富山鹿島町教会

礼拝説教

「天使の導き」
詩編 91編1〜16節
使徒言行録 12章1〜19節

小堀 康彦牧師

1.主は私の避けどころ
 詩編の詩人は、91編2節「主に申し上げよ。『わたしの避けどころ、砦、わたしの神、依り頼む方』と。」と歌い、11節「 主はあなたのために、御使いに命じて、あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。」と歌います。そして15節、神様の言葉として、「彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え、苦難の襲うとき、彼と共にいて助け、彼に名誉を与えよう。」と歌うのです。この神様の言葉は、まことに真実です。この言葉の真実を、教会は、キリスト者は、その信仰の歩みを通して証ししてまいりました。

2.ヤコブが殺され、ペトロが捕らえられる
 今朝与えられた御言葉はこう始まっています。1節「そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。」この出来事は、紀元後42、3年の頃に起きたと考えられています。主イエスが十字架にお架かりになり復活されたのが30年頃、ステファノの殉教は32年頃のことです。ですから、この出来事はステファノの殉教から10年ほど後に起きたということになります。十二使徒の中で最初の殉教者が出たのです。
 新約聖書では何の注意書きもなく「ヘロデ王」と出てきますけれど、どのヘロデ王も同じ人のように思ってはなりません。新約聖書には三人のヘロデ王が出てくるのです。ここでヘロデ王と言われているのは、主イエスがお生まれになった時2歳以下の男の子を皆殺しにしたヘロデ王とは違います。それはヘロデ大王と呼ばれる王で、ヤコブを殺した王の祖父になります。また、主イエスを十字架に架けた時のヘロデ王とも違います。それはヘロデ・アンティパスで、ヘロデ大王の息子です。この使徒ヤコブを殺したヘロデ王は、ヘロデ大王の孫であり、ヘロデ・アンティパスの甥である、ヘロデ・アグリッパ1世のことです。このヘロデ・アグリッパ1世は、時のローマ皇帝クラウディウスに気に入られ、ヘロデ大王と同じくパレスチナ全域を支配することになった王でした。この王は41年に全パレスチナを支配するようになりましたが、しかし44年、このヤコブ殺害の一年後には死んでしまいます。それは20節以下に記されているのですが、今日はそこには触れません。
 ヘロデ・アグリッパ1世は、使徒ヤコブ殺害がユダヤ人に喜ばれるのを見て、次にペトロを捕らえました。ヤコブが殺された後ですから、ペトロが捕らえられたということは、ペトロもまた殺されるという思いを全てのキリスト者たちに抱かせたのではないかと思います。教会はこの時何をしたでしょうか。5節に「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。」とあります。教会は祈ったのです。ペトロは今まで二回獄に捕らわれたことがありました。一回目は4章で、足の不自由な人をいやして、神殿で説教した後に捕らえられたのですが、この時は脅されただけで釈放されました。もう一回は5章17節以下にあります。この時ペトロは大祭司たちによって捕らえられますが、夜中に天使によって牢を開けられ、助けられます。しかし、天使に「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい。」と告げられ、ペトロは再び神殿で教え始めました。当然また捕らえられたのですが、この時は鞭で打たれ、今後イエスの名によって話してはならないと命じられて釈放されました。あれから10年経っています。教会ではこの時、祈りました。その時の思いは、今度も神様に遣わされた天使によって助けられるのではないかという期待と、今度こそもうダメではないかという思いとの入り交じったものではなかったかと思います。

