富山鹿島町教会

礼拝説教

2001年 元旦礼拝
「来たりたもう主」
詩編 第24編1〜10節
マタイによる福音書 第6章32b〜33節

 2001年の元旦を迎えました。21世紀の始まりです。ところが先日新聞を読んでいましたら、既に昨年、2000年になる時に、新しいミレニアム、千年紀に入ったとお祝いをしてしまった国が多いようです。21世紀も、第三ミレニアムも2001年から始まるというのが正しい数え方です。イギリスのグリニッジ天文台の公式見解もそうなっています。ところがそのイギリスも昨年新ミレニアムを祝ってしまっているので、今年は特に騒いでおらず静かだそうです。また、フランスも昨年新ミレニアムを祝ってしまったし、アメリカに至っては、政府高官の公式発言で、2000年から21世紀に入ったと言っているそうです。確かに、イメージからすると、1999年から2000年になる方が、2000年から2001年になるよりも大きな変化に見えます。そういうイメージに乗ってイベントが行われるということはあり得るでしょう。しかし私たちは、そういうイメージに惑わされずにきちんと考えなければなりません。西暦紀元は1年から始まるのです。紀元1年の前の年は紀元前1年です。つまり、年の数え方においては、数直線とは違って、1の前は0ではなくて−1なのです。100年を一区切りとする世紀、センチュリー、つまり百年紀は1年から100年までが第1世紀です。そのように100年ずつで区切っていけば、1901年から2000年までが20世紀であり、21世紀は2001年から始まるのです。1000年を一区切りとする千年紀、ミレニアムは1年から1000年が第1ミレニアム、1001年から2000年までが第二ミレニアム、そして2001年からが第三ミレニアムです。そのように考えれば間違いようがないのですが、先に述べたような混乱が起こっている。それは何故かというと、紀元1年、西暦紀元の起点となる年をきちんと意識していないからです。紀元1年を起点として年を数える、ということが忘れられて、数直線のように、原点は0であるかのように思ってしまう、そうすると1900年から1999年までが20世紀であるように思ってしまう間違いが起こるのです。しかし、紀元0年というのはないのです。だからもしそう考えてしまうと、最初の第1世紀は99年しかないことになってしまうのです。紀元0年というありもしないものを原点としてしまうことによって、こういう間違いが起こるのです。

 私たちは、21世紀が本日から始まるということを正しく意識していきたいと思います。それは、単に物事を正確に考えるというだけの話ではありません。日本では、ミレニアムについては誤解もあるようですが、21世紀が本日から始まるというのは常識になっているようです。しかしそれは、そのことの本当の意味を理解してのことではなくて、世界標準時の基となっているグリニッジ天文台の見解に従っているというだけのことだと思います。私たちはそうではなくて、私たちが生きているこの時、この年の起点、原点をしっかりと意識していきたいのです。西暦紀元は1年を起点としている、その紀元1年とは、主イエス・キリストの誕生の年です。実際にはそれは少しずれていて、主イエスの誕生は紀元前4〜7年と今では考えられていますが、考え方としては、主イエスがお生まれになった年を起点として西暦紀元は年を数えているのです。つまり私たちの年号の数え方の起点には、主イエス・キリストがおられる、その主イエスを意識して、そこから年を数えているのです。そこから、百年ごとの世紀を数えていけば、今年から21世紀に入ることがわかるのです。主イエス・キリストの誕生から21回目の百年紀に、今年から入るのです。私たちはそのことをしっかりとわきまえておきたいのです。

 このことは、21世紀がいつから始まるかというだけの問題ではなくて、非常に象徴的な意味を持っていると思います。21世紀は2001年から始まるということを正しく認識していたとしても、その21という数字や2001という数字が何を意味しているのか、どこを起点としているのかが問題なのです。つまり、実際にはありもしない0を原点にしてしまうならば、その数字は数直線上の一点に過ぎない、虚しいものです。私たちの歩みが、人生が、この世界の歩みが、0を原点としたものであるならば、それは虚しいのです。0とは、何もないことです。空虚です。虚無です。それが私たちの歩みの原点であるなら、その上にどんなに多くの数字を積み重ねてみたところで、すべては虚しいことになるでしょう。しかし、私たちの原点は、起点は、0ではないのです。それは1なのです。0と1は、数直線では隣りどうしですが、その意味するところにおいては無限の隔たりがあります。それは無と有、ないかあるか、空虚か実在か、という違いなのです。私たちの歩みは、人生は、この世界は、虚無を起点としているのではなく、実在を、「ある」ことを起点としているのです。その「ある」とは、神様の独り子イエス・キリストがこの世に来られたという出来事です。そこに、決定的な「ある」がある。虚無を打ち破る実在がある。私たちの人生を意味あるものとする起点、原点、土台があるのです。紀元1年を起点として意識するとは、そのことを見つめていくことなのです。その時に、私たちの歩んでいく2001年、21世紀は、虚しい、意味のないただの数字ではなくなり、意味あるものとなり、土台を与えられるのです。

