1.回心、直ちに伝道
サウロ、後にパウロと呼ばれ、キリスト教の歴史において最大の伝道者となった男。彼はキリスト教を迫害する人でした。しかし、キリスト教徒を縛り上げ、捕らえる為にダマスコに行く途中で、主イエス・キリストと出会い、自分が迫害していたイエスこそ、まことの神の子、救い主であることを知らされました。彼はその後どうしたのでしょうか。20節に「すぐあちこちの会堂で、『この人こそ神の子である』と、イエスのことを宣べ伝えた。」とあります。彼は、いきなり主イエスのことを伝道し始めたのです。「あちこちの会堂で」とありますから、彼はユダヤ人たちの会堂に行っては、主イエスこそまことの救い主、神の子であると宣べ伝えたのでしょう。当然、サウロの語ることを聞いた人々は、自分の耳を疑いました。何故なら、サウロはキリスト教を迫害する急先鋒として、すでにユダヤ人の間では有名だったからです。今まで迫害していた教えを、急にこれこそ真実だと語り出しても、その言葉をまともに聞く人はいなかったと思います。しかし、サウロは語ることを止めませんでした。22節を見ると、「しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。」とあります。サウロはファリサイ派に属し、ガマリエルのもとで律法を学んでおりましたから、旧約聖書のことは良く知っておりました。彼は旧約聖書の知識を総動員して、旧約聖書が預言し、指し示している救い主とは、あの十字架に架かり、三日目によみがえられたイエス・キリストであるということを論証し、ユダヤ人たちに語ったのでありましょう。
サウロは、回心し洗礼を受けてキリスト者になると、すぐに伝道を開始した。私共はこのことにまず注目しなければなりません。伝道というものは、キリスト教について全てを良く弁えてから始める、始めなければいけない、そういうものではないのです。サウロはこの時、主イエス・キリストとの出会いにより、以下の三つの点について確信を与えられていたと思います。第一に、主イエスは死よりよみがえられたまことの神、まことの神の子である。第二に、主イエスの十字架により、自分の罪は赦された。この十字架によって赦され得ない者はいない。第三に、旧約聖書が指し示していた救い主は、このイエス・キリストである。この三つの点は、救われたばかりのサウロにもはっきりと分かっていたことであったと思います。サウロは、後にたくさんの手紙を書いて、キリスト教の教理、神学というものを構築していくのですが、当然この時はまだそのような所には至っていなかったでしょう。しかし、この基本の三点は分かっていたし、後の手紙も、この基本の三点は少しもぶれていないのです。
私共は、誰でも伝道出来るのです。この三点を押さえてさえいれば良いのですから、少しも難しいことではないのです。全てのキリスト者は伝道する者として召されているのです。自分の愛する者、友人、自分と関わりのある人は皆、伝道対象なのです。
2.伝道は成果主義か?
この回心し洗礼を受けたばかりのサウロの伝道は、どんな成果を上げたのか。この使徒言行録の後半は、ほとんどこのサウロの伝道について記しているのですけれど、この伝道を開始したばかりの頃については、あまり記されてはおりません。多分それは、書き記す程のことはなかったということなのではないかと思うのです。
23節は「かなりの日数がたって」と語ります。ガラテヤの信徒への手紙、これはサウロ自身が書いた手紙ですが、この1章13節以下に、彼が回心した直後のことが記されております。17節には「エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。」とあります。つまりサウロは、少しダマスコで伝道した後、アラビアに行った。そして、ダマスコに再び戻って、そこで命をねらわれるという体験をしたということなのだと思います。しかし、このアラビアでの日々については、使徒言行録は何も記していません。使徒言行録を記したルカは、サウロと共に伝道した人です。多分ルカは、サウロから聞いたこともたくさん取り入れて、この使徒言行録を記したのだと思いますが、このアラビアでの日々については何も記していない。それは、後にルカがこの使徒言行録を書く時になって、なおも教会として残っているような伝道の成果がなかったからではないのか。そう思うのです。
サウロは回心して洗礼を受けてから、すぐに伝道を開始した。しかし、その始めの頃は成果があまり上がらなかった。そういうことではないかと思うのです。私共は伝道というものを、どこかその成果で評価してしまうところがあります。その成果は大切なものです。しかし私は、伝道というものは成果が上がろうと上がるまいと、その成果以上に、伝道をしているということ自体に意味がある。そう思うのです。何故なら、伝道するということは、神様の救いの御業に参与するということだからです。神様の救いの御業の道具となるということだからです。この伝道の業に励む時、私共は神様の救いに与った者として、最もそのあるべき姿にかなっているのです。それは美しいのです。イザヤ書52章7節「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。」と言われている通りです。
