富山鹿島町教会

礼拝説教

「この方によって義とされる」
詩編 16編1〜11節
使徒言行録 13章13〜42節

小堀 康彦牧師

1.ピシディア州のアンティオキアへ
 3週間ぶりに使徒言行録に戻ってまいりました。10月は伝道礼拝や召天者記念礼拝があり、また私自身、四国に伝道に招かれたりいたしまして、使徒言行録以外の所から御言葉を受けてまいりました。3週間ぶりということで、少し前回の使徒言行録の箇所を思い出してみましょう。13章から使徒言行録は新しい展開を記しておりました。それは、アンティオキアの教会からパウロとバルナバという人を中心にして、積極的に外に向かっての伝道が開始されたということです。彼らはまず、小アジア半島の付け根にあるローマ帝国第三の都市であったアンティオキアから、地中海に浮かぶキプロス島に渡って伝道いたしました。彼らはそこで魔術師と対決し、神の言葉を告げました。そして今日の所です。彼らはキプロス島から小アジア(現在のトルコ)に渡りまして、ピシディア州のアンティオキアに行きました。このアンティオキアは、パウロたちを送り出した教会のある大都市アンティオキアとは別の町ですので、注意しなければなりません。聖書の後ろに付いている地図の7を見ていただきますと分かるかと思います。

2.マルコ
 この旅の途中で、パウロとバルナバと一緒にいたヨハネがエルサレムに帰ってしまうという出来事が起きました。このヨハネという人は、別の名前で私共に知られています。それはマルコです。四つの福音書のうち、最も早くに記されたと言われる、マルコによる福音書を記した人です。このマルコという人は、使徒言行録12章12節に「こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。」と出てきます。ですから多分、エルサレムにおける一番最初の信徒であり、人々がその人の家に集まって集会をするような人がマルコの母でした。きっとマルコはまだ若かったのでしょう。バルナバとパウロは、マルコの母から「マルコをよろしく」と頼まれていたのかもしれません。バルナバとパウロはエルサレムからアンティオキアの教会に戻るときに、マルコを連れてきました。そして、マルコはパウロとバルナバが伝道の旅に出るという時には、助手としてお手伝いをするということでついて行ったのです。ところが、一番最初のキプロス島での伝道が終わり次の所へ行く時には帰ってしまった。しかも、自分を送り出してくれたアンティオキアにではなく、自分の家のあるエルサレムに帰ってしまったのです。理由はよく分かりません。しかし、15章37節以下には、次の伝道旅行に行く時にバルナバはマルコを連れて行こうとし、パウロはとんでもないと反対して、二人の間に激しい衝突が起きたと記されております。この結果、パウロとバルナバは別々に出かけるということになってしまったほどでした。ですから、きっと誰もが納得するような正当化な理由があったというよりも、「もうしんどいから帰る」という類のものだったのではないかと思います。情けない話です。
 しかし、このマルコが、後にマルコによる福音書を記し、その後二千年にわたって神様の御用に用いられることになるのです。これが神様の御業というものなのでしょう。私共は、何か立派な業績を残した人を見ますと、あの人は偉い、あの人は素晴らしい、と言います。もちろん、そういう面はあるでしょう。しかし、それがすべてではありません。私共は、その人以上に、その人にそのような業をするように、出来るようにと導いてくださった神様をこそ、ほめたたえなければならないのでしょう。

3.「私が…」から「神が…」へ
 私共も若い時には、自分の力で、自分の努力と才能で、何でもやっていけると思っておりましたし、やっていくものだと考えておりました。しかし、ある程度の年齢になり、自分の歩みを振り返ってみますと、自分一人では何も出来なかったと思わされるのではないでしょうか。神様が道を拓いてくださり、神様がその時その時に良き助け手を与えてくださり、何とか歩んで来た。そのことを思いますと、今日まで導いてくださった神様に感謝するばかりなのではないでしょうか。性根の入っていない、ひ弱な、若い伝道者マルコ。しかし、神様はそのマルコをもまた、時と共に用いてくださるのです。この伝道に中心的に働いたパウロだって、元はキリスト教徒たちを迫害していた人なのです。しかし神様は、そのパウロを回心させ、御業のために用いられるのです。
 私はこう思うのです。私共は神様を知るまでは、「私は…」「私が…」という語り方でしか自分を語ることを知りませんでした。しかし、神様を知った後では、私共は語り方が変わる。「神様は…」「神様が…」という形に、語り方が変わる。主語が「私」から「神様」に変わるのです。神様の御手の中にある私、神様の御支配の中で生かされている私を発見するからです。そして、その私共を導いてくださっている神様は、実に愛と憐れみとに満ちた方なのです。

