今朝与えられております御言葉は、放蕩息子のたとえの後半の部分です。このたとえ話は多くの場合、前半の弟息子の話、財産を分けてもらい、遠い国へ行って放蕩の限りを尽くして、全財産を使い果たした末、父のもとに戻って来た話、その弟息子を父が喜び迎えたという話を中心に語られます。しかし、主イエスはこのたとえ話しの後半で、今朝与えられております兄の話をも語っておられるのです。このたとえ話を一回で説教しようとすれば、どうしても前半の部分を中心に語ることになるかと思います。しかし、それでは兄の話を語られた主イエスの御心をきちんと受け取ることは出来ないのではないかと思いました。それで、このたとえ話を二回に分けてお話しすることにいたしました。もちろん、二回話せば、このたとえ話を全て語り尽くすことが出来るということではありません。しかし、このたとえ話は明らかに前半と後半という二つのポイントがあるのですから、せめてそのことは受け取らなければならないと思うのです。その意味では、この「放蕩息子のたとえ」と言い習わされてきた呼び方も、「二人の息子のたとえ」という呼び方の方が良いのではないかとも思います。
このルカによる福音書の15章にあります三つのたとえ話、「失った一匹の羊を見つけ出した羊飼い」の話、「無くした銀貨を見つけた女性」の話、そしてこの「二人の息子」の話があります。この三つのたとえ話は、15章1〜3節にありますように、主イエスのもとに徴税人や罪人たちが集まって来た。主イエスの話を聞こうとして来た。それを見て、ファリサイ派の人々や律法学者たちが主イエスに対して、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている。」と不平を言いだしたことに対して語られたものです。ですから、このたとえ話でまず念頭に置かれているのは、「徴税人や罪人たち」と「ファリサイ派の人々や律法学者たち」であったと考えて良いでしょう。とすれば、前半の弟息子は徴税人や罪人たちのことを指し、後半の兄の方はファリサイ派の人々や律法学者たちを指すと考えて良いだろうと思います。
弟息子が放蕩の限りを尽くし、身を持ち崩して戻って来た。それを父が大喜びで迎え、肥えた子牛を屠って祝いの宴を始めた。その時兄の方は、いつものように畑で働いていたのです。兄は一日の仕事を終えて畑から帰って来ると、何やら家の方から音楽や踊りのざわめきが聞こえた。兄は不思議に思い、何事かと僕を呼んで尋ねました。すると僕の答えはこうでした。「弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。」肥えた子牛を屠る宴会というのは、大変な宴会でして、滅多にあるものではありません。結婚式の時ぐらいと考えて良いでしょう。そんな盛大な宴会を、勝手に家を出て行った弟の為に、どうして父はするのか。兄は腹を立てました。そして家の中に入ろうとしなかったのです。この兄に対しても、父は怒ったりしません。兄をなだめるのです。兄は父の喜びを共有することが出来ませんでした。その意味では、兄もまた、弟と同じように、父の心を判ってはいなかったし、父の心と離れた所で生きていたと言うことが出来るでしょう。兄の言い分はこうです。自分は今までずっと、お父さんに仕えてきた。それなのに自分の為には、子山羊一匹すらくれなかったではないか。ところが、あの息子が娼婦どもと遊び呆けて身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠って祝う。それは、あまりに不公平ではないですか。あまりに弟の方にばかり良くしている。えこひいきではないか。自分のことなど、どうでも良いのか。そういうことです。
この兄の姿は、罪人たちが主イエスのもとに来ることを喜ぶことが出来ないファリサイ派の人々や律法学者たちの姿と重なる訳です。しかし正直な所、この兄の言い分は私共にも良く判るのではないでしょうか。不公平だ、という思いです。この思いはファリサイ派の人々や律法学者たちのことであって、私には関係ない。そうは言えないだろうと思うのです。私共は与えられていることは当たり前だと思いますが、してもらえないことに対しては本当に敏感なのです。まして、これが兄弟の間でとなりますと、大変なことです。例えば、兄は大学まで出してもらった。ところが自分は高校しか出してもらわなかったとなりますと、これはややこしいことになります。どうせ自分は兄に比べて出来が悪いから、お父さんもお母さんも、兄の方が可愛いのだ。自分はどうせのけ者だ。そんなひがみ根性を持たれてしまいます。兄と弟が逆でも同じことでありましょう。
