富山鹿島町教会

礼拝説教

「主イエスの名による洗礼」
エゼキエル書 36章25〜31節
使徒言行録 18章24節〜19章10節

小堀 康彦牧師

1.パウロの第三次伝道旅行=エフェソでの2年以上の伝道
 今朝与えられた御言葉からパウロの第三次伝道旅行に入ります。今朝の御言葉の直前にあります18章23節に「パウロはしばらくここで過ごした後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた。」と記されていますが、これがパウロの第三次伝道旅行を示しているのです。第一次伝道旅行は、小アジアの町々への伝道でした。次の第二次伝道旅行では、小アジアからエーゲ海を渡って、フィリピやテサロニケ、そしてコリントといったギリシャの町々へと導かれたパウロでした。そして第三次伝道旅行は、第一次、第二次で行った町々の他に、エフェソの町を本拠地としての伝道が展開されました。このエフェソの町での伝道は、19章8〜10節に「パウロは会堂に入って、三か月間、神の国のことについて大胆に論じ、人々を説得しようとした。しかしある者たちが、かたくなで信じようとはせず、会衆の前でこの道を非難したので、パウロは彼らから離れ、弟子たちをも退かせ、ティラノという人の講堂で毎日論じていた。このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。」とありますから、二年以上続けられたことになります。第二次伝道旅行において、パウロはコリントの町で一年六か月の間伝道いたしましたが、それより長く、このエフェソの町で伝道したことになります。このエフェソの町での伝道は、ただエフェソの町の中だけで行われたのではなく、エフェソの町を本拠地にして、アジア州の町々への伝道が展開されたと考えられています。ヨハネの黙示録の1章4節にあります「アジア州にある七つの教会」というのは、この時伝道が展開され、建てられた教会だと考えられています。また、このエフェソでの伝道の時期に、コリントの信徒への手紙やガラテヤの信徒への手紙が書かれました。パウロは、このエフェソにいながら、諸教会のことを考え、祈り、牧会していたのです。この後、エフェソの教会は、異邦人伝道の中心的教会として発展していきました。

2.アポロ
 さて、聖書は、パウロのエフェソでの伝道を記す前に、アポロがエフェソで伝道したことを記しております。このアポロという人について、コリントの信徒への手紙一3章4〜6節に「ある人が『わたしはパウロにつく』と言い、他の人が『わたしはアポロに』などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか。アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」とある御言葉で覚えている人が多いと思います。このアポロという人は、エフェソにおいてはパウロの前に、そしてコリントにおいてはパウロの後に伝道した人です。昔からこのアポロがヘブライ人への手紙の著者との説があります。一つの説に過ぎませんが、このような説が出るほどに、このアポロという伝道者は初代教会において大きな働きをしたと考えられてきた人なのです。何しろコリントの教会において、「パウロにつく」「アポロにつく」と言う人々が出たほどなのですから、パウロに匹敵するほどの力を持った伝道者だったのでしょう。
 彼について聖書は、24節「アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家」と紹介しています。当時のアレクサンドリアは100万人を超えるユダヤ人が住んでいる、本国以上にユダヤ教の学問や教育が盛んな都市でした。この時代の有名なユダヤ人哲学者・神学者にフィロンという人がいます。アポロもフィロンの所で学んだことがあったかもしれません。「聖書に詳しい雄弁家」というのは、多分アレクサンドリアにおいてそのような高度な教育を受けたからだろうと思います。そして、聖書に詳しく雄弁であるということは、伝道者として優れた資質があったということでしょう。しかし、エフェソに来た時のアポロには大きな欠けがありました。25節に「彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。」とあります。彼は、イエス様を信じ、イエス様が旧約の預言したメシアであることを聖書に基づいて説いていたのですが、ヨハネの洗礼しか知らなかったというのです。ヨハネの洗礼というのは、洗礼者ヨハネの洗礼です。これは四つの福音書すべてが語っていることですが、洗礼者ヨハネは主イエスが来られる前の道備えをするために遣わされた最後の預言者です。そのメッセージは「悔い改めよ。」でした。

