富山鹿島町教会

礼拝説教

「回心そして召命」
ヨナ書 2章1〜11節
使徒言行録 9章1〜19節a

小堀 康彦牧師

1.キリストとの出会いによる回心
 神様の御業というものは、私共の思い、予想、計画といったものをはるかに超えたあり方で展開していきます。その典型とも言えるものが、私共の回心であり召命であります。私共が神様の子、神様の僕として、キリスト者として歩み出した時、私共は回心いたしました。この回心というのは、心を改めると書く改心ではなくて、心が回ると書く回心です。それは、何か悪いことをして、それを反省して心を改める、そんなことではないのです。自分の生き方、大切なこと、喜び、願い、それら全てが神様との出会いによって根本的に変えられてしまう。180度変わってしまう。神様と共に、神様の御心を為す者として生きる。まさに神の子、神の僕として生きる者となる。人間としての根本的な転換。それが回心です。この回心によってキリスト者は生まれます。この回心によって、人は新しく神の子、神の僕として歩み出すのです。ですから、しばしばこの回心は、新しい歩みへの召命というものと結びつきます。
 この回心と召命は、多くの場合、自分が道を求め、様々な心の旅をして、努力の末にやっとたどり着く、そういうものではないようです。ある日ある時、神様が私共の人生に介入してきて、私共と出会い、有無を言わせぬあり方で、回心させ、召命を与える。そういうことの方が多いようです。もっとも、全てのキリスト者にアンケートをとって調べるわけではありませんし、回心・召命という出来事は、100人キリスト者がいれば100通りのあり方があるわけで、こういうものだと断言することは難しいと思います。しかし、この回心そして召命という出来事の中核には、主イエスとの出会い、神様との出会いというものがあることは間違いないと思います。そして、この主イエスとの出会い、神様との出会いというものは、私共の予想や計画といったものを超えて与えられるものでしょう。キリスト者の家庭に育ち、幼い時から教会に通い、キリスト者として生きることが自然であったという人もいれば、全くキリスト教的な環境のない中で育ち、あるきっかけで教会に集うようになり、キリスト者となった人もいるでしょう。いずれにしても、神様との出会い、主イエス・キリストとの出会いというものが決定的な意味を持ったということにおいては、変わらないのだと思います。

