのです。
 パウロは、エフェソの教会の人々に語るのはこれが最後になる、そう覚悟していました。もう会うことが出来ない。そのことを覚悟した上で、パウロはエフェソの長老たちと会い、語ったのです。実際、パウロはこの後エルサレムに戻り、そこで捕らえられ、ローマに送られ、そこで殉教することになりました。この説教の中でも、23〜25節「ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。」と言っているとおりです。ここは使徒言行録の中で最も美しい、心に残る場面です。今日の御言葉の少し後、36〜37節「このように話してから、パウロは皆と一緒にひざまずいて祈った。人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。」とあります。エフェソの教会の人々は、ここでパウロと涙の別れをしたのです。
 このミレトスにおけるパウロの告別説教については、とても一回の説教では語り尽くすことができません。大変豊かな内容なのです。今日は、その前半の所だけを見ることにします。

3.福音を証しする伝道者
 パウロは、こう語り始めました。18節「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。」エフェソの教会は、パウロが開拓伝道した教会です。長老たち、これは教会の指導者と考えて良いと思いますが、彼らはパウロの伝道の姿を近くにいていつも見ていたし、パウロと共に主に仕えていた人たちです。だから、パウロのことを良く知っているのです。パウロは、自分がどのように伝道者として生きてきたか、その姿をもって、自分が語ってきた福音の真実を証ししてきた。そう言っているのです。
 主イエスの福音の真実。それは、その福音に生きる者の姿によって証明されるものなのです。どんな立派な教えでも、それを信じて生きる者が信じていない者と少しも違わない生き方をしているならば、その教えが少しもその人を変える力を持たないならば、それはつまらない教えです。主イエスの福音はそんなものではないのです。主イエスの福音は、それを信じる者を造り変える力があるのです。とするならば、その福音を伝える者自信が、福音によって造り変えられた者として生きていなければ、嘘でしょう。

4.謙遜
 では、パウロは自分の何を福音の証しと考えていたのでしょうか。19節に「すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。」とあります。
 第一に、彼は「自分を全く取るに足りない者」と思っておりました。口語訳では、「謙遜の限りを尽くし」と訳されておりました。福音に生きる者は、何よりもまず、「主にある謙遜」を身につけるのです。この「主にある謙遜」というのは、人と人との関係における謙遜とは少し違います。人に対して控えめである、出しゃばらない、口数少なく人前には出ない、そんなことではないのです。「自分を全く取るに足りない者と思う」ということは、「自分には能力がない。自分はダメな人間だ。」そんな風に自分を思うことでもないのです。そうではなくて、「神様だけが素晴らしい。」「神様だけがすべてを支配しておられる。」この信仰に生きることです。そして、全力を注いで、この素晴らしい主なる神様に、イエス様にお仕えするということなのです。自分の栄光を求めず、ただ神の栄光だけを求めて、主にお仕えする。この自分がお仕えする神様の御前にある時、私共は自分がどれほど取るに足りない者であるかを知るのです。更に言えば、主イエス・キリスト御自身が、天から地に下り、おとめマリアから生まれ、犯罪人の一人として十字架の上で死なれた。誰のためか。私共のためです。ここに、まことの謙遜があるのです。主イエスの福音に生きる者は、この主イエスの姿に倣っていくのです。天の高みから下られた主イエス・キリストに従い、倣う。ここに、主にあるキリスト者の謙遜があるのです。パウロは身をもって、主イエスとはどういうお方であるかを示したのです。身をもって、十字架の主イエスを指し示したのです。

5.涙する者として
 第二に、彼の伝道は、「涙を流しながら」のものでありました。この涙は、どんな涙だったのか。すぐに考えつくのは、文脈から見てもユダヤ人たちによる迫害によって流された涙ということです。彼は今まで、何度も命の危険にさらされてきました。しかし、福音を語ることをやめませんでした。それは、主イエスが十字架への道をやめなかったからです。一人でも救われるために、一人でも神の子・神の僕として新しくされるために、自分が受ける苦しみは、パウロにとって主イエスの十字架への歩みと自分自身を重ねるものだったのです。パウロの涙は、主イエスのと一つにされた者の涙だったのです。
 しかし、この涙は、迫害といった外からの苦しみによるだけではなかったと思います。パウロ自身、ローマの信徒への手紙12章15節で「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」と記しました。パウロのもとに来る人の悲しみを、パウロも共に悲しみ、涙したのでしょう。この心が通い合うことなく、福音は伝わりません。
 そしてまた、パウロが伝道した教会における混乱や、救いに与った者たちがつまずいていく姿を見ての涙もあったでしょう。何故分からないのか、何故救われた者として歩んでいかないのか。そんな思いの中で、涙しつつ、執り成しの祈りを捧げた日々も多々あったに違いないのです。
 伝道者としてのパウロのこのような姿は、決して勇ましくはなく、人の目から見て輝かしいものでもなかったでしょう。しかし、そこにこそ主イエスの福音の真実が現れている。ここにこそ、主イエスの福音の証しがあるのだとパウロは告げているのです。何故なら、主イエスの福音を証しするとは、十字架への道を歩まれた主イエスの御姿を証しし、指し示すことだからです。主イエスに全力を注いでお仕えするとき、私共はこの主イエスの姿に似せられていくのであります。

