富山鹿島町教会

礼拝説教

「御言葉と祈りに専念するために」
出エジプト記 18章13〜26節
使徒言行録 6章1〜7節

小堀 康彦牧師

 私共は神の国を目指して歩んでおります。御心が天になるごとく、地にも為させ給えと祈りつつ歩む民です。しかし、教会は天国ではありませんから、いつも様々な課題を抱えており、問題を持っています。トラブルが起きることだってあるのです。地上の教会の歴史は、そのようなトラブルの連続だと言っても良い程であります。教会は罪人の集まりでありますから、問題は必ず起きるのです。しかしそうであるにも関わらず、教会を支配し導いているのは聖霊なる神様でありますから、そのようなトラブルによって教会が潰れてしまうようなことはありません。逆に、そのような問題が起きた時こそ、教会の主は誰であるのか、教会とは何であるのか、そのことが明らかになると言っても良いでしょう。教会の主は誰であるのか、教会とは何であるのか、教会が第一とするのは何なのか、このことを明らかにすることによって、教会は今まで全ての問題を乗り超えてきたし、解決してきたのです。教会はトラブルによって潰れることはありませんが、それに対しての対処の仕方がを間違えば、何を第一とするかということを間違え、誰が教会の主であるかということが明らかにされないのならば、潰れてしまうでしょう。私共は、二千年の間教会が全ての問題を乗り超えてきた筋道、教会の筋道というものを持っているのです。今朝は、与えられている御言葉から、このことを学ばせていただきたいと思います。

 1節を見ますと、「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。」とあります。ペンテコステの日以来、主イエスを信じる人々が次々と増し加えられていきました。2章41節には「三千人ほどが仲間に加わった」とありますし、2章47節には「主は救われる人々を日々仲間に加え」とあり、4章4節には「二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった」とあります。使徒たちの伝道によって、生まれたばかりの教会は、急速にその数が増えていったのです。こんなに急激にキリスト者の数が増えるというのは、今の私共の教会では考えづらいかもしれませんけれど、教会の歴史の中ではたびたびこのようなことが起きたのです。現在でも中国ではそのような現象が起きていると聞いておりますし、少し前には韓国でも起きておりました。日本でも戦後のキリスト教ブームの時は、これに近いものがあったのではないでしょうか。どの教会でも、毎年何十人という人が洗礼を受けたのです。
 数が増えることは嬉しいことです。しかし、みんなの顔と名前が一致するという小さな群れから急に数が増えて大きな群れとなれば、そこに問題も生じます。使徒言行録を今まで読んできて繰り返し語られておりましたのは、「皆、心を一つにして」ということでした。しかし、数が増えていく中で、「皆、心を一つにして」とは簡単に言えない状況が起きてきたのです。
 具体的に申しますと、日々の分配のことで、ギリシャ語を話すユダヤ人からヘブライ語(実際にはヘブル語に近いアラム語です)を話すユダヤ人に対して苦情が出たということでした。生まれたばかりのキリストの教会は、土地や家を持っている人がそれを売って献金し、それを貧しい者に分配するということをしておりました。そこで「やもめ」というのは一番経済的に弱い立場の人ですから、分配を受けることになっていた。ところが、その分配において偏りがある、平等じゃない、そういう不平・不満・苦情が出たというのです。何とも生々しい話ですが、教会で起きる問題というのは教理や神学の違いというようなことばかりではなくて、富の分配という実に日常的な、この世的なことも起きるのです。このような問題は、信仰的な事柄ではないのでどうでも良いと捨てておくことは出来ないのです。このような問題にどのように対処するのか、どのように秩序づけていくのか、それが地上の教会の大切な課題なのです。
 ここで注目すべきは、ギリシャ語を話すユダヤ人、これをヘレニストと言い、ヘブライ語を話すユダヤ人、これをヘブライストと言いますが、ヘレニスト対ヘブライストの対立という形で事が起きたということです。ヘレニストと呼ばれた人々は、ローマ帝国中に散っていたユダヤ人、彼らはそれぞれの地でユダヤ人社会を作っていたのですが、その地にに住み、何代か経るうちに、ヘブライ語を使わずに、当時の公用語であったギリシャ語を用いて生活するようになった人々です。一方、ヘブライストと呼ばれる人々は、代々ユダヤに住み、ヘブル語で生活していた人々です。多分、この両者は言葉だけではなくて、考え方や生活習慣も違っていたのではないかと思います。十二使徒たちはヘブライストです。ですから、ヘレニストの人たちは、自分たちは少数派であって主流ではない、軽んじられている、そんな思いもあったのかもしれません。それが、このような日々の分配での不満・苦情という形で出たのではないかと思います。これはなかなか複雑な問題です。文化・民族を超えて福音が広がり、教会が成長していく中で、必ず起きてくる問題です。ある意味で、教会は二千年間、この問題と向き合わねばならなくなったと言っても良い程です。そこで、生まれたばかりの教会はどうしたのか。