私に一つの思い出があります。30年以上前のことです。12月に洗礼を受け、4月に大学に入った私は、大学のキリスト教研究会というクラブに入りました。そのクラブは文化系のサークルとしては一番古いものの一つでした。部室にはいくつかの聖書の注解書がシリーズでありました。週に二回、昼休みにそこで聖研が開かれていました。私も担当しました。大学祭には研究発表もしました。大学の中で伝道することが、当時の私にとっては楽しいことであり、当たり前のことでした。ある時、クリスチャンの学生がいると聞いて、一緒に伝道しようと誘いました。しかし彼の返事は、「自分は大学には勉強しに来ているのであって、伝道しに来ているのではない。だからやらない。」というものでした。私はがっかりしました。と同時に、何とも腑に落ちない思いがしました。勉強する場と伝道する場、そんなにスキッと分けられるのか。私共が伝道するというのは、いつでも自分の生活の場においてではないのか。勉強する場が伝道する場であり、仕事の場が伝道の場であり、遊ぶ場が伝道する場であり、家庭が伝道の場なのではないのか。もちろん、伝道の仕方というものは、その場に適したものでなければならないでしょう。しかし、ここは何々の場だから伝道の場ではないと言ったら、私共は一体どこで伝道をするのだろうか。私共は、主イエスを自分の生活の全領域において周りの人々に紹介していく、言葉と行いとをもって紹介していくのでありましょう。
さて、サウロはアラビアから戻り、ダマスコで伝道していると、命をねらわれるという危険な目に遭いました。25節には「そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。」とあります。ここで「サウロの弟子たちは」とありますから、ダマスコでの伝道は何人かの弟子を得ることが出来る程の成果は与えられていたのでしょう。
3.教会の業としての伝道
次にサウロは、エルサレムに行きました。それは、使徒たちの仲間に加わろうとした為でした。このことは、とても大切なことでした。サウロが伝道したのは、ダマスコ途上において復活の主イエスとの出会いが与えられ、召命が与えられた為でした。エルサレムの教会とは直接関係なかったのです。しかし、ダマスコ途上の主イエスとの出会いの出来事において、彼はアナニアというキリスト者によって目を開けてもらうということがありました。
主イエスはただ一人です。教会はこのただ一人の主イエスを頭とする群れです。一つの体です。それは聖霊なる神様の御業として、一つであり、互いに結び合わされています。サウロの伝道は、初めのうちはエルサレムの教会と直接の関係の中で為されていたのではありませんでしたけれど、ただ一人の主イエスを救い主と仰ぎ、同じ聖霊なる神様の導きの中で為されていたということにおいて、エルサレムの教会の業も、サウロの伝道の業も、少しも違いはなかったのです。しかしサウロは、又エルサレムの教会は、それをもっと明確な形で示すことを求めたのです。
4.慰めの子、バルナバ
サウロには、すでに何年もキリスト教の伝道者として歩んできた実績がありましたし、何よりも復活の主イエスによって直接召されたという自負もありました。しかし、エルサレムにおいては、まだサウロが迫害者であった時代の記憶だけが残っており、サウロをそう簡単に信じることは出来ませんでした。それも当然のことだったと思います。
しかし、ここに神様はバルナバという人をサウロの為に備えて下さったのです。バルナバという人は使徒言行録4章32節以下にも出てきています。彼は、使徒たちに大変信用が厚かった人でした。バルナバとは「慰めの子」という意味です。本名はヨセフ。バルナバは、後にサウロと一緒に伝道旅行もした伝道者ですが、多分初代教会においては、使徒たちに次ぐ重要な立場にいた人と考えて良いと思います。その彼が、サウロを使徒たちに紹介したのです。サウロが主イエスと出会った次第、その後伝道者として歩んできた次第、それらを使徒たちに紹介したのです。このバルナバのとりなしによって、サウロはエルサレムの使徒たちに正式にキリスト教伝道者として認められたのです。これからのサウロの伝道は、彼の個人プレーではなくて、教会の業として位置付けられることとなりました。サウロはエルサレムにおいても殺されそうになり、カイサリアからタルソス、サウロの故郷ですが、そこへ行ったのです。
サウロという人は、大変優れた大伝道者であることに違いはないのですが、手紙などを読んでも、大変激しい人であったことがうかがえます。そういう人だけでは教会は立っていかないのではないでしょうか。バルナバのような人が必要なのです。対立をとりなし、一致を生み出していくような人です。まさに慰めの子です。私共も、このバルナバのような働きをする者として生きていきたいと思うのです。
5.神様による転換
サウロはキリスト教の迫害者から伝道者へという180度の転換をいたしました。その転換を与えられたのは神様です。生ける主イエス・キリストとの出会いがそれを与えたのです。サウロは自分から、そのような大転換をしたのではないのです。彼自身は、少しもそんな転換をしようとも、したいとも思ってはいなかった。ただ、神様がそのようにされたのです。キリスト者とは、このような180度の転換を神様によって与えられた者なのです。ですから、キリスト者になったら、どうしても変わってしまうのです。
先日の新来会者の昼食会でも、そんなことが話題になりました。「洗礼を受けたら、変わるのか。」そんな問いが出されました。私は「変わる」と断言しました。もちろん、サウロのような、誰の目から見ても変わるという変わり方ではないかもしれません。しかし、サウロのこの変わり方は、原理的には私共の変わり方と少しも違わないのだと思います。自分の人生の主人が変わり、生きる意味、生きる目的、自分にとって何が大切なことであるかということが全く変わってしまうのです。変わったかどうか判断する自分自身が変わってしまうのですから、この変化は自分ではあまり気付かないものかもしれません。しかし、確実に変わる。そして、その変化によって自分と周りとの関係が微妙に変わり、周りとの間に軋轢を生むということも起きるかもしれません。しかし、サウロにバルナバを備えて下さったように、神様は必ずそのような問題を乗り超えさせて下さる道も備えて下さいます。ですから、私共は、安んじて、神の子、神の僕とされた恵みの中を、主の召しに応えて、忠実に歩んで行けばよいのであります。
[2009年7月19日]
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