1.神様の御支配・守りの下で
天と地の一切を造られた神様の御支配の下、すべてのものは保たれています。世界も私共の人生も、主の御手の中にあります。国が興り滅びるのも、私共が生まれそして死を迎えるのも。詩編の詩人は、この主なる神様の御支配をこう歌いました。33編9〜11節「主が仰せになると、そのように成り、主が命じられると、そのように立つ。主は国々の計らいを砕き、諸国の民の企てを挫かれる。主の企てはとこしえに立ち、御心の計らいは代々に続く。」私共は、この神様の御支配、御心を知り尽くすことは出来ません。ですから、「このことはこうなるだろう」というような予想は立てようがありません。しかし私共は、神様の御支配というものが、私共に対する愛に基づくものであることを知っています。私を救い、私の愛する者たちを救い、世界を救いへと導くものであることを知っています。このことは聖書を通して私共に告げられており、御子イエス・キリストの十字架の出来事によって証明されております。ですから、私共は安んじて神様の御支配にすべてを委ねることが出来るし、そうすることを求められているのでしょう。
神様の被造物に過ぎない私共は、神様の御支配とその御心のすべてを知り尽くすことは出来ません。しかし、自分は確かに神様の御支配の下で守られている、そのことを知らされることは人生の中で何度もあるのではないかと思います。
神様の守りというものは、いろいろなあり方で私共に与えられております。平穏な日々、特に何もない至って平凡な日々。私共は何もないのが当たり前だと思っているところがありますが、そうではないのでしょう。平凡な日々、平穏な日々というのは、実に神様の守りの中で支えられている日々なのであります。それがあまりに当たり前なので、私共は気が付かない。神様の守りであることを忘れているということなのでしょう。
また、神様の守りというものは、困難の時にもあります。困難のただ中におります時、私共は、本当に神様は自分を愛してくださっているのかと疑ったり不安になったりいたしますけれど、神様の守りは確かにあって、その困難の時が過ぎて振り返ってみますと、「ああ、自分は守られていたのだ。」と思う。そういうこともあると思うのです。
実に神様の守りというものは、平穏の中にも困難の中にもあるのです。ですから私共は、どのような時であっても神様の守りの中にあることを信じ、主に信頼して、為すべきことを精一杯為して歩んでいくことが大切なのでしょう。
2.総督ガリオンの下で
今朝与えられております御言葉において、パウロがこのコリントの町でもユダヤ人に襲われ、法廷に引き立てられて行ったことが記されております。これはどういうことでしょうか。先週見ましたように、パウロは神様から「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」(18章9〜10節)との御言葉を受けた。パウロはこの神様の言葉を信じ、このコリントの町で腰を落ち着けて伝道してきたのではないでしょうか。それなのに、今までの町と同じように、このコリントにおいてもパウロはユダヤ人に襲われ、法廷に引き立てられていったのです。「あなたを襲って危害を加える者はない。」と言われた神様の御言葉は嘘だったのでしょうか。それとも、この主の言葉は、パウロが聞いたと思っただけで、神様はそんなことは言っていない、単なるパウロの勘違いだったということなのでしょうか。
確かにパウロはユダヤ人に襲われ、引き立てられ、訴えられました。ここまでは、今まで出会った困難と同じです。ところが、今回は少し様子が違うのです。13節にあるように、ユダヤ人たちはパウロを「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております。」と言って訴えました。ところがこの訴えは、14節b〜15節「ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」と言われて退けられました。パウロに対するユダヤ人たちの訴えが退けられたのです。私はここに「主の守り」を見るのです。「わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。」との主の御言葉、主の約束の成就を見るのです。
この時のガリオンの判断は、極めて穏当なものです。ガリオンという地方総督の、行政官としての優れた資質を見る思いです。この時、このような地方総督と巡り会ったということの中に、私は神様の御支配、神様の守りというものがあったのだと思うのです。これは単なる偶然ということではないのです。
このガリオンがアカイア州の総督であった年代を確定出来る文章の刻まれた石が、20世紀になって発掘されました。それにより、ガリオンがコリントに着任したのは51年7月から1年間と分かり、そこからパウロのコリントでの滞在は50年の初めから51年の夏の終わりと確定されました。この使徒言行録18章はパウロの年代決定の基準とされているところなのです。