2.サウロの回心
 さて、今朝与えられております御言葉には、サウロが回心した時の出来事が記されております。ヘブル語の名前がサウロ、この回心と召命によってキリスト教の伝道者となってからはパウロと呼ばれた人です。新約聖書の三分の一は彼が書いた手紙です。彼は、現在のトルコに当たる小アジアからギリシャにかけて伝道した、キリスト教の歴史の中で最大の伝道者と言われる人です。その彼は、キリストと出会い、キリスト者となって、キリスト教の伝道者となりました。ではその前は何をしていたかというと、彼はキリスト教を迫害する者だったのです。キリスト教を迫害する者から伝道する者へ。まさに180度の転換です。このような変化を、彼自身も、彼の周りの人間も、誰も予想していなかったと思います。しかし、これが事実なのです。本当に、神様のなさることは私共の思いを超えています。
 私共は、あの人はキリスト教はダメだ、家が浄土真宗だし、キリスト教を受け付けるような人じゃない、そんな風に考えてしまうことがあるかもしれません。しかし、キリスト教を迫害していたサウロでさえも回心して伝道者になってしまうのですから、神様が働いて下されば、そういう人であっても回心するのです。私共はそのことを信じ、祈っていきたいと思うのです。
 1〜2節を見ますと、「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。」とあります。サウロはファリサイ派に属し、律法学者ガマリエルのもとで教育を受けた者でした。彼は自分の信仰の信念に基づいて、キリスト教徒を見つけては、縛り上げてエルサレムに連れて行くという、キリスト教徒迫害の急先鋒だったのです。多分、ステファノの殉教以来、ユダヤ教内におけるキリスト教の立場は大変厳しいものとなっており、ついに大祭司がキリスト教徒を見つけ次第捕らえるという指示を出すに至ったのでしょう。サウロは、大祭司のところに行って、その御墨付きをもらって、ダマスコへと向かったのでした。エルサレムからダマスコまで230km程の距離です。決して、ちょっと行ってきますというような距離ではありません。多分、ダマスコにはすでにキリスト者がおり、教会が生まれていたのでしょう。その情報がエルサレムにいたサウロのもとにまで聞こえてきたので、サウロはダマスコまで、キリスト者を捕らえる為にわざわざ出かけて行ったのです。
 この時、サウロの中には、自分がしていること、しようとしていることに対して、少しの疑念もなかったと思います。ファリサイ派のユダヤ教徒として、キリスト者を捕らえて根絶やしにすることこそ、神様の御心にかなう事であって、自分はその為に全力を注いでいる。そのような自負こそあれ、自分がしていることが神様の御心に反しているのではないかというような疑いは、少しもなかったと思います。
 そのサウロがダマスコに近づいた時です。突然、天からの光がサウロの周りを照らしました。サウロは地に倒れました。そして彼は、自分に呼びかける声を聞いたのです。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。」これは聖なる体験でした。ちょうど、モーセが燃える柴から「モーセよ、モーセよ」と声をかけられた時(出エジプト記3章4節)のように、少年サムエルが夜に神様から「サムエルよ」と声をかけられた時(サムエル記上3章10節)のように、あるいはアブラハムがイサクをささげようとした時に「アブラハム、アブラハム」と神様が声をかけられた(創世記22章11節)ようにです。サウロは、神様に自分の名を呼ばれるという聖なる体験をしたのです。先週、福音を福音として聞くには耳が育てられなければならない、その為には時間がかかるという話をしました。しかし、サウロの場合は突然でした。彼はすでに旧約を知り、天地を造られた神を知っていたのです。その神が、イエスであるという事を知らされる、それがこの出来事でした。
 サウロは、自分に呼びかける声に向かって問いました。「主よ、あなたはどなたですか。」すると、答えがありました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」サウロは起き上がって目を開けましたが、何も見えず、人に手を引いてもらって、彼はダマスコの町へと入っていきました。それから三日間、彼は何も見えず、何も食べず、何も飲みませんでした。彼は、この三日間、何をしていたのでしょうか。11節を見ますと、神様がアナニアに語られた中で、「今、彼は祈っている。」とあります。サウロは三日間、何も見えなくなった中、祈っていたのです。
 先程、ヨナ書2章をお読みいたしました。ヨナは神様の、ニネベに行って悔い改めを呼びかけるようにとの召命に背いて、船に乗り、逃げようとしました。しかし、神様はヨナが乗った船を嵐に遭わせ、ヨナは海に投げ込まれました。ヨナは大きな魚に呑み込まれ、三日三晩、魚の腹の中で祈ったのです。その祈りが、ヨナ書の2章に記されているわけです。ヨナは、もう自分の命が尽きようとしたこの時、悔い改めました。圧倒的な神様の力の前に、神様に従って生きる者へと変えられたのです。
 サウロの三日間の祈りも又、まことの悔い改めの祈りであったと思います。サウロは、自分が神様の為に正しいと思って行っていたことが、全く間違いであることを知らされました。迫害していたキリスト者こそ生ける神の御心に従っていた。そして、生ける神の名はイエスであることを知らされたのです。目が見えなくなった状態で、彼は「これは神の裁きだ。」と思ったに違いありません。今まで自分が正しいと思い、全力を注いで為してきたことの全てが、神様によって否定され、裁かれたのです。目が見えず、何も出来ない中で、サウロは祈るしかありませんでした。長い三日間でした。「起きて、町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」と主イエスは言われました。そして、サウロには三日間の祈りの中で、アナニアという人が来て、自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようになるという幻を、主イエスによって与えられたのです。これからどうするか。このまま、目が見えないままなのか。そんな思いが駆けめぐる中、サウロはアナニアが来るのを待ったのです。