3.アポロの欠け
 悔い改めることは大切です。しかし、悔い改めてどうするのかです。ヨハネの洗礼しか知らなかったアポロの語る教えとは、「悔い改めよ。さもないと神様の裁きによって滅びる。」というところにとどまっていたのではないかと思います。彼は主イエスのことを知っていたし、救い主、メシアとして受け入れていました。そのことを聖書に基づいて論証することも出来ましたし、それを雄弁に語ることも出来ました。しかし、何かが欠けていたのです。26節を見ますと、「このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。」とあります。パウロがエフェソを去った後、エフェソに残って伝道していたプリスキラとアキラは、アポロには「何かが欠けている」ということに気付きました。そして、それをアポロに教えたのです。アポロもそれを受け入れました。
 このプリスキラとアキラがアポロに教えた「もっと正確な神の道」とは、何だったのか。アポロに「欠けていた何か」とは、何だったのか。それは、「主イエスの名による洗礼」であり、「聖霊」であったと思います。それは、19章1節からパウロがエフェソに来るのですが、そこでパウロが最初に出会った12人の弟子もヨハネの洗礼しか受けておらず、それ故、聖霊を受けておらず、聖霊を聞いたこともなかったと記されているからです。この話とアポロの話は、「ヨハネの洗礼しか知らなかった」ということで結ばれた、一つの主題が展開されている話だからです。

4.主イエスの名による洗礼=主イエスと結ばれる
 アポロは主イエスの名による洗礼を知らなかった、それ故、彼の説く教えには聖霊が欠けていたということではないかと思います。ここで、主イエスの名による洗礼と聖霊とが一つに結ばれていることを、私共はわきまえなければなりません。洗礼を受けるということは、「私はイエス様を信じます。」ということの一つの象徴的な儀式というようなものではないのです。洗礼を受ける側としては「私はイエス様を信じます。」で良いわけですが、神様の御臨在の下で為される洗礼というものは、受ける側の人間の思いを超えた神の業であり、そこには秘義としか言い得ない出来事が起きるのです。
 パウロはこの洗礼の秘義について、ローマの信徒への手紙6章3〜5節で「それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。」と語っております。洗礼を受けるということは、イエス・キリストと結ばれるということなのです。これは、霊的な結びつきです。目に見えるようなものではありません。しかし、このイエス・キリストと結ばれるということが、洗礼において起きる最も中心的な出来事なのです。イエス・キリストと結ばれるが故に、私共はキリストと共に死に、キリストと共に生きるという新しい命を与えられ、復活の恵みにも与る者とされるのです。これは、私共の熱心や努力によって手に入れられるものではありません。聖霊なる神様が私共の上に臨んでくださり、ただ与えられる、救いの出来事なのです。
 ヨハネの洗礼しか知らないアポロが説く教えはこのことを知りませんから、悔い改めは反省というところを超えず、信仰もまた自分の熱心や努力というところを超えなかったのではないかと思います。プリスキラとアキラは、アポロの話を聞いて、そのことにすぐ気付いたのでしょう。そこで彼らはアポロを招いて、このことを教えたのだと思います。  アポロは聖書に詳しく、雄弁な伝道者でした。多分アレクサンドリアで教育も受けていた。一方のプリスキラとアキラは、そのような高度な教育は受けていなかったでしょう。しかし、彼らは主イエス・キリストの福音を伝えるために生きてきた者として、何が主イエスの福音であり、何が伝えねばならないことなのかを知っていたのです。そして、彼らはアポロの説教に重大な欠けを見たのです。この時プリスキラとアキラは、アポロを招いて、その欠けを教えました。しかし、二人はこの時、人々の面前で「あなたの教えには重大な欠けがある。」などと言ったのではないのです。そんな言い方をすれば、アポロも素直にそれを受け入れることは出来なかったのではないでしょうか。能力の高い人であれば、プライドだって高いでしょう。プリスキラとアキラは、アポロを自宅に招いて、愛をもって教えたのです。アポロもそれを受け入れました。そして、プリスキラとアキラは、アポロがアカイア州に行きたいというので、彼を推薦する手紙、紹介状を書いて渡したのです。アカイア州、具体的にはコリントであったと思いますが、プリスキラとアキラはパウロと共にコリントで伝道しておりましたので、コリントの教会の人々には信用もあったのです。アポロはその紹介状を持って、コリントへと伝道に行ったのです。

