富山鹿島町教会

礼拝説教

「サウルの最期」
サムエル記上 第28章1〜25節
使徒言行録 第13章16〜25節

 月の終わりの主の日には、旧約聖書サムエル記上よりみ言葉に聞いています。サムエル記は、それまで12部族の緩やかな連合体であったイスラエルが、王国となっていった時代のことを語っています。その最初の王として立てられたのは、ベニヤミン族出身のサウルでした。しかしサウルの王国は一代限りで続かず、その家臣であったユダ族出身のダビデが次の王となったのです。そのダビデによってイスラエル王国の基礎は据えられ、ダビデ王朝は国の滅亡まで続いていくのです。サムエル記上の後半は、最初の王サウルが次第に没落していき、代ってダビデが頭角を表わし、王となる道を登っていく、その様子を描いています。サウルの没落とダビデの上昇、その二本の線が交差しているのです。本日は、28章だけを朗読していただきましたが、27章から31章までを見渡しながら、サウルの最期の様子、そしてそれに関連するダビデの歩みを見ていきたいと思います。

 サウルは没落し、ダビデは上昇していったと申しました。しかしその線は単純に下向きの線と上向きの線になっているわけではありません。ダビデは、ペリシテとの戦いにおいて、大男ゴリアトを倒してイスラエルを勝利に導いたりして、すばらしい勇者、イスラエルにその人ありと称えられる将軍として頭角を現していきました。サウルはそのダビデを次第に、自分の王位を脅かす者として警戒し、憎むようになっていきました。そして遂にサウルはダビデを殺そうとするようになり、ダビデは逃亡の生活を余儀なくされたのです。一旦上昇してきた線はここでどん底まで落ちてしまったように見えます。彼は荒れ野を転々としながら、自分のもとに集まって来た、食い詰めた者たちや不満分子を統率して、武装集団を形成していきました。そして27章には、ダビデがイスラエルの宿敵であったペリシテの王のもとに身を寄せ、その家臣になったことが語られています。ペリシテの王アキシュは、イスラエルの将軍ダビデがサウルに憎まれたために自分の方に寝返って来たことを喜び、彼にツィクラグという町を与えました。しかしダビデは、ペリシテ王には、ペリシテの敵である町々を襲ったと偽りつつ、実はイスラエルに敵対する町を襲っていたのです。つまりペリシテ王の家臣となったのは、サウルの追及から身を守るための仮の姿だったのです。しかし、ペリシテとイスラエルは長年の敵です。当然、両者の間に戦いが起ってきます。そうなると、ダビデはペリシテ王の家臣として、同胞であるイスラエルと戦わなければならないことになるのです。そのことが、先ほど読まれた28章の始めのところに語られています。1〜2節です。「そのころ、ペリシテ人はイスラエルと戦うために軍を集結させた。アキシュはダビデに言った。『あなたもあなたの兵もわたしと一緒に戦陣に加わることを、よく承知していてもらいたい。』ダビデはアキシュに答えた。『それによって、僕の働きがお分かりになるでしょう。』アキシュはダビデに言った。『それなら、常にあなたをわたしの護衛の長としよう』」。アキシュはダビデに、かつての同胞を敵として戦う覚悟を問うているのです。それに対してダビデは、「イスラエルを相手にひと暴れしてみせましょう。それによって私の忠誠心がおわかりになるでしょう」と答えたのです。そう言いながらダビデの心は千々に乱れていたに違いありません。彼は今申しましたように、決して心までペリシテの家臣になっていたわけではないのです。思いはいつもイスラエルの民と共にあるのです。しかしこのままでは、その同胞と戦わなければならなくなるのです。

