富山鹿島町教会

礼拝説教

「天の主イエスを仰ぎ見て」
詩編 31編1〜25節
使徒言行録 7章54節〜8章3節

小堀 康彦牧師

1.自分を迎え入れて下さる主イエスを見る
 生まれたばかりのキリストの教会で、最初に選ばれた七人の執事の一人であったステファノが殉教しました。彼は最高法院に引き出され、堂々と神の民の歴史から語り始め、当時のユダヤの人々が頼りにしていた神殿や律法によって救われるのではなく、あなたがたが十字架によって殺したイエスこそ神様が送られた救い主であり、この方によって救われることを告げました。これを聞いたユダヤ人たちは、もはや冷静でいることが出来ませんでした。彼らは歯ぎしりをし、激しく怒りました。そして、ついにステファノの口から決定的な一言が告げられました。56節「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える。」この一言が、ユダヤ人たちの最後の心の鍵を壊してしまったのです。彼らはこの言葉を聞くと怒りに身を任せ、いっせいにステファノに襲いかかり、エルサレムの外にまで引きずり出し、石を投げて殺してしまったのです。
 どうしてこの一言がそれ程までにユダヤ人たちの心を逆撫でしたのでしょうか。それは、この一言が説明することも要らないほどに明確な、人の子イエス・キリストがまことの神の子であることの宣言だったからです。この時ステファノは、何らかの意図を持ってと言うよりも、単純に、神様によって自分に見せられたことを素直に口にしただけだったのではないかと思います。しかし、「人の子が神の右に立っている」という言葉は、何の説明もいらない程明確に、主イエスが誰であるのかということを告げる言葉でありました。それは、ユダヤ人たちが決して受け入れることの出来ない事実、つまり「十字架に架けられた主イエスはまことの神の子であり、天の父なる神様の御許におられ、父なる神さまと共に全てを支配している」ということの宣言だったのです。これはステファノが意図したというよりも、天を開いてステファノに天国における自らの姿を見せられた、神様御自身による宣言でありました。
 この「天が開いて」の「天」というのは、空ということではありません。ステファノはこの時、最高法院の中にいたのですから、空を直接に見ることは出来なかったでしょう。彼の目に直接見えていたのは、最高法院の建物の天井でした。ですから、この「天が開いて」というのは、まさに霊的な仕方で天の御国の有様がステファノに見せられたということでありました。
 ここで注目すべきは、「人の子が神の右に立っておられるのが見える」とステファノが語っていることです。ここでステファノが見たのは、主イエスの「立っている」姿だったのです。主イエスについては、使徒信条に「天に昇り、全能の父なる神の右に座し給えり。」とあるのと同じように、他の聖書の箇所では全て、「父なる神様の右に座っておられる」とあります。しかし、この時ステファノが見たのは、「立っている」主イエスでした。私はこう思うのです。ステファノは、自分がこの人たちに殺されることになることを覚悟していたと思います。そして、この時彼が見たのは、自分を迎える為に父なる神様の右の座から立ち上がっている主イエスの御姿でした。これは私の想像に過ぎないのですけれど、この時の主イエスの御姿は、両手を広げている主イエスのお姿だったのではないか。ステファノの死を目前にしての落ち着き、平安というものは、この主イエスが自分を迎えて下さるということに対しての揺るがぬ確信によるのだと思うのです。
 だとするならば、私共自身も又、自らの死を迎える時、天が開いて、主イエスが父なる神様の右に立っている姿を見せていただけるのではないか。そう思うのです。もし見せていただけないとしても、信仰において自分を迎え入れて下さる主イエスの姿を思い描き、御国を仰ぎ望みつつ、死を迎えることは出来るだろうと思うのです。
 天におられる主イエス・キリストを仰ぎ見る。それは、まさにこの主の日の礼拝のたびごとに私共が為していることであります。ここで天の主イエスを仰ぎ見ることが出来なければ、私共は一体どこで主イエスを仰ぎ見ることが出来るでしょうか。その意味で、私共はこの主の日の礼拝のたびごとに、自らの死への備えをしている。そう言って良いのだと思うのです。