5.主イエスの名による洗礼=互いに一つにされる
 アポロがコリントへ行った後に、パウロがエフェソの町にやって来ました。パウロは第二次伝道旅行の終わりにエフェソに立ち寄りましたが、「御心ならば、また戻って来ます。」と言い残してエフェソを後にしました。そして、この第三次伝道旅行において、第一次、第二次の時に建てた教会を訪ねながら、陸路エフェソにやって来たのです。
 そこで出会ったのが、先程申しましたようにヨハネの洗礼しか知らない、それ故、聖霊を知らない弟子たちでありました。この弟子という言葉を、主イエスの弟子という風に読むのか、洗礼者ヨハネの弟子と読むのか、解釈が分かれるところです。アポロの場合もそうなのですが、生まれたばかりのキリストの教会において、十二使徒を中心としたエルサレム教会の流れとは別の群れもあったようなのです。この12人がキリスト者だったのか、あるいは洗礼者ヨハネの弟子の群れであったのかは分かりません。そもそもキリスト教会自体がユダヤ教の会堂で伝道していたのですから、まだユダヤ教と切れてしまっていたわけではないのです。この頃、エルサレムにおいては、キリスト者たちもエルサレムの神殿に参り、祈りの時を守っていました。パウロによって主イエスの名による洗礼を受けたこの12人は、そのようなユダヤ教の中にあったいろいろな流れの人々が、主イエス・キリストを信じるという信仰によって一つにされていった。そして、その一つにされるに際してのポイントが「主イエスの名による洗礼」であったということが告げられているのではないかと思うのです。
 実に、この「主イエスの名による洗礼」こそ、教会の一致のカギなのです。パウロはこのことを、エフェソの信徒への手紙4章4〜5節「体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ」と言っています。主イエスの名による一つの洗礼、それは一つの聖霊を受けることであり、一つのキリストの体につながることであり、一つの信仰、一つの希望によって結ばれていることを示すのです。
 私共が告白し、世界中のキリストの教会が告白しているニカイア信条には、最後の、聖霊を告白するところにおいて、「わたしたちは、罪のゆるしのための唯一の洗礼を、信じ告白します。」とあるのです。唯一の洗礼です。教会という主イエス・キリストの体に連なる洗礼は、キリストの体が一つである以上、一つしかないのです。現在、世界中にはいろいろな教派の教会があります。それこそ数え切れないほどある。しかし、それらの教会で為される洗礼は、「主イエスの名による洗礼」である以上、お互いにこれを認めるのです。外国の教会で洗礼を受けたのは認めない。そんなことはないのです。私共の教会で行われる洗礼は、二千年の教会の歴史を貫いて一つなのです。それはただ一人なる聖霊なる神様の現臨という恵みの事実によって一つであると共に、それは歴史を貫いてひとつながりになっているという意味でも一つなのです。私に洗礼を授けた牧師は、誰かから洗礼を受けたのであり、それはずっと途切れることなく使徒たちのところにまでつながっているのです。教会で歌われる讃美歌が国や時代によって変わり、その礼拝の様式が変わっていっても、この一つなる洗礼は決して変わることはなかったし、これからも変わらないのです。

