富山鹿島町教会

礼拝説教

「父なる神の喜び」
創世記 3章1〜10節
ルカによる福音書 15章11〜24節

小堀 康彦牧師

 今朝与えられております御言葉は、「放蕩息子のたとえ」と呼ばれる主イエスのたとえ話の前半の部分です。この放蕩息子のたとえ話は、主イエスがなされたたとえ話の中で、最も有名な話の一つであります。教会に来られてから間がないという方を除けば、この話を聞いたことがないという人はいないでしょう。すでに、何度も何度もこの話については聞いたことがあるかと思います。改めて申すまでもないでしょうが、ここに出て来る父親というのは天の父なる神様のことであり、その息子の弟の方、放蕩息子とは私共のことであります。
 このたとえ話を読みますと、私共は皆、自分の姿とこの弟息子の姿とを重ね合わせるのではないかと思います。この放蕩息子のたとえ話は、しばしば歴史上最も優れた短編小説という言い方がされますが、それは、誰もが自分の人生と重ね合わせてこのたとえ話を読むことが出来る、そういう普遍性があるからではないかと思います。特に、17節の「彼は我に返って」という所は、全てのキリスト者にとって、自分が神様の御前に悔い改めた「あの時」と重ね合うのではないかと思います。あるいは、13〜14節「何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。」とある所は、自分が主イエスの救いに与る前の姿と重なるに違いありません。自分がやりたいようにやり、楽しみたいように楽しみ、それのどこが悪いのかと開き直っていた自分の姿です。しかし、それが行き詰まってしまった。それではどうにもならない所にまで追い込まれてしまった。そして、神様に救いを求めた。そのような主イエスと出会うまでの日々を思い起こすのです。
 今朝ここに集められた私共には、皆、そのような自分が神様に救われるに至るまでの歩みがあります。どれ一つとして同じ話はありません。しかし、誰の歩みであってもこの放蕩息子の話と重なる。そうではないでしょうか。私は、この放蕩息子のたとえ話の正しい一つの読み方、聴き方は、ここにあるのだと思っています。自分とこの放蕩息子を重ねるということです。どんなに原典のギリシャ語を読み、注解書を読んで調べた所で、この「自分と重ねる」ということをしなかったのなら、出来なかったのなら、この話をきちんと読むことは決して出来ないのであります。主イエスはここで私の話をしている。私のあの時のことを話している。そう読むことが出来なければ、このたとえ話を読んだことにはならない、聞いたことにはならないのであります。その意味では、このたとえ話を説き明かし、語ろうとする者は、この放蕩息子と自分を重ねて、自分が救いに与るに至った証しをするということが求められるとも言えるでしょう。あるいは、このたとえ話の説教は、牧師でなくても誰でも出来るとも言えると思います。
 私はこの教会に来て、まだ三年しかたっておりません。もっともっと、一人一人のことを知らなければならないと思っています。そして、何よりも主イエスの救いに与った証しを聞きたいと思っています。それは多分、私だけではないでしょう。皆さんも、この教会に集っている者同士、お互いに、その話を聞きたいと思っているのではないでしょうか。今年は、家庭集会のようなものを、一つでも二つでも新しく開いていけるようにと願っていることを、先週の教会総会においてもお話ししました。私は、家庭集会の一つの意味は、そういう所にあるのだと思っているのです。集会ではもちろん牧師が聖書の話をします。しかし、それが全てではありません。いろんな話が出ます。そういう中で、「今から誰々さんの証しがあります。」というようなあり方ではなくて、問わず語りのようにして、「私が初めて教会に行くようになったのは…」というような形で、自然に証しがなされるということなのです。証しを聞くだけではなくて、皆が自分の証しをする。別にしなければいけないということではありません。しかし、そのような証しが自然になされていく中で、主をほめたたえるということも又、自然になされていくのではないかと私は思うのです。そして、この自然に主をほめたたえるということがなされる交わりこそ、聖霊なる神様の導きの中で、私共が建て上げていく教会の交わりというものなのだろうと思うのであります。

