富山鹿島町教会

礼拝説教

「信仰による挨拶」
申命記 28章1〜14節
エフェソの信徒への手紙 1章1〜2節

小堀 康彦牧師

 先週、私共は4年に及ぶルカによる福音書から御言葉を受ける歩みを終えました。そして、その最後のメッセージとして、ルカによる福音書全体を貫くメッセージとして、主イエスの祝福ということを受け取りました。主イエスは天に上げられる時、「手を上げて弟子たちを祝福され、祝福しながら天に上げられた」のです。主イエスの弟子とは、この主イエスの祝福を受け、この主イエスの祝福の中を生きる者です。そして、それ故に、祝福を告げる者として生きるのであります。
 私共は今日からエフェソの信徒への手紙を読み進んでいくわけですが、その冒頭の所において、パウロは「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」(1章2節)と告げるのです。これは挨拶の言葉でありますけれど、実にここで告げられているのは祝福でありましょう。挨拶というのは、いつもするものです。実際、この挨拶の言葉は、パウロの手紙のどれをとっても記されています。ということは、パウロはいつもこの祝福を告げていたということなのでしょう。使徒パウロは、主イエスの祝福を受けた者として、主イエスの祝福の中を、主イエスの祝福を告げる者として生きたのであります。私は、パウロの手紙というものは、どれをとってもこの祝福に貫かれていると思っています。パウロはこの祝福を告げる為に、祝福を祈りつつ、この祝福へと人々を招き、その中に留まらせるために、多くの手紙を書いたのです。ですから、私共はこれからエフェソの信徒への手紙を読み進めていくわけですけれど、それは主イエスの祝福に生きるとはどういうことなのか、主イエスの祝福を告げるとはどういうことなのか、主イエスの祝福とはどんなに素晴らしいものなのか、そのことを学んでいくことになるのだと思うのであります。

 今すでに見ましたように、今朝与えられております御言葉は、1章の1節、2節という、この手紙の挨拶の部分なのですけれど、この短い所に実に豊かな内容が盛られているのです。挨拶だから大した内容はない、そんなことは決して言えないのです。
 挨拶というものは、文化だと言って良いでしょう。その国、地方、民族によって挨拶の仕方は違います。それは言葉だけではなくて、その仕草も違うのです。その場所で生きるということは、その場所での挨拶を身に付けなければなりません。日本で言えば、朝会ったら「おはようございます」、昼に会ったら「こんにちは」、夜に会えば「こんばんは」、別れる時には「さようなら」、この挨拶が出来ないようでは困ります。本当に困るのです。私共は幼い時から、この挨拶を訓練され、躾として教えられてきました。しかし、それは改めて教えられるというよりも、そういう挨拶が交わされる交わりの中に身を置くことによって、自然と身に付いてきたものなのだろうと思います。それはちょうど、母国語を覚えるのと同じように身に付けてきたのでしょう。まだ言葉を言えるようになるかならないかの内に、朝「おはよう」と声をかけてくれる人がいたのです。そして、よく言えない口で片言の「おはようございます」と言うと、親であれ近所の人であれ、喜んでくれる大人達がいたのです。そして、幼稚園や保育所に行けば、大きな声で「おはよう」と挨拶を交わす。「さようなら」と挨拶をして帰る。そういう営みを通して、私共は挨拶を身に付けてきたのです。
 それと同じように、キリスト者となり、教会に生きる者となった私共は、「教会の挨拶」とでも言うべきものを身に付けていかなければならないのだろうと思うのです。そしてそれは、祝福の言葉であり、神様・イエス様からの恵みと平和を願う言葉であるということです。私共の中でそれが定型の言葉にはまだなっていません。その為にはもう少し時間がかかるのかもしれません。しかし、互いに交わされる言葉の中に、この祝福を願い求める思いがいつも満ちているということがなければならないでしょう。私は、教会で交わされる「祈ってますね」という言葉は、そういう思いが表れた、とても素敵な言葉ではないかと思っています。困難な状況に陥った話しを聞いた後で、「祈ってますね」という一言が告げられる。これは、信仰の交わりの中でしか告げられない一言でしょう。何も困難な状況の話しを聞いたときだけではありません。日常的に「祈っていますね」「ありがとう。私も祈っています。」そんな会話が交わされて良いのだと思うのです。「祈っている」、それは明らかに、神様の祝福、恵みと平安を祈っているということでしょう。
 確かにこの「父なる神様と主イエス・キリストからの恵みと平和があるように」という言葉は、私共が交わされる言葉の中では用いられなくても、手紙などにおいてはすでに私共も用いていると思います。私も、今ではほとんど習慣のように、手紙の最後にこの言葉を記して手紙を閉じるようになっています。しかし、まだ洗礼を受けて間もない頃、この言葉を用いるのが妙に照れくさかったのを覚えています。何か気取っているような、妙な気分でした。それは、この言葉に盛られている思い、信仰が、自分にまだ身に付いていなかったからのだろうと思います。手紙を書くという行為は、どんな手紙であろうと、相手のことを思って筆を走らせるわけです。その内容が深刻であろうと、礼状のようなものであろうと、相手のことを心に描いて書くことに変わりはありません。そうである以上、このような神様・イエス様の祝福を求めないでは筆を置くことが出来ないというのは、信仰者として当然の思いなのだろうと思うのです。この当然の思いが、私共の中で育まれていく。そして、それを自然に表現していく。照れずに表現していく。それが私共の交わりの質を整えていくし、私共の信仰の歩みも整えていくことになるのだろと思うのです。

