富山鹿島町教会

礼拝説教

「神の平和に包まれて」
レビ記 26章3〜13章
フィリピの信徒への手紙 4章8〜9節

小堀 康彦牧師

 キリストの福音は、様々な歴史を持つ国や地域の文化を取り込み、それらの文化を新しいものに造り変えていきます。それがキリスト教二千年の歴史でした。生まれたばかりのキリストの教会が最初に出会った文化は、ギリシャ・ローマの文化でした。それはすでに、千年以上の歴史を持つ文化でした。キリストの教会はこれと出会い、これを無視することは出来ませんでした。多くの神々を拝む、多神教の信仰とは戦いながら、しかしその文化的遺産は受けついでいきました。その中の大きな一つは、倫理です。人間として、キリスト者として、いかに生きるべきか。これはキリストの福音によって新しく生きる者とされたキリスト者にとって、いつでも重大な問題です。キリストの福音は、それを信じる者にまことの救いを約束します。そして、その約束によって生きる者の生き方というものも示していくものなのです。この生き方、倫理というものは、それぞれの文化も持っているわけです。このそれぞれの文化の持ってる生き方というものを受け継ぎながら、キリストの福音はそれを新しいものに造りかえていったのです。

 キリストの福音による救い。そして、その福音にもとづく、新しい生き方。この二つは切り離すことが出来ません。ですから、パウロはどの手紙においても、キリストの福音を解き明かす教理を告げた後で、必ずその福音に生きるキリスト者の生き方というものを告げるのです。今朝与えられているフィリピの信徒への手紙4章8〜9節もそういう所です。8節「兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に価することがあれば、それを心に留めなさい。」とパウロは告げます。これはいわゆる徳目表と言われるものです。ここでパウロが心に留めるようにと告げている徳目、「真実なこと」・「気高いこと」・「正しいこと」・「清いこと」・「愛すべきこと」・「名誉なこと」といったものは、実はキリスト教独自なものではないと、多くの研究者が指摘しています。これらの徳目は、すでにギリシャ・ローマの文化の中で一般に徳目として挙げられていたものと同じであるというのです。ここで問題となるのは、キリストの福音によって新しくされようと、されまいと、心に留めるべきこと、生き方ということにおいては、何も変わらないのかということです。本当にそうなのかということです。ここがとても大切な所なのです。多くの研究者達が指摘するように、ここに挙げられている徳目は、当時のギリシャ・ローマの文化の中に生きていた者にとっては当たり前の、特に珍しいことは少しもない、そういうものだったと思います。誰もが、大切だと思っていたことです。しかし、それが意味する所も同じであったかというと、私はそうは思えないのであります。
 例えば「真実なこと」ということが何を意味するのか。これは本来「嘘をつかない」、「ごまかさない」そういう意味です。しかし、ここで「すべて真実なことに心を留めなさい。」と言われる場合、それは単に嘘をつかないという所にとどまるものではないと思います。なぜなら私共は「まことに真実な方」を知っているからです。主イエス・キリストです。キリストの真実は、単に嘘をつかないというようなものではなかったはずです。人に対してだけではなくて、神様に対しても、心と言葉と行いにおいて、真実でした。二心なく真実でした。ここでパウロが「真実なことに心を留める」と言ったとき、それはこのキリストの真実に倣う者として生きるということ以外になかったのではないでしょうか。つまり、「真実なこと」という言葉を受け継いで、しかしその中身においては主イエス・キリストをモデルとするものに変えてしまったのだと思うのです。これは、次の「気高いこと」や「正しいこと」等々についても、同じことが言えると思います。「まことの神にして、まことの人」である、主イエス・キリストというお方の十字架と復活の出来事によって救われた私共には、この方を抜きにして、最早、真実にしろ、気高さにしろ、考えることは出来なくなったのです。そこで何が起きるかと言いますと、「言葉を受け継ぎながらその内容は変える」という、キリストの福音によって、ギリシャ・ローマの文化を造り変えるということが起きているのであります。それが可能であるのは、主イエス・キリストというお方が、「まことの神にして、まことの人」であられる故に、この方をモデルにする以上、その内容がその文化をはるかに超えて素晴らしいからなのであります。

 これは、ゲルマン民族にキリスト教が伝わる時にも起きましたし、英国・米国という、アングロ・サクソンにキリスト教が伝わる時にも起きたことです。キリスト教は、その国や地域の文化を受容しつつ、それを福音によって造り変えていく、そういう力を持つのであります。もちろん、それには長い時間がかかるかもしれません。しかし、それは必ず起きなければなりません。この日本においても起きなければならないのです。そうでなければ、この国にキリストの福音が本当に根づいていくということにはならないのだろうと思います。そしてこのことは、キリストの福音はそれを信じる一人の人を救い聖めるだけでなく、その国を、その文化を聖めるということなのであります。
 明治時代にキリスト教に出会った多くのキリスト者は、日本文化の中にある「武士道」とキリスト教の倫理・生き方を重ね合わせようとしました。植村正久・内村鑑三・新渡戸稲造、皆そうでした。それが成功したがどうかということについては様々な評価があるでしょう。しかし、それが意図したこと、目指したところにおいては間違いはなかったと私は思っています。日本の文化を無視するのではない。そうではなくて、福音によって新しいものに造りかえていくのです。
 ギリシャでオリンピックが始まりました。寝不足の方も多いかもしれませんけれど、このオリンピックに出場した202の国や地域の旗を見ますと、実におびただしい国において、十字架のモチーフが用いられておりました。それは、それらの国や地域において、キリストの福音が確かな力を持つこととなっている一つの「しるし」なのではないかと思いました。