6.主イエスの名による洗礼=聖霊を受ける
 パウロによって、主イエスの名による洗礼を受けた12人には、聖霊が降りました。そして彼らは、異言を話したり、預言をしたと聖書は告げています。私共も皆、主イエスの名によって、父と子と聖霊の名によって洗礼を受けました。ということは、聖霊を受けているはずなのです。私は、この「自分は聖霊を受けている」ということを、皆さん確信をもってきちんと受け取らなければならないと思っています。そうでないと、いつまでたっても、悔い改めは反省であり、信仰の歩みは自分の努力と熱心というところから抜け出せないことになってしまうと思うのです。
 以前、「あなたは聖霊を受けていますか?」と、キリスト者が集まった所で聞いたことがあります。そうすると、「いやー、とんでもない。」と言う人と、「受けているかな〜?」と言う人が半々くらいでした。「私は受けています。」と言う人はほとんどいませんでした。どうも、聖霊を受けるということは、異言を語ったり、預言をしたり、癒しをしたりといった特別なしるしがないと、受けていないと思っているところがあるのではないかと思います。しかし、聖書が告げる聖霊を受けているということの確かなしるしは、コリントの信徒への手紙一12章3節「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えない。」とあるように、「イエスは主である」と告白することなのです。この主イエスへの告白、信仰が与えられているということが、何よりも聖霊が注がれているということなのです。聖霊が与えられている以上、私共は自分の力で信仰を守る必要はないし、自分の熱心で神様に従うこともないのです。聖霊なる神様が、私共と共におられ、私共の内に住んでくださり、御言葉をもって私共の歩みの一切を守り、支え、導いてくださるのです。私共の罪に目覚めさせ、それから決別する道へと私共を伴ってくださるのです。私共が日々祈るのも、私共が日々の生活の中で聖書を読むのも、このように主の日のたびに礼拝を守るのも、すべては聖霊なる神様の御支配の中で導かれているからです。私共に求められているのは、大胆に、喜んで、この聖霊なる神様の御支配と導きに信頼し、私共のすべてを委ねていくということなのです。キリスト者は、絶え間ない反省と努力によって造り上げられていくのではありません。主イエス・キリストの御業に感謝し、聖霊なる神様の導きに信頼する中で、造り上げられていくのです。

7.主イエスの名による洗礼=ユダヤ教徒と別れる
 パウロは、このエフェソにおいてもユダヤ人の会堂で主イエスの福音を伝えましたが、人々が受け入れないので三か月でそこを離れ、ティラノという人の講堂で福音を告げるようになりました。この人は私立の学校、塾を開いていた人です。多分この人もキリスト者になったのでしょう。コリントでもそうでしたが、このエフェソでも、ユダヤ人の会堂とは別の所で伝道を始めた。それは、ユダヤ人の会堂とは別の所で礼拝を守るようになったということでもあったと思います。ここに、ユダヤ教とキリスト教との分離が始まったと考えて良いと思います。
 それは、自分の努力や熱心で律法を守り、それによって救われようとする信仰から、聖霊なる神様の御支配の中で、ただキリストを信じることによって救われるという信仰が分かれたということでもあります。またそれは、主イエスの名による洗礼によって一つとされた者の群れが、ユダヤ教から分かれていったということでもありましょう。キリストの教会はこのようにして、洗礼によってキリスト・イエスに結ばれた者が、聖霊の導きを信じ委ねて歩む群れとして建てられていくこととなったのです。それは今も変わりません。

 先週の水曜日からレントに入りました。代々の教会は、この期間を特に悔い改めの時として守ってきました。しかし、この悔い改めの期間というのは、反省しながら歩む期間ということではないのです。自分の力、努力に頼むのではなく、主イエス・キリストによって一切の罪を赦された者として、聖霊の導きにすべてを委ねることなのです。反省して、もうしないようにしても、またしてしまい、また反省する。そういう歩みではなくて、聖霊の導きの中で、ただ神様の栄光を求め、神様を愛し、主イエスを愛し、神の言葉に従うことを何よりの喜びとする者として新しく歩み出していく。「さあ、今日も主と共に、主の愛に生かされ、主の御業のために歩んでいこう。」これが、主にあって悔い改めつつ歩むということなのです。この一週間、レントの日々を、聖霊の導きの中で、まことの悔い改めをもって新しくされた者として、主の御業にお仕えする歩みを為していけるよう、心より願うのであります。

[2010年2月21日]

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