 2〜4節に「そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。『わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、”霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。』」とあります。使徒たちは、まず第一のものは何なのか、そのことを明確にいたしました。それは祈りと御言葉です。「神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。」口語訳では「神の言葉をさしおいて、食事のことに携わるのはおもしろくない。」となっていました。個人的には口語訳の「おもしろくない」の方が好きなのですけれど、いずれにせよ、使徒たちは神の言葉を宣べ伝えていく、それが第一の務めなのであって、日々の分配、食事の世話に忙殺されるのは良くない、御心に適わないと判断したのです。そして、自分たちは祈りと御言葉の奉仕に専念することにすると明言したのです。祈りと御言葉の奉仕に専念するとは、伝道と礼拝に専念すると言っても良いかと思います。ここで教会は何を第一としなければならないかを明確にしたのです。教会が第一とすること、それは祈りと御言葉です。それを差し置いて、他のことに一生懸命になっても、それは御心にかなわないのです。教会は、この最初の起きたトラブルによって、そのことを明確にすることが出来たのです。
 ここで使徒たちの職務が明確にされました。これが現在の牧師の職務につながっていると言って良いでしょうし、私共長老教会の伝統においては、長老会において担われることになったと考えても良いでしょう。
 一方、日々の分配、食事の世話の問題はどうなったか。使徒たちは、その為に七人を選んで、その仕事を任せることにしたのです。これが執事職の始まりと考えられています。ここには執事という言葉は出てきていませんけれど、「分配」とか「世話」と訳されているのが「ディアコニア」という言葉で、この言葉からディアコノス=執事という言葉が生まれたのです。ここに教会の制度、職制の始まりを見ることが出来ると思います。そしてその制度とは、教会が御言葉をないがしろにしない為に定められた、伝道と礼拝をしっかり行う為に定められたものだったのです。教会の制度、秩序というものは、それを守ることに意味があるのではないのです。それを用いて伝道と礼拝が充実する、その為にあるということなのです。ですから、この執事が立てられたという記事は、7節の「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。」へと続いているのです。弟子の数が増えても大丈夫な体制、制度、秩序を整えることによって、いよいよ伝道が進展したということなのです。
 私共の教会はブロック会というものを始めております。教会を四つのブロックに分けて、長老を中心に牧会・伝道に当たろうというプランです。それは一つの試みであり、まだ十分に理解され機能しているとは言えませんけれど、30〜40人の単位で丁寧な牧会をしなければいけないと考えたからです。この初代教会の時のように、ヘレニストからの苦情が出たわけではありません。しかし、一人一人が伝道・牧会の自覚を持って主の業にお仕えしていく為には、一人一人がきちんと見られ、交わりに加えられ、牧会されていく必要を覚えたからです。もっと伝道と礼拝が充実していく為の一つの方策です。ブロックごとの家庭集会というのも、その一つの試みなのです。もっともっと家庭集会を用いていただきたいし、我が家を家庭集会に用いて欲しいという希望が出ることを、私としては待っているところです。

