富山鹿島町教会

礼拝説教

「励まし、励まされる交わり」
歴代誌 下 32章1〜7節
エフェソの信徒への手紙 6章21〜24節

小堀 康彦牧師

 昨年の9月から読み進めてまいりましたエフェソの信徒への手紙も、今日で終わります。パウロは、自分は囚われの身となりながら、エフェソの教会に集う人々を覚え、この手紙を書きました。彼らの信仰が健全なものとして守られるように、神様の救いの恵みとその恵みに生きる歩みについて語ってきたのです。パウロがこの手紙を書いた動機ははっきりしていると思います。エフェソの教会の信徒たちが信仰にしっかり立つことが出来るように、そのことを促し、勧め、励ます為です。パウロはそのことの為だけにこの手紙を書いたのでしょう。ですから、私共もこのパウロの願いというか、その思いを受け取ってこの手紙を読み続けてきました。私共の信仰が健全なものとして整えられ、主イエス・キリストの救いの恵の中に留まり続け、日々の信仰の歩みが強められること、そのことを願って読み進めてまいりました。

 さて、この手紙を終えるに当たって、今朝与えられた御言葉には、二つのことが告げられています。一つは、ティキコというパウロの弟子といったらよいのでしょうか、自分と共に主に仕えてきた信頼出来る信仰の友をエフェソに送るということです。そしてもう一つは、手紙を書き終えるに当たっての最後のあいさつです。
 このティキコという人ですが、この人は使徒言行録やテモテへの手紙二、コロサイの信徒への手紙などにも出てきます。それらの所を読みますと、彼はパウロの第三次旅行の途中からパウロと同行した人であったようです。具体的にどのような人であったのかは分かりませんけれど、パウロと共に主の御業に仕え、教会の御用に仕えていた人であったことは確かなことです。パウロは、ティキコにこのエフェソの信徒への手紙を託したのではないかと思います。きっと、ティキコはこの手紙を持って、エフェソの教会へと遣わされたのだろうと思います。
 ですから、ティキコの第一の使命は、この手紙をエフェソの教会の人々に届けることだったと思います。しかし、それだけではありませんでした。22節「彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼から心に励ましを得るためなのです。」とあります。このエフェソの信徒に宛てられた手紙と同様に、この手紙を届けるティキコの使命も又、エフェソの教会の人々を励ますことだったのです。皆が字を読めるというような時代ではないのですから、この手紙が届けられると、この手紙はエフェソの教会の集会の中で朗読され、教会のみんなに読み聞かされたことだろうと思います。そうすると、エフェソの教会の人々の方からティキコに対して、きっと「パウロはどんな様子なのか。」、「元気にやっているのか。」、そんな質問が出たに違いないと思います。ティキコはその問いに対して、パウロのありのままの日々の様子を伝えようとしたに違いありません。「パウロは囚われの身となりながらこんな生活をしている」ということを話そうとしたのです。そしてパウロは、自分のことがティキコの口からエフェソの教会の人々が聞くならば、必ず彼らは励まされるはずだと考えていたのです。励まされるというのは、ただパウロの無事なことを聞いて「ああよかった。」と安堵するというようなことではないでしょう。信仰が強められ、信仰の歩みがいよいよ確かなものとされるということが起きるということでしょう。
 しかし、パウロはどうしてそんなことが起きると確信することが出来たのでしょうか。それはこういうことだと思います。パウロが囚われの身となったということは、同じ信仰を持つ者に少なからぬ動揺を与えたと考えて良いでしょう。「神様の御用に励むパウロが囚われの身となるということはどういうことなのだろうか?」、「神様は本当に守ってくれるのだろうか?」、「神様の御支配はどこにあるのか?」、「自分たちもパウロと同じ目に遭うのではないか?」そんな動揺が起きたのではないかと思うのです。そのような心に動揺を覚えていた人々に対して、ティキコはパウロが少しも信仰において揺れていないこと、囚われの身となっても日々大胆にキリストの救いを宣べ伝えている、そんな様子をありのままに語り伝える為に送られたのではないかと思うのです。私共が信仰の励ましを受けるというのは、同じ信仰に生きる者が、困難の中にあってもいきいきと信仰に生きる様子を聞かされる時なのではないかと思うのです。神様がこの人の信仰を守り、支えて下さっていることが明らかにされるからです。神様が生きて働き、御支配されていることが、そこに明らかにされるからです。全実存をかけて神様に信頼し、神様と共に生きている者の姿ほど、私共信仰者を励まし、勇気づけるものはないのではないでしょうか。