6.伝えるべきことの全て
 さて、パウロは20節で「役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。」、27節で「わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。」と語ります。彼は、語るべきことをすべてあなたがたに伝えたと言うのです。彼が伝えたすべてとは、21節によれば「神に対する悔い改め」そして「主イエスに対する信仰」ですし、27節によれば「神の御計画」ということです。これは別々のことではないでしょう。主イエス・キリストを遣わして、すべての罪人を救いへと招いておられるということが神様の御計画ですし、この救いに与るためには悔い改めなければなりませんし、この私共を救うために遣わされた神の独り子イエス・キリストを信じなければなりません。要するに、主イエス・キリストの救いの御業と、主イエス・キリストこそ神の独り子であるということを伝えたということなのであります。
 私は牧師として、「あなたがたにはすべてを伝えた。」と言い切れるかと自問いたしますと、少し心許ないところがあります。あれもこれもまだ言い尽くしていない、そんな思いがある。また、自分がすべてを伝えられて洗礼を受けたか、神学校を卒業する時にすべてを伝えられていたか、といいますと、そうとも言えないと思うのです。神学校の学びにおいて、神学のすべてを学んだわけではありませんし、卒業してから学んだことの方が多いということは間違いないでしょう。しかし、ここで言う「すべて」とは、そのような知識の切り売りとしての「すべて」ではないのです。言うなれば、私共が礼拝のたびごとに告白している信仰告白、それがここで言われている「すべて」ということなのであります。「私共が救われるために必要なすべて」ということです。私共が救われるために知らなければいけないことは、決して多くありません。大切なことは、どれだけの知識を持ったかではなくて、この本当に必要なことをアーメンと心から告白出来るように分かったかということなのです。そして、この救われるのに本当に必要なことが伝わるというのは、それを伝える者の人格、それを伝えている人の信仰者としての歩みと不可分なことなのです。
 パウロは、悔い改めを語る者として、本当に悔い改めつつ生きていたし、主イエスへの信仰を語る者として、本当に主イエスとの親しい交わりの中に生きていたのです。それが、「公衆の面前でも方々の家でも伝える」「ひるむことなく伝える」というあり方で現れているのでしょう。
 私共は、「言わなければ良かった。」と思うことが、日常生活の中でよくあります。余計なことを言って人を傷つけたり、人間関係を気まずくすることがよくあるのです。ですから、処世術としては、「話そうか話すまいか迷ったら話さない。」そういう知恵もあるのだろうと思います。しかし、こと福音に関してはそうであってはいけないのだと、私は伝道者として以前にキリスト者として思うのです。あの人に、この人に、自分の愛する人に、福音を語り伝えなかったが故の後悔というものがある。私は最近、特にそう思うのです。語り伝えた人が、皆イエス様を信じるようになるわけではないかもしれない。しかし、もし私共が福音を告げることにおいてひるむなら、私共は後で必ず後悔することになるのです。こと福音に関しては、「話そうか話すまいかと迷ったら話す。」その方が良いのです。何を話せば良いのか、言葉が出ない。そういうこともあるかもしれません。別に牧師ではないのですから、難しい神学を語る必要はないのです。自分の恋人を両親に紹介する時のように、イエス様は神様はこんな時に自分を助けてくれた、こんな風に自分のことを大切にしてくれている、私はこんな風に信じている、それで良いのだと思うのです。そして、その言葉が自分の人格と結びついているなら、その言葉には力があるし、人の心に届いていくものなのです。

 使徒パウロの謙遜は、福音について人前で黙っているような謙遜ではありませんでした。いつでも、どこでも、誰に対しても、ひるむことなく語ることにおいて、自分をむなしくする。ただ主に仕え、主の栄光を求める謙遜でした。私共も、自分の生活、生涯を通して、主の福音を証しする者として立っていきたい。そう心から願うのです。

[2010年3月21日]

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