1.世界で最初の教会会議
アドベント第二の主の日を迎えております。先週の金曜日には、クリスマス行事の先頭を切って第19回富山市民クリスマスが行われ、約350名の方が集まりました。今年も世界中でクリスマスが祝われます。クリスマスが、オリンピックやサッカーのワールドカップよりも世界中に広まっている、世界最大のイベントであることは間違いないでしょう。
今朝与えられております御言葉は、このようにクリスマスが世界中で祝われるようになる、キリスト教が世界中に広まっていく、そのことを決定付けた出来事が記されております。それがエルサレムで開かれた、世界で最初の教会会議です。新共同訳聖書の小見出しには「エルサレムの使徒会議」とありますけれど、単に「エルサレム会議」とも言われます。紀元後48年頃に開かれました。私共はこれまで、パウロの第一回伝道旅行を記したところから御言葉を受けてきたのですが、これが紀元後46〜48年頃のことです。ですから、このエルサレム会議は、パウロたちが第一回伝道旅行から戻って来て、比較的早い時期に開かれたのではないかと思われます。
2.ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の対立
事の発端はこういうことでした。1〜2節を見ますと、「ある人々がユダヤから下って来て、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。」とあります。この「ある人々」というのは、5節にあります「ファリサイ派から信者になった人」ではなかったかと思います。アンティオキアの教会は、パウロとバルナバを伝道へと送り出した教会です。そして、その構成メンバーの多くは、異邦人であったと思われます。この教会から遣わされたパウロとバルナバがおこなった伝道旅行も、結果的には異邦人伝道ということでした。ここに、ユダヤ教からの改宗者、つまりユダヤ人キリスト者を中心とするエルサレム教会と、異邦人キリスト者を多数とするアンティオキア教会という、二つの教会が生まれたのです。そして、ユダヤ人キリスト者を中心とするエルサレム教会の中には、主イエスを信じるだけでは救われない、モーセの律法も守らなければ救われない、そう主張する人たちがいたのです。これは、割礼という儀式を行うかどうか、異邦人でキリストを信じた者も割礼を受けなければならないという主張に端的に表れてきました。もちろん、パウロやバルナバを中心とするアンティオキアの教会は、割礼は必要ない、イエス・キリストを信じる信仰によってのみ救われるのであって律法を守ることは救いの条件ではない、異邦人は割礼を受けてユダヤ人にならなくても主イエスを信じる信仰だけで神の民に加えられる、そういう主張をしました。聖書は、この二つの立場の対立が相当激しいものであったことを、「激しい意見の対立と論争が生じた」と記しています。生まれたばかりのキリストの教会における、最初の最も大きな危機であったと言って良いでしょう。このままなら教会が分裂していってしまう、そういう状況が生じたのです。
3.分水嶺としてのエルサレム会議
結論を申しますと、パウロやバルナバを中心とする「信仰のみ」の立場が教会の公の見解として採用されることとなりました。もし、この時パウロたちの立場が退けられたなら、キリスト教はユダヤ教の中の一つの教派にとどまり、世界中に広がっていくことはなかっただろうと思います。ユダヤ民族という枠を超えることなく、ユダヤ民族の宗教という枠の中で細々と続くか、あるいは歴史の流れの中で消えていったかもしれません。しかし、割礼は必要ないという主張が通ることによって、キリスト教はその後、民族の枠を超えて全世界へと広がっていくことが出来ました。実に、このエルサレム会議は、その後二千年のキリスト教の歴史を決定付ける、重大な出来事だったと言って良いと思います。
ある人は、このエルサレム会議はキリスト教会の最初の分水嶺であったと言います。確かに、その後のキリスト教会のあり方を決定付けたということで、そういう言い方も出来るかと思います。教会の歴史には、この時の決断・決定によってその後のキリスト教会の歩み、キリスト教の歴史が決まってしまう、そういう出来事があります。三位一体の教理を確定した、紀元後325年に開かれたニケア会議もその一つでしょう。
余談ですが、新約聖書はこの新共同訳では480ページあります。そしてこのエルサレム会議の記述は242ページにあり、ほぼ真ん中です。だからどうしたと言われると困りますが、このエルサレム会議というものが大変重要なものであるということを印象的に心に刻むには、知っておいても良いだろうと思います。
さて、この教会を二分する、放っておいたら分裂してしまうかもしれない、この状況の中で教会はどうしたかといいますと、会議を開いたのです。そこに集まったのは、もちろん使徒たち、そして教会の責任を与えられていた長老たちでした。まだ生まれたばかりの教会です。それほど多くの人数ではなかったと思います。教会が右へ行くか左へ行くか、それを決めるのに会議を開いたのです。これは、その後の教会の歴史においても受け継がれてきました。