 しかし、今朝は私の救われた時の証しをするのではありません。それは又、別の機会にいたします。今朝は、このたとえ話のもう一つのポイントである、父なる神様に焦点を絞りたいと思います。
 このたとえ話において不思議なのは、どうしてこの父親は、弟息子に財産を分けてしまったのか。そして、自分の家から出て行くことを許してしまったのかということであります。あまりにも甘やかし過ぎなのではないか。そうはお思いにならないでしょうか。世の中を知らない若者にお金だけやって、家から出せば、ロクなことにならないことぐらい判りそうなものです。例えば、東京の大学に息子を行かせて、毎月100万円も仕送りを送ってやれば、4年後には間違いなくどうしょうもない人間になって帰ってくるでしょう。間違いありません。だったら、この父はいったい何をしようとしたのでしょうか。この父親の行動は何を意味しているのでしょうか。それは、父なる神様の「自由な愛」を示しているのだと思います。神様は私共を御自身に似た者としてお造りになられました。まことに神様との自由な愛の交わりに生きることが出来るものとして造って下さったのであります。愛は自由でなければなりません。相手を縛りつけて、自分に逆らうことが出来ないようにしておいて、自分の言いなりにさせて、これが愛だなどということは言えないでしょう。
 先程、創世記3章をお読みいたしました。いわゆる失楽園、ロスト・パラダイスの話が記されている訳ですが、ここでアダムとエバは神様の言いつけに背いて、食べてはいけないと言われていた木の実を食べてしまいました。どうして、神様はアダムとエバがその木の実を決して食べることが出来ないようにしておかなかったのか。神様は手を伸ばせばすぐ届くところに、食べてはいけないという木の実を置いたままにしておかれたのです。高い塀や、深い溝でその木の実を取り囲むような処置はしていなかったのです。それは、神様が人間に求めたのは、自由な愛の交わりだったからです。そういうものとして、神様は人間を造られたからです。これと同じなのです。ここで甘い父親は、弟息子に財産を分けましたけれど、その富を与えられても弟息子が自分と一緒に生きることを、求め、望んでいたに違いないのであります。自由に、弟息子が自分との愛の交わりのなかに生きることを望み、期待したのでありましょう。
 この世の常識では、この放蕩息子の父親のしたことは愚かであり、甘すぎるということになるのだと思います。しかし、「愚かだ。」「甘すぎる。」と言われようと、天の父なる神様が私共に対して為しておられることは、こういうことなのであります。私共人間に対して、神様はあり余る富を、能力を与えられたのです。理性を与え、言葉を与え、文化を与え、豊かな情緒を与えた。私共当たり前と思っているかもしれませんが、これは本当に大きな、人間だけに与えられた神様からのプレゼントなのであります。更に神様は、それらの力を自由に用いて良い自由をも私共に与えられたのです。神様は人間がそれらの能力の全てを用いて、御自身との間の自由な愛の交わりを形作っていくことを望まれたのであります。しかし、人間はそうしなかった。神様を離れ、いましめを破り、自分が食べたい木の実を食べ、神様との関係を崩してしまったのです。それが、13節にある「遠い国に旅立ち」ということです。自分の力で、神様なしでやっていける。自分には力もあり、能力もある。そう思ってやってきた。しかし、神様を忘れた人間は、神様に似た者として造られた姿を失い、罪の奴隷となってしまった。そして、そこには本当の自由もなく、食べるにもこと欠く、惨めな状態だけが残ったのです。本当にそこまで追いつめられなければ、気が付かない、目が覚めない。それが私共なのでありましょう。自分の力で何とか出来ると思っている限り、神様など求めない。それが私共なのです。
 この状態は、個人の人生における困窮と見ることも出来ますが、もっと広く、人類が現在抱えている困窮と見ることも出来るでしょう。世界大戦、核の問題、南北の貧富の格差、地球の温暖化、自然破壊、教育の現場における様々な問題。今、人類は単純に明るい未来を思い描くことが出来ない所にいる。その根本に何があるのか。それが罪なのです。ここで、人類は我に返らなくてはならないのです。本来の自分を取り戻さなければならないのでありましょう。