 このエフェソの信徒への手紙は、古くからフィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、フィレモンへの手紙と共に、獄中書簡と言われてきました。この四つの手紙は、パウロが獄に捕らわれていた時に、牢獄の中から記したと考えられてきたのです。つまりパウロは、自分は牢獄の中にいながら、エフェソの教会の人々のことを思い、父なる神様と主イエス・キリストからの恵みと平和を告げているのです。私共は、自分が困難の中にいれば、とても人のことなどかまっていられないと思いがちです。しかし、そうではないのです。主イエスによって与えられた祝福の中に生きるということは、その困難の中にあっても失われることのない恵みと平和の中に生かされている自分がおり、その恵みと平和の中で、人にも恵みと平和を告げる者となり得るということなのであります。主イエスの祝福とは、それ程大きなものであり、力あるものなのです。
 私もこれについて、少し分かるような小さな経験があります。私の父は12年程前に亡くなったのですが、その4年程前に、下呂温泉に旅行中に心筋梗塞で倒れました。私の知り合いである循環器の医者さん、この方は後に家族で洗礼を受けて教会員となったのですが、この方に相談した所、舞鶴に連れて来ましょうということになりました。そのお医者さんが車を運転して、奥さんが看護婦さんでしたので、奥さんが血管を確保して、舞鶴に連れて来ました。そして、そのお医者さんが救急でカテーテルの治療をしている最中に再度心筋梗塞を起こし、大阪の病院に救急車で運ばれて、バイパス手術をしたのです。父は幸い助かりました。私は、下呂温泉から再度の心筋梗塞まで、ずっと父のそばにおりました。心臓マッサージをする医師の姿を見ながら、「主よ、憐れみ給え。」と繰り返し、繰り返し祈っておりました。大阪の国立病院に救急車で運ばれることになって、兄夫婦と妻は車で救急車の後をついて行きましたが、私は舞鶴に残りました。それは土曜日の夕方だったからです。手術は成功したという知らせが届いたのは、真夜中でした。日曜日の朝、私はいつものように講壇に立ち、説教をしました。神様の祝福の言葉を告げたのです。教会の人には、礼拝の後で報告しました。私はその時、自分がどんなに苦しく、悲しく、心が乱れている時であっても、父なる神様と主イエス・キリストからの恵みと平和が私から取り去られることはないということを知らされました。私はキリストのものとされている。この恵みの事実、救いの現実は、何も変わらないのです。幸いなことに、私は牧師でした。土曜日の夜です。明日の説教の備えをしなければなりませんでした。それ故、主イエス・キリストの救いの御業に思いを巡らし、主イエス・キリストを見上げなければなりませんでした。そして、主イエス・キリストに思いを集中したとき、主イエス・キリストの救い事実が、私を捕らえました。それは圧倒的でした。死の力が圧倒的であるように。それを打ち破った主イエスの復活の力は、更に圧倒的に私を包みました。この主イエス・キリストの救いの恵みは、私を守り、支え、祝福を告げる者へと私を押し出したのです。
 私共の恵みと平和、それはただ父なる神様と主イエス・キリストから来ます。他からは来ません。私共の信仰心や敬虔さからも来ません。ただ、父なる神様と主イエス・キリストが私共の全てを支配しておられること、私共をすでに救って下さっていること、私共を御自身のものとして下さっていること、この恵みの現実からやって来るのです。だから、私共はこの恵みの現実に目を向けなければなりません。ここにさえ目が向けられるならば、私共はどんな嘆きも悲しみをも乗り超えていけます。良いですか皆さん。あなたがたは、すでにあの復活された主イエス・キリストの命と一つに結び合わされているのです。あなたがたを支配しているのは、死でも病でも悲しみでも嘆きでも、罪でもありません。あなたがたは、キリストのものなのです。