3.用いられるアナニア
 神様は、サウロを回心させ、伝道者として召される為に、アナニアというキリスト者を用いました。神様はアナニアに告げました。11〜12節「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」しかしアナニアは、これに素直には従えませんでした。何故なら、サウロはキリスト者を捕らえる為に働いている人であることを知っていたからです。どうして、キリスト者を迫害する者を助ける為に自分が行かなければならないのか。アナニアの反論はもっともなことでした。しかし神様は、アナニアの反論には答えません。そして言われるのです。15節「行け。」これは、主の命令です。神様はアナニアの反論には答えないのです。ただ、命ぜられました。神様には神様のご計画があり、それに逆らうことを神様はお許しにはならないのです。アナニアは従うしかありません。しかし、これは大変なことだったと思います。何しろサウロは今まで、キリスト教徒たちを迫害していたのです。どうして、その人を助けなければならないのか。その上、主は、サウロは「異邦人や王たち、イスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。」と言われるのです。つまり、伝道者としてわたしが選んだと主は言われたのです。このようなことを簡単に受け入れるわけにはいきません。本当に大丈夫なのか。伝道どころか、教会を破壊するのではないか。そんな不安がアナニアに生じたとしても当然でしょう。
 しかし、アナニアは主の命令に従ってサウロのもとに行ったのです。私は、ここにキリストの教会としての基本原則が与えられたのではないかと思います。その基本原則とは何か。それは「前歴を問わない」ということです。今までどんな歩みをしてきたか、それを一切問わないのです。ただ主イエスを信じるかどうか、その信仰だけが、キリストの教会に加わる唯一の条件であるということです。人種も民族も身分も社会的立場も、男か女か子供か老人か、そして今までどんな生き方をしてきたのか、その一切が問われないのです。ただ主イエス・キリストを、我が主、我が神と信じるかどうか。その一点で結ばれ、形成されていく共同体。それがキリストの教会なのです。
 アナニアはサウロのもとに行きました。そして主が命じられたとおり、サウロに手を置き言いました。17節「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」ここでアナニアはサウロに対して「兄弟」と呼びかけています。アナニアの中には、まだ釈然としない思いがあったかもしれません。しかし、神様のご計画、神様のご命令なのですから、彼はそれに従ったのです。自分の思いは横に置いて、神様に従うのです。これが私共のあり方なのでしょう。アナニアが手を置いて祈ると、サウロの目は元どおり見えるようになりました。
 ここに「目からうろこのようなものが落ち」とありますが、これが「目からうろこ」という言葉の語源です。サウロはまさに「目からうろこ」で見えるようになったのですが、それは、まことの神は主イエスであるということが、目からうろこが取れるようにはっきり分かったということでもあったと思います。サウロは、すぐにアナニアから洗礼を受けました。キリスト者パウロ、伝道者パウロの誕生でした。
 ここで、何故神様はアナニアを用いられたのかも、少し考えておきましょう。神様は何でもお出来になるのですから、アナニアを用いずにサウロの目を開くことも出来たでしょう。しかし、神様はそうはされなかった。それは、アナニアというキリスト者を用いることによって、サウロの回心と召命の出来事を教会の出来事とする為であった。そう思うのです。サウロはこの後すぐに伝道者パウロとして立っていくのですが、彼の伝道は、他のキリスト者たちと協力して、教会を建てていくことでもあったのです。パウロは、教会とは無関係に、勝手に伝道したということではないのです。パウロの伝道が、糸の切れた凧のようにならないように、神様はその回心と召命の時から、教会の交わりの中にパウロを置かれたのですし、その為にアナニアは用いられたということなのでありましょう。

4.キリスト者・伝道者の原点としての回心
 さて彼は、この後キリスト教の伝道者として、殉教するまで力の限りに主の為に働いていくのですが、この回心の出来事は、生涯、彼にとって忘れることの出来ない、重大な出来事となりました。使徒言行録には、この9章の他、22章、26章にもこの出来事が記されておりますし、彼の手紙の中でも何度も触れられております。彼は、ペトロやヨハネのように、この地上の生涯を歩まれた主イエスを親しく知っていたのではありません。彼はこの時、十字架にかかり、復活し、天に昇られた後の、主イエスと出会ったのです。サウロにとってこの出会い方は、主イエスというお方が、まことの救い主であり神であられる、そしてまことに復活された方であられるということに対しての、揺るぎない確信を与えました。主イエスが、いくら素晴らしい奇跡をし、素晴らしい愛の人であったとしても、十字架に架かって死んでしまって終わりならば、サウロとこの時出会うことはあり得ないのです。主イエスのこのサウロとの出会いは、主イエスというお方が、まぎれもなくまことの神、生ける主であることをサウロに示されたのでした。サウロはこの確信と共に信仰が与えられ、伝道者として立っていったのです。
 サウロが天からの光に照らされて倒れた時、サウロに対して主イエスは、御自身のことを「あなたが迫害しているイエスである」と言われました。それまでサウロは、主イエスを信じている者を迫害してはおりました。この出来事により、サウロはイエスが主なる神であることを知らされました。そして、イエスを信じる者を迫害することが、主イエス御自身を迫害することと同じことであるということを知らされたのです。このことは、サウロに重大なことを教えたと思います。それは、主イエスは主イエスを信じる者と共におられ、その苦しみを共にしておられるということ、又、キリスト者とはキリストと一つに結ばれた者であるということです。そして又、キリスト者を迫害していた自分がキリスト教を伝道する者として立てられたということにおいて、全き罪の赦しというものを知らされたに違いないのです。これらは、後にパウロが手紙の中で展開していく神学の中核を成すものです。パウロの神学は、彼が頭の中で練り上げていったようなものではないのです。実にこの回心・召命の出来事をはじめ、主イエスと出会い、主イエスと共に生きていく中で示され、教えられていったことなのであります。
 私共は、このパウロのような劇的な体験はしていないかもしれません。確かに、これはパウロだけに与えられたものでしょう。しかし、このパウロの体験は、聖書を通して、代々の教会の財産となっていきました。何故なら、このパウロに働いて回心させ、召命を与えられた主イエスが、今も自分達の上に働いて、全てを導いて下さっていることを知らされてきたからです。パウロに働かれた生ける主が、パウロに対したのとは違うあり方で、しかし私共が同じ救いの中に生きる為に、今も働いて下さっているのです。まことにありがたいことです。このことを覚え、今、心から主をほめたたえたいと思うのです。

[2009年7月12日]

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