最後の晩餐の席において、主イエスは聖餐を制定されました。しかしこの時、主イエスが明日は十字架におかかりになるということ、そしてそのことによって全ての民の罪が赦され、救いの御業が成就されるということを、十分に理解している弟子はおりませんでした。弟子たちは、自分たちの内で誰が一番偉いのかを論じ合う程だったのです。主イエスはこの時シモン・ペトロの裏切りを知っていました。主イエスはペトロが自分を三度知らないと言うであろうという予告をも告げられたのです。誰が一番偉いのかと論じ合っている弟子たちに対して、あなたがたはそんなことを論じ合う程偉い者ではないのだ、自分の信仰さえ自ら保つことが出来ない程に弱い者なのだ、そう告げられたのであります。シモン・ペトロは、そのようなことを受け入れることは出来ません。シモン・ペトロは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております。」と答えます。この時、シモン・ペトロの言葉に嘘は無かったのだろうと思います。この時ペトロは、本気で、本当にそう思っていたのだろうと思います。しかし、主イエスはこの時すでに数時間後に起きる出来事を見通しておられました。そして言われました。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」まことに悲しい予告であります。しかし、その通りになりました。
この後、主イエスはいつものようにオリーブ山にあるゲツセマネの園に行かれ、祈りをささげました。そして、十字架への最後の祈りをなされました。いわゆる、ゲツセマネの祈りです。その祈りが終わると、イスカリオテのユダに連れられた祭司長たちが現れ、主イエスを捕らえて大祭司の家に連れて行きました。ペトロは、主イエスの後をつけて行きます。そして、大祭司の家の中庭にまで入っていったのです。そこで、一人の女中がペトロを見つけます。ペトロをじっと見て、「この人も一緒にいました。」と言います。ペトロは「わたしはあの人を知らない。」と言って否定しました。少したつと、他の人が「お前もあの連中の仲間だ。」と言います。ペトロは「いや、そうではない。」と言います。更に一時間程すると、また別の人が「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから。」と言い張ります。きっとペトロの言葉にきついガリラヤ訛りがあったのでしょう。どんなに否定しても、その話し方に表れたガリラヤの訛りを取ることは出来ません。ペトロは「あなたの言うことは分からない。」と言います。しかし、三度目に主イエスの弟子であることを否定する、主イエスとの関係を否定する言葉を言うやいなや、突然鶏が鳴いたのです。主イエスが「あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」と告げられた通り、ペトロは主イエスを三度知らないと言ってしまったのであります。
主イエスは捕らえられて大祭司の家に連れて来られました。ペトロは主イエスが心配で、心配で、主イエスの後からついて来たのでしょう。他の弟子たちはそれさえしていないのです。ペトロは主イエスとの関わりを三度も否定したのだから、他の弟子たちよりひどく主イエスを裏切り、見捨てた。そうは言えないでしょう。主イエスの後からついて行くなどしなければ、このような目にも遭わなかったはずだからです。その意味では、ペトロは他の弟子たちよりもより深く、より強く、主イエスを思っていたと言えるでしょう。しかし、そのペトロでさえも、ここで三度まで主イエスを否んだのです。この三度というのは完全数です。この「三度」というのは、実際の回数と共に、ペトロは完全に、徹底的に、主イエスと自分との関係を否定したということを示しているのでありましょう。しかし、どうしてペトロはそれ程完全に、徹底して主イエスを否んだのでしょうか。理由は単純だと思います。主イエスは捕まっている。そこで、自分も主イエスの弟子、主イエスの仲間であることが分かってしまえば、自分も捕まる。ペトロはそのことが恐ろしかったということなのでしょう。数時間前に、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております。」、そう主イエスに向かって大見得を切っていたにも関わらずです。
この出来事は、主イエスの弟子たちに関する出来事の中で、最も有名であり、最も印象深い出来事ではなかろうかと思います。この出来事は、四つの福音書の全てに記されています。しかし、よく考えてみますと、この出来事はペトロしか知らない出来事ではなかったかと思うのです。ペトロしか、主イエスの後について大祭司の家の中庭にまで入っていった者はいなかったのですから。しかし、この出来事は全ての福音書に記されることとなり、キリスト者の中でも忘れられぬ出来事となった。不思議と言えば不思議です。しかし、その理由も単純なことだったと思います。ペトロは自分の口から、この日の出来事を何度も何度も語った。だから、皆が知るようになった。そういうことだと思います。しかし、どうしてペトロはこの話をしたのでしょうか。
