バプテスマのヨハネについて考える時、私は一枚の絵を思い出します。15世紀から16世紀にかけて活躍したドイツの画家、グリューネバルトが描いた、イエス・キリストの十字架の絵です。フランスのイーゼンハイムという町にある修道院の祭壇画として描かれたもので、横3m、縦2.5mの大きな絵です。私は実物を見たことはありませんが、鳴門にあります大塚美術館という所で、これの実物大の複製を見たことがあります。この美術館は、世界の名画と言われるものを、陶板に焼き付けるという技術で実物と同じ大きさの複製を作って飾っている所です。入口にはバチカンのシスティナ礼拝堂と同じ空間を作って、そこに天井にはミケランジェロの天地創造の絵、正面には最後の審判の絵があります。私のような絵や美術に疎い者には、複製で十分で、しかも外国に行かなくても、世界中の絵が見られるのですから、こんな便利なものはありません。一日中回っても、とても全てを見ることは出来ません。複製と言っても、それは世界の名画ですから、一枚一枚に大変な迫力があって、途中で頭が痛くなりましたけれど、とても心に残る時を過ごしました。
私がこの美術館のことを知り、行きたいと思いましたのは、このグリューネバルトが描いたキリストの磔刑画を見たいと思ったからでした。今は大変便利になりまして、インターネットでグリューネバルトと入力して検索いたしますと、この絵を見ることが出来ます。この絵は、凄惨とも言うべきリアルさで、キリストの十字架を描いているのです。ある神学者は、この絵の小さな複製を書斎の壁に掛けて、これを見ながら神学書を書き続けたと言われています。神学生の時代、その話を聞いて、何とかこの絵を見たいと思ったのです。この絵はまことにリアルに、目をそむけたくなる程に細部に至るまで、キリストの十字架の姿を描いています。そして、その右側に、十字架を指さしている一人の男が描かれています。彼は、「あの方は栄え、私は衰えねばならない。」という言葉を語ります。その言葉も絵の中に書かれているのです。描かれている人物のセリフを書くという絵も珍しいと思いますが、「あの方は栄え、私は衰えねばならない。」その言葉もしっかり書かれているのです。この人こそ、バプテスマのヨハネなのです。主イエスが十字架におかかりになられた時、バプテスマのヨハネはすでに領主ヘロデによって殺されておりました。しかしグリューネバルトは、そんなことは無視して、バプテスマのヨハネをこの絵の中に描いたのです。神学校時代、ある教授が、私達はこの絵に描かれているヨハネの指、主イエス・キリストを指し示す指になるのですと語られたことを思い出すのです。そして、ヨハネと共に「この方は栄え、私は衰えねばならない。」と言い切る者となる。そこに私共の全ての歩みがある。そう語られた言葉を聞きながら、心が熱くなったのを覚えています。
主イエス・キリストの十字架を指し示すバプテスマのヨハネ。それは、その後に続く全てのキリスト者の雛型であると言っても良いのでありましょう。ヨハネが登場した時、多くの人々が「もしかしたら、この人が待ち望んでいた救い主、メシアなのではないか。」そう思っていました。当時、彼の与えた影響は、とても大きかったのです。又、当時、メシアを待望する思いが、人々の中に満ちていたのです。人々はローマに支配される日々を送る中で、自分たちを助け救ってくれるメシアが来る。そのことに望みをかけていたのです。しかし、ヨハネは、レビ族の者、ダビデの子孫ではありませんでした。人々はそれでも、ヨハネがメシアではないか、そうであって欲しい、そうすれば自分達はこの状況から救われる、そういう思いをヨハネに向けていたのです。しかし、ヨハネは、私がメシアだとは言いませんでした。そうではなくて、ヨハネは「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」そう告げました。
