富山鹿島町教会

礼拝説教

「主イエスの名によって歩きなさい」
イザヤ書 35章3〜7節
使徒言行録 3章1〜10節

小堀 康彦牧師

 ペンテコステの出来事によって誕生したキリストの教会は、聖霊として現臨される主イエス・キリストによって、主イエスの言葉と業とを受け継ぎ、主イエスの救いの御業を遂行する群れとして建てられました。主イエスは十字架にかかり、三日目によみがえり、天に昇られましたが、聖霊として弟子たちと共におられることを、その言葉と業とによって明らかにされたのです。主イエスの弟子たちは、その言葉と業とによって、主イエスはここにおられるということ、主イエスの救いの業は終わっていない、ここに続いていることを示したのです。神様はどこにおられるのか。主イエスはどこにおられるのか。この問いに対して、ここにおられる。神様は、主イエス・キリストは、私共と共に、今ここにおられる。そのことを示し、告げる民として、教会は建てられ、立ち続けてきた。私共もまた、ここに立っているのです。

 先週私共は、今朝与えられた御言葉の直前の所、使徒言行録2章の終わりの所から御言葉を受けました。そこには、ペンテコステによって誕生したキリストの教会が、何を為していたのかということが要約されておりました。まさに、今朝与えられております3章の始めの出来事は、その要約の具体的な展開と言って良いかと思います。今朝与えられております御言葉は、ペトロとヨハネが祈る為にエルサレムの神殿に上って行く時に、「美しい門」と呼ばれていた門の所で、生まれながら足の不自由な男をいやされたことが記されております。これはまさに、2章の43節に「使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていた」とあり、46節には「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り」と記されていることの具体的な出来事でありましょう。
 3章の1節を見ますと、「ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。」とあります。当時のユダヤ教では、一日三回、午前9時と正午と午後3時が祈りの時と定められていたようです。彼らはいつものように、午後の3時にエルサレム神殿に祈りに行ったのです。そこに、生まれつき足の不自由な男が物乞いをする為に運ばれて来ました。この男は、4章22節を見ますと「四十歳を過ぎていた」とあります。足が不自由な為、働くことも出来ず、40歳を過ぎるまで、彼は来る日も来る日も、物乞いをするしかなかった。神殿に祈りに来る人に、物乞いをする。神殿に祈りに来る人に物乞いをするというのは、効率も良かったのだろうと思います。今から神様に祈りに行くという時に、神様に憐れみを求めに行く時に、自分に憐れみを求める人を無下に退けるというのは、心理的に抵抗があるでしょう。それを狙っていたのかもしれません。又、まことにひどい話ですが、この当時、身体に障害を持った人は、神に見捨てられた者として、神殿の中に入ることは出来なかったのです。