3.祈る教会
 教会はこの時、祈りに祈った。逆に言えば、この時祈ることしか教会には出来なかったのです。祈るしかなかった。教会には、ペトロを救い出す具体的な手だてを施す力はありませんでしたし、実力行使でペトロを救い出す力もありませんでした。教会は、祈るしかなかったのです。しかし、教会はこのような「祈るしかない」「祈ることしか出来ない」そういう状況を経験していく中で、「祈ることが出来る」「祈りがある」という認識、信仰の認識を与えられていったのです。祈りが自分たちに与えられている最大の武具であると知っていったのです。
 教会は祈った。そしてこの時、すでに神様は働いてくださっていたのです。そしてペトロは天使によるという、まことに不思議なあり方で助け出されました。祈った結果こうなった、というのではないのです。祈っている時に、すでに神様は働いてくださっていたのです。教会はまだそれを知りません。祈り続けていました。しかし、その時すでに神様は働いていた。私共はこのことを知らねばなりません。私共が祈っている時、神様はすでに働いてくださっているのです。神様は私共の祈りを聞いて、それから重い腰を上げられる方ではないのです。神様は全てを知っておられるです。私共の唇に一言もないうちから、神様は私共の必要をちゃんと知っておられたのです。私共が祈る。その時、私共が知らない所で、神様はすでに事を起こしておられるのです。そのことが明らかになるのは後のことです。しかし私共は、祈る時、すでに神様が働いてくださっていることを信じて良いのです。

4.ペトロ天使によって助けられる
 この時、牢に入れられたペトロを助け出すために天使が遣わされました。6節「ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。」とあります。ヘロデがペトロを牢から引き出そうとしていた前夜です。牢から引き出されれば、きっとペトロは殺されることになったでしょう。その前夜です。ペトロは二本の鎖でつながれていました。多分、二本の鎖はペトロの両手と両脇にいた兵士につながっていたのだと思います。天使がペトロの所にやって来て、ペトロのわき腹をつついて起こします。そして、「急いで起き上がりなさい。」と告げたのです。すると、鎖はペトロの両手から外れて落ちました。天使はペトロに、「帯を締め、履物を履きなさい。」「上着を着て、ついて来なさい。」と告げます。ペトロは天使が言われるまま、天使について行きました。ペトロは何が起きているのか分かりません。「幻を見ているのだと思った」程でした。牢を出て、第一衛兵所の前を通り、第二衛兵所の前を通ります。兵士は誰も気付きません。そして、ついに町に出る門まで来ると、門がひとりでに開きました。ペトロは町に出て、進んで行きました。すると突然、天使はペトロから離れました。もう大丈夫ということだったのでしょう。
 ここでペトロは初めて我に返りました。この、ペトロが我に返って言った言葉に注目しましょう。11節「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」彼は、「今、初めて本当のことが分かった。」と言うのです。何が本当に分かったのでしょう。主が天使を遣わして自分を救ってくださった、そのことが分かったというのです。助け出されている間は、何が何だか分からなかったのです。そして、我に返って初めて自分の上に何が起きたのかが分かったというのです。神様の救いの御手が働いて、具体的に助けていただいている時は、何が起きているのか分からない。次々と事が起きていく、それに対応していくのが精一杯。そして、全てが済んで、何が起きたのかを振り返った時、神様が天使を遣わして助けてくださったのだということが分かった。そういうことなのでしょう。私共の信仰の歩みというものも、そういうものなのではないでしょうか。本当に大変な時は、次から次に起きてくることに対応するのに精一杯で、神様の助けと守りの中にあることさえよく分からない。しかし、一段落ついて振り返ってみると、あの時あの人に出会っていなければ、あのタイミングで事が起きていなければ、今こうして安んじてはいられなかったな。あれもこれも主の守り、主の助けだったのだと分かる。そういうものなのだろうと思うのです。私はまだ天使に会ったことはありませんが、この時のペトロを導いたような、自分の窮地を助けてくれた天使のような人には何人も会いました。

