富山鹿島町教会

礼拝説教

「手で造ったものなどは神ではない」
イザヤ書 44章9〜20節
使徒言行録 19章21〜40節

小堀 康彦牧師

1.エフェソでの伝道
パウロたちは、エフェソの町を拠点にして2年以上伝道を展開いたしました。その結果、10節にありますように「アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった」のであり、26節にありますように「エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ」るということが起きていたのです。もちろんこれは、パウロ一人によって為されたことではありません。パウロを中心とした伝道者集団が形成されていたのです。その人たちの一部のリストが20章4節にあります。「同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。」です。この人たちがすべてではありません。この他にも、テモテやエラスト(19章22節)もおりました。これらの伝道者たちと共に、パウロはこの地での伝道を展開したのです。そしてこの他に、伝道した地に建てられた教会において、現在の私共が考える牧師や長老のような奉仕者も立てられていったのでしょう。それらの人々によってエフェソを拠点とした伝道が展開されたのです。
 この時に建てられた教会は、エフェソ、コロサイ、ラオデキア、ヒエラポリス、スミルナ、ベルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィアといった町々の教会が考えられております。3年弱の期間に、これだけの教会が建てられていったのです。目を見張る伝道が展開されたと言うべきでしょう。私は、このパウロのエフェソでの伝道の期間に、私共がプレズビテリー、中会として考えているような教会群が出来たのではないかと考えています。エフェソの町の教会を中心としながら、その地域に教会が次々と建てられていく。そして、その教会群が一つになってさらに伝道を展開していく。それがこの時のパウロたちによって為された伝道であったと思われます。パウロたちは、ただエフェソの町の人々に伝道しただけではなく、その周辺の町々へ、その地方全域へ伝道を展開したのです。このエフェソにおけるパウロの伝道の時期は、大変祝福された、大いに伝道の実が与えられた時でありました。前回見ましたように、魔術の類から足を洗う、そのために高価な魔術の本を焼き捨てるという出来事も起きたほどです。

2.主の召命によって
 このようにうまく事が運んでいるのなら、もっとこのエフェソに留まって更に伝道すれば良いのにと私共は考えますが、パウロはそうは思わなかったのです。パウロがそう思わなかったと言うよりも、神様の御計画はそのようなものではなかったと言うべきでしょう。今朝与えられております御言葉の冒頭の所において、21節「このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、『わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない』と言った。」とあります。パウロは、エルサレムに戻って、それからローマに行こうとしていたのです。当時のローマ帝国の東の地域での拠点は出来た。次は、ローマ帝国の中心地ローマでの伝道。そうパウロは考えていたのです。さらに、ローマの信徒への手紙15章23〜24節に「しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。」とあります。彼は、ローマからイスパニア、これは今のスペインですが、ローマ帝国の西の端です。彼はそこにまで伝道しに行きたいと思っていたのです。
 私は同じ伝道者として、このようなパウロの思いに圧倒されてしまいますけれど、しかし誰もがパウロのように考えていたわけではないでしょう。その町で救われ、その町の教会を守り、その町で生涯伝道していった者もたくさんいたと思います。それもまことに尊いことです。どのような伝道の志が与えられようと、それは神様の選び、神様の御計画によることなのです。ただ言えることは、神様はすべての人を救いへと招いておられたし、今も招いておられる。パウロを始め、主イエスの救いに与った者は、その神様の御心の中で志を与えられ、各々その神様の救いの御業の器、道具として用いられるということなのであります。今、私は「志」という言葉を用いましたが、キリストの教会ではこの志を「召命」という言葉で言い表してきました。いつの時代でも、キリスト者にとって大切なのは、この「主の召命」というものなのです。キリスト者は、キリストの教会は、この「主の召命」によって生き、歩むものなのです。
 私の前任地の教会に、N長老という方がおられました。私がこちらに転任する前の年に天に召されましたが、この方はキリスト者として先の大戦の時に徴兵され、南方戦線に送られました。そこでマラリアにかかります。生死の境の中で、彼はこう祈りました。「生きて日本に帰ったなら、あなたのためにすべてをささげます。どうか助けてください。」彼は九死に一生を得て、日本に復員しました。そして、故郷の舞鶴に戻りまして、逓信省、今のNTTに勤め、電報の仕事をします。ある時、教会の牧師から「あなたはこの教会を守るために一生をささげなさい。」と言われます。そして、この方はその時迷うことなく「ハイ。」と即答したそうです。「ハイ」と即答したこの長老も凄いなと思いますが、それを言った牧師も凄いと思います。それ以来、この長老はすべての転勤を断りまして、つまり全く昇級することなく、生涯、東舞鶴の電報局で電報の受信、送信の仕事をされました。そして、教会では教会学校の教師を80歳過ぎまでし続け、会計長老をし、週報を印刷し、電報局の仕事を退いてからは幼稚園の礼拝で毎週聖書の話をされました。私は、主の召命に生きる者の力と美しさを、この方から教えていただきました。この方は、毎週主の日の礼拝の説教をテープにとって、毎日朝と晩に聴いておられました。14回説教を聞いておられたのです。「ワシは説教を聞くのが何より楽しいんじゃ。」と言っておられました。
 主の召命に生きるのは、牧師だけではありません。キリスト者はすべて、それぞれに与えられた主の召命に生きる者なのです。そして、この主の召命に生きる時、私共の信仰は実に単純になります。主の御前に生きる単純さです。自らの利益のために生きるのではなく、ただ主の栄光のために生きる単純さです。そしてそれは美しく、力強いものなのです。