4.バウロの説教
 キリストの教会が二千年の間語り伝えてきたことも、そのことです。今日与えられております御言葉は、使徒パウロが為した説教です。少し長いのですが、一気に読みました。細かなことを語り出せば、この説教について何時間でも語ることが出来ますし、色々なことを学ぶことが出来ます。しかし、そうする以上に大切なことは、使徒パウロが語ったこと、語りたかったことは何なのか、それをはっきりと聞き取ることです。パウロだってこの時、一気に語りきったに違いないのです。途中で区切って、「この次はまた来週。」そんな語り方はしていないのです。このパウロが語ったこと、それは二千年間キリストの教会が語ってきたことと同じことです。
 パウロとバルナバは、ピシディア州のアンティオキアに入り、安息日にはユダヤ人たちが集まる会堂に行って礼拝を守りました。そして、15節「何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください。」と言われて、パウロが語り出しました。「励ます言葉」として語ったのです。この「励ます」という言葉は、「慰める」とも訳せる言葉です。これは今の私共の言葉で言えば、説教をしたということでしょう。説教というものは、もともと信仰を「励ます」ものなのであり、「慰める」ものなのです。ここでパウロは何を語ったのか。三点に絞って見てみます。

5.主イエスという歴史の目的
 第一には、パウロはここでイスラエルの歴史を語りました。ここはユダヤ人の会堂ですから、ここでは旧約聖書に記されていることを知っていることが前提で語られております。最初に17〜18節で語られておりますのは、出エジプトの出来事です。そして、19〜20節では、イスラエルのカナン定着のこと、そして21節以下では、ダビデ王が立てられたことを語ります。そして23節で「神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。」と語るのです。つまり、イスラエルの歴史を振り返りながら、パウロはイスラエルの歴史が救い主イエスを与えるための歴史であったと告げているのです。古代イスラエルの歴史は、現代の日本人には意味のない、遠い外国の昔の話のように聞こえるかもしれません。しかし、そうではないのです。イスラエルの歴史というのは、明確に「神様による歴史」です。神様はイスラエルを選び、これと関わり、この民の歴史の中に、御自身の憐れみを、御自身がどういう方であるかということを示されたのです。旧約に記されているイスラエルの歴史は、単なる民族史ではないのです。神様がイスラエルを「選び出し」「強大なものとし」「導き出し」「耐え忍び」「相続させ」「裁く者たちを任命し」「ダビデを王の位につけ」られたのです。そして、そのダビデの子孫からイエス・キリストを誕生させられたのです。その歴史は、主イエスの誕生という目的へ向かっての歴史であったとパウロは告げているのです。パウロはここで、大きな歴史を語っています。それは、神様の救いの歴史です。神様が支配し、導く、神様御自身が私共を救うという目的を持った歴史です。この神様の救いの歴史という大きな歴史は、私共の人生という小さな歴史に意味を与え、目的を与えるものなのです。そして、それを知った者は、自分の人生を、「私が」という主語ではなく、「神が」という主語をもって語り出すのです。
 多くの人は思春期の頃、自分はどうして生きているのだろうかという問いを持ちます。しかも、その答えになかなか出会うことが出来ない中で、いつの間にかその問いを忘れ、問うことを止め、とりあえず目の前のことをこなしていくという日々を過ごすことになるのではないでしょうか。私も高校生の頃、そんな問いを持ちました。私が18歳で教会に行った理由は、この答えを知りたいと思ったからでした。2年の求道の後、主イエス・キリストと出会いました。そして分かったのです。私は、神様の救いという大きな歴史の中で生きている。だから、自分の人生は、このイエス・キリストというお方に向かって、このイエス・キリストというお方の言葉を聞いて歩めば良いのだ。私は、自分のためにだけ生きるのではないのだ。そのことが分かったのです。もちろん、分かったと言っても、それですべてがスッキリしたわけではありません。欲もあれば、見栄もある。スッキリするには少し時間がかかります。しかし、この神様の救いの歴史という大きな歴史を知ることによって、私共は自分の人生という小さな歴史の意味と方向とを知ることになるのです。そして、その大きな歴史の目的のところに主イエス・キリストがおられ、それ故、自分の人生もまた主イエス・キリストというお方に向かって歩めばよいことを知るのです。

6.主イエスの十字架と復活
 第二に、パウロは主イエス・キリストの十字架と復活を語ります。神様が与えられた救い主イエス・キリストは、エルサレムにおいて十字架に架けられて殺されました。しかし、神はイエス様を死者の中から復活させられました。主イエスの弟子たちは、その復活された主イエスと出会ったのです。主イエスは、復活されることによって、自らが死によって朽ち果てることがない者であることを示されました。死は人間にとって、いつも圧倒的です。どんな偉大な人も、どんなに正直で善い人であっても、いつかは死にます。そして、その身体は朽ち果てていくのです。しかし、主イエス・キリストはそうではありませんでした。人類史上初めて死を打ち破り、死を超えた命を持つ方だったのです。なぜなら、主イエスはまことの神の子であられたからです。そしてこのことにより、私共をもまた、死で朽ち果てることのない、永遠の命へとつながる道を拓いてくださったのです。
 死んだ人間が生き返るはずがない。その通りです。ただの人間ならば、復活するはずがないのです。しかし、主イエスは復活されました。まことの神であられるからです。だったら、どうしてその神が人間の手によって殺されたのか。