5.ペトロ、マルコの母の家へ
 さて、ペトロは天使によって牢から脱出することが出来ました。そこで彼が向かった先は、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家でした。このマルコは、マルコによる福音書の記者であり、後にパウロやバルナバと伝道旅行に行った人です。12節後半「そこには、大勢の人が集まって祈っていた。」とありますから、多分、この家が家庭集会の場であり、また礼拝堂の役割を果たしていたのではないかと思います。一節には、主イエスが昇天された後に皆が集まって祈ったのも、この家であったと考えられています。更には、主イエスが最後の晩餐を守ったのも、この家ではなかったかとも言われています。この家は、門構えがあって、次に空き地があって、その先に母屋があるといった、かなり大きな家、まさに邸宅と言って良いような家であったと思います。
 ロデという女中がまず出て来ました。ペトロの声だと分かると、彼女は喜びのあまり門も開けずに家に駆け込み、ペトロが来ている、そう告げました。この時家の中にいた人々、彼らはキリスト者であり、ペトロが解放されることを願い祈っていた人たちです。この人たちの反応がとても面白いのです。15節「人々は、『あなたは気が変になっているのだ』と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、『それはペトロを守る天使だろう』と言い出した。」彼らは、女中ロデが、ペトロが来ている、と言うのをまるで信用しないのです。そして、「ペトロを守る天使だろう。」とまで言い出す。これは多分、ペトロが死んで、天使がペトロの死を知らせに来たのだろう、という意味です。まるで信じていない。私は先程、彼らは祈りに祈ったが、神様が助けてくれるかな、やっぱりダメだろう、そんな思いの中で祈ったと申しましたのは、このことです。彼らは祈っていたけれど、本当にペトロが助けられるとはあまり思っていなかったのです。不信仰と言えば不信仰です。しかし、この不信仰が、ペトロが天使によって助けられたという出来事によって、信仰へと変えられていくのです。私共の信仰の歩み、教会の歩みとはそういうものなのです。最初から信仰深い人なんていないのです。不信仰な者、主が生きて働いてくださるということが信じ切れない者が、祈って、神様の出来事に出会って、まことに自分の不信仰を示され、喜びの中で、主をほめたたえる者へと、主が今も生きて働いてくださっていることを信じる者へと変えられていくのです。

6.ペトロのその後
 ペトロは家に入ると、主が牢から連れ出してくださった次第を語って聞かせました。そして、このことをヤコブと兄弟たちに伝えるようにと言って、ほかの所へ行ったのです。ここでヤコブが出て来ます。2節でヤコブはすでにヘロデ王によって殺されているはずですから、ここでのヤコブは使徒ヤコブではありません。このヤコブは「主の兄弟ヤコブ」と呼ばれていた、主イエスの弟のヤコブのことです。この主の兄弟ヤコブが、エルサレムの教会の使徒たち以外の中心的人物だったのです。ヤコブの手紙は、この主の兄弟ヤコブによって書かれたものと考えられています。
 ペトロは、この後どうしたのでしょうか。使徒言行録は、この後パウロの伝道について述べていくことになって、ペトロについてはこれで終わってしまいます。多分、ペトロはこの時からエルサレムにいることが出来なくなり、エルサレムの教会は主の兄弟ヤコブを中心としたものになっていったと考えられます。ペトロはこの後、各地を回って伝道したに違いありません。そして、紀元後64年に、ローマにおいて皇帝ネロによって殉教するのです。それまでの20年間、ペトロは各地を巡って主の福音を伝え、ついにはローマにまで行ったのではないかと考えられます。