3.エフェソでの騒動
 さて、エフェソからエルサレムへ、ローマへ、更にはイスパニアへと伝道の思いを与えられていたパウロでしたが、このエフェソの町で騒動が起きます。これがきっかけで、パウロはエフェソの町を後にすることになりました。この事の成り行きはこういうものでした。
 エフェソの町には、当時その規模の大きさ故に世界の七不思議の一つに数えられていた、アルテミスの神殿がありました。このエフェソの町自体、アルテミスの神殿が造られたことによって始まったと言われています。このアルテミスというのは、ギリシャ神話の狩猟の女神の名ですけれど、それと豊饒の地母神信仰が結びついておりました。この御神体は、乳房を18個持つ像でした。更にアルテミス神殿は銀行までしておりまして、金融の神でもありました。その神殿自体は何度も建て替えられておりますが、この当時の神殿の建物は間口43m、奥行き103mで、1000坪の大きさがあり、それを直径1.8m、高さ16mの大理石の柱が100本が支えているというものでした。実にアテネのパルテノン神殿の4倍の大きさです。世界の七不思議の一つに数えられるほど大きな神殿には、全アジア州はもとより、各地からの参拝者が絶えることなくあり、隆盛を誇っておりました。ですから、エフェソの町は、大きな港町であり、アジア州の都であると同時に、このアルテミス神殿の門前町という側面も持っていたのです。
 さて、このアルテミス神殿の模型を造る銀細工師のデメトリオ、もっとも彼は銀細工師といっても親方のように職人たちに銀細工を造らせて売るという人だったと思いますが、彼が「パウロたちの伝道はとんでもないことだ。」と言って人々を扇動したのです。理由はこういうことです。25〜27節「彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。『諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは「手で造ったものなどは神ではない」と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。』」まことに分かりやすい理由です。要するに、パウロたちの伝道のせいで、アルテミス神殿に参拝しに来る人に売っている銀細工の売り上げが落ちる。これはとんでもないことだ、ということなのです。「女神の御威光さえ失われる」と言いますが、これは取って付けたようなものでしょう。パウロたちの伝道を放っておいたら、自分たちが食べられないということになってしまうかもしれない、それはとんでもないことだ。それが本音でしょう。これを聞いた人々は、「パウロたちはとんでもない」ということで盛り上がりまして、何とパウロと共に伝道していたガイオとアリスタルコを捕らえて野外劇場になだれ込んだのです。この野外劇場というのは、2万5千人も入る劇場です。ここが一杯になったかどうか分かりませんけれど、大変な人数がここに集まったことは想像出来ます。この時の状況を32節で「さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。」と記します。大変面白い。「大多数の者は何のために集まったのかも分からなかった」と言うのです。人が大勢集まるというのは、多くの場合こういうものなのでしょう。みんなが集まっているから、何かあるのだろうと集まる。
 この時人々を盛り上げたのは「エフェソ人のアルテミスは偉い方」というシュプレヒコールだったと思います。これは翻訳すると間の抜けた語感になりますが、「エフェソのアルテミス、万歳」というニュアンスでしょう。エフェソの町はその始まりからアルテミス神殿と共にあったのですから、エフェソの町の人々にとってアルテミスの神殿が誇りであったことは間違いありません。このシュプレヒコールは、そこに居たエフェソの人々に一体感を持たせることが出来たのだと思います。パウロたちを排除するために、エフェソ人としてのナショナリズムに訴えたわけです。これはかなり成功したと思います。34節に「群衆は一斉に、『エフェソ人のアルテミスは偉い方』と二時間ほども叫び続けた。」とあります。二時間も叫んでいれば、だいぶ疲れてもきます。そこで町の書記官が出て来て、説得します。ローマ帝国というのは多民族国家ですから、宗教とか思想とかに対しては極めて寛容だったのです。しかし、ローマ帝国が絶対に赦さなかったものがあります。それが、反乱・暴動です。ローマはこれに対しては、すぐに軍隊を出動させて鎮圧いたしました。書記官は群衆を説得し解散させるために色々と言いますが、最後は40節で「本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。」と告げました。この一言が決定的な力を持ち、人々は集会を解散させることとなったのです。