2.死を超えた二つの祈り
 ステファノは石を投げられて殺される時、二つの祈りを主に叫びました。「主イエスよ、わたしの霊をお受けください。」と「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」の二つです。彼はこの二つの祈りを大声で叫んで、息を引き取ったのです。この二つの祈り言葉は、まさに主イエスが十字架の上で息を引き取る前に語られた言葉と同じです。しかし、ここでステファノは、主イエスの真似をしたのでしょうか。そうではないでしょう。自分が息を引き取る時に、真似をするなどという余裕はないでしょう。ステファノは、この時主イエス・キリストの霊である聖霊を受けていました。聖霊の御支配の元で死を迎えた時、この祈りが口から出て来たということではないかと思うのです。ステファノについて、聖書は「聖霊に満たされ」という言葉を何度も使ってきました。聖霊に満たされるということは、聖霊のご支配のもとで主イエスに似た者に変えられるということでしょう。ステファノは、主イエス・キリストに似た者とされ、この殉教の死というものを迎えたということなのだと思うのです。
 ステファノ味わった殉教の死。それは、みんなに石を投げられて死んでいくという、まことに凄惨なものでした。目をそむけたくなる、むごたらしい死でした。しかし、このステファノの死は、目に見えるむごたらしさや凄惨さを超えて、驚くべき強さと驚くべき美しさ、死を超えた勝利とでも言うべきものを私共に示しているように思います。むごたらしさ、凄惨さを超えた力であり、美しさです。それを最も明確に示しているのが、この二つの祈りです。
 「主イエスよ、わたしの霊をお受けください。」との祈りは、この肉体の死を超えた命を指し示しています。この祈りは、ステファノがまさに肉体の死を迎えようとしているその時に、彼は肉体の死を超えた命を見ていたということを示しています。ユダヤ人たちの怒りの感情に引きずられた集団ヒステリーのような状況の中で、一人ステファノは天におられる父なる神様と主イエス・キリストを見上げて、そこに備えられている永遠の命を見ていたのです。石をステファノに投げつけ、この肉体の命さえ奪えば全てが終わると思っている人々。一方、この肉体の命が終わっても終わることのない命を見ているステファノ。ここには、永遠の命の勝利が示されているのではないでしょうか。ステファノの殉教は、この肉体の死を超えた命に生きることの真実、強さ、美しさを私共に示しているのでしょう。主イエスが、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。」(ルカによる福音書9章24節)と言われたことが、ここで証しされているのです。
 そしてもう一つの「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」という祈り。ここには、圧倒的な赦し、聖なる赦しと呼んでも良い驚くべき赦しが示しています。ステファノはこの時、十字架につけられた時の主イエスと同じように、自分に石を投げて殺している人々を少しも恨むことなく、彼らの罪の赦しを祈っているのです。何と驚くべきことでしょうか。私共は、主イエスが十字架に架けられた時、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカによる福音書23章34節)と祈られたことを知っています。これは驚くべき祈りです。しかし、こんなことが出来るのは、イエス様だからだ、私共はそう思う。確かに、主イエスのこの十字架の上での言葉は、主イエスという方がまことの愛の方であり、人間の常識を越えた神の赦しの方であることが示されています。しかし、ステファノは人間でありながら、主イエスと同じ祈りをもって息を引き取った。これはどういうことなのか。これがまさに聖霊の御支配ということなのです。ステファノが特別に偉大であるというということではなくて、ステファノは、聖霊の御支配の中で、キリストに似た者とされたのです。主イエスの赦しを、我が身をもって証ししたのです。ステファノは主イエスの赦しに与りました。それ故、自分も又、この赦しに生きる者とされた。赦す者となったのです。主の祈りに、「我らに罪を犯す者を、我らが赦すごとく、我らの罪をも赦し給え。」とあります。ステファノも又、この主の祈りを毎日唱え、この祈りを自分の祈りとしていたに違いありません。そして、彼はこの祈りに生きる者とされたのです。
 怒り、憎しみに支配されて、ステファノに石を投げつける人々。その人たちの罪の赦しを祈るステファノ。永遠の命を信じ、それを仰ぐステファノ。ステファノはここで死にました。しかし、ここでは赦しが、永遠の命が勝利しています。ここに示されている強さ、美しさは、永遠の命の勝利であり、赦しの美しさなです。そして、この力と勝利と美しさは、主イエスの十字架の力と勝利と美しさなのです。私共もこのステファノのようになれる、そういう者として召されているのです。ですから、聖霊なる神様が私共を支配して下さるよう、心より祈り求めたいと思うのです。

