富山鹿島町教会

礼拝説教

「石が叫ぶ」
詩編 118編1〜29節
ルカによる福音書 19章37〜44節

小堀 康彦牧師

 主イエスがエルサレムに入られる。何の為か。十字架におかかりになる為です。それが神様の御心であり、それが平和の王として神様が備えられた道だったからであります。旧約以来預言されていた救い主、メシア、主の名によって来られるまことの王は、武力によって支配することなく、愛によって、自らの十字架の死によって、神様と人との間を和解させ、新しい神の国を来たらしめるお方でした。主イエスは十字架にかかる。しかし、それは神様に遣わされたまことの王として十字架にお架かりになられたのです。ですから、主イエスのエルサレム入城は、どこまでも神様に遣わされた「まことの王」としての入城であり、主イエスの十字架は、まことの王・永遠の王としての即位式であった、そう言っても良いのであります。

 主イエスがエルサレムに入城される時、そのことを知っている者はおりませんでした。いや、主イエスは何度も自らが十字架に架かり殺されることを預言されました。弟子たちはそのことを聞いていました。しかし、分からなかったのです。主イエスがお語りになることが何のことなのか、弟子達には判らなかったのです。主イエスがろばの子に乗ってエルサレムに入られる時、弟子たちは自分たちの服を道に敷きました。服というのは上着のことですが、当時の人々は上着は一着しか持っていません。現代の私共には想像しにくいかもしれませんが、上着というのは当時の庶民が持っていた動産の中で、最も高価なものだったのです。そして、上着を敷いて王を迎えるというのは、列王記下9章において、預言者エリシャの従者によって、イスラエルの王としてイエフに油が注がれた時に人々がとった行動と同じなのです。この時人々は、上着を脱ぎ、イエフの足もとに敷き、角笛を吹いて、「イエフが王になった」と宣言しました。主イエスの弟子たちは、主イエスのエルサレム入城を、イエフのような、力をもってエルサレムを解放するイスラエルの王としての入城と考えたのでしょう。事実、イエフは当時の北イスラエル王国の王ヨラムと、南ユダ王国の王アハズヤを殺したのです。主イエスの弟子たちは、主イエスの入城を、この世の王としてエルサレムに入城すると考えていたのでしょう。そして、子ろばに乗った主イエスの前に服を敷き、38節「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。」と歌ったのです。
 ここで、この弟子たちが歌った歌は、ルカによる福音書2章14節にあります、主イエスがお生まれになったクリスマスの日、天使たちが歌った「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。」と良く似ていることに気付かれるでしょう。ただ違うのは、弟子たちが歌った歌には、「地には平和、御心に適う人にあれ」が抜けているというところです。確かに、主イエスが「力の王」としてエルサレムに入城するのであれば、これから起こることはローマとの戦いであり、「地には平和」とはならないからでありましょう。しかし、天使が歌ったのは、「天には栄光、地には平和」でありました。やはり、ここにはズレがあったのだと思います。弟子たちが主イエスを「主の名によって来られる方、王」として理解し、受け入れたまでは良いのです。しかし、この「王」についてのズレです。天使達が告げた王と、弟子達が理解していた王との間には、大きな隔たりがあったのだと思います。ファリサイ派の人々は、主イエスに弟子たちを叱るように求めます。それは、ファリサイ派の人々は主イエスを「王」としては認めていなかったからです。預言者たちが預言した王ではない。そう考えていたからです。しかし、ファリサイ派の人々にしても、その「王」についての理解の仕方は、弟子たちとそう違ったものではありませんでした。
 主イエスには見えておりました。そのような力の王を待っている限り、エルサレムは滅びるということが。そして、42節以下でこう言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」事実、紀元後66年から始まったユダヤ戦争において、ローマ帝国によってユダヤは紀元後70年のエルサレム陥落により滅びるのです。主イエスが十字架におかかりになってから、40年ほど後のことです。主イエスは、御自身の十字架の死を前にして、エルサレムの滅びを見通し、嘆かれたのです。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。」皆が力をもって戦い、力をもって相手をねじ伏せ、平和を得ようとする。イスラエルは、神の民でありながら世の人々と同じように、その様な力の王を求めている。しかし、そこに生まれるのは平和ではなく、戦いであり、その戦いは自らが滅びるまで終わることがないのであります。ファリサイ派の人々が、主イエスの弟子たちを黙らせようとしますが、結局彼らがとった行動は、主イエスを十字架につけるということでありました。ファリサイ派の人々が用いたのは、最後は力、しかもローマの力だったのであります。