4.信仰の違い(偶像を拝む宗教とキリスト教の信仰の違い)
 この出来事からいろいろ考えさせられます。その中で第一のことは、アルテミス神殿による信仰とパウロが伝えた信仰の違いです。デメトリオは自分たちが食べるためにアルテミス神殿が必要だったわけです。これは銀細工という仕事柄の事とも言えますが、それだけではないでしょう。アルテミス神殿が与えるもの、あるいは人々がアルテミスの神に求めるものが、まさにこの食べることに象徴されるものだったということだと思うのです。これは、日本の神社・仏閣に参拝する人と同じです。それらへの祈りは、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛に集約されるでしょう。更にそこには、合格祈願、安産、縁結び、高学歴、高収入、諸々のものの保証が付いてくるでしょう。アルテミス神殿は、まさにそのためにあったからです。しかし、パウロが伝えたキリストの福音は、そのようなものを与えると約束したりするものではありませんでした。そうではなくて、そのようなものを求めてやまない人間に、本当に大切なものはそんなものではないということを気付かせ、生きる目的を、つまり自分自身のあり方を180度変えてしまう、そういうものなのです。
 アルテミス神殿にあった御神体は偶像です。先程お読みしましたイザヤ書は、この偶像に対して大変厳しい、痛烈な批判をします。44章15〜17節「木は薪になるもの。人はその一部を取って体を温め、一部を燃やしてパンを焼き、その木で神を造ってそれにひれ伏し、木像に仕立ててそれを拝むのか。また、木材の半分を燃やして火にし、肉を食べようとしてその半分の上であぶり、食べ飽きて身が温まると、『ああ、温かい、炎が見える』などと言う。残りの木で神を、自分のための偶像を造り、ひれ伏して拝み、祈って言う。『お救いください、あなたはわたしの神』と。」何と痛烈な皮肉でしょうか。私は、仏像などが無価値だと言うのではないのです。それは美術品としての価値はあるでしょう。しかし、それは神でもないし、それを拝むのはまことに変なことだということなのです。
 デメトリオは、パウロたちが「手で造ったものなどは神ではない。」と言って伝道していると批判しましたが、「手で造ったものなどは神ではない」ということは少し考えれば分かることで、当たり前すぎるほど当たり前のことなのではないでしょうか。それなのに人は何故それを拝むのかということです。偶像礼拝というのは、人が自分の欲を満たし、自分の願いを叶えるための神を造り、それを拝むということなのです。何故それがいけないのか。それは、そんなことをしていても人は変われないし、救われないからです。人間にとって本当に必要なことは、自分の求めるものを手に入れることではない、ということを知ることなのです。しかし、偶像はその願いをかなえ、それを与えると約束することによって、人をその自分の欲というものから自由にさせない。自由にさせないどころか、それの虜にしてしまうからです。そして、この欲というものは、根っこで罪と結びついていることが多いのです。
 簡単な例を考えてみましょう。高学歴を求めて、難しい大学を受験する。しかし受からない。一年、二年なら良いでしょう。しかしそれが三年、四年、五年と続くとどうでしょうか。問題でしょう。そこで合格祈願などいくらしても意味がないのです。大切なのは、いわゆる一流大学に行くことだけが人生じゃない、そんなことで人間の価値も人生も決まったりするものではない、ということを本人も周りの者も知ることでしょう。そして、それを知らせるのがキリストの福音なのです。
 宗教改革者カルヴァンが書きましたジュネーブ教会信仰問答は、「人生のおもな目的は何ですか。」という問いから始まります。答えは「神を知ることです。」そして、「人生の最上の幸福は何ですか。」と続き、答え「それも同じです。」と記すのです。「神を知る。」それは、神様がいるとか、いないとか、そんな話ではありません。神様の御前に立って、自分に向かい「我が子よ、我が僕よ。」と呼びかけてくださる方として神様を知るということです。自分が本当にあがめるべき方として、自分が人生をかけてお仕えする方として、神様を知るということです。この神様は、私共を造り、私共を守り、導き、すべてを支配してくださる方です。この方を知る時、私共は、勝ち組・負け組、高収入、高学歴、財産、家柄、地位、名誉、それら一切のものから自由になるのです。そんなものが、いかにつまらないものであるかを知るのです。そして、本当に大切なものを大切にして生きる新しい人生がそこから始まるのです。主イエスの福音が与えてくれる新しい生です。ここに私共の「人生の目的」と「人生のまことの幸福」があるのです。