 さて、このキリストの福音の文化形成力とでも言うべきものは、一人一人のキリスト者によって担われていくと同時に、キリストの教会というものによって担われ、育まれていくものなのでありましょう。
 4章の9節においてパウロは「わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。」と申します。ここで、パウロ自身が福音に生きる者のモデルとなっている訳ですけれど、それは単にパウロという個人がモデルとなっているというようなことではないのです。パウロを生み、パウロを育んだ、キリストの教会という存在が、次々とパウロのようなモデルを造り出しているということなのであります。そして又、私共もそのようなモデルとなるように召され、それでその場に遣わされているということなのであります。
 コリント人への手紙一15章3節「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。」とあります。パウロは、自分で発見したり、思いついたりしたことを、福音と称して人々に伝えたのではないのです。彼が伝えた福音は、自分自身も受けたものなのです。それは、キリストの教会が保持していた福音です。このキリストの教会の中に生きる時、私共は福音に生きるということがどういうことであるのか、それを頭で理解するというような所にとどまらず、まさに身に付けていくのであります。身に付いていくということは、その人にとって、そのことが自然であり、当たり前であるということでしょう。これは、意識してそのように行うことに努めるということよりも遙かに力があるのです。強いのです。
 私は20才で回心し、洗礼を受けた一代目のクリスチャンです。家族・親族にクリスチャンは一人もいません。ですから、いつもどこかで自分はクリスチャンなんだと肩に力を入れている所があります。しかし、娘を見ていますと、彼女の中にはキリスト教以外ないのですね。聖書の神様以外、まったく知らない。ですから、他の神様を拝むことはない。そういうことがある訳です。最初に覚えた言葉は「ママ」、「パパ」ではなく「アーメン」でした。お腹がすくと「アーメン・アーメン」という。「アーメン」と言えば食事が出来ると思っていたのでしょう。8月号の「こだま」に、自分が洗礼を受けた時のことを記していますが、彼女にとって、洗礼を受けることは自然なことだった訳です。内村鑑三は、「与はいかにしてキリスト者となりしか」という本を書いています。それは、キリスト者になるということが、日本の文化の中においては全く異質なことでしたから、キリスト者になるには理由が必要だったのです。その事情は、現代においても、あまり変わっていないと思います。しかし、キリスト者の家庭に育ち、教会の中で育った者にとっては、そうであってはならないのではないかと思うのです。教会の外においてはそうであっても、教会の中にあっては、キリスト者になるのが、自然であり、当然のことでなくてはならないのではないでしょうか。逆に「何故、自分はキリスト者とならないのか」という明確な、強烈な理由がなければならないのではないのかと思うのです。もしそうならないとするならば、私共の「教会の文化」・「キリスト者の家庭の文化」が、「日本の文化」に負けているということなのではないかと思うのです。
 私が舞鶴の地で伝道者としての一歩を歩み始めました時、ウィリス夫妻というカナダ人の方がおられました。病院で医師を指導する医師として来日して、毎日自宅でバイブルクラスを開いていた方です。医療宣教師と言ったら良いのでしょうか。どの教派にも属さず、医師として働きながら、世界中で伝道されてきた方でした。内戦のエチオピアで、フィリピンで、沖縄で、医師として働きながら、伝道し続けてきた人でした。お父さんは中国への宣教師、そして息子さんも香港で文書伝道をされている方でした。私が驚いたのは、そのキリスト者としての香りの高さでした。数年しか舞鶴にはおられず、カナダに帰国されましたけれど、バイブルクラスはアッという間に数十人になり、時間がないので断るという状況でした。別に、みんな英語が習いたかった訳ではないのです。このウィリス夫妻と一緒にいたかったのです。言葉も判らない、でも、一緒にいると、うれしかったのです。私共夫婦も、強いあこがれを持ちました。いつか、ウィリス先生夫妻のように、いるだけでキリストの香りを放つ者になれるだろうか。なりたいと思いました。代々伝わる世界伝道への情熱、そしてこういう人を育む力というものに驚きました。キリストの福音は、この国の文化を造り変え、教会の文化を生み出し、それぞれの家庭の文化も育んでいくものなのです。日本の教会は、残念ながらまだ十分にそのような文化を育んでないと思います。そして、それが、私共の課題であると思うのです。

 私共には、主イエス・キリストという究極のモデルがあります。そして又、そのキリストの福音に生き切った代々の聖徒たちというモデルがあります。私共はそのモデルによって示されたこと、学んだことを、実行していけば良いのであります。「そうすれば、平和の神が共にいてくださる」という約束が与えられているのですから。そこに文化が生まれ、文化が育まれていくのです。私共の歩みは、この平和の神と共に、平和の神につつまれての歩みなのですから、臆せず、恐れず、大胆に、信仰の一歩を踏み出していきたい。そう心から願うものであります。

[2004年8月15日]

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