富山鹿島町教会

礼拝説教

「神の国の福音を告げ知らせる為に」
ヨナ書 3章1〜10節
ルカによる福音書 4章38〜44節

小堀 康彦牧師

 主イエスがカファルナウムの町で安息日に人々を教え、悪霊を追い出された日のことです。主イエスは会堂を去り、シモン・ペトロの家に立ち寄りました。当時、安息日の礼拝で聖書の説き明かしをした人を自分の家に招いて食事のもてなしをすることは、普通に行われていることでした。これは私共にも良く判るのではないかと思います。私共の教会の礼拝に誰かを招いて説教をしていただく。食事もしていただかないで帰っていただくということは、ちょっと考えられないでしょう。御言葉による養いを受けた。そのお礼に、食事のもてなしをする。それは普通の心の動きでしょう。シモン・ペトロも主イエスの説教を聞き、主イエスが悪霊を追い出すのを見て、この方を我が家に迎えて話をもっと聞きたい、そう思ったのではないでしょうか。
 私が高知県で神学生として夏期伝道に行った時のことを思い出します。40日間の間に、6つの教会を一週間ずつ回った訳ですが、夕食はたいてい信徒の方の家に招かれまして食事をいたしました。3kg体重が増えて帰ってきたのですけれど、どの家でも献身の証しを求められ、又、信徒の方々の信仰の歩みを聞くという、礼拝とは少し違った楽しい交わりの時を持たせていただきました。そこは毎年夏期伝道の神学生が来るものですから、夏の行事の一つのように、信徒の方々も神学生との出会いと交わりを本当に楽しみにしている。そんな感じでした。多分、シモン・ペトロ、もちろんこの時はまだペトロという名前は主イエスからいただいておりませんでしたけれど、彼も会堂での主イエスの話に心を動かされ、悪霊を追い出された主イエスを自分の家に招いてもてなしたい、信仰の話を聞きたい、信仰の交わりを持ちたい、そう思ったのではないかと思います。シモンだけではなく、何人かの人、多分シモンの友人だと思いますが、彼らも一緒にシモンの家に行きました。彼らも、主イエスとの交わりを持ちたいと思ったのでしょう。
 その日、シモンの姑、姑と言うのですからシモンは結婚していたということになりますが、彼女は高い熱を出して苦しんでおりました。人々は、主イエスが悪霊を追い出すのを見たばかりです。主イエスに、シモンの姑をいやしてくれるようにとお願いしたのです。主イエスは熱を叱りつけて、姑の熱を下げられたのです。あっという間のことだったと思います。それから、皆は熱をいやされたシモン・ペトロの姑のもてなしを受け、楽しい安息日の午後の一時を過ごしたのではないかと思います。このことはシモン・ペトロにとって、生涯忘れることの出来ない出来事となったと思います。マタイやマルコでは、この出来事は、シモン・ペトロが主イエスの召命を受け、弟子となってからの出来事として記しておりますが、ルカは、ペトロが弟子になる前の出来事として記しています。どちらが本当だったのか判りませんけれど、ペトロにとっては、本当に喜びに満ちた、うれしい、忘れがたい主イエスとの出会いの出来事となったのでしょう。