私が今まで前任地で幼稚園のお母さんたちと聖書を読んでいく中で、いつも困ったのはこのことなのです。神様は、どんな罪人も、その人が悔い改めるならば全ての罪を赦して下さいますし、我が子よと呼んで下さいます。そう申しますと、必ず「どんな罪人もですか。」そういう質問が来るのです。そして、「そうです。どんな罪人もです。」と答えますと、「殺人を犯した人もですか。」という質問が続くのです。そして、納得出来ないような顔で、「それはあんまり不公平ではないですか。」というような反応があるのです。自分が悔い改めるなら赦される、救われる。それはいいのです。しかし、自分が殺人を犯した人と同じレベルで考えられるのは納得出来ないのです。どうしてそうなるのか。理由は簡単です。本当は自分は罪人とは思っていないからです。自分は完全な善人ですとは言わないけれど、それほど悪い人とも思わない。だから、自分が赦され、救われるのは、ほんの少し赦してもらえば良いのであって、たいしたことではない。しかし、殺人を犯した人はそうではないだろう。それを同じに扱うのは不公平ではないか。そういう思いがあるからなのだろうと思います。兄が言っているのも、まさにそういうことなのでしょう。
その兄に対しての父の答えはこうでした。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」ここで、「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。」と父は言います。兄にとっては、そんなことは当たり前で、それは別に喜ぶべきことでも、改めて感謝すべきことでもなかったのだと思います。しかし、父はこのことを、弟息子がこの何年もの間失っていたものなのだ、そう言われているのではないかと思うのです。
父なる神様と共にいることが出来る。実はそれこそが私共に与えられている最も大きな喜びであり、祝福なのであります。これに勝る祝福はありません。「神の国」だってそういうことでしょう。父なる神様と顔と顔とを会わせた交わりに生きる。それが「神の国」「天国」なのです。
私にこのことを気付かせてくれた小さな思い出があります。それは、まだ神学校に行く前の、洗礼を受けて数年たった頃のことです。青年会の修養会がありまして、その年は「主の祈り」を学ぶことになりました。テキストが決められ、それぞれ担当の者がレポートすることになりました。テキストは、東神大パンフレットの竹森先生の書かれた「主の祈り」でした。私は、「天にまします我らの父よ。」という所があたりました。私は少し手を広げて、「主の祈り」に関する本をいくつか読んでレポートしました。その学びの中で、当たり前のことなのですが、神様に対して「父よ」と呼ぶことの出来ることの恵みを知らされたのです。神様に向かって「父よ」と呼ぶことが出来る。もうここに、私に与えられている神様の恵みの全てがあると思いました。本当にありがたいことだと思いました。それまで、「父なる神様」というのは、お祈りの時の決まり文句のようにして口にしていただけだったのですが、それからしばらくは、「父なる神様」その一句で祈りが終わるといいますか、「父なる神様」と言ったきり、次に何の言葉も出てこなくても良いと言いますか、その一句だけを、しばらく間をおいて、繰り返し繰り返し祈っていた時期がありました。それまでは、クリスチャンになって、自分は神様のもとに帰ったのだから、神様は私に良いことをしてくれて当たり前だ、してくれるはずだと思っているところがありました。しかし、病気にもなれば、ケガもするし、人間関係で悩むことだってある。しかしあの時から、「父なる神様」と呼べる、そのことだけで十分だと思うようになりました。私は今もそう思っています。
キリスト者であることの最大の恵みは、神様に向かって「父よ」と呼ぶことが出来るということです。神様が共にいて下さるということです。兄は、父と一緒にいることの恵みが判らなかったのではないかと思うのです。この時、兄が「わたしは何年もお父さんに仕えています。」と言ったときの「仕える」という言葉は、「奴隷として仕える」という意味の言葉です。兄は奴隷として仕えている。自由も、喜びもない仕え方だったのでしょう。これは、まことに悲しい信仰者の姿ではないでしょうか。私共は主に仕えます。しかしそれは奴隷として、仕方なしに、喜びもなく、嫌々そうするということではないはずであります。キリスト者は日曜日には主の日の礼拝を守ります。献金もします。毎日お祈りもします。しかし、それはどれも、嫌々することではないでしょう。礼拝も献金も祈りも、喜びの業です。感謝の業です。神様が私共と共にいて下さっているからです。「アバ、父よ」と呼ぶことが出来る親しい交わりの中に生かされているからであります。神様の恵みは、「父なる神様」と呼ぶことの出来るその中に、すでに備えられています。ここに私共の目が注がれなければならないのでしょう。