ヨハネは自分が授ける洗礼は、単に水によるものだ。これによってあなた方が生まれ変わるというようなことはない。そう告げたのです。ヨハネは、自分に寄せられている人々の期待を知りながら、それに乗るというようなことはしませんでした。自分の分、自分の役割、自分の使命というものを明確に自覚していたのです。そして、その自分の分というものを超えることはありませんでした。彼の使命、それは次に来られる主イエス・キリストを指し示すこと、まことの王である主イエスの為に道を備えることでした。「わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。」そう言い切ったのです。履物はサンダルでしょう。そのひもを解くのは、汚れた足を洗う奴隷の仕事でした。自分はその方の前に出るならば奴隷以下だと言ったのです。それは、自分を卑下したのではないのです。そうではなくて、まことの王、まことの救い主の栄光、力、輝きを知るが故に、彼はこう言わざるを得なかったのであります。私共は、ここに「神の御前における謙遜」ということを学ぶのであります。
謙遜というのは、自分を見て、自分の欠けや小ささを思ってへりくだるというのとは少し違うのです。謙遜というのは、神様、イエス様というまことに大いなる方、その栄光、その知恵、その深いあわれみに触れ、おのずと自らの小ささを知るということなのです。それは、雄大な自然の中を歩いたり、眺めたりする時に覚える感覚に近いと思います。大きな自然の中を歩いていると、自ずと自分がちっぽけな存在だということに気付くでしょう。それは自分の心の中をのぞき込んで生まれてくる思いではありません。神様の御前における謙遜というものそういうものです。私の目が本当に天の神様に向けられた時、キリストを見上げた時、私共は自らの小ささ、自らの罪、自らの愚かさを自ずと知らされるのでしょう。そこで私共は謙遜ということを学ぶのです。人と比べてみても、自分の心の中をのぞき込んでも、キリストの御前に立つということがなければ、私共は本当に謙遜にはなれないのではないでしょうか。どんなに偉い人でも、近くにいけば欠けがあります。それを知ると、私共は「何だ、たいしたことはない。」そんな思いを持ってしまうのです。まことに謙遜になるということは難しいのです。ヨハネの激しい言葉、「蝮の子らよ」とさえ言い放つ人でした。この同じ人の口から、「履物のひもを解く値打ちもない」という言葉が出た。ヨハネの謙遜とは、実にキリストを指し示すという一事に生きた時に与えられたものなのではないかと思うのです。私共も謙遜でありたいと思う。それは、私共が人と比べて生きることをやめて、神様の御前に生きるということが確かなものとされていく中で与えられていく、新しい人格の特徴なのではないかと思うのです。そしてキリストを指し示そうとするなら、私共はキリストを見なければなりません。見ないで指し示すことは出来ないからです。キリストを一生懸命指し示そうとすれば、キリストを一生懸命に見なければなりません。キリストを見る、見続ける、そういう中で、私共の中に謙遜ということが育っていくのではないかと思うのです。全てのキリスト者がキリストを一生懸命に見ているとは限りません。キリストではなくて、キリスト教の様々な文化や装飾を見ている人も少なくない。それではダメなのです。キリストを見なければダメなのです。なぜなら、私共が人々に示すのは、キリスト教ではなくキリストご自身であり、キリストの命を指し示さなければならないからです。だから、キリストを、あの十字架につけられたキリストを、復活されたキリストを、天に昇られたキリストを、一生懸命見なければならないのです。
さて、ヨハネは主イエスが授ける洗礼は、「聖霊と火」による洗礼であると告げました。それは、私共の罪を焼き滅ぼし、聖霊が宿る、聖霊が降るということにおいて新しい人間を生まれさせることの出来る洗礼であります。この洗礼ということについては、次の週の説教において、少し丁寧に語ることが出来ると思いますが、ヨハネはここで、この洗礼ということと、神様の裁きというものを直結させて語っています。「その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」と語った後で直ぐに「そして、手に箕を持って、脱穀場で隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」と語りました。これは終末における裁きのことを告げているのでしょう。つまり、主イエスによって洗礼を受ける者は、永遠の裁きの時に救いに与ることが出来ると、ヨハネは告げたのです。このことだけは良く覚えておきましょう。父と子と聖霊の御名によって洗礼を受けた者というのは、神様の永遠の裁きの時に、救いに与ることが出来る者とされるということなのです。洗礼は、単にクリスチャンになる通過儀礼というようなものではないのです。単にその人の考え方や生き方が変わるというようなものではないのです。もちろん、そういうことも起きるでしょう。しかしそれ以上に、命の問題なのです。私共の命が、永遠の命がかかっている。そういう出来事なのであります。神様の力によって、聖霊と火によって、私共の命が根本から変わってしまう。そういう出来事なのであります。