 そのようなダビデの内心の緊張を暗示しつつ、場面はサウルの側に転換します。このへんの語り方はまるで映画を見ているようです。ペリシテ軍が攻め上ってきたので、サウルもイスラエルの全軍を率いて陣をしきました。しかしサウルの心は恐れに満たされていました。彼は主なる神様に託宣を求めた、と6節にあります。神様のお告げを得たい、それによって恐れを取り除いてもらいたいと願ったのです。要するに、困った時の神頼みです。しかし、主は何もお答えにならなかった。お告げは全く与えられなかったのです。そこに、「主は夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった」とあります。ここは注意深く読まなければなりません。普通、神様に託宣を求めることは、祭司を通してなされるのです。しかしここには祭司が出てきません。ウリムというのが出てきますが、これは普通ウリムとトンミムという対になって出て来るもので、祭司が身につけていた祭具です。祭具はあるが祭司はいないのです。何故そうなっているのでしょうか。それは、サウル自身に原因があります。22章に語られていたことですが、逃亡中のダビデを祭司アヒメレクが助けたことに腹を立てたサウルは、主の祭司たちを皆殺しにしてしまったのです。だから、サウルのもとにもう祭司はいないのです。祭司たちを皆殺しにしておいて、主なる神様に託宣を求めてもそれが得られないのは当然です。サウルはそのように自分で自分を窮地に追い込んでしまっているのです。神様のお告げが得られないサウルは、今度は別のものに頼ろうとします。「口寄せのできる女」を捜したのです。「口寄せ」というのは、死んだ人の声を語る人のことで、呪術、魔法のたぐいです。日本でも、恐山の巫女がそのようなことをするという話があります。「死人に口なし」という現実の中で、何とか死者の声を聞きたいという思いからそういうものが生まれたのでしょう。サウルはその口寄せによって、過去、このような戦いにおいていつも指示を仰いでいたサムエルの声を聞こうとしたのです。しかし「口寄せのできる女」は簡単には見出すことができません。何故なら既にサウル自身が、そのような者たちをイスラエルから追放していたからです。そのことが3節の終わりに語られていました。「サウルは、既に国内から口寄せや魔術師を追放していた」。彼がそのようにしたのは、主なる神様のみ心に従ってのことです。主なる神様の律法の中に、このような口寄せや霊媒、また占いをする者などはイスラエルの中にあってはならないと言われているのです。申命記18章9〜14節を読んでおきます。「あなたが、あなたの神、主の与えられる土地に入ったならば、その国々のいとうべき習慣を見習ってはならない。あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。これらのことを行う者をすべて、主はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう。あなたは、あなたの神、主と共にあって全き者でなければならない。あなたが追い払おうとしているこれらの国々の民は、卜者や占い師に尋ねるが、あなたの神、主はあなたがそうすることをお許しにならない」。このように、イスラエルにおいては、魔術や占い、死者に聞こうとすることは固く禁じられているのです。それは、神様の民であるイスラエルが聞き、従うべき方は主なる神様お一人であって、その他のもの、何かの力やあるいは死者に伺いを立てたり、その守りや導きを求めることは、「あなたには私の他に神があってはならない」という十戒の第一の戒めを破ることになるからです。サウルは以前にはこの神様の律法に従って、口寄せや魔術師を追放していたのです。しかし今、危機的な状況の中で神様からのお告げを得ることができないという窮地に立たされて、自らが禁じ、追放したはずの口寄せに頼ろうとするのです。ここには、神様に背き、そのために苦しみに陥った者が、そのことによってますます神様から離れ、滅びへの道をころげ落ちていくという様子が描かれています。彼は、ようやく捜し出した口寄せ女によって、死んだサムエルを呼び起こします。そして15節でこう言っています。「困り果てているのです。ペリシテ人が戦いを仕掛けているのに、神はわたしを離れ去り、もはや預言者によっても、夢によってもお答えになりません。あなたをお呼びしたのは、なすべき事を教えていただくためです」。まさに困り果てた者が、溺れる者がわらをも掴む思いでサムエルの霊に訴えているのです。しかし、サムエルの霊からの答えは何の慰めをももたらすものではありませんでした。「サムエルは言った。『なぜわたしに尋ねるのか。主があなたを離れ去り、敵となられたのだ。主は、わたしを通して告げられた事を実行される。あなたの手から王国を引き裂き、あなたの隣人、ダビデにお与えになる。あなたは主の声を聞かず、アマレク人に対する主の憤りの業を遂行しなかったので、主はこの日、あなたに対してこのようにされるのだ。主はあなたのみならず、イスラエルをもペリシテ人の手に渡される。明日、あなたとあなたの子らはわたしと共にいる。主はイスラエルの軍隊を、ペリシテ人の手に渡される』」。「主があなたを離れ去り、敵となられた」。神様が敵となられたのだから、もうどうすることもできないのです。あなたの王国は取り上げられ、ダビデに与えられる。この戦いにおいてイスラエルは敗北し、明日、あなたとあなたの子らはわたしと共にいる、つまり、明日、あなたがたは死ぬのだということです。この、何の希望もない絶望の宣告によって、サウルはうちのめされてしまったのです。このサムエルの言葉の中に、もともと神様によって選ばれ、王として立てられたはずのサウルが何故このように神様に見捨てられ、王国を取り上げられることになったのか、その理由が語られています。それが18節の「あなたは主の声を聞かず、アマレク人に対する主の憤りの業を遂行しなかったので、主はこの日、あなたに対してこのようにされるのだ」ということです。これは15章に語られていたことです。アマレク人との戦いにおいて、神様が、その全てを滅ぼし尽くせと言っておられたのに、サウルは値打ちのあるものを戦利品として残しておいたのです。それは彼が、神様のみ言葉に従うよりも自分の思いによって行動したということでした。それがサウルのつまずきの始まりだったのです。そのことによって彼は、神様によって与えられた王位を失い、王国を失う道をたどり始めたのです。