このガリオンという人ですが、この人は当時最も有名であった哲学者セネカのお兄さんでした。セネカの「寛容論」という本などは今でも日本語で読むことが出来るほどです。彼は、アカイア州の総督として赴任してきたローマ帝国の元老院の議員です。フィリピでパウロを鞭打ち牢に入れたような地方役人とは違います。もし、ここでガリオンがパウロに対して鞭打ち牢に入れるようなことがあれば、これは全アカイア州においてキリスト者に対して適用されることになったでしょう。そして、他の州においても参考にされただろうと思います。しかし、彼はそのようなことはしなかったのです。まことに幸いなことでした。
3.会堂長ソステネ
次の17節は、どう理解したら良いのかが難しいところです。「群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。」とありますが、この「群衆」というのが、ギリシャ人なのか、ユダヤ人なのか、ギリシャ人キリスト者なのか、よく分からないのです。どうしてユダヤ人たちの訴えが退けられたら、その訴えをしたと思われる会堂長が群衆に殴られたのか。ユダヤ人の群衆が殴ったとしたら、「お前がだらしないから、訴えを退けられたのだ」という腹いせということになるでしょう。また、ギリシャ人或いはギリシャ人キリスト者とすれば、「訴えが退けられた以上、何も怖いものはない」という仕返しということになるでしょうか。どちらにしても、なるほどとは思えません。
それに、この会堂長ソステネという人が、キリスト者になってしまった会堂長クリスポの後任の会堂長なのか、それとも同僚だったのかも分かりません。コリントは大きい町ですから、ユダヤ人の会堂が複数あったとも考えられますので、別のユダヤ人の会堂の会堂長であったとも考えられます。
しかし、私がこのソステネという人が気になるのは、このソステネという名前が新約聖書にはもう一箇所出てくるからなのです。その箇所はコリントの信徒への手紙一1章1節です。そこに「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから」と出てくるのです。コリントの教会に宛てた手紙の差出人に、パウロが自分と並べてソステネの名前を挙げている。それは、このソステネがコリントの人々に知られている人だったからと考えるのが普通でしょう。私は、このソステネは同一人物だと考えるのです。この会堂長ソステネは、パウロを訴え、それを総督ガリオンに退けられ、そして群衆によって殴られるというひどい目にあった。しかし、彼は後にキリスト者になってしまった。しかも、パウロによってコリントの教会に宛てた手紙の差出人として名前を挙げられているということは、伝道者になった考えられるのです。会堂長クリスポに続いて、会堂長ソステネまでもがキリスト者になった。コリントでのパウロたちの伝道は、主の守りの中、大いに成果を上げたのであります。
4.エフェソにて
パウロはこの出来事ののち、コリントを後にしました。18節に「シリア州へ旅立った。」とありますが、シリア州というのは地中海の東の地域です。聖書の後ろにあります地図の8を見ますと、パウロがコリントを出た後の旅の行程が分かります。コリントの港であるケンクレアイから船に乗ってエフェソに寄り、それから地中海を横断してカイサリアの港に着いて、そこから陸路でエルサレムに向かったのです。
コリントで出会った伝道者夫妻アキラとプリスキラも、パウロと共にコリントを離れました。そしてアキラとプリスキラは、次のエフェソにとどまりました。
エフェソの町は、アジア州の首都です。16章6節にあるように、パウロはこの第二次伝道旅行の最初、アジア州での伝道を願っていたのです。しかし、それを聖霊に禁じられ、ついには海を渡ってマケドニアに行くことになった。それがこの時、パウロはようやく約3年ぶりに、伝道したいと願っていたエフェソにたどり着いたのです。19節に「一行がエフェソに到着したとき、パウロは二人をそこに残して自分だけ会堂に入り、ユダヤ人と論じ合った。」とあります。パウロはいつものようにユダヤ人の会堂で伝道したのです。ここでの伝道は、ユダヤ人の反感をあまり買わなかったようです。20節に「人々はもうしばらく滞在するように願った」とあるからです。自分が伝道したいと願ってかなわなかったエフェソの町で、やっと伝道が出来る。しかも反応は悪くない。人々がもう少し滞在してくれるようにと言うほどです。だったらパウロは、このエフェソでもコリントと同じように腰を落ち着けて伝道したかというと、そうではなかったのです。パウロは人々の申し出を断り、さっさと船で出発してしまったのです。
理由は分かりません。多分エフェソに寄ったのは船の便の都合もあってのことで、最初からエフェソに長居をするつもりはなかったのだと思います。エルサレムに帰る途中、たまたま船便の都合で、エフェソに少し上陸して船を待ったということなのだと思います。