ヨハネは、主イエスを指し示す者として生きました。そこには人への恐れを乗り越えた、勇気が生まれたのです。ヨハネは領主ヘロデの悪事を指摘し、責めました。この領主ヘロデというのは、主イエスが生まれた時に2歳以下の男の子を皆殺しにしたヘロデ大王の息子、ヘロデ・アンティパスのことです。彼は、同じヘロデ大王の子であり、自分とは異母兄弟になるヘロデ、同じ名前ばかり出てきて、頭が混乱してしまいますが、この人の妻であったヘロディアと結婚したのです。しかも、このヘロディアという女性も又、ヘロデ大王の孫だったのです。つまり、領主ヘロデは、異母兄弟の妻であり、自分の姪である女性と結婚したということなのです。これは、神様の前に正しいことではない。そうヨハネは告げたのだと思います。その結果、ヨハネは囚われの身となり、マタイ14章によるならば、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が踊りを踊り、その褒美として首をはねられた、というのです。この領主ヘロデの行動は、まことに神を恐れぬ者の仕業としか言いようがありません。ヘロデは、自分の罪を責める者の口を封じる為に、ヨハネを捕らえ、首をはねたのでしょう。確かに、これでヘロデの悪事を公に責める者はなくなったかもしれません。しかし、罪というものは人の口を封じたからといって、なくなるものではないでしょう。罪というものは、神様の御前において悔い改め、赦していただかなければ、決してぬぐわれることはないのです。罪はその人の中で成長し、やがて、その人自身をも飲み込んでいってしまう、破滅させてしまう。そういうものなのであります。へロデも最初からバプテスマのヨハネの首をはねようと思っていたわけではないでしょう。しかし、娘の踊りへの褒美という、何とも情けないことのためにそうしてしまつた。これは、既にへロデが自らの罪に飲み込まれてしまっていたことを示しているのではないでしょうか。
私は、まことに気が小さい者です。このようなヨハネの行動を読むと、自分にはヨハネのように大胆に語ることが出来るであろうかと、いつも思うのです。会議の席でも、反対者がいれば、すぐに何も言えなくなってしまう、そういう人間です。ですから、「神様、力を下さい、勇気を下さい。」と祈るしかない。どもそうすると、本当に語らなければならない時、それは人生の中で何度もあるものではないでしょうけれども、そういう時には語れるのです。神様が不思議な勇気を下さるのです。私は、そういう経験を何度かしました。足はがくがく震えているのですが、語れる。私共は、神様の勇気づけを信じて良いのです。
キリストの十字架。それは少しもロマンチックなものではありません。凄惨なものです。それは、私共が自らの罪の故に受けねばならなかった罰を、神の子、救い主である主イエス・キリスト自らが、その身にお受けになったからです。ですから、主イエスの十字架はまことに悲惨な出来事であるにもかかわらず、美しく、気高いのであります。バプテスマのヨハネは、この方を指し示した。グリューネバルトの描くヨハネは「この方は栄え、私は衰えねばならない。」と語ります。この言葉は、「私は衰えなければならない。」残念だという響きは全くありません。この方が栄える、それに仕えることこそ、やがて衰えていかねばならない私の誇り、私の喜びだ、と言っているのでありましょう。私共はヘロデのように生きるのではなく、ヨハネのように生きる者として召されていることを、心から感謝し、この一週の歩みを主の御前にささげていきたいと思うのであります。
[2005年1月30日]
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