それは、主イエスがペトロに対して三度自分を知らないと言うと予告された時に告げられた言葉、31〜32節の言葉と深く関係していると思います。主イエスはこう言われました。31〜32節「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」ペトロは、主イエスの福音を宣べ伝える者として立てられ、遣わされていく中で、自分の信仰はこの主イエスの祈り、「あなたのために、信仰が無くならないように祈った」と言われた祈り、これによって自分が支えられたことを知り、語り続けたのだと思うのです。この主イエスを三度知らないと言う悲しみを知るまで、ペトロは自分の信仰は自分で守り、支えるものだと思い、またそれが出来ると思っていたのでしょう。だから、牢に入れられようとも、死ぬことになろうとも覚悟していると大見得を切れた。しかし、それが出来なかった。この出来事は、ペトロにとって生涯忘れることは出来ませんでした。そして、この出来事こそ、福音とは何であるかをペトロに思い知らせることとなったのです。福音とは、主イエスによる赦しであります。主イエスを信じるという信仰により、神の子とされる恵みであります。そして、その信仰もまた、自分の信仰というようなものではなく、主イエスによって与えられ、守られ、支えられるものであるということなのです。
ペトロは主イエスを三度知らないと言って鶏が鳴くのを聞いた時、主イエスの眼差しに出会います。61節「主は振り向いてペトロを見つめられた。」とあります。主イエスがおられた所と、ペトロがいた中庭とがどのような位置関係にあったのかは分かりません。私は実際には、この時主イエスとペトロの目と目が合ったということは起きなかったのではないかと思います。しかし、ペトロはこの鶏が鳴いた時、確かに自分を見ている主イエスの眼差しに出会ったのです。それは確かなことです。この主イエスの眼差しは、怒るのでもなく、責めるのでもなく、深い悲しみの中でペトロを受け入れ、赦しておられる、そんな眼差しだったのではないか、そう思うのです。それは、代々の聖徒たちも、そして私共も知っている主イエスの眼差しであります。私共も自らの罪を知らされ、主イエスの赦しに与ったときに出会った、あの眼差しです。この主イエスの眼差しに出会い、ペトロは激しく泣くのです。このペトロの涙は、単に自分の弱さを知らされ、自分の情けなさに泣いているのではないと思います。これは複雑な、深い涙です。もちろん、自分の不甲斐なさもあったでしょう。しかしそのような自分の姿を知り、受け入れ、その上で赦して下さる方、主イエスというお方の眼差しに出会った者の涙であります。ペトロは、「あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」という主イエスの言葉を思い出して泣いたのです。ペトロは主イエスの赦しの眼差しに出会いました。
この時、ペトロは自分の全てが主イエスによって知られ、受け入れられ、赦されていることを知ったに違いありません。主イエスと自分との、決して引き裂かれることのない深い絆と言うべきものを知ったのではないかと思います。しかし、主イエスが十字架の上で死んで終わりであったのならば、主イエスはペトロの思い出の中で生き続けるだけの存在に過ぎなかったでしょう。そして、ペトロは再びガリラヤに帰って、漁師に戻り、一生を終えたのだと思います。しかし、主イエスはこの日十字架におかかりになり、三日目に甦り、その御姿を弟子たちに現されました。そして、40日にわたってその復活の御姿を弟子たちに現され、天に昇られました。ペトロは、三度主イエスを知らないと言ってしまったにもかかわらず、復活の主イエスによって再び召されます。そしてペンテコステです。神の霊、主イエスの霊がペトロたちに降り、大胆に主イエスこそ三日目に復活された方、ただ一人のまことの救い主、神の子と証言する者として立てられたのです。ペトロはもう逃げません。聖霊を注がれたからです。そして、ペンテコステの出来事によって、主イエスの復活の証人として立てられたペトロの心の中には、自分が主イエスを三度知らないと言う前に、主イエスによって告げられた言葉、「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」との主イエスの言葉が息づいていたのだと思います。確かに自分は主イエスの復活の証人として再び立つこととなった。しかしそれは、自分が信仰者として立派であったり、強かったりするからではない。そうではなく、まさに弱く、小さな者であるが故に、ただ神の恵み、ただ主の憐れみによって今日あるを得ていることを知らされた者であるが故に、立てられているのだ。ここがペトロの、信仰者としてただ一つの立ち所だったのであります。
主イエスはペトロの為に「信仰が無くならないように祈った」のであります。この祈りの中で、この祈りに支えられて、この祈りを十字架、復活、昇天、聖霊降臨という一連の御業によって現実とされた方によって、ペトロはキリスト者として、伝道者として立ち続けたのであります。ペトロもそのことを良く弁えていた。だから、ペトロは何度も何度も、この自分が主イエスを三度知らないと言ってしまった出来事を語り続けたのだと思うのです。そんな自分が今、あなたがたの前に主イエスの証人として立っている。何という恵み、何という主イエスの愛であるか。主イエスの愛を語ろうとすれば、ペトロはこの出来事を語らないわけにはいかなかったのでしょう。それは、パウロも同じことでした。自分はキリスト教を迫害している者だった。しかし、主イエスに出会い、福音を伝える者とされた。このことをパウロも何度も何度も語ったし、手紙にも書きました。自分には何も無い。あるのはただキリストの憐れみのみ。何という幸い、何という喜び。これがペトロにより、パウロにより、告げられ、伝えられた福音なのであります。
