富山鹿島町教会

礼拝説教

「聖書が分かる」
イザヤ書 52章13節〜53章12節
使徒言行録 8章26〜40節

小堀 康彦牧師

1.寂しい道へ
 サマリアの町で伝道したフィリポは、主の導きによって、エルサレムからガザへ下る道へと向かいました。このガザという町は、今もニュースなどでしばしば報道される、イスラエルとパレスチナ住民が衝突を繰り返しております、ガザ地区と呼ばれる所です。このエルサレムからガザへ下る道を「そこは寂しい道である」と聖書はわざわざ告げております。あまり人通りのないような道であったということでしょう。フィリポはサマリアの町での伝道に成功したのです。神様は、どうしてフィリポを寂しい道に導いたのでしょうか。サマリアの町で成功したのですから、次には更に大きな町へ導かれていって当然ではないでしょうか。神様の御計画というものは、私共の思いを超えております。神様は、ここでフィリポに一人の人との出会いを与えられるのです。それは、エチオピアの女王カンダケの高官で、宦官であった人でした。たった一人の人との出会い、たった一人の人の救いの為に、フィリポは寂しい道に遣わされたのです。神様が私共を遣わされるのは、この一人の為なのです。私共は、伝道というものをしばしば数で捉えようとします。何人が洗礼を受けた。何人が信仰告白へと導かれた。私はその数というものは大切だといつも思っておりますけれど、しかしその数というのは、いつでも「一人」が信仰へと導かれることの積み重ねでしかないのです。この人が救われる。その一つ一つの出来事の中に、神様の御業が現れているのです。私共は、いつでも「この一人」の救いの為に祈り、時間と労力とを注いでいくのです。この人と出会い、この人が救われる為に、私はここに遣わされた。そのような一対一の関わりというものが、私共の伝道の基本にあるということなのではないでしょうか。

2.エチオピアの宦官
 フィリポが出会った人ですが、彼はエチオピアの女王カンダケに仕える人でした。カンダケというのは、エジプトの王様をファラオと言うように、その女王の名前ではなくてエチオピアの女王を指す言葉、一般名詞です。エチオピアというのは、当時のエジプトの南にあったヌビア王国、旧約ではクシュと呼ばれた地域と考えられます。この地域は、当時の世界の果てと思われていた所であり、エルサレムからは1500kmも離れた所でした。そんな遠くから、彼はエルサレム神殿での礼拝に来たのです。何ヶ月もかけて来たのです。大変な旅だったことでしょう。彼は、真剣に神様の救いを求めていたのでしょう。まことの神を求め、まことの救いを求めて、彼はエルサレムにまで来たのです。
 しかし、彼には悲しみがありました。それは、当時のユダヤ教においては、宦官は救われないことになっていたということです。宦官というのは去勢された男です。去勢されることによって、男としての性的間違いを犯すことが出来ないようにされ、それ故に王宮の中で働くことが出来た人です。異邦人もそのままでは救われないと考えられておりましたが、異邦人の場合は割礼を受ければ神の民に加えられることが出来ました。しかし、宦官は決して神の民に加えられることはなかったのです。申命記23章2節に「睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されている者は主の会衆に加わることはできない。」とあるからです。エチオピアからわざわざエルサレムにまで礼拝に来る程の熱心な求道心があっても、彼は決して神の民には加えられず、救いに与ることは出来ない者とされていたのです。
 しかし、彼は諦めませんでした。彼はエチオピアに帰る道で、馬車の中でイザヤ書を読んでいたのです。何かを読む時には、声を出して読むというのが当時は一般的でした。また、私共は聖書というのは、このように一冊になって、誰でも持てるものと思っていますが、この当時聖書は全て手で写したものであり、39巻からなる大きなものでした。とても高価であって、個人が持てるようなものではありません。彼は、女王の全財産を管理するという高官でしたから、手に入れることが出来たのでしょう。あるいは、エチオピアの女王からこれを買い求めてくるようにと命ぜられていたのかもしれません。彼が聖書全巻を手に入れていたのかどうかは分かりません。しかし、イザヤ書を読んでいたのですから、イザヤ書を手に入れていたことは確かです。
 彼はこの時、イザヤ書を読んでいました。どうしてイザヤ書だったのか。それには理由があったと思います。イザヤ書56章3〜7節に「主のもとに集って来た異邦人は言うな、主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな、見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。なぜなら、主はこう言われる、宦官が、わたしの安息日を常に守り、わたしの望むことを選び、わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らのために、とこしえの名を与え、息子、娘を持つにまさる記念の名を、わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない。また、主のもとに集って来た異邦人が、主に仕え、主の名を愛し、その僕となり、安息日を守り、それを汚すことなく、わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き、わたしの祈りの家の喜びの祝いに、連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら、わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」とあるからです。イザヤは実に、56章において異邦人の救い、宦官の救いを告げていたのです。私は、この宦官は「このイザヤの預言」に期待していたということではなかったかと思うのです。