 さて、新しく選ばれることになった執事ですが、「”霊”と知恵に満ちた評判の良い人」というのが使徒たちが出した条件でした。これは、いつの時代でも変わらないと思います。信仰がはっきりしていて、信仰による知恵を与えられている人です。それは信仰によって事柄を判断出来る人ということでしょう。そして、評判が良くなくてはいけない。この「評判が良い」というのは、みんなの受けが良いというようなことではありません。そうではなくて、各々は日々の信仰生活が互いに見られているわけで、その様な中で評判がよいということは、その人の日々の歩みが信仰に貫かれているということでしょう。これより少し後になりますと、テモテへの手紙一3章8〜9節「同じように、奉仕者たちも品位のある人でなければなりません。二枚舌を使わず、大酒を飲まず、恥ずべき利益をむさぼらず、清い良心の中に信仰の秘められた真理を持っている人でなければなりません。」のように言われます。この「奉仕者」と訳されているのがディアコノス=執事です。
 そして使徒たちは、自分たちでそのような人を選んでこの人にしなさいと言ったのではなくて、弟子たちに選ばせたのです。どういう方法で選ばれたのかは分かりませんけれど、これが私共が教会総会で投票によって選ぶということの出発点になっているのです。そして選ばれた七人は、6節に「使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。」とありますように、按手を受けたのです。この按手というあり方が、その後の教会において牧師・長老・執事が生まれるとき、任職されるときの祈りの形となりました。二週間前、私共の教会は新しく選出された一人の長老と一人の執事に按手をして、長老・執事に任職いたしました。それも、ここから始まっていることなのです。
 この選ばれた七人ですが、その職務は日々の分配をきちんと行うということだったのですけれど、彼らはそれだけをしていれば良い、それだけがキリスト者としての自分の務めであるとは考えていませんでしたし、そのように生きたのではないのです。使徒たちが祈りと御言葉に専念する中で、御言葉に生かされ、自分の全てをもってこれに仕える群れへと教会は建っていったのです。七人の最初に出てくるステファノ。彼はキリスト教会最初の殉教者となった人です。7章にあります彼の説教は、実に堂々としたものです。又、次に出てくるフィリポは、8章においてエチオピアの高官にイザヤ書を説き明かし、洗礼を授けています。彼らは、使徒たちが説き明かす御言葉を聞いて、それに生かされ、自らも福音を語り、伝える者として生きていたのです。私は、このことは大変重要なことだと思っているのです。初代教会において、伝道は使徒たちだけがしていたのではないのです。いや、初代教会だけではありません。伝道というのは牧師や教職の専売特許なんかではないのです。牧師も信徒たちも一つになって仕えていくのです。
 今年は日本の宣教150年の年です。安政6年、1859年に横浜に宣教師が来てから150年になります。全国でその記念集会が開かれ、北陸においてもそのような集会を開こうということになっています。その宣教師たちには信徒が少なくなかったのです。私共の教会の関係で言えば、横浜バンドのヘボンです。ヘボン式ローマ字を作ったり、フェリス女学院や明治学院を建て、院長もし、最初の和英辞典を作り、旧約聖書の翻訳までしましたが、彼は医師であり信徒でした。横浜指路教会を建てたのもヘボンです。又、熊本バンド、これは後に同志社の流れと合流しますが、これは熊本の洋学校に来ていたキャプテン・ジェーンズの影響によって起こされました。彼は軍人であり信徒でした。札幌バンドは内村鑑三や新渡戸稲造を輩出しましたが、これは札幌農学校に教師として来ていたクラーク、あの「少年よ大志をいだけ」の言葉で有名ですが、彼の影響の下で生まれました。彼も信徒でした。19世紀はキリスト教史において、最も伝道が進展した世紀と言われ、その大きなうねりの中で日本にもキリスト教が伝えられたのですが、その大切な働きを多くの信徒たちが担ったのです。教会というのは、御言葉を信じ、これに生かされ、神様の御業にお仕えする群れです。そこでは、教職も信徒も一つになって主にお仕えするのです。
 私共は使徒言行録を読みながら、初代教会に注がれた聖霊の息吹を、私共も受けていきたいと思わされるのです。牧師も長老も執事も信徒も、皆一つになって神の言葉を聞き、これに生かされ、これを語り、これに仕える者として歩ませていただきたいのです。そのような教会として建て上げられていきたいと心から願うのです。

[2009年5月17日]

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