更に父は「わたしのものは全部お前のものだ。」と言われました。確かに、兄はこの時肥えた子牛を自分の為に屠ってもらったことはなかったかもしれません。しかし、それはやがて全て自分のものとなるのです。きっと兄は、父のものは父のものであって自分のものではないと思っていたのだと思います。だから、羊の世話をするにしても、畑で野良仕事をするにしても、「やらされている」という思いだけで喜びがなかったのでしょう。しかし、父は「わたしのものは全部お前のものだ。」と言われるのです。何という恵みでしょう。父なる神様が持っておられる、永遠の命、全き平安、全き愛、それらはやがて私共に与えられることになっているのであります。私共はそのことに目を向けて、その神の国の祝福を待ち望みつつ、この地上の歩みをなしていかなければならないのであります。
さて、天の父なる神様に向かって「アバ、父よ」と呼ぶことが出来るようになった者に与えられる、新しい心の習慣とも言うべきものがあります。それはローマの信徒への手紙12章15節にあります「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」というものであります。この兄には、それが欠けていたのであります。「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」というのは、まことに不思議な心の動きであります。私は、これは人間に生まれながらにして自然に備わっている性質というものではないと思います。この兄のように、弟の為に子牛が屠られるとうらやんでしまう、不公平だと怒ってしまう。そういう心が私共の中にあるのです。なかなか、喜ぶ者と共に喜べない。泣く者がいても、自分には関係ない、と無関心を装う。イザヤ書59章16節「主は人ひとりいないのを見、執り成す人がいないのを驚かれた。」13節「主に対して偽り背き、わたしたちの神から離れ去り、虐げと裏切りを謀り、偽りの言葉を心に抱き、また、つぶやく。」とあるとおりであります。これは、心が自分以外の人に向かって開かれていないということ、心が閉じているということではないのかと思います。自分のことしか考えられずに心が閉じた状態、それが罪なのでしょう。心が開かれなければ心は通じません。この兄は、自分の弟のことも「あなたのあの息子」という言い方をします。何とも冷たい言い方です。自分との関わりを拒否しているかのような言い方です。こんな兄がいるから弟は家を出たのだと言う人もいるかもしれません。兄はまじめです。弟に比べれば、出来た兄ということになるのかもしれません。しかし、心が開いていないのです。それが、この兄の問題なのではないかと思うのです。
しかし、父なる神様の子とされる時、私共には新しい霊、神の子としての霊、聖霊が与えられます。これはキリストの霊です。徴税人や罪人と共に食事をし、父なる神様のもとに戻ることを喜ばれた、主イエス・キリストの霊です。この私共に注がれる聖霊によって、キリストの霊によって、私共の中に新しい心が生まれます。それが、「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く心」なのであります。それは父なる神様が、兄に対しても、弟が帰ってきたことを「共に喜ぶように」と招かれたように、私共をも神様と共に、主イエスと共に喜ぶようにと招いて下さり、備えてくださった心なのであります。
私共は「神の家族」として、ここに集められています。それは、共に喜び共に泣く交わりの中に生きる者とされているということなのでありましょう。この交わりは、世の中のどこにでもあるというようなものではありません。この交わりの中に長い間身を置いていますと、いつの間にか当たり前のように思ってしまうところがあります。しかし、そうではないのです。私は牧師として、教会に生きる者とされて、本当にそうだと思う。ここには本当に「神の家族」がいると思う。この目の前に与えられている、父なる神様によって与えられた交わりの恵みを、心から喜び感謝したいと思うのです。そして、私共にこのような恵みが与えられているということは、「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」という神の愛を証しする者として、この驚くべき交わりに招かれているのだと思うのです。この交わりが、更に豊かな神の愛を証しする交わりとして建て上げられていくことを、心から願うものです。
[2007年5月13日]
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