 その日の日没後、たくさんのいろいろな病気で苦しんでいる人を抱えている人が、病人を連れて主イエスのもとにやってきたのです。さしずめ、ペトロの家は病院の待合室のような状況になってしまいました。たくさんの病人、病人を抱えた人々が来たのです。ペトロの家にはとても入りきらないような状況ではなかったかと思います。ペテロの家の周りに病気の人たちが溢れる。そんな状態だったことでしょう。
 ここで少し説明が必要かもしれません。どうして人々は日が暮れると病人達を連れてきたのか。それは、この日がどういう日であったのかということと関係しています。この日は安息日だったのです。この安息日というのは、今の曜日でいいますと、金曜日の日没から土曜日の日没までのことを指すのです。ユダヤの一日の数え方は、朝から始まるのではありません。日没から始まるのです。一日は日没から日没までです。ですから、ここで「日が暮れると」と言われているのは、つまり「安息日が終わると」という意味だったのです。安息日には、緊急でない限り、病人を医者の所に連れていくことも許されていなかったのです。又、医者も病気の治療をしてはいけなかったのです。それは働くことになるからです。このことは、後で安息日論争を扱うところで丁寧な説明をすることになると思いますが、主イエスはここでペトロの姑を癒したということは、律法学者たちに言わせれば「律法違反」を犯したと言うことになるのです。ついでに言えば、この日のペトロの姑のもてなしは、この日に作ったものではなく、金曜日に作っておいたものであったはずです。安息日は調理をしてはいけなかったからです。料理は仕事になるからです。しかし、だからこの時のもてなしは、きっとまずい物だったろうと考えてはいけません。毎週の安息日は祝いの日ですから、日本で言う「おせち料理」のようなものを考えれば良いと思います。あれも、作っておくものですが、大変なごちそうでしょう。安息日の食事とは、そういう工夫がされていたのです。これは、今のイスラエルにおいても受け継がれていて、安息日の昼食は一週間で一番楽しい食事、親戚・友人を招いての、楽しい祝いの食事なのです。
 この時主イエスは、連れて来られた病人の一人一人に手を置いていやされました。この「一人一人に」という所に、私は目がとまります。主イエスの癒しは、まとめて全部一度にかたづける。そういうものではなかったのです。主イエスならば、そうしようとすればそれをなさる力もおありになったでしょう。しかし、そうはされない。主イエスは、一人一人を癒された。この「一人一人に」というのが、主イエスと私共、神様と私共の関わり方なのだと思うのです。私は牧師として立てられている者として、このことが良く判ります。私共は一人一人違ったあり方で、キリストと出会い、神と出会うのでしょう。誰も同じという人はいません。皆、大変個性的な主イエスとの出会いを与えられ、キリスト者となったのです。そして、今も一人一人違ったあり方において、神さまのお取り扱いを受けているのです。ある人は、病の中で、困難の中で、神さまとの出会いと交わりを与えられている。ある人は、お子が与えられるという幸いの中で神さまとの出会いが与えられている。一人一人まったく違うのです。伝道も牧会もこれに仕えていくことなのです。どう「一人一人に」キリストとの出会いが与えられていくのか、そのことに心を砕いていくことなのです。ですから時間がかかるのです。手間がかかるのです。私共はその手間を省くことは出来ません。何故なら、それは主イエスがその手間を省かれなかったからです。教会とは、いつでも一人一人に心を砕き、時間をささげていくのです。そうして建て上げられていくものなのです。牧会という言葉は、ドイツ語ではジールゾルゲ(Seelsorge)と言います。ジール:魂、ゾルゲ:配慮、ということです。一人一人の魂を配慮していくことです。日本語で牧会という場合、教「会」あるいは「会」衆を牧するという意味合いを持つように考える人が居るかもしれませんが、そうではありません。それは、いつでも一人一人を相手するものなのです。伝道も同じことです。一度にたくさんの人の回心を求めるものではないのです。数は多い方が良いには違いないのですけれど、しかし、一人一人にキリストを携えていく。それしか、伝道ということはやりようがないのです。