ここで、異邦人にも割礼を受けさせるべきだと考えた人々の意見も少し考えてみましょう。この意見は、現在の私共の立場からすればとんでもない話だということになるのですけれど、元々ユダヤ教の伝統の中に生きていた人々にすれば当たり前のことだったのです。ユダヤ教は、主イエス・キリストによる救いを与えられる前から伝道をしていました。その際に、救われるためにはユダヤ人になる、つまり割礼を受けるということが為されていたのです。ですから、イエス・キリストを信じて救われるという場合であっても、それは旧約以来の伝統を捨てるのではなくて、やはりユダヤ人となることによって神の民に加えられなければならないという主張だったのです。彼らからしてみれば、逆にパウロたちの主張の方が、旧約以来の神様の救いの歴史を無視した、とんでもない主張であると思われたのです。
実にこの問題は、救いは神様の恵みによって与えられるのか、それとも人間の業によって獲得するのかという原理問題を内包していますし、旧約とは何なのか、イスラエルとは何なのか、律法とは何なのかといった信仰の根本に関わる問題を内包しているのです。
4.ペトロの発言
この会議における4人の人の発言がここに記されています。会議ですから、この4人だけが発言したとは考えられませんけれど、この4人の人たちの主張がこの会議を決定付けるものとなったので、このように記されているのでしょう。
第一の発言者はペトロでした。彼は、自分が使徒として選ばれたのは、異邦人が自分の口から福音を聞いて信じるためであったと告げます。しかし、ペトロは最初からそう考えていたのではないと思います。主イエスに弟子として召された時から、ペトロはこのように考えていたとは考えられません。復活の主イエスによって召されたときも、この様に考えてはいなかったでしょう。しかし、10章に記されておりました異邦人コルネリウスとの出会い、神様が与えられた大きな風呂敷の幻、そういう出来事を通して、8節以下にありますように、「異邦人にも聖霊が与え」られる、神様は異邦人を受け入れたということを知らされ、このように理解するに至ったのでありましょう。そして、神様は信仰によってユダヤ人である自分と異邦人とを何ら差別されなかった、神様が差別しないのにどうして私たちがするのか、と告げたのです。
このペトロの発言における決定的な宣言は、11節です。「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」そうペトロは告げたのです。自分たちが救われたのはただ主イエスの恵みによる、自分の良き業によってではない。これは、主イエスが十字架に架かる時に三度知らないと言って主イエスを否定したペトロにとって、それにもかかわらず復活された主イエスが自分を再び召してくださったという出来事によって今があるペトロにとって、これだけはどうしても譲れない点でありました。自分の中には何もない。ただ、主イエスの恵み、主イエスの憐れみが、私を救い、私をキリストの使徒として立たせている。この主イエスの恵みによって救われるというのは、異邦人も自分も全く同じだ。自分は割礼があるから救われたのではない。律法を守ったから救われたのではない。もし、そういうことならば、自分は決して救われることはなかった。それが、ペトロが語ったことでした。これはペトロの信仰の原点に関わることであり、自分の存在を賭けた言葉でした。だから力があったのでしょう。私は、本当にペトロという信仰者は素敵だと思うのです。彼は、自分が救われた原点にいつも立っていたのです。
私は、時々恥ずかしくなるのです。牧師になって23年。聖書も少しは読めるようになり、毎週こうして講壇に立たせていただいている。しかし、私が救われた時、私は基本的なキリスト教の教理もわきまえていませんでした。祈る言葉も知らず、聖書も知らず、キリスト教の歴史も知らず、ただ、イエス様は私を見捨てない、そのことだけを信じ、この方におすがりして、この方と一緒に生きていきたい、そう願った。そして、救われたのです。私の中には何もない。何もないのに救われた。主イエスの恵みによってです。このことを私は時として忘れてしまうのです。そして、自分が何者かであるかのようにふるまう。本当に恥ずかしいことです。
ペトロは使徒です。教会の第一人者です。しかし、「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じている。これは異邦人も同じことです。」と告げたのです。ただ、キリストの恵みの証人としてだけ立とうとするペトロ。ここに私共の、私共の教会の、あるべき姿があります。
12節に、「すると全会衆は静かになり」とあります。この教会会議に集められた人々は、このペトロの言葉に心を打たれた、それで静かになったのです。私もそうだ、ただ主イエスの恵みによって救われた自分だった。この会議に出席していた全ての人たちが、このことに気付かされたのです。そして、パウロとバルナバが、伝道旅行で会った異邦人たちが主イエスを信じて救われていく様を語りました。もうここで会議の方向は決まったのだと思います。教会の会議というものは、私はこう考える、こう思うという主張が互いにぶつかり合うだけの場ではないのです。神様の御前に開かれる会議であり、そこで告げられ、そこで聞き取られることは、神様が何をなさってくださったのか、だから自分たちはどう歩んでいけば良いのか、そのことなのです。
5.ヤコブの発言
