2004年、最後の主の日の礼拝を捧げています。先週は、クリスマス礼拝に始まりまして、子どものクリスマス会、キャンドル・サービス、キャロリングと、クリスマスの祝いが次々となされました。私にとりまして、この教会での初めてのクリスマス会でありましたけれど、とても嬉しいクリスマスでした。何より嬉しかったのは、子どものクリスマス会にも、キャンドル・サービスにも、初めて教会に来られたという方が、たくさんいた事。又、いつも教会に来ることのない教会員の家族の方々が大勢来られたことです。皆さんがお誘い下さったのでしょう。又、ポスターを見て、あるいは玄関のポストに入れてあった案内を見てという方もおられました。私共が一人でも多くの方々とクリスマスを祝いたい、そう願い、なしてきたことが用いられた、神様が用いて下さった、そのことを何より嬉しく思いました。今回教会に来られた方々の中から、教会へとつながる方が、一人でも起こされるよう祈り願い、教会から、また教会学校からお一人お一人に便りを出したいと思っています。
キャロリングも私にとりまして、17年ぶりのことでした。前任の教会ではキャンドル・サービスでエネルギーを使い果たしてしまい、とてもキャロリングまで出来ませんでした。今年は逓信病院と駅、それに五福・呉羽といった西の方面の教会員の家に行きました。迎える方々も、そろそろ来る頃だがと、ソワソワして待たれていたのではないかと思います。その車の中で、ある教会学校の生徒が「私、キャロリングが大好き。」と言っておりました。「どうして」と聞きますと、「何か、イエス様の誕生の讃美歌を歌って、皆、それを聴いて喜んでくれるじゃないですか。それがうれしいの。」そう答えてくれました。本当にうれしそうに話す声を聞きながら、イザヤ書52章7節の御言葉、「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。」を思い起こしました。大勢の家は回れません。今年は7軒の家を回りました。玄関先で讃美歌を歌い、一言、祈って次の家へと回る。次々と家々を回る中で、主イエス・キリストの誕生という良き知らせを伝える者の幸いを、改めて知らされました。
キャロリングが、どのようにして始まったのか良く判りませんけれど、その町全体がキリスト教であるヨーロッパにおいて、教会は原則的にはこの地域に住む人々が教会員と決まっておりました。パリッシュと言いますが、日本の町内会を連想すると近いのではないかと思います。そこでクリスマスに子供たちがクリスマスの讃美歌を歌いながら、教会員の家を訪ね歩いたのでしょう。子供たちにちゃんと役割が与えられていた。これは、とても大切なことなのだと思います。子供たちは、このクリスマスの時に、ただプレゼントをもらうだけではない。良き知らせを伝える者として用いられる。神様の救いの御業には、幼子から老人まで、全ての者が用いられる。今回、お年を召した何人もの教会員の方が、子や孫を連れて教会に集う姿を見せていただきました。中には親子四代にわたって来られた方もおられました。そこでも、「いかに美しいことか、良い知らせを伝える者の足は。」との御言葉が現実となっていると思いました。
今日与えられている、洗礼者ヨハネが誕生する時のことを記しております御言葉においても、ザカリアとエリザベトという老人と生まれたばかりのヨハネという幼子が主イエスの救いの訪れを喜ぶ者として、その喜びを告げ知らせる者として用いられているのです。この個所は、本当はアドベントの時に読まれるべき所なのでしょうが、当初そのように考え計画していたのですけれど、代務を務めることになった魚津教会での説教が1回入ってしまい、少しずれてしまいました。
年老いて与えられた男の子の誕生を祝い、ザカリアとエリサベトの家に、近所の人々や親類の者達が集まりました。誕生して八日目に割礼を施し、名前を付ける。それが当時の習わしでした。レビ記に記されている通りに行われていたのです。バプテスマのヨハネの父ザカリアは、神殿において天使からエリサベトは男の子を生むとのお告げを受けましたけれど、それを信じなかった為に、それ以来、口が利けなくなっておりました。10ヶ月の間、彼は口が利けなかった。ところが、無事に男の子が誕生し、その子に名前を付けるこの時、親類の人達でしょうか、生まれたこの男の子の名前はザカリアにしようと提案したのです。しかし、ザカリアは、妻のエリサベトと共に、その子の名前をヨハネと付けなければならないと主張したのです。親類の人達は、自分達の親類にはそういう名の人はいない、そう言って反対しました。今でこそ、私共は子供の名前を付けるのは、両親で考えて付けるということが一般的になっておりますけれど、当時はそうではありませんでした。しかし、ザカリアとエリサベトは、この子をヨハネと名付けなければならない、そう主張したのです。それは、天使から、この子はヨハネ(神の恵み)と付けるように言われていたからです。それは主イエスの場合と同じです。ザカリアが男の子の名をヨハネと書いた時、彼の口が開き、舌がほどけ、神を讃美し始めたのです。人々は驚きました。一体、ザカリアに何が起きたのか判らなかったからです。
私は、この話はとても美しいと思う。天使のお告げを信じなかった時、ザカリアは口が利けなくなり、男の子をヨハネと名付ける、つまり、天使のお告げを受け入れたことが明らかになった時、彼の口は再び開き、神様を讃美し始めたというのです。私がどうして、これを美しい話だと思うのか。それは、私もこうなりたいと思うからです。逆に言えば、私共の現実は、いつもこの逆ではないかと思うからです。私共の口は、神様なんか信じない、神様の恵みなんて本当か、何で神様の為にこんなことまでしなければいけないのか。そんなことを語る場合、実に雄弁になっているのではないか。そして、神様の恵みを語る時、私共の口は重くなっていないか。そう思うからです。