3.サウロ
 さて、このステファノの死の場面に立ち会っていた若いユダヤ人がいました。その名前はサウロ。後にパウロという名でキリストの福音を伝道した人です。サウロは、ステファノの殺害に賛成していました(8章1節)。ステファノに石を投げつける人たちが脱いだ上着の番をしていたようですから、直接にはステファノに石を投げなかったのかもしれません。しかし、殺害に賛成していたのですから、その罪が軽いということではないでしょう。8章3節には「一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。」とあります。サウロが、いかにキリスト教を積極的に迫害していたかが分かります。そのサウロが復活の主イエスと出会って回心し、キリストの福音の伝道者となります。その経緯は使徒言行録9章に記されております。この出来事は、まさにステファノの「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」という祈りが聞かれたということを示しているのではないでしょうか。アウグスチヌスは、「教会にパウロが与えられたのはステファノの祈りによる。」と語りました。本当にそうだと思う。ステファノの殉教は、まことに凄惨なものでした。しかし、ステファノの死は、それで終わるようなものではなかったのです。次の神様の救いの御業の出発点となったのです。
 このステファノの殺害の場面を誰が伝えたのか。そこで一部始終を見ていたパウロではなかったか。私はそのように想像しています。この使徒言行録を記したルカはパウロと共に伝道していたのですから、大いに考えられることでしょう。
 私共は、つい自分の目の黒い内のことを考えます。そこで自分のしたことがどういう結果をもたらすのか、どういう意味があったのかを判断しようとします。しかし、私共のこの地上の生涯というものは、神様の御手の中にあるものである以上、その意味、その結末というものもまた神様の御手の中にあるものなのでしょう。そして、神様は信仰によって歩んだその生涯を決して無駄になさらない。必ず、御自身の救いの御業の為に用いて下さるのです。私共はそのことを信じて良いのです。
 ステファノの殺害に端を発して、ユダヤ人たちのキリスト教に対しての迫害は激しさを増しました。エルサレムには、キリスト者はもう誰もいられない程でした。キリスト者たちは、エルサレムを離れ、ユダヤとサマリアの地方に散って行きました。しかし、このことはキリストの教会を弱めることにはなりませんでした。それどころか、このことによって、キリストの福音がユダヤとサマリアの地方に広がっていくことになったのです。4節に「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。」とある通りです。キリスト者たちはエルサレムを追われていきます。しかし、散って行った先で福音を宣べ伝え、福音は広がっていったのです。
 このことは、ステファノが殺された時だけのことではありません。迫害はキリスト教の歴史の中で繰り返し起こりました。しかし、キリストの教会は、迫害によって滅びることはなかったのです。多くの殉教者たちが、信仰の故に命を落としていきました。しかし、殉教者の血は教会の種となったのです。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書12章24節)と主イエスが言われた通りです。

4.殉教者
 ステファノの殉教は、その後に続く多くの殉教者たちの初穂となりました。私共は、主イエスの十字架の死を無駄にしないように、この殉教者たちの死も忘れてはならないのです。そこには、キリストの命の勝利と、キリストの愛・赦しの勝利が明確に証しされているからです。
 今、殉教者たちの例をいくつも挙げることが出来ます。この日本においても長崎の殉教者は有名です。ただ、今日は比較的最近の一つの例を挙げましょう。これは、『ジャングルの5人の殉教者』という本にもなったものですが、1956年南米のエクアドルで5人のアメリカ人宣教師が殺されました。20代の結婚したばかりの若い宣教師たちは、当時唯一の人食い人種と言われていた800人ほどの少数民族のアウカ・インディアンに福音を伝える為に出かけたのです。しかし、残念ながらこのような結果になりました。しかしその後、その宣教師たちの未亡人の一人エリザベスさんが再度ジャングルに入って聖書翻訳を続け、ついにアウカ族の人々が回心し、お互いに主にあって深い和解を経験したのです。今、アウカ・インディアンの90%以上がクリスチャンとなり、毎週礼拝が守られ、彼らの言葉に聖書が翻訳され読まれているのです。
 私共に与えられている信仰とは、私共にこの肉体の命を超えた命を与え、私共を神の愛に、神の赦しに生きる者へと造り変え続けるのです。ステファノは、この信仰の大いなる力を私共に証ししたのです。私共にもこの大いなる力を与える信仰が与えられているのです。有り難いことです。ことを感謝し、この一週間も、この恵みの証人として、御国に向かって共に歩んでまいりたいと願うものです。

[2009年6月21日]

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