ただここで、パウロはエフェソを後にするに当たり、とても印象的な言葉を残しました。21節「神の御心ならば、また戻って来ます。」という言葉です。第二次伝道旅行の初めに来ようと思っても来られなかった町です。パウロにしてみれば、再び来たい思いは強くあったに違いありません。しかし、この第二次伝道旅行でパウロが学んだことは、伝道は神様の御心の中で為されていくということだったのです。第一次伝道旅行の時、彼はピシディア州のアンティオキアで、イコニオンで、リストラで、ユダヤ人の反感を買い、追われるようにして次の町へ行きました。けれども、第二次伝道旅行ではそのような迫害とは別に、主なる神様によって、禁じられたり、招かれたり、とどまることを促されたりしたのです。パウロはその経験から、伝道というものは神様がその救いの御業を御自身で行われるのであって、自分たちはその御業にお仕えするだけだ、自分は神様の御業の道具、器なのだということを学ばせていただいたのでしょう。だからエフェソを離れるに当たり、「御心ならば、また戻って来ます。」と言ったのです。「御心ならば」です。
5.御心ならば
私共の中には、いろいろな思いがあります。願いもあります。しかし、すべては「御心ならば」なのでしょう。御心ならばそうなるし、御心でなければそうはならないのです。私共は、自分の思いや願いがかなわなければガッカリします。落ち込みます。しかし、パウロの歩みが私共に教えているのは、たとえそうなってもがガッカリすることはない、落ち込むことはないということなのだと思うのです。パウロは、この第二次伝道旅行の初めの時にエフェソに来ることが出来なかった。来たいけれども来られなかった。神様に禁じられたのです。しかし、神様はパウロに別の道を用意しておられたのです。その神様の御心の中で、マケドニア伝道、アカイア伝道が展開したのです。フィリピに、テサロニケに、ベレアに、アテネに、コリントに、伝道することが出来たのです。自分の思いや願いがかなわなくても、神様の御心を求めて行くならば、そこには必ず神様の御支配の下での守りがあり、支えがあり、祝福があるのです。
毎年この季節になると、若者たちが受験をします。私共大人は、若い受験生たちに、この神様の御支配、神様の守りがあることを伝えなければならないのだと思うのです。私も18歳で大学受験で失敗した時には、もう人生が終わってしまうかのような気持ちになりましたけれど、その浪人生の時に教会に通うようになり、洗礼を受け、その後召命を受けて、今は牧師となっているわけです。
私は牧師として歩みながら、「御心ならば」ということをしみじみ思わされるのです。牧師である私としては、こうすれば良いだろう、御心にかなうだろう、そう思い、そう願って様々なことをするわけです。しかし、それが全てうまくいくなんてことはないのです。私共は、良いことならば、神様の御心にかなっていると思われることならば、必ずうまくいく、うまくいくはずだ、そう思います。しかし、実際にはそうはいかないことも少なくないのです。それは、私はそれが良いと思うけれど、神様はそうは思われなかったということなのでしょう。それ自体は良くても、御心の中ではまだ早すぎるということだってあるのでしょう。あるいは、そのことは私ではなくて、別の人が為した方が良いということだってあるのでしょう。
しかし、「御心ならば」ということを知るということは、どのような結果が出ても諦めない、くさらない、投げやりにならないということなのです。この「御心ならば」というのは、「どうなるか分からないけれど、神様が勝手になさるでしょう。」というような言葉ではないのです。「神様の御支配があり、その御支配は私共に救いをもたらすものであり、神様のその救いの御心を妨げ曲げることは誰にも出来ない。その神様の御心のままに私を用いて下さい。」という、神様の愛と力に信頼し、その神様に自らの歩みをすべて委ねる、信仰の言葉なのです。
すべてを知り、すべてを御支配される神様の御心が成ること、それが一番良いことであると私共は知っています。それは、主の祈りの中で「御国を来たらせ給え。御心が天になるごとく、地にもなさせ給え。」との祈りを教えられた者だからです。この祈りの中で、私共は神様の御心が成ることを私共の祈りとし、神様の御心が為ることを何よりも自分の一番の喜びである者とされて来たのではないでしょうか。
今週、神様は御心の中で私共一人一人に出会いを与えられ、神様の救いの道具として、それぞれのところで用いてくださるでしょう。「どうぞ私の上に御心を為してください。」と願い、求めつつ、それぞれ為すべき務めに励んでまいりたいと思います。
[2010年2月14日]
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