7.なぜペトロは助かり、ヤコブは殺された?
 最後に、どうしてヤコブは殺され、ペトロは助かったのか、このことについて少し考えたいと思います。ヤコブは、ペトロ、ヨハネと共に、十二使徒の中でも、主イエスが特別なことをする時にはいつもこの三人が主イエスのそばにいるという、特別な存在でした。それなのに、どうしてヤコブは殺され、ペトロは助けられたのか。教会はヤコブの時には祈らなかったのでしょうか。それも考えられないと思います。ヤコブが殺されたので、ペトロが捕らえられた時には、ペトロも殺されてしまうのではないかという思いの中で更に熱心に祈ったということはあるでしょうけれど、ヤコブの時は祈らなかったということは考えられないと思います。だったら、どうしてなのか?
 ここで私は、マタイによる福音書20章23節の主イエスの言葉、「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。」を思い出すのです。主イエスがエルサレムに入る直前、ヤコブとヨハネの母が主イエスに、「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」と願い出ました。これは抜け駆けのようなもので、他の弟子たちも腹を立てるわけですが、主イエスが、これに対して23節で「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。」と答えたのです。主イエスが「わたしの杯」と言われたのは、十字架の死を語っていることは明らかです。つまりヤコブの死は、この主イエスの予言の成就と見ることが出来ると思います。一方、ヤコブの兄弟であるヨハネは、使徒たちが皆殉教していく中で90歳まで生きたと伝えられています。この最初の殉教者ヤコブと最後まで長生きしたヨハネという兄弟。その二人に「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。」と主イエスは告げられたのです。それは、生きるにしても死ぬにしてもキリストがあがめられる、そのことのために用いられる主の僕の姿を示しているのだと思います。実際、ペトロはこの時は助けられるのですが、20年後にはローマにおいて殉教することになったのです。ペトロが牢から救い出されて「今、初めて本当のことが分かった。」と言う中には、自分が救い出されたのは単に私が助かるというようなことではなくて、神様は私を助けることによって、私を主の福音を伝える者としてまだ用い給う、その御心の中で助けられたということが初めて分かったということでもあるのだと思うのです。

8.神様があがめられるために
 私共の祈りが神様によって聞かれ、出来事が起きる。しかし、その出来事は、私共が願った通りではないことも多いのです。私共が神様に願い求める時、御心にかないますならば、神様は祈っている最中にすでに事を起こされるのです。しかし、神様には神様の御計画というものがある。そして、その御計画は、私共の思いを超えたものです。ヤコブの死は不幸で、ペトロが助かったのは幸いである。そういうことではないのです。ペトロは神様の守りの中にあったが、ヤコブは神様に見放されたということではないのです。なぜなら、ヤコブには永遠の命が与えられていたからです。御国において栄光の冠を与えられたからです。このことを見失いますと、何が何だか分からなくなってしまいます。大切なことは、私共が生きるにしても死ぬにしても、神様の御名があがめられるということなのです。ヤコブの死はそのことを私共に示しているのです。私共はこの「御名があがめられる」ために、他の人より少し先に救いに与ったのです。神様は私共に天使を遣わして、具体的な困難の中から救い出してくださいます。祈りにも応えてくださいます。しかしそれは、私共を通して神様があがめられるためであり、神様の御業が現れるためなのです。
 私の知っている方で、決して寝たきりにならないようにと毎日祈っていた、お年寄りの女性がおりました。しかし、この方は寝たきりになってしまいました。寝たきりになってしばらくの間、神様は私の祈りを聞いて下さらなかったと、いつも言っていました。この婦人が寝たきりになりたくないと思っていたのは、同居していた血のつながっていない養女の娘さんの世話には絶対なりたくないと思っていたからでした。仲が悪かったのです。しかし、寝たきりになって9年。この老婦人は、あれほど仲の悪かった娘さんと本当に仲良くなって、天に召されました。最後には「私は呆けてしまった。すまないね。あなたを生んだ日を思い出せないのだよ。」と言っておられました。神様は私共の祈りを退けられることがあります。しかしそれは、もっと素晴らしいことが起きるためです。神様の御名があがめられるために、神様は私共の思いを超えたあり方で、祈りに応えてくださるのです。
 ペトロが天使に助け出されたことによって何が起きたでしょうか。教会は祈りの力を教えられ、主が生きて働き給う方であることを改めて教えられ、主をほめたたえたのでしょう。このことが大切なことなのです。
 主がほめたたえられる。そのために主は私共を用い、事を起こしてくださるのです。そのことを心に刻み、祈りをもって、この一週も主の御前を歩んでまいりたいと願うものです。

[2009年9月20日]

メッセージ へもどる。