最後にヤコブが語ります。このヤコブというのは十二使徒のヤコブではありません。使徒ヨハネの兄弟である十二使徒のヤコブは、使徒言行録12章2節に記されているようにヘロデによって既に殺されています。十二使徒の中の最初の殉教者でした。ここに出てくるヤコブは、十二使徒の中のヤコブとは別の、主イエスの弟のヤコブです。彼は主イエスの兄弟という理由からでしょうか、生まれたばかりのエルサレムの教会において、中心的な役割を果たしておりました。特にユダヤ人キリスト者から大変信頼されておりました。異邦人にも割礼を求める人々は、彼を頼みにしていたと思います。しかし、彼の主張もペトロやパウロやバルナバたちと同じものでした。しかも彼は、16〜18節においてアモス書からの言葉を引用して、異邦人が救われるのは旧約の預言者たちも語っており、異邦人の救いは神様の御計画なのだ、御心にかなうことなのだと宣言したのです。そして、割礼は必要ないとし、律法を守らなければ救われないという主張はここに退けられたのです。
ただヤコブは、一つの条件を付けました。それが20節に記されていることです。20節「ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。」とあります。「手紙に書く」とは、この会議の決定を各教会宛に手紙を書いて知らせるということです。その手紙は、割礼は必要ないけれども「偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるように」と記すというのです。この「みだらな行い」というのは、性的不品行です。キリスト者となったならば、性的不品行を行わないのです。これは十戒の第7の戒めであり、当然のことでしょう。しかし、当時のローマ社会にあっては、このことを敢えて言われねばならない程に、性的な乱れが普通にあったということなのでしょう。
そして、他の三つについては、何を食べるか、食べてはいけないかということです。これはユダヤ人にとっては大変な問題でした。旧約以来、ユダヤ人は血抜きのされていない肉を食べることは禁じられておりました。血の滴るような焼肉を食べるなどということは、ユダヤ人にとって生理的に出来なかったと思います。食べても救いとは関係ないと分かったとしても、気持ちが悪くて食べられなかったと思います。どんな肉を食べるかということは、直接救いとは関係ありません。この肉を食べたら救われない、そういうことではないのです。ただ、当時のキリストの教会には異邦人もユダヤ人も一緒にいるのです。そして、そこでは礼拝のたびごとに愛餐が為されていたと考えられています。献げものは献金とは限らず、パンや葡萄酒や野菜や肉なども献げられ、それを用いて愛餐が為されていたのです。多分、今朝私共が与る聖餐は、この時代にはまだ、普通の食事としての愛餐と明確に分けられていなかったでしょう。つまり、この食物規定を守らないと、一つの教会の中で、ユダヤ人と異邦人が一緒に食事をすることが出来ない、そういう状況が生まれてしまうことになったのです。このヤコブの注意は、そのような状況を作り出さないための配慮であったと思います。確かに、何を食べるかということで救われる、救われないということはないと、このエルサレム会議の中では合意出来ていたと思います。しかし、そうだからといって、このことが原因で、ユダヤ人と異邦人が一つの食卓に与ることが出来なければ、それは事実上分裂したのと同じになってしまいます。そこでヤコブは配慮として、このような注意書きを与えたということなのだと思います。神殿にささげられた肉も同じです。異邦人にとって、この様な肉を食べることには、別段抵抗はなかったでしょう。しかし、ユダヤ人にとってはそれは偶像礼拝に参加するのと同じであると思われたのです。ですから、彼らはそのような肉を口にすることは汚れることであり、救われないと考えていたのです。何度も申しますが、何の肉を食べるかで救われるか救われないかが決まるというようなことはないのです。しかし、だからといってその行為が教会の中に分裂を生じさせるとするならば、それは控えるべきだというのがヤコブの言おうとしたことだったのです。
教会には、いろいろな人がいます。たとえ救いには直接関係なくても、ある人がそれを見てつまずくということならば、それを控えるというのが、教会のあり方なのでしょう。パウロは、コリントの信徒への手紙一8章において、この問題を取り上げて、結論としては13節でこう言いました。「食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません。」これは、この肉を食べても救われるかどうかという真理問題ではなくて、愛の問題なのです。教会は、この救いの真理と同時に兄弟への愛を持たねば立っていかないのです。
真理と愛、それはイエス・キリストにおいて表された神様の御心に他なりません。愛と真理が分裂しては駄目なのです。福音の真理は、愛なしに伝わることはないのです。私共は、真理と愛とに満ちた教会として、クリスマスを迎えようとしているこの時期、キリストの福音を一人でも多くの異邦人である隣り人に伝えてまいりたい、そう心から願うのであります。その為に愛を満たしていただき、真理をきちんとわきまえた者として、この一週も主の御前に歩ませていただきたいと心から願うのです。
[2009年12月6日]
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