7.主イエス・キリストによって義とされる
 これがパウロが語る第三のことです。38〜39節「だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。」とあります。なぜ、神の子が殺されたのか。それは、この方によって私共の罪が赦されるため、信じる者がこの方によって義とされるためだったのです。なぜ、主イエスが十字架で殺されることによって、私共の罪が赦され、義とされるのか。それは、身代わりということです。私共のために、私共に代わって、主イエス・キリストが私共の上に下されるはずの罪の裁きを、すべてその身に負ってくださったのです。それが主イエスの十字架の死なのです。これは実に驚くべきことです。ここに愛があります。神様の私共への愛が、どれほど度外れたものであるか、私共はこの主イエス・キリストの十字架によって知ったのです。神様とはどういう方であり、神様の愛とはどういうものであるのかを知ったのです。パウロは、ローマの信徒への手紙5章7〜8節でこう語ります。「正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」
 どうでしょうか。母は我が子のために死ねるかもしれません。しかし、私共の愛はそこまででしょう。隣の家の子のために、私共は死ねないでしょう。罪とは、そのような私共の姿を示す言葉なのです。自分が、自分がと、自分のことしか考えられない。人には厳しく、自分に甘い。少し何かが出来れば、人を見下し、出来なければ落ち込んでしまう。自分を造ってくださって、生かしてくださっている神様を見ず、人の評価ばかり気にしている。そんな私共のために、神様はいつも必要のすべてを与えてくださり、道を拓いてくださり、導いてくださっておられるのです。愛をもって私共を守り、支えてくださっているのです。しかし、人はそれを知らず、人生は自分のもの、自分のために生きるのに精一杯です。しかしそれは、神様に対しての忘恩なのです。命を与えてくださった方への裏切りです。それを罪と言うのです。しかし神様は、そのような私共のために愛する独り子を与えてくださり、私共のために、私共に代わって十字架に架け、私共の身代わりとなって裁きを受けられたのです。ここに愛があります。まことに度外れた愛であります。
 この神様の愛によって、この主イエスの十字架によって、私共は、この方を信じるならば神様に義と見なしていただけるようになったのです。神様との愛の交わりに生きることが出来るようになったのです。それが救われるということです。この変わることのない神様の愛の中に生かされていることを知った者は、この愛に応えて生きたいと願います。そこに全く新しい命が始まるのです。自分の損得や見栄や、人の評価に心を悩ます歩みとの決別です。神様との愛、人との愛の中に、心から憩うことの出来る新しい命です。

8.中村啓子さんの講演
 昨日ここで、グレイス・アーツ主催の、中村啓子さんの講演会が開かれました。私には、とても素敵な伝道集会のように思われました。中村さんは立山町の出身で、女性のナレーターとして第一人者の方ですが、声を聞けば、時報とか、電車のアナウンスとか、日本人なら誰でも、「この声、聞いたことがある」と思う方です。この方が、第一線で活躍していた39歳の時にガンになって、そこから本当の愛を知りたいと思い、ついにキリストと出会って今日の私があるという話をしてくださいました。そして今は、三浦綾子さんの小説を朗読してCDにするというお仕事をライフワークとして始めておられるということでした。とても素敵な講演会でしたが、私の心に残ったことの一つは、この方は主イエスと出会って、自分の声を神様の贈り物として受け取り直したということでした。言うなれば、それまではこの声を武器にして成り上がっていくという歩みだったのではないかと思いますが、主イエスと出会って、この声を用いて人の役に立ちたい、神様のお役に立ちたい、それが神様が私にこの声を与えてくださったことに対しての応え方だと知り、そのように生きているということでした。そして、そのような歩みを、何より喜び、感謝している。そこには、死というものに相対した時の朽ち果てていくことへの畏れを、神様の愛によって乗り超えさせていただき、神様の大きな歴史の中に自分の人生を位置付けて、意味を見出した人の姿がありました。本当に良い証しをしてくださいました。中村さんも、「私が」という語り方ではなく、「神様が」という語り方をされておられました。
 パウロが語り、キリスト教が二千年間語り続けてきたのは、このことなのです。私共は、この主イエス・キリストによって示された神様の愛の中に生きるように造られ、召されているのです。

 ただ今から聖餐に与ります。これは、主イエス・キリスト御自身が、自らの永遠の命を私共に与えるために定めてくださったものです。主イエスの十字架と復活を覚え、また、やがて天の御国において共に与る食卓を覚え、与りましょう。キリストの血潮とキリストの肉に与る時、私共は決して失うことのないキリストとの交わり、永遠の命の交わりに与るのです。ここに、死さえも脅かすことの出来ない平安があります。この平安の中、この一週もまた主の愛の中を、天の御国に向かって、主の愛に応える者として、それぞれ遣わされている場において歩んでまいりたい。そう心から願うのです。

[2009年11月1日]

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