 そこで場面は再びダビデの方に戻ります。イスラエルとの戦いのために陣をしいたペリシテ軍の中に、ダビデがいます。彼は王アキシュの護衛のためにそのしんがりに位置していました。するとペリシテの武将たちがダビデへの疑いをもらし始めたのです。29章4、5節にこうあります。「だが、ペリシテの武将たちはいらだってアキシュに言った。「この男は帰らせるべきだ。彼をもともと配置した所に戻せ。我々と共に戦いに向かわせるな。戦いの最中に裏切られてはならない。この男が元の主人に再び迎え入れられるには、ここにいる兵士たちの首を差し出すだけで十分ではないか。『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』と人々が歌い踊ったあのダビデではないか」。戦いの最中に裏切られてはたまらないから、ダビデをツィクラグに帰せと言うのです。アキシュはダビデを信用していて、盛んにとりなすのですが、武将たちは聞き入れません。それでアキシュは仕方なくダビデを戦線から離脱させ、ツィクラグに帰すことにします。これは神様の不思議な導きです。このようにしてダビデは、同胞と戦い、裏切り者となることを免れたのです。

 さて30章には、ペリシテとイスラエルの戦いのことが語られるに先立って、ダビデをめぐる一つのエピソードが語られています。ダビデがペリシテの陣営を離れ、ツィクラグに帰ってみると、アマレク人によって町は焼かれ、ダビデの家族や町の者たちは捕虜となって連れ去られた後でした。兵士たちは大いに嘆き悲しみ、こんなことになったのはダビデのせいだ、と反抗的になり、ダビデを苦しめました。6節にこうあります。「兵士は皆、息子、娘のことで悩み、ダビデを石で打ち殺そうと言い出したので、ダビデは苦しんだ。だが、ダビデはその神、主によって力を奮い起こした」。苦しみの中でダビデは主によって力を奮い起こした、それは具体的には、主なる神様の託宣を求めたということです。そこに、祭司アビアタルという人が登場します。この祭司を通してダビデは「この略奪隊を追跡すべきでしょうか。追いつけるでしょうか」と神様に問い、「追跡せよ。必ず追いつき、救出できる」というお告げをいただいたのです。サウルが、主の託宣を求めても得られなかったのと対照的です。ダビデは神様によってなすべきことを示され、励ましを与えられたのです。ダビデのもとには祭司アビアタルがいます。そしてこの人は、サウルによって殺された祭司アヒメレクの息子なのです。サウルが主の祭司たちを皆殺しにした時、このアビアタルだけが逃れて、ダビデのもとに身を寄せていたのでした。このようにして、サウルのもとには祭司がいないが、ダビデのもとにはいる、ということになったのです。そのことが、サウルは神様からのお告げを受けることができず、ダビデはそれによって励まされるという対照的な結果を生んだのです。ダビデはこのお告げに励まされてアマレク人を追い、打ち破って捕われていた人々を救い出しました。アマレクを打ち破った、という点では先ほど述べたサウルと同じです。そしてダビデもその戦いにおいて多くの戦利品を得たのです。