 40歳を過ぎた、物乞いするしかない足の不自由な男と、主イエスの弟子であるペトロとヨハネの間に、この時出会いが起きました。3節から5節を見ますと、ここに「見る」という言葉が4回出て来ます。ギリシャ語では、4つの違う「見る」という意味の単語が使われています。聖書は、注意深く4つの違う「見る」という意味の言葉を用いながら、ここで何が起きたのかを語ろうとしているのです。順に見ていきましょう。
 最初は、3節「彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しをこうた。」この時、この足の不自由な男は、多くの人が自分の前を通り過ぎていく中で、その中の一人としてペトロやヨハネを見たのでしょう。その見方と言えば、ただぼんやりと、何となくそちらに視線を向けた、ただ施しを乞う為にペトロとヨハネの方を見たということでしょう。ところが、ペトロとヨハネはその視線をしっかりと受けとめたのです。二番目の「見る」です。4節「ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て」とあります。この「じっと見て」という訳は良いと思います。その人の正面から、その人の目を見据えて、しっかりとその人を見つめたのです。この男に関心を持ち、この男を見つめたのです。このような視線に出会ったことは、この男には今までなかったのではないかと思います。彼がここで物乞いをすると、人はその男に対してチラリと視線を向けることはあっても、すぐに視線をそらしてその前を立ち去るか、やはりすぐに財布の中に視線を移して小銭を取り出すかしたのだろうと思うのです。誰も彼をしっかり見つめるなどという人は居なかったと思います。しかしこの時、ペトロとヨハネはこの男を「じっと見つめた」のです。この男に心を向け、関心を持ち、見つめたのです。私は、この時のペトロとヨハネのこの足の不自由な男に対しての視線、見つめ方、これは主イエス御自身が弟子たちと出会った時のそれではなかったかと思うのです。ペトロにもヨハネにも、自分に対してこのような視線を向けてくれた方がいたのです。その方によって、自分は生まれ変わった。そして今、ペトロとヨハネはペンテコステによって、その方の霊を受けた。ペトロとヨハネは、自分をそのように見つめた方の、そのまなざしをもって、この男を見つめたのだと思うのです。
 そして、ペトロとヨハネはその男に「わたしたちを見なさい」と言うのです。三つ目の「見る」です。ペトロとヨハネがその男を見つめただけでは事は起きないのです。その男も又、見つめ返さなければ、互いに視線を合わせなければ、出会いは起きないのです。ペトロとヨハネは「わたしたちを見なさい」と告げます。ここでの「見なさい」とは、どういう意味なのでしょうか。私は、この時のペトロとヨハネと同じことを、パウロもしばしば手紙の中で書いていたことを思うのです。パウロの言葉で言えば、「わたしに倣う者となりなさい。」(フィリピの信徒への手紙3章17節、コリントの信徒への手紙一4章16節、11章1節など)がそれに当たると思います。パウロは、キリストに生かされている私を見よ、そして私がキリストと共に生きているように、あなたがたもキリストと共に生きなさい、そう言ったのでしょう。この時のペトロとヨハネの「わたしたちを見なさい」という言葉も、同じだと思います。「私たちを生かし、私たちを救い、私たちと共におられる方、主イエス・キリストを、私を通して見なさい。」そう言っているのだと思います。
 以前も申し上げたかと思いますが、私はパウロのこの「わたしに倣う者となりなさい。」という言葉が、伝道者になったばかりの頃、本当に説教出来なくて困ったことがありました。神学校を卒業して、教会に遣わされ、最初に始めた連続講解説教において、パウロ書簡を行いました。そして、説教者としてこの言葉と向き合わなければならなかったのです。パウロはこう言えるだろうけれど、自分は言えない。正直、そんな思いを持ちました。そして、この言葉を避けるようにして説教したのです。後ろめたかったのです。そして、この言葉はづっと私の心に留まり続けました。それから何年かして、牧師として歩み続けていく中で、この言葉を自分の言葉として言えないようなら、牧師を辞めなければならないと思うようになりました。私の伝道者論、教師論の中核を形成する聖句となりました。
 ここでペトロもヨハネもパウロも、「自分を見よ」と言うのは、自分は立派な者だ、大した者だ、だから自分を見よと言っているのではないのです。自分はただキリストによって救われ、生かされ、立たされている。自分の中には何もない。本当に何もない。何もなくて良いのだ。ただキリストの恵みだけがある。このことだけが意味があり、価値があり、力があるのだ。そのことは、自分を見てもらえば分かる。さあ、私を見てくれ。そういうことなのです。このことは、全てのキリスト者も言えなければならないのだと思うのです。牧師だけではない。この日本において、キリストを知ろうとすれば、キリスト者である私共を通して知るしかないのです。私共は、この現実から逃げることは出来ないのです。「私を見ないでください。ただ主イエス・キリストだけを見てください。」そんな言い訳じみた伝道など許されていないのです。主イエスを知りたい方は、どうぞ私を見て下さい。主イエスの弟子である私共は、そう言い切れる者として召されているのであり、ここから逃げ出すことは出来ないのです。

 さて、四番目の「見る」ですが、5節に「その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると」とあります。ここで、ペトロとヨハネの「わたしたちを見なさい。」という言葉は、通じなかった、空振りだったということが分かります。ペトロとヨハネの思いは通じなかった。この男は、「何かもらえるのではないか」という、自分の期待、自分の思いから離れることが出来ずにペトロとヨハネを見たのです。それはそうだろうと思います。そんなに簡単に自分の願いや思いから自由になることは、人には出来ないものです。それが罪というものでしょう。それに、そう簡単に主イエスが伝わるものではないのです。しかし、ここでペトロとヨハネは怯まないのです。もっと直接的に、もっとはっきりとこう告げるのです。
 6節「わたしには金や銀はない。」この言い切り方は、私は清々しささえ覚えます。ペトロもヨハネも、単に事実を告げただけなのかもしれませんけれど、「わたしには金や銀はない。」と言い切る。男の人は何かもらえるのではないかという期待を込めてペトロとヨハネを見ているわけです。ですから、この言葉は完全に相手の期待を裏切るわけです。教会に、或いはキリスト教信仰に、無理な期待や求めをされても、私共は応えることは出来ません。にも関わらず、私共はどこかで相手の期待に応えようと無理をしてしまう所があるのではないでしょうか。しかし、私共は無理な期待に応える必要はないのです。私共は、ただ私共が持っているもの、与えることが出来るもの、それが何であるかを明確に自覚し、それを与えることに全力を注げば良いのでありましょう。
 私共が、教会が持っており、与えることが出来るもの、それは主イエス・キリストの名によって立ち上がらせ、歩かせることです。「イエス・キリストの名によって」というのは、名というのはその方自身を意味しますから、イエス・キリストによって、イエス・キリストそのものによって、ここにおられるイエス・キリスト、現臨されるイエス・キリストによって、ということであります。
 イエス・キリストによって立ち上がり、歩く。それは、ペトロとヨハネには既に与えられていたものでしょう。彼らは主イエスに出会い、主イエスの救いに与り、神の子、神の僕として立ち上がりました。そして、御国に向かって歩み出した者なのです。私は、この場面を読みながら、どうしても主イエスと弟子たちとの出会いの場面、主イエスのいやしの場面と重なって見えてくるのです。この40歳を過ぎるまで歩くことの出来なかった男は、主イエスと出会う前のペトロでありヨハネの姿だったのではないか。ペトロとヨハネは、この男に主イエス・キリストに救われる前の自分の姿を見たのではないか。そう思えてならないのです。そして、主イエスによって救われたペトロとヨハネは、まだ主イエスを知らない、それ故に希望を持てずに生きているこの男にも、自分が主イエスにしていただいたようにする、自分が主イエスに与えられたものを与える。彼らがここでしていることは、そういうことだったのではないかと思うのです。そしてこの「主イエスがしてくれたようにする」という所に生きることこそ、キリストの霊を受けた者の歩み方なのであります。教会はそのようにして、いつの時代も、主イエスによって、聖霊によって自分がしていただいたことを隣人にすることによって、キリストの御業の道具として用いられ、立てられてきたのです。私共もそうです。キリストに愛され、教会に愛されてきた。だから、隣人を愛するのです。ここに、聖霊の働きが現れているのです。