今日は、弟子たちに聖霊が降ったペンテコステの出来事を覚える記念礼拝です。弟子たちに聖霊が降った日、弟子たちは聖霊が語らせるままに様々な国々の言葉で話し出しました。まことに不思議なことです。しかし、この日に起きた不思議な出来事にばかり目が向いてしまいますと、ペンテコステの出来事の重大な意味を見落としかねません。この出来事によって何が起きたかというと、主イエスが捕らえられた時に逃げてしまった主イエスの弟子たち、その筆頭は主イエスを三度知らないと言ったペトロであったわけですが、彼らが主イエスの復活の証人として立てられ、全世界に遣わされるということが始まったということなのです。主イエスの罪の赦しという救いの出来事は、弟子たちの場合まことに具体的なことでした。主イエスを見捨てて逃げたという事実があった。それが赦され、更に主イエスの復活の証人として立てられるというあり方において、主イエスの赦しの御業は貫徹されたのです。主イエスによる罪の赦しという救いの出来事は、「赦し」から「召命」さらに「献身」へと続いているものなのです。
ペンテコステの出来事は、それだけを抜き出してきてもよく分からないのです。主イエスの十字架・復活・昇天という流れの中で、理解されなければならないのです。今日は、ペトロという一人の人に起きた出来事を通して、そのことを見てまいりました。主イエスは、ペトロの三度否みという出来事を既に御存知でした。そして、その為に祈って下さった。この主イエスの祈りの中で信仰を保たれたのがペトロでした。この祈りの中で、ペトロは再び主イエスの弟子として召されたのです。主イエスはペトロの弱さも情けなさも知り、これを受け入れ、赦し、支え、導かれました。しかしこのことは、ペトロは何も変わらなくても良い、そのままで良いのだということではないのです。ここでペトロは、自分はそんな人間だ、仕方がないではないか、それがどうした。そんな風に自分の罪の上に胡座をかき、開き直ったわけではないのです。主イエスの赦しにむ出会う者は、そのような開き直りの中に生きることはできないのです。そんな風に主イエスの赦しを受け取る人は、このペトロの涙は判らないと思います。彼は悔いたのです。ペトロは泣いたのです。悔い改めたのです。私共に求められているのは、強くなることではありません。悔い改めて、「ただあるはキリストの憐れみのみ」という所に立つことなのであります。主イエスによる罪の赦しは、悔い改めへと私共を導き、更にそれは主イエスの召命、そしてそれに応える献身へと続いていくものなのです。
私が30年前に洗礼を受ける時、まだ20歳で、ずっと信仰を守ることが出来るかどうか分からず、不安でした。そのことを正直に青年会のメンバーに言いました。「自分はクリスチャンホームでもないし、教会のこともちっとも分からない。自分は洗礼を受けても、ちゃんとクリスチャンとして生きていくことが出来るか分からない。自信もない。だから洗礼を受けるかどうするか、迷う。」すると、その相談を受けた青年は笑いながら、「先のことなど分からないじゃないですか。神様が何とかしてくれますよ。」、そう答えたのを忘れられません。信仰というのは、自分が一生懸命に信じていくものだとばかり思っていた私には、そんな軽くていいの?、そんな感じでした。しかし、この青年の言ったことは正しかったと思います。信仰は神様が与え、守り、支えて下さるもの。その神様の憐れみ、主イエスの愛を信頼して、一歩を踏み出していくしかないのであります。そしてその一歩は、新しい生き方としての召命を与え、それに応える献身へと私を導きました。自分の信仰が崩れそうになる時はあるでしょう。様々な試みの時を経なければならないでしょう。しかし、ペトロの為に祈られた主イエスの祈りは、ただペトロの為だけに為された祈りではないのです。全てのキリスト者は皆、この主イエスの祈りの中で信仰を与えられ、聖霊を注がれ、キリスト者としての歩みが保たれているのです。長い間信仰者として歩んで来られた方は皆、自分は不思議な様に守られて来た、そのことを知っているはずです。まことにありがたいことです。それが聖霊を受けた者の歩みなのです。
ただ今から聖餐に与ります。この聖餐の制定の言葉として、コリントの信徒への手紙一11章23〜29節が読まれます。その中の「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は」という所で、自分はふさわしいのであろうかと感じる人もおられるかもしれません。この聖餐の恵みに与るのに「ふさわしい」というのは、清く正しく美しく生活している人、という意味ではないのです。そうであるならば、誰も聖餐に与ることは出来なくなってしまうでしょう。そうではなくて、「自分の中には何も無い、あるのはキリストの憐れみのみ」ということを受け入れている人ということであります。私共は弱く、愚かで、不信仰なのです。しかし、そのような私をなお神様は愛して下さり、一切の罪を赦し、主イエスの御業の故に、私を「我が子よ」と呼んで下さっている。この恵みを受け取っている者、それがこの聖餐の恵みに与るにふさわしい者ということなのであります。ただ神様の憐れみによって赦され、生かされていることを覚え、感謝をもって主の晩餐に共に与りたいと思います。
[2008年5月11日]
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