前任の教会の家庭集会で、夫や家庭の不満、愚痴、悪口を禁じたことがあります。聖書の学びが終わって、お茶を飲みながら親しい語らいの時を持つと、誰が言うとでもなく、夫への愚痴が始まる。すると、「そうそう」と言って、更に輪をかけた話が出る。どんどん話はエスカレートしていく。本当に不思議なもので、愚痴というものは、誘い水を加えたら、いくらでも出てくる。そして、何かそこに共通の連帯感のようなものさえ生まれて来る。しかし、私はこれは違うのではないかと思いました。私共の連帯感は、神様をほめたたえる、神様の恵みを数え上げる。そこにあるのではないかと思うからです。愚痴を禁止しますと、初めは何を言われているのか判らない様子でした。しかし、こんな良いことがあったと話しましょうと申しますと、不思議なことに、今度は一人がうちの夫はこんなに素敵だと言い出す。すると、うちの夫だってこんなに良い所がある、そう言い始めたのです。その話を聞きながら、私も楽しくなりました。そのうち次第に、最近こんな嬉しいこと、神様の導きと守りを知らされたことなどが話されるようになり、自然に祈りへと導かれていく。そんな語らいの時へと変わっていったのです。これは日本の文化の中では異質なことなのかもしれません。しかし、私共は神様を知った。神様を知ったということは、この口は神様をほめたたえる為に開かれるべきだということを知ったということなのではないでしょうか。神様を知っているのに、神様の光に照らし出されているのに、どうしてなおも闇の中を歩んでいるかのように語り出すのか。光の中を歩む者としての語らいが、交わりが形成されていかなければならないのでありましょう。
12月の始めに、友の会のクリスマスでお話しをする機会が与えられました。そこで印象深く私の心に残ったのは、それぞれこの一年責任を持たされた方が、「感謝の報告」というのを行った。単なる行事報告ではなく、それを感謝するという形で行うのです。私はそれを聞きながら、ここには明らかにキリストによって生かされた羽仁もと子という人の信仰が明らかな形をとって残っていると思いました。
ヨハネが生まれた時、近所の人も親類の人も共に喜んで祝いに来ていました。これもう嬉しいことです。子供が与えられる、幼子が誕生する、それは無条件に嬉しいことでしょう。しかし、この出来事を、本当に神様の業として受け取っていた者は、この時ザカリアとエリサベトしかいなかったのではないかと思うのです。私共は嬉しいことがあれば、神様の恵みだと言う。しかし、それを本当に神様の御業として受け取っているかどうか。これは問われなければいけないことなのではないかと思うのです。もし、私共がそれを神様の御業として喜んでいるのならば、必ず「主をほめたたえる」ということへとつながるはずなのです。主をほめたたえることと喜ぶことが一つとなる。そこに私共の喜びがあるのでありましょう。
さて、ザカリアは口が利けるようになって68節以下のことを語り出しました。このザカリアの言葉は、後にラテン語の最初の言葉をとって、ベネディクトゥスと呼ばれ、教会の歴史の中で、大変重んじられる讃美歌となりました。このザカリアの歌は、バプテスマのヨハネの誕生の時に歌われた訳ですけれど、ヨハネについて直接語られているところは、76,77節だけです。その他のところは、救い主イエス・キリストによってもたらされる救いを喜び祝っているのです。ここでザカリアは、単に我が子が生まれたということを喜んでいるのではなく、我が子が救い主に先立って主の道を整える者として生まれた。神様は預言者の口を通して語られたこと、アブラハムの契約を忘れずに、今、この時、まさにそれを実現しようとして下さっている。そのことを喜んでいる。天使が告げた言葉が事実となったこの時、彼の中にその他の神の言葉、聖書の言葉の真実がはっきりと判ったのであります。神の言葉の真実に打たれ、喜んでいるのです。そしてザカリヤは、我が子が神様のご用に用いられる、そのことを喜んでいるのです。
69節「我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。」このダビデの家から起こされる救いの角とは、主イエス・キリストを指しています。そして、その救い主の到来は、契約の成就であり、預言の成就であると歌っているのであります。そして、78,79節のマラキ書とイザヤ書の引用で終わっています。「高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の影に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」「あけぼのの光」とは、主イエスの命の光、復活の光でありましょう。ザカリアは、我が子の誕生の向こうにある、主イエス・キリストによってもたらされる救いを見ているのです。私共もこのまなざしを与えられたいと思うのです。我が子が与えられた喜びの向こうにある喜びです。我が子が神様に用いられることを心から祝う喜びです。神の言葉の真実を喜ぶ喜びです。
皆さん御承知のように、バプテスマのヨハネは、領主ヘロデによって、娘の踊りの褒美として、首をはねられてしまいました。ザカリアもエリサベトも高齢でありましたから、これを知ることなくこの地上での生涯を閉じたかもしれません。ヨハネの生涯は、その意味では少しも幸いであったとは言えないかもしれません。それは、ペトロにしてもパウロにしても同じことです。誰よりも、主イエス・キリストご自身の歩みがそうであったのです。だったら、ザカリアもエリサベトも、マリアもヨセフも、不幸であったと言うべきなのでしょうか。そうではないでしょう。「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を」であります。ザカリヤとエリザベトは我が子が神様のご用に用いられる、主の民に罪の赦しによる救いを知らせる者となる、そのことを何よりの喜びとし、誇りとする父であり、母であったのだと思うのです。ここには、父として母としての新しい喜びがあります。暗闇と死の陰に座していた私共に、キリストの救いの光が射し込み、照らし出したのです。この光に包まれた者としての喜び、新しい喜びをザカリアは歌っているのです。私共もそうなのです。このキリストの光に照らし出された者として、この光の中を歩んでいきたい。心からそう願うのであります。
[2004年12月26日]
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