 パウロはそのことを知っていました。それ故、使徒パウロはエフェソの教会の人々に向かって、「聖なる者たち」と言い切ることが出来たのです。エフェソの教会の人々が道徳に欠けたる所がなく、人格者ばかりの集まりであったなどということはあり得ません。そういうことではないのです。「聖なる者たち」とは、それに続く「キリスト・イエスを信ずる人たち」と同じことなのです。キリスト・イエスを信じる者は、キリスト・イエスのものとされた者であり、キリスト・イエスの救いに与っている者であり、キリスト・イエスと一つにされている者であり、それ故キリスト・イエスの聖さに与っている者なのです。 私共は自分の姿を見るならば、それは罪に満ち、自分のことしか考えられないような狭い人間かもしれません。自分のことを棚に上げて、人のことを平気で批判してしまうような者かもしれません。しかし、たとえそうであっても、私共は主イエスを信じています。この主イエスを信じているというのは、気持ちの問題ではないのです。主イエス・キリストと契約を結び、キリストのものとされているということです。これは何もエフェソの教会の人々だけのことではありません。主イエス・キリストを信じ、洗礼に与った者は皆、キリストのものとされ、聖なる者とされているのです。私共も同じです。このキリストのものとされているという、救いの現実の中で自分を見、隣人を見るのです。その時、この教会において、私共は互いに聖なる者と見ることが出来るのです。あの人が好きだ、嫌いだ。そんなことはまことに取るに足りない、小さなことです。つまらないことです。そんなことではないのです。キリストのものとされている。この恵みの事実の中に身を置き、自分を見、隣り人を見るのです。それが出来なければ、自分がキリストのものとされ、聖なる者とされていることが分かりませんし、隣り人を聖なる者として見ることは出来ないでしょう。そして、それが出来なければ、互いに祝福の言葉を語ることも出来ないです。

 今朝、私共は共に主イエス・キリストの定められた聖餐に与ります。この聖餐において、私共は自分たちが主イエス・キリストと一つにされた者であることを味わい知るのです。そしてそれは、自分も、今隣りに座っている者も、共に聖なる者とされているということを味わい知ることでもあるのです。父なる神様と主イエス・キリストからの恵みと平和はどこにあるのか。ここにあるのです。今、主イエス・キリストと一つにされている恵みの現実のただ中に、私共は身を置いているのです。
 私は今、聖書に基づいて告げます。「富山鹿島町教会に集う聖なる人たち、キリスト・イエスを信じる人たち。私たちの父である神と主イエス・キリストから、恵みと平和があるように。」この祝福こそ、何にも勝る力を持っているのです。この祝福の中に身を置き、この恵みと平和を互いに語り合い、祈り合う歩みを、この一週も共に為してまいりたいと願うものです。

[2008年9月7日]

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