 この男はいやされると、8節「躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。」とあります。彼は今まで、神殿の境内に入ることは許されていなかった。しかし今や、公に、皆と共に、神様を賛美する者となったのです。これが、主イエス・キリストの名によって与えられた救いによってもたらされた出来事です。この男の人は、今まで神様を呪ったことはあったでしょうが、神様を賛美する、誉め讃えるなどということとは無縁の人生を歩んでいたのだと思います。私共もそうでした。主イエスに出会い、主イエスの救いに与るまで、神様を賛美するなどということは知らなかった。そんな世界があることさえ知らなかった。人生は、自分の思いや願いを実現する為にあるのだし、その為に努力し、それが出来なければ嘆くしかない。そういうものだと思っていた。そこには、それなりの楽しみも喜びもあった。しかし、何があっても揺らぐことのない、本当に自分を生かす、希望も喜びもなかったのです。しかしこの男は、今までに味わったことのない喜びを味わいました。そして、今まで入ることの出来なかった神殿に入り、神様との親しい交わりに生きる者となったのです。彼がペトロとヨハネに望んでいたのは、幾ばくかの金でした。今で言えば、100円か200円かということでしょう。しかし、彼が与えられたものは、そんなものとは比べものにならない程大きな、新しい、輝きに満ちた喜びでした。彼が与えられたのは、使ってしまえばなくなってしまう小銭ではなく、自分の足で歩け、人と対等に交われ、明日への希望を持って生きることが出来る、新しい人生でした。その喜びの中、彼は神様を賛美しないではいられなかったのです。
 神様をほめたたえる。主を賛美する。これは、主イエスに救われた者に与えられる、全く新しい世界での行為です。この新しさは、特に日本人には、全く新しいことであるが故に、救われるまで「神様をほめたたえる」・「主を賛美する」ということは何のことか、さっぱり分からないものだろうと思います。これは他の言葉で言いようがないのですが、強いて言えば、「おかげさま」というような感覚でしょうか。しかし、ここには弾けるような、満々と湧き上がる喜びがあるのです。まさに、「ハレルヤ!!」なのです。
 この男の、主をほめたたえる姿に、人々は驚きました。彼がいつも「美しい門」に座って施しをこうていた人だと気付いたからです。どうして気付いたのか。きっと、その身なりから気付いたのでしょう。一人の男のいやされました。その元には、主イエスの弟子たちが主イエスによって救われ、そして聖霊を受けたということがありました。そしてその後には、人々の間に驚きが生まれました。キリストの救いに与った人を見ると、人々は驚くのです。「あんたがクリスチャン?」これで良いのです。これが良いのです。ここに生まれるのが驚きです。私が牧師をしていると、小学校、中学校、高校の同級生に言うと、「お前がか?」とみんな驚きます。これで良いのです。 
 主イエスの弟子たちから、足の不自由な男へ、更に神殿にいた人々へ。ここには、主イエスの救いの御業が、波紋のように広がっていく次第が記されているのだと思います。主イエスの救いの出来事というものは、一人の人の中にとどまることは出来ないのです。どうしたって広がっていくのです。そういうものなのです。広げようとか、伝えようとかする前に、広がり、伝わっていってしまうものなのです。救いの出来事とは、聖霊による御業であり、一人でも多くの者が救われるということは、まことに御心にかなうことだからです。キリストの教会は、この聖霊のお働きによって建ってきましたし、教会においてキリスト者は生まれ続けてきたのです。今もそうです。
 この一週間、出会う人々に、一人でも良いですからその人を「じっと見て」、関心を向け、その人に「私を見なさい。」と告げ、イエス・キリストによって生きる恵みと幸いを証ししてまいりたいと願うものです。どうか、あなたがた一人一人に、聖霊なる神様が宿り、私共を強めて下さいますように。

[2009年3月22日]

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