 今、歴代誌下32章をお読みしました。ここにはエルサレムにアッシリアの大軍が攻めてきた時のことが記されています。この時の南ユダ王国の王はヒゼキヤ、預言者イザヤがいた時のことです。既に北イスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされておりました。そのアッシリアが今度は大軍を率いて南ユダ王国を滅ぼしに来たのです。文字通り、南ユダ王国は風前の灯火となろうとしていました。この時、ヒゼキヤ王はこうエルサレムの民に告げたのです。7、8節「強く雄々しくあれ。アッシリアの王とその全軍団を見ても、恐れてはならない。おじけてはならない。我々と共においでになる方は、敵と共にいる者より力強い。敵には人の力しかないが、我々には我々の神、主がいて助けとなり、我々のために戦ってくださる。」と。そして、このヒゼキア王の言葉を聞いた人々は力づけられ、励まされたのです。それは、このヒゼキア王の言葉には命がけの真実があったからです。そして事実、アッシリアの大軍は神様によって一夜にして壊滅し、アッシリアの王センナケリブは都に帰り、エルサレムは救われたのです。「神様が共にいて、助けてくださる。」この信仰に命がけで立つものの姿は、信仰者を励まし、力づけるものなのです。

   私はいつもこう思っています。私共の教会も高齢の方が多くなってきました。その方々から、よく「自分はもう何もご奉仕出来なくて。」という言葉を聞きます。その人にとって、それは確かに無念なことなのだろうと思います。しかし、私共にとって何よりの励ましとなるのは、この高齢となり、体のあちこちが痛くなりながら、それでも懸命に礼拝を守るその人の姿なのではないでしょうか。その姿によって、私共の信仰は励まされているのではないでしょうか。互いに励まし、励まされる交わりというのは、何よりも信仰に生きている姿を互いに示すことによって形作られていくのだと思うのです。言葉には出さずとも、どんな困難の中にあっても、祈りつつ、御言葉を慕いつつ、礼拝に集うその姿をもって、互いに励まし、励まされているのが私共なのでありましょう。私共は、何をもって互いに信仰を励ますのかといえば、このことしかないと思うのです。私共は、自分で意識していなくても、困難の中でもなお信仰を守って生きていくその姿によって、どれほど人を励ましているか。私共はそのことに、もっと気付いてよいと思うのです。私共の信仰の歩みというものは、私だけのものではないのです。自分の救いだけがかかっているのではないのです。人を励ますという影響を互いに受けあっている存在なのです。教会とはそういう交わりなのです。
 また、ティキコはここで自分のことを話すのではなくて、パウロのことを話すことによって、エフェソの教会の人々を励ますのです。私共はパウロにならなくても、ティキコであることは出来るのではないでしょうか。信仰に励んで歩む人のことを伝え、それによって人を励ます。それは出来るのではないかと思うのです。
 私の前任地におられた方で、長く長老をされていた方でしたけれど、90歳を超えて老人施設に入られていた方がいました。この方はいつ問安に行っても寝ておられる。一日中寝ておられるからです。ところが、日曜日の朝になると6時から起きて、背広に着換えさせてくれるように職員に頼むのです。そして8時30分に教会員が迎えに行って、教会学校から一番前で車イスで礼拝を守る。その姿に、どれだけ若い教会員が励まされてきたことでしょう。主の日の礼拝を守るということはどういうことなのか、信仰者として老いるということはどういうことなのか、天に召されるまで身をもって示してくれたのです。その方は50年以上にわたって教会学校の校長をされていた方でしたので、葬式の讃美歌の内の一つは「こどもさんびか」を用いました。私を、そして教会員達を励まし続けてくれた方でした。