 その為には、どうしなければならないのか。自分達を造って下さった父なる神様のもとに立ち帰るしかないのであります。弟息子は、18〜19節「ここをたち、父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください』と。」こう心に決めて、父のもとに帰りました。20節には「そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」とあります。ここに、父なる神様の、私共に対しての思いが良く言い表されています。「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけ」というのは、父がこの放蕩の限りを尽くし、身を持ち崩した息子の帰りを待っていたということを示しています。
 先程の創世記3章9節において、主なる神はアダムを捜し、「どこにいるのか。」と呼ばれました。ここには、神様の戒めを破り、神様の前から身を隠したアダムを捜し求める神の姿があります。「どこにいるのか。」神様はそう言って、罪人を捜し求め続けた。ずっとずっと捜し続けられた。この罪人を捜し求め続けた神様の歴史が記されているのが、聖書なのです。この罪人を捜し求める神様が、人間となって、御子イエス・キリストとなって来られたのです。だから、主イエスはじっとしていないのです。ある町にとどまって、救いを求めてやって来る者だけを相手にする。そんなあり方は出来なかった。町々、村々を巡り歩き、罪人を求め、神様の救いを宣べ伝えたのです。主イエスは、「どこにいるのか。」と罪人を捜し求める神様の御心そのものだったからです。私共もそうなのでしょう。罪人を捜し求める父なる神様の御心を自分の心とするならば、出かけていくしかない。それが伝道ということです。

 放蕩で身を持ち崩した弟息子に対して、父は何も言わず、ただ喜び、首を抱き、接吻し、良い服を持って来させ、指輪をはめ、履物を履かせ、子牛を屠り、祝いの宴を催すのです。これらの父の行動は、全て「この子は私の子、主人の子、奴隷ではない。」ということを示しているのです。「良い服」とは「晴れ着」のことであり、奴隷が着ることはありません。「指輪」も主人の力・権威を現します。「履き物」を奴隷は履きません。父親である主人は、本当に弟息子を「我が子」として迎えたということなのであります。父の元に帰ってくる前の弟息子は、豚の世話をしていたのです。豚はユダヤ人には汚れた動物であり、自分達で飼うことはありません。つまり、この弟息子は異邦人の奴隷にまで身をやつしていたということなのです。自分が神の民であることも忘れ、罪の奴隷になっていたということでもあるでしょう。これは、私共が神様のもとに立ち帰った時と同じであります。主イエス・キリストの十字架の故に、父なる神様は私共に何も求めず、私共の一切の罪を赦し、神の子としての身分を与え、永遠の命を与えて下さったのです。まことにありがたいことです。
 しかしここで、聖書は弟息子の喜びには一切触れていないのです。父の喜びだけが記されています。私共は、このことをちゃんと読まなければなりません。つまり、私共が悔い改め、神様の子とされた喜び。それはまことに大きな喜びであるに違いありません。しかし、その喜びとは比べものにならない程の大きな喜びを、父なる神様ご自身が味わわれたということなのであります。
 「親の心、子知らず」という言葉があります。これは父なる神様と私共の関係においても言えることなのでしょう。24節で父はその喜びをこう言っています。「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」多分息子は、自分は死んでいたとも思っていなかったし、いなくなっていたとも思っていなかったでしょう。自分はやりたいことをし、その為に家を出たのです。しかし、それは父なる神様から見れば、死んだも同然であり、いなくなってしまったということなのであります。そして、神様は「どこにいるのか。」と捜し続けておられたということなのです。そして私共は、父なる神様に見つけ出され、神の子としていただいた。まさに生き返った、復活したのであります。
 私は、この父の喜びは、イースターの朝の神様の喜びを示しているように思えてなりません。福音書のイースターの記事の中に、父なる神様の喜びは示されていません。しかし、あの日、父なる神様は我が子キリストの復活を「死んでいたのに生き返り」と喜び、喜んだに違いないのです。そして、この父なる神様が用意して下さった祝いの宴。それが、今朝私共が与る聖餐なのであります。私共が聖餐に与る時、私共以上に、天の父なる神様が喜び喜んでおられる。そのことを心に刻みたいと思うのです。

[2007年5月6日]

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