しかしその戦利品についての姿勢が、サウルの場合とは全く違ったということが30章21節以下に語られています。ダビデの部下600人の内、200人は、急激な追跡行についてゆけず、疲れて途中で落伍しました。ダビデは残った400人と共にアマレクを打ち破ったのです。しかしダビデは、それによって得られた戦利品を、落伍した200人の者にも同じように与えました。落伍して戦いに加わらなかった者には与える必要がない、という人々に対するダビデの言葉が23節以下です。「しかし、ダビデは言った。『兄弟たちよ、主が与えてくださったものをそのようにしてはいけない。我々を守ってくださったのは主であり、襲って来たあの略奪隊を我々の手に渡されたのは主なのだ。誰がこのことについてあなたたちに同意するだろう。荷物のそばにとどまっていた者の取り分は、戦いに出て行った者の取り分と同じでなければならない。皆、同じように分け合うのだ』」。主なる神様が守って下さり、勝利を与えて下さり、これらの戦利品をも与えて下さったのだ、つまり、これらは戦った400人の力によって獲得したものではないのだということです。神様が与えて下さったのだから、自分の手柄にするのではなく、感謝して公平に分けようというのです。そこに、主なる神様の恵みと導きを常に覚え、その恵みに応えて生きようとするダビデの姿勢が示されているのです。

 最後の31章はついに、ペリシテとイスラエルとの戦いの場面です。イスラエルは破れ、ダビデの親友であったヨナタンを始めとするサウルの息子たちも戦死し、ついにサウルも追い詰められてギルボア山上で自害して果てます。ペリシテ軍はサウルの遺体をベト・シャンの城壁にさらしものにします。イスラエルの最初の王サウルはこのようにしてその生涯を終えたのです。

 サウルの最期はまことに悲惨なものでした。神様に見捨てられ、もはや神様の言葉を聞くこともできず、自分でもどんどん神様から離れ、神様がお怒りになる道を、坂道をころげ落ちるように落ちていったのです。そしてサムエル記は、そのサウルの悲惨な最期を語ると同時に、それと対照的なダビデの姿を描いていきます。それはダビデを、サウルと比べてずっと立派な、信仰深い人間として描いているということではありません。ダビデもまた、人間的な策略を用いて、ずるがしこく立ち回ろうとする者です。その結果、同胞と戦わなければならないという窮地に陥ったりするのです。しかし彼とサウルとが違ったところは、彼がどんな時にも主なる神様に対して心を閉ざしてしまうことがなかったということです。サウルは、ダビデへの反感から祭司たちを殺してしまいました。祭司を殺すということは、神様の託宣を求める道を自ら閉ざしたということです。そしてさらには、自分で禁止したはずの口寄せによって死者に問うという、神様が最もお嫌いになることへと走ったのです。そのようにして彼は、神様との対話のチャンネルを自分でどんどんつぶしてしまいました。ダビデはそれに対して、苦しみ、困難の中でも、窮地に立たされても、神様のみ言葉を求めていったのです。そこに、サウルとダビデの違いがあったと言えるでしょう。