 さて、パウロはこの手紙を終わるに当たって、挨拶を記します。この挨拶は、他の手紙と同じように「祈り」です。祈りをもって、パウロは手紙を終えるのです。これは、習慣と見ることも出来るでしょうけれども、単に習慣ということではないと思います。パウロは、祈らなければこの手紙を終えることが出来なかったのだと思うのです。今までいろいろ記してきた。教理についても語り、キリスト者としての日々の歩み方についても記してきた。それは、どれもこれも、エフェソの教会の人々が健やかな信仰の歩みを為して、神様の救いに確かに与っていくことが出来る為でありました。しかし、この信仰の歩みというものは、結局の所は神様の守り、支え、導きというものに委ねなければならないのです。パウロはそのことをよく知っていたのです。
 私も牧師として、この人には信仰者としてこの人はこのように歩んで欲しい、そういう願いを持ちます。主の御前に立つ日まで、しっかりと信仰を持ち、右にも左にも逸れることなく歩んで欲しいと思います。しかし、それは私共がこう言ったから、こういう手紙を書いたから、その人がそのように歩むということにはならないのです。神様が働いて下さらなければどうにもならない。だから、祈らなければならないのです。神様が働いて下さらなければ、どうにもならないからです。パウロは、手紙を書き終える際に祈りを記しているわけですが、これは何も手紙を書く時だけのことではなかったと思います。何かを為す度に祈ったのだと思う。神様の御業に仕えるということは、この祈りなしには為し得ないからです。
 私は先週一週間、教団の教師になる人たちの検定試験を行ってきました。今回は約90名の方が受験しました。もちろん全員が合格したわけではありません。一人一人に判定を下すことは、大変厳しいものです。この作業に当たり、当然のことですが、祈りをもって始まり、祈りをもって終わりました。この試験の間、何度も何度も祈りました。検定委員たちと祈り、受験者たちと祈りました。ただ神様の召しとそれに応える献身とが問われました。とても祈りを抜きに出来るようなことではありません。自らの欠けを思い、しかし神様の導きと御支配だけを祈って、事に当たってまいりました。パウロも又、そのような日々を送っていたのだと思うのです。祈りを抜きに為し得ない業にパウロは仕えていたのです。それ故この手紙においても祈りを持ってしか終えることが出来なかったのでしょう。

 パウロがここで祈っていることは、平和、信仰と愛、そして恵みであります。この一つ一つについて思いを巡らすことも出来ますが、これは一繋がりのものとして受け取った方が良いと思います。
 まず、平和です。これは平安とも訳せます。主イエス・キリストの御業の故に、神様との間に平和を与えられたのが私共です。この神様との間の平和、平安こそ、人と人との間の平和を生み、そして私共の心に平安を与えてくれるのです。私共はいきなり心の平安を求めがちですが、神様との和解、人との和解というものがなければ、平安などはないでしょう。私は神様のもの、神様の子とされ僕とされた者、そうであるが故に、神様の全能の御腕の中にあることの平安が私共には与えられているのです。心配したらきりがない程、私共の周りにはいつでも問題や課題が山とあります。しかし、神様が御支配下さる。神様が一番良い道を備えて下さる。そのことを私共は信じることが出来るのです。それは、私共と神様・イエス様との間に信頼と愛とが与えられているからでしょう。神様を愛し、神様を信頼するが故に、平安が与えられるのであります。神様への愛も信頼も抜きにして、平安だけが与えられるなどということはないと思います。これは一繋がりのことなのです。だから、「平和と、信仰を伴う愛があるように。」と、パウロは一息で祈っているのでしょう。愛が与えられるというのは、いよいよ愛する者にされていくということでありましょう。

 次に「恵み」ですけれど、この恵みがあるようにと言うということは、何か良いことがありますようにというようなことではないのです。もちろん、目に見える様々な恵みも含んではいるでしょう。しかし、そういうことだけではないのです。「主イエス・キリストを愛する人」に与えられる恵みというのですから、これは主イエス・キリストを愛し、信頼し、そこで与えられる恵みということでしょう。とするならばそれは救いのことであり、命のことであり、神の国のことであり、平安であり、喜びであり、希望でありましょう。それは、永遠の御計画によって始まった神様の救いの御業の完成を指し示していると言って良いと思います。永遠の初めからの御計画を語ったこの手紙において、最後はその成就、完成を祈り願っているのであります。
 私共の信仰の歩みというものは、すでに始まっているこの主イエス・キリストの救いの完成を見上げつつ歩む時、私共の目の前の困難が全てでないことを知らされるのです。そして、神様への信頼に生ききる中で、互いに励まし合う者となっていくのでありましょう。私共は、この互いに励まし合う交わりの中に生かされているのです。この幸いを思って、心より感謝しつつ、主の御前にこの一週も歩んでまいりたいと、心より願い祈るのであります。

[2009年3月8日]

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