3.聖書の解き証し
 この時、フィリポが近づいた時にカンダケの宦官が、イザヤ書の53章でした。苦難の僕と呼ばれるこの箇所は、一体誰のことを言っているのか、宦官は分かりませんでした。フィリポは聖霊に導かれて、「読んでいることがお分かりになりますか。」と声をかけます。宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう。」と答えます。そしてフィリポに、馬車に乗って聖書を教えてくれるようにと請うのです。フィリポは、この聖書の箇所から説きおこして、主イエス・キリストの福音を告げたのです。
 私共は、この宦官の「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう。」という言葉を、その通りだと、自分のこととして分かるのではないでしょうか。私共は皆、教会に通うようになり、聖書を読むようになった。しかし、聖書が何を言っているのかさっぱり分からない、そういう経験をしてきていると思います。
 私もそうでした。私が最初に手にしたのは、ギデオン協会からもらった、左に英語、右に日本語で書かれている新約聖書でした。英語の勉強になると先生に言われて、捨てないで持っていたのです。教会に通うようになって、この聖書を福音書から読みました。しかし、さっぱり分かりませんでした。ただ倫理的な、○○してはいけないとか、○○しなさいとか、そういう所だけ、そんなものかと心にとまり、線を引いておりました。しかし分からなかったのは、聖書だけではありませんでした。日曜日に礼拝に来て説教を聞いても、つまり聖書を説きあかしてもらっても、全く分かりませんでした。私は、聖書が分かる、説教が分かるというのは、奇跡だと思っています。聖霊なる神様の導きがなければ、聖書も説教も分からないのだと思います。又、こう言っても良いでしょう。聖書や説教というものは、それが判るようになるには、福音を聞き取る耳が育っていかなければならない。その耳が訓練され、育っていくには時間がかかる。何度も聖書を読み、説教を聞く。読み続け、聞き続ける中で育っていく。そういうものなのではないかと思うのです。私は、キリスト者の家に育ったのではありませんし、教会学校に行っていたのでもありませんので、福音に対して全く耳が育っていなかったのだと思います。しかし、教会に通うようになってから一年半後、決定的なことが起こりました。自分が罪人であるということが分かったのです。本当につらいことでした。そして、初めて神様に救いを求めたのです。神様に赦しを求めて、祈ったのです。その時から、あれほど分からなかった聖書が分かるようになりました。説教も分かるようになりました。それまでは、聖書も説教も、何か一般的なことを言っていると思っていたのですが、この時から、他でもない自分に向けて語られているということが分かったのです。そして何よりも、主イエス・キリストという方が、私の為に、私に代わって十字架につけられた方だということが分かりました。そして、他の誰もが私を見捨てても、この方は私を見捨てない。だから、この方と、自分は一緒に生きていこうと思いました。そして、洗礼を受けました。20歳の時です。聖書が分かるということは、主イエスが分かるということです。神様が分かるということです。そして、自分自身が分かるということなのです。
 この宦官は、1500kmも離れたエルサレムに礼拝に来る程に求道心があり、このフィリポと出会うまで聖書も読み、福音を聞く耳が十分に育っていたのではないかと思うのです。この宦官は、イザヤ書53章7節の「彼は、羊のように屠殺場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。」という所の「彼」というのは、誰のことかと問うたのです。この宦官は、自分もこのような裁きを受けねばならない者であると受けとめていたということではないかと思います。もちろん、この「彼」というのは主イエス・キリストを指し示しているわけです。実に、この宦官の、この「彼」とは誰のことかという問いこそ、この預言の急所でした。何故なら、この苦難の僕が主イエス・キリストであるとするならば、この預言は成就したということになるからです。そして、この預言が成就したということならば、56章における異邦人の救い、宦官の救いの預言もまた成就することになる。これは重大なことです。この宦官にとって、自分自身の救いが掛かっていることになるからです。この宦官は、フィリポが語った一回の聖書の説き明かしで、主イエス・キリストという方が誰であり、主イエスの福音とは何であるかが分かりました。それ程に、備えが為されていたということでしょう。神様は、この時までもこの宦官を導かれ、そして決定的なフィリポとの出会いを与えて下さったのです。聖書の急所は、実にイエス・キリストです。主イエスは誰であるのか、主イエスが為された業とは何であり、誰のためのものであったのか、そのことを知るということです。○○しなさい。○○してはいけない。そういうことを山と積んでも、聖書は分かりません。主イエス・キリストというお方は誰か、この方によって与えられた救いとは何か、それが聖書が語っている全てです。この宦官は、それが分かったのです。