 しかし実はそういう人間的な違いは紙一重のものです。この二人の運命をこのように交差させた根本的なことは、サウルは神様に捨てられ、ダビデは選ばれたということです。サウルの没落は、神様に捨てられた者が必然的にたどらなければならなかった歩みであり、ダビデの上昇は、神様に選ばれた者が必然的にたどる道だったのです。そのことを、本日共に読まれた新約聖書の箇所である使徒言行録13章の21、22節が語っています。サウルが立てられ、しかし退けられて代わりにダビデが立てられたことが、このように言い表されているのです。「後に人々が王を求めたので、神は四十年の間、ベニヤミン族の者で、キシュの子サウルをお与えになり、それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う』」。サウルの没落も、ダビデの台頭も、全ては主なる神様のみ心によることです。このことによって示されているのは、私たちの救いが、人間の力や努力によるのではなく、神様の恵みのご意志によって与えられるということです。それは同時に、神様がお見捨てになるならば、私たちは滅びていく、ということでもあります。私たちの救いも滅びも、神様のみ心の内にあるのです。私たちはそこで、自分はいったいどちらだろうかと考えます。自分は神様に救われる者なのだろうか、それともサウルのように見捨てられて滅んでいく者なのだろうかと不安になるのです。しかしそのような不安は無用なことです。私たちの救いも滅びも、神様のみ心の内にある、その神様が、私たちの救いのために、ダビデの子孫として独り子イエス・キリストをこの世に遣わして下さったのです。この主イエスは、私たちの罪をことごとくご自分の上に背負って、十字架にかかって死んで下さいました。私たちが受けるべき、罪人としての死と滅びを、この主イエスが代って引き受けて下さったのです。つまり、神様に捨てられる者の滅びを、主イエスがその身に受けて下さったのです。その主イエスを、父なる神様は復活させて下さいました。それは神様の救いの恵みが、罪と死と、それによってもたらされる滅びに打ち勝ったということです。この主イエスの十字架と復活による神様の救いの恵みをいただいている私たちは、もはや、自分は神様に救われる者なのだろうか、それとも見捨てられて滅びていく者なのだろうか、と不安になる必要はないのです。それは、もう私たちは絶対に滅びることはない、という安心が与えられているということではありません。そのように言うことは、神様を侮ることになります。しかし言えることは、私たちには、主イエスによって、いつでも、どんな状態においても、神様との対話のチャンネルが開かれているということです。いつでも、どこからでも、神様のみ言葉を聞き、悔い改めてみもとに立ち返ることができるということです。ダビデも、そのような生涯を歩んだのです。神様に選ばれ、救いにあずかる人の歩みというのは、常に新しくみ言葉を聞き、それによって悔い改めて神様のもとに立ち帰り続ける歩みなのです。その道がもうない、神様とのチャンネルがもう閉ざされてしまった、と思ってしまうところに、私たちの滅びの危機があるのです。

 サウルは神様に見捨てられて死にました。しかしサムエル記上31章が描くサウルの最期は、決して惨めな、不名誉なものではありません。サウルは心の内に深い絶望を抱きつつ、しかし最期までイスラエルの王として雄雄しく戦って死んだのです。31章の語り方には、サウルに対する同情や敬意が込められているように思います。また、31章11節以下には、ギレアドのヤベシュの住民が、ベト・シャンの城壁にさらされているサウルの遺体を取り下ろし、火葬に付して自分たちのところに葬り、その死を悼んだことが語られています。ギレアドのヤベシュは、サウルによってアンモン人から救い出された町した。そのことは11章に語られています。その時サウルは、「今日、主がイスラエルにおいて救いの業を行われた」と言ったのです。サウルもかつてはそのように、主なる神様に用いられる器だったのです。ヤベシュの人々は、そのサウルの恩を忘れませんでした。そして感謝の内にサウルを丁重に葬ったのです。これらのことの中に、神様に捨てられて滅びていったサウルの生涯も、やはり主なる神様の恵みと憐れみのみ手の内にあったということを感じ取ることができるように思うのです。

牧師 藤 掛 順 一

[2001年4月29日]

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