5.誘惑を退けて
 マタイによる福音書4章7節以下にあるように、主イエスは荒野の試みにおいて、世の全ての国々とその繁栄ぶりを悪魔から見せられ、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう。」と言われました。しかし、主イエスは「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」と答えられました。主イエスはこの時、私共のために、私共に代わって戦ってくださったのだと思います。そして、この世の繁栄を約束し、自分にひざまずくことを求める者の正体が、実は悪魔であることを明らかにされたのです。
 私共は、主イエスによってまことの神を知る者とされました。神の子、神の僕とされています。しかし、しばしばこの悪魔の誘惑にさらされるのです。目に見える様々のものを手に入れたい、それがあれば幸せになれるのではないかと空しい願いを持ってしまうのです。デメトリオを笑えない自分が、私共の中にはいるのです。私共は、まことに弱く、脆いのです。すぐに誘惑に負けそうになってしまうのです。しかし、ここで思い起こしましょう。主イエスは悪魔の誘惑に既に勝利されています。ですから私共は、この悪魔の誘惑に打ち勝つためには、自分だけの力で悪魔と戦おうとするのではなく、主イエスに祈って、私に代わって誘惑する者と戦ってくださるようにお願いすれば良いのです。そうすれば、私共はどんな巧妙な悪魔の誘惑からも逃れることが出来るのです。
 主の召命に生きる者にとって、この祈りは欠くことが出来ません。主イエスはそれ故私共に「試みにあわせず、悪より救い出したまえ。」と祈るようにと教えてくださったのです。私共は本当に誘惑に弱いのですから、この一週も互いに祈りをもって支え合い、主の御業に励んでまいりたいと思うのです。

[2010年3月7日]

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