 さて、この時も悪霊が騒ぎました。悪霊は主イエスが誰であるかを知っていました。そして「お前は神の子だ。」とわめいたのです。主イエスは、ここでも悪霊に物を言うことを許しませんでした。それは前回見ました、会堂で悪霊を追い出した時も同じでした(35節)。どうして主イエスは、悪霊が主イエスの正体、神であり、神の子であり、救い主であることを言うのを許さなかったのでしょうか。私共でしたら、たとえ悪霊であっても本当のことを言っているのであり、自分を悪く言っている訳ではないのだから、放っておいても良いのではないかと考えるのではないかと思うかもしれません。あるいは、「おだて」に弱い私共ですから、悪霊もなかなか良いことを言うと思って、内心喜んでしまうかもしれません。実に、これが悪霊の手口であることを私共は知っておかなければなりません。「ほめ殺し」という言葉がありますが、これは人をおとしめる時の大変知恵のある方法です。悪霊も知恵があるのです。
 もし、ここで悪霊の言うがままにしておいたならば、主イエスは「病気を治す神の子」という理解を人々に植えつけることになったでしょう。そうなれば、主イエスは十字架にかからなくなったかもしれません。私共はここで、主イエスが荒れ野で会った悪魔による誘惑の出来事を思い起こさなければなりません。主イエスは奇跡をもって、自分が神の子であるということを明らかにする道を捨てた。ただ、十字架の道において、自らが神の子であることを明らかにしようとされたのでしょう。悪霊は、「お前は神の子だ」と言いながら、実は、本当の神の子としての道をはばもうとしているのだと思います。主イエスはそのような悪霊の手には乗らなかったのです。
 あるいは、こうも考えられます。「お前は神の子だ」というのは、まさに信仰告白の言葉と同じなのですけれど、主イエスは本当に自分に従ってこようと告白する以外の者に、この言葉を用いることをお許しにならなかった。これは具体的に考えれば、すぐに判ることです。皆さんの周りに、人をだまして金を巻き上げる、借りた物は返さない、人の悪口を言いふらす、家族には暴力をふるい、酒浸りの生活をしている。もちろん、働かない。こんな人はめったにいるものではないと思いますが、そういう人が、「私はクリスチャンです。」と言っていたらどうでしょう。自分が教会に来ようとは思わないでしょう。これは、主イエスの福音を告げる者は、それにふさわしい者でなければならないのであって、悪霊はダメだということなのではないかと思います。

 主イエスは、次の日の朝、人里離れた所へ行かれました。祈る為であったと思います。ところが、群衆は主イエスを捜し、主イエスに自分達から離れて行かないように願ったのです。この人達の気持ちは判るでしょう。自分の周りには、病気で苦しんでいる人達が、もっと大勢いるのです。あの人もこの人も、主イエスによっていやして欲しいのです。いや、今は元気でも、人はいつ病気になるか判りません。そんな時に、主イエスが居てくれれば、どんなに心強いことか。それはちょうど、無医村に来たお医者さんに、このまま居てくれと頼むのにも似た思いだったのではないでしょうか。しかし、主イエスはその申し出を断ります。どうしてか。理由は43節にあります。「しかし、イエスは言われた。『ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。』」主イエスは、病気をいやす為に来られたのではありません。主イエスは神の国の福音を告げる為に来たのです。だから、ただ主イエスに病気のいやしだけを求める人々と、ずっと一緒にいる訳にはいかなかったのです。主イエスは、自分達の為だけに、病気のいやしの為だけに自分を求める者の願いを、しりぞけられたのです。主イエスの福音は、全ての者に告げられなければならないからです。
 主イエスはカファルナウムの町にとどまることなく、出て行かれました。主イエスは出て行くのです。全世界に向かって出て行くのです。主イエスは、教えを受けたい者はここに来なさいと言って、自分は動かない、そういう方ではありませんでした。自分から福音を伝える為に出て行くのです。この主イエスの姿に倣って、キリストの教会は出て行くのです。教会は、山の中にではなく、いつも町の中に建てられてきたというのは、そういう意味があるのでしょう。キリスト教は伝道宗教です。それは、復活された主イエスが、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」(マタイによる福音書28章19節)と命ぜられたからですが、このご命令には、町々村々を回って神の国の福音を告げられた主イエスの姿が反映しているのでしょう。もっと言えば、主イエス・キリストを遣わされた父なる神様の御心が反映しているのであります。先程、ヨナ書をお読みしましたが、父なる神様は、異邦人の町ニネベの人々が滅びることも惜しまれたのです。その為に、悔い改めるようにと人々に告げる為にヨナを立て、遣わされたのでしょう。その同じ思いの中で、主イエスは遣わされたのであり、私共も遣わされていくのであります。主イエスは、「ほかの町にも」と言われました。この「ほかの町にも」という中に、この富山の町も入っているのです。主イエスは、福音をたずさえて生きるキリスト者と共に、この富山の地にも来られた。今も、私共と共に、この富山の地に住む一人一人に神の国の福音を告げる為に生きて働いておられるのです。この主の御業の為にこの教会は建てられているのです。
 この光栄を思い、いよいよ主の御業に仕えてまいりたいと願うものであります。

[2005年4月10日]

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