 2008年、最初の主の日の礼拝を私共は守っています。この日、私共が心から願うことは、この年世界が平和であるようにということでありましょう。この願いは、宗教や民族に関係なく、全ての人が願っていることでありましょう。平和であること。それは何も、世界がなどと間口を広げなくても、自分の家庭が、家族が、皆互いに平和であればと、誰もが願うことであります。しかし、世界も、私共も、その「平和への道」をわきまえているのか、その道が見えているのかと問われれば、それはまことに心許ないのではないかと思います。
 しかし、このことが見えなければ、まことの「平和への道」が見えないのならば、さしてその道を歩んでいかないのであれば、私共も又滅びるしかないということになってしまいましょう。主イエスは、エルサレムの滅びを預言し、最後に「それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」と言われました。「神の訪れ」をわきまえないから滅びると言われるのです。「平和への道」を弁えるとは、「神の訪れ」を弁えるということなのであります。そしてそれは、神の訪れをわきまえ、それにふさわしい態度であれば、滅びることはないということでありましょう。ここで言われている「平和への道」を弁える、「神の訪れ」を弁えるということは、明らかに主イエスが預言者たちによって告げられていた神のメシア、救い主であることをわきまえていたならば、それにふさわしく迎えるということでしょう。主イエスの到来こそが、「神の訪れ」そのものだったのであります。
 弟子たちは、その救い主に対しての理解を十分にわきまえていたとは言えなくても、主イエスの到来を神の訪れとして受けとめていた。だから、「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。」と歌って、主イエスを迎えたのであります。ファリサイ派の人々はそれを止めさせようとしました。しかし、主イエスは、このことは誰も止められない、止めてはならないことだ。そういう意味で、「この人たちが黙れば、石が叫びだす。」と言われたのでありましょう。主イエスの到来こそ、神の訪れであり、これをわきまえなければ人は滅びるしかないからであります。神の訪れをわきまえるということは、主エスをまことの王として受け入れ、この方の前にへりくだるということなのでありましょう。そこに、私共が滅びに至らずに、まことに生きる道が拓かれるのであります。こう言っても良いでしょう。神の訪れをわきまえるということは、自分の人生の主人が自分ではなく、神様であることを認め、神様の前に額ずくということなのでしょう。そしてそれは、具体的には主イエスというお方の前に額ずくということなのであります。

 神の訪れ。それは具体的な人との出会いであったり、出来事を通して各々に示されることでありましょう。それらの人との出会いや出来事を通して、主イエスに額ずく者とされていくのであります。
 先週、正月に私は帰省をいたしました。高校の時のクラス会がありまして、出席してきました。高校を卒業して34年になるものですから、何十年ぶりに会う人もいました。私が牧師をしていると言うと、一様に、皆から「あやしい」と言われてしまいました。どうして牧師になったのかと言われますので、「神様の召しがあったから。神様がなりなさいと言われたから。」と言いますと、「へー」と言われて、いよいよあやしいという顔をされてしまいました。クラス会は宴会ですから、私が平気な顔でビールを飲んでいますと、牧師はビールを飲んでもいいのかと言われます。そんなことはいいのですよと言いますと、いよいよあやしい牧師だと言われる。しかし、クラス会の幹事をしていた同級生が、私に誘われて教会に行くようになって、家族みんなで洗礼を受け、今は故郷の教会の役員をしているものですから、一生懸命、「小堀はちゃんとした牧師なのだ」と一所懸命弁解してくれておりました。あまり一所懸命弁解されますと、いよいよ変な気分になってきましたけれど、どうも、私と牧師のイメージが高校時代の友人達には合わなかったようです。そこで何人かの同級生には、「近くには○○教会があるから行かれたら良い。」と言いました。行くかどうか分かりませんけれど、行ってくれればいいなと思います。友人の一人が牧師になっている、それがきっかけで教会に行ってくれれば、これも一つの「神の訪れ」ということになるのだろうと思います。友人の一人はここ数年、ゴスペルの合唱団に入って歌っていると話してくれました。それがきっかけで教会に行ってくれればいいなとも思いました。
 「神の訪れ」というのは、いろんな形で私共の所にやって来るのだろうと思います。ここで、「靴屋のマルチン」の話を思い起こすことも出来るでしょう。人との出会い、本との出会い、神様の救いを求めないではいられない出来事、様々なことを通して、神様は私共の所に訪れて下さっている。私共はそのことに敏感でありたいと思うのです。家族の中にキリスト者がいるとすれば、それはもう大きな神様の訪れがあるのだと思います。その人を通して、それまで意識することもなかった神様を、イエス様を意識せざるを得なくなるからです。そして、全てのキリスト者は、この「神の訪れ」を携えていく者として、神様によって立てられ、用いられているのでありましょう。自分で意識しようとしまいと、そのような者として立てられ、用いられている。そのような私共は、私共が黙れば石が叫びだす、誰も止めることが出来ないし、誰にも止めさせはしないという、主イエスの強い意志に守られて、「イエスは主なり」「この方こそ、まことの王、まことの主」と告白し続けていくのであります。ここにこそ、滅びから救い出される道があることを示していくのであります。ここに、まことの平和が来るからであります。自分が人生の主人である限り、平和は来ないのです。神様に、主イエスに仕える者とされる中で、私共は平和への道を歩んでいくのであります。
 今から、私共は聖餐に与ります。ここには、私共に約束されている平和が示されております。国を超え、人種も民族も超え、社会的立場も超えて、一つの食卓に与る、一つの命に与るのです。キリストの命に与るのです。ここに、私共が告げていく平和、神の平和があるのであります。

[2008年1月6日]

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