4.洗礼を受ける
 この宦官とフィリポは水のある所に来ました。そして、この宦官は言うのです。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」彼は洗礼を求めました。この新共同訳では、36節から38節に飛んでいます。37節が抜けているのです。この37節は後になって付け加えられたものであるという説が強くなり、新共同訳がそれを採用したからです。p.272に37節があります。37節「フィリポが、『真心から信じておられるなら、差し支えありません』と言うと、宦官は、『イエス・キリストは神の子であると信じます』と答えた。」ここには確かに、後に教会で用いられた洗礼の仕方が反映されているのでしょう。しかし、イエス・キリストへの信仰が言い表されて洗礼が授けられたということは間違いないと思います。
 フィリポは、この宦官に洗礼を授けると、聖霊によって連れ去られました。彼はアゾト、更にカイサリアに行きました。アゾトというのは、旧約ではアシュドドと呼ばれていた町です。フィリポについては、21章8節に、パウロがカイサリアに立ち寄った時にフィリポの家に泊まったことが記され、又、四人の娘がおり、預言する賜物を与えられていたと記されています。きっと、一家を挙げてカイサリアで伝道をしていたのだと思います。
 この宦官は、洗礼を受けるとフィリポと別れることになってしまったわけですけれど、「喜びにあふれて旅を続けた」、と聖書は記します。自分は救われない、神の民に加えられることはないと思っていたのに、彼は洗礼を受け、新しい神の民に加えられたのです。神の子、神の僕とされたのです。1500qもの旅をしてまでも、まことの神様を拝みたいと願った人です。彼の喜びはいかばかりであったことかと思います。この宦官が、キリスト教会における最初の異邦人としての受洗者となりました。地の果ての異邦人であり、しかも宦官という、ユダヤ教においては決して救いに与ることが出来ないとされていた者に救いが与えられ、神の民に加えられたのです。まさに、イザヤ書56章の預言がここに成就したのです。民族によらず、血筋によらず、ただ信仰によって救われるキリストの恵みが、ここに具体的エチオピア人の宦官の救いという形で現れたのです。この人は、フィリポと別れても救いの喜びはなくなりませんでした。洗礼はキリストと結ばれることであって、それを授けた人と結ばれるのではないからです。キリストの福音が誰によって伝えられたのかということではなく、キリストの救いに与った、神の民とされた、ここに喜びがあるからです。
 この宦官の名は記されておりません。無名の人です。しかし、エチオピアが二、三世紀にはすでにアフリカにおける唯一のキリスト教国となっていたという事実は、この宦官のエチオピアに帰ってからの働きと無関係ではないと考えて良いでしょう。この一人の為に遣わされたフィリポ。しかし、この一人から神様の救いの御業は広がっていったのです。私共も、そのような一人としてここに招かれているのです。

 私共は今から聖餐に与ります。まだ洗礼を受けていない方は、これに与ることは出来ません。しかし、主イエス・キリストを神の子と信じる全ての人に、キリストの救いは開かれています。このエチオピア人の宦官のように、どんな人に対してもキリストの救いは開かれているのです。まだ聖餐に与ることが出来ない人は、どうか、主イエス・キリストは私の為に来て下さったということを受け入れ、洗礼を受け、この宦官のように、新しい救いの喜びの中を歩んでいっていただきたい。そう心から願うものです。

[2009年7月5日]

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