 先程詩編の第24編が朗読されました。この詩を歌った詩人もまた、自分の人生の、そしてこの世界の、原点、起点、土台を見つめています。1、2節にこうあります。「地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは、主のもの。主は、大海の上に地の基を置き、潮の流れの上に世界を築かれた」。主イエス・キリスト以前の、紀元前の世界を生きたこの詩人にとって、見つめるべき原点、起点は、神様による天地の創造でした。それは今日私たちが、科学によって得ているこの世界の成り立ちやしくみについての知識とは次元の違う事柄です。彼は「地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは、主のもの」と言っています。つまり、この世界は、そこに住む全てのものは、誰のものか、誰がこの世界と全てのものを支配しておられるのか、ということを彼は見つめているのです。それは主なる神様です。神様がこの世界を創造されたというのは、この世界が神様のものであり、神様がそれを支配しておられるということなのです。「主は、大海の上に地の基を置き、潮の流れの上に世界を築かれた」。海や潮の上に世界が築かれたというのはおかしなことのように感じますが、海というのは、旧約聖書において、混沌や虚無の力の象徴です。先程の言い方で言えば0です。その上に世界が築かれたということは、神様が混沌や虚無の力を抑えて、そこに秩序ある世界、人や生き物が住むことができる地を造られたということです。この世界は、神様のこの力によって創られ、混沌の力、虚無の力から守られている、詩人はそこに人生の、この世界の原点、起点、土台を見ているのです。それが、詩人の見つめている1です。ですからこれは、単に世界がどうやってできたか、という知識の問題ではありません。この世界と自分の人生の主人は誰であり、それを与え、導き、守っておられるのは誰であるか、ということなのです。そして詩人はそこに、虚無の力に打ち勝つ主なる神様の大いなる恵みを見つめているのです。

 このように、詩人は自分の人生とこの世界の起点に神様の大いなる1があることを見つめています。その時詩人にとって人生は、意味のない無目的なものではなくなるのです。あるいはまた、自分の人生は自分のものだから、自分の好き勝手にするのだ、というものでもなくなるのです。詩人は、「どのような人が、主の山に上り、聖所に立つことができるのか」と問うています。主なる神様の山に上り、聖所に立つ、それはこの神様のみ前に出て礼拝をすることです。神様を礼拝することができる人はどのような人か、と彼は問うているのです。自分の人生とこの世界の起点に、虚無の力に打ち勝つ神様の恵みがあるならば、その神様の前にひれ伏して礼拝をすることこそ、人生の根本的な意味であり、最も深いところでの目的なのです。そしてその神様への礼拝は、詩人にとって、いつでも行きたい時に行くことができ、守りたい時に守ることができるようなものではありません。「どのような人が、主の山に上り、聖所に立つことができるのか」、神様のみ前に出て、礼拝をすることができる者とはどのような者か、自分はいったい、礼拝をすることができるような者であるのか、天地の全てを造り、支配しておられる主なる神様のみ前に進み出ることができるような者であるのか、そのことが厳しく問われてくるのです。

 「それは、潔白な手と清い心をもつ人。むなしいものに魂を奪われることなく、欺くものによって誓うことをしない人」、そういう者こそが、神様のみ前に出て礼拝をすることができるのです。潔白な手と清い心をもつ人、つまり思いにおいても行いにおいても二心のない人です。むなしいものに魂を奪われることのない、つまり神様のみを見つめ、他のもの、この世の事物に心動かされてしまわない人です。欺くものによって誓うことをしない、それは偽りのない人ということです。そのような人間であって初めて、神様の前に出て礼拝をすることができるのです。私たちは、礼拝というものを余りにも甘く見ているのではないでしょうか。礼拝は自分の都合のよい時に、自分の思いで行ったり行かなかったりすることができるもの、と思っていないでしょうか。あるいは礼拝に行けばそれだけで何かよいことをしているような、神様に貸しを作っているような気になっていることはないでしょうか。日曜日の教会の礼拝に出席することは確かに私たちの思いによってしたりしなかったりできます。しかしそれと、そこで本当に神様を礼拝することが出来ているかどうか、神様のみ前に出ることができているかは別問題です。礼拝に参加はしていても礼拝はしていない、あるいは牧師であって礼拝の説教はしていても礼拝はしていない、ということが起こり得るのです。この詩人だって、聖所に詣でて礼拝に参加するということはいくらでもしていたことでしょう。しかし彼はそこで、自分が本当に礼拝をすることができる者か、という畏れを深く覚えているのです。

 そのような畏れを覚えつつ、この詩人はしかし、自分などとても神様を礼拝することなどできない、と悲観したりいじけたりはしていません。6節に「それは主を求める人、ヤコブの神よ、御顔を尋ね求める人」とあります。神様のみ前に出て礼拝をすることができるのは、主を求める人、神様の御顔を尋ね求める人なのだ、と言っているのです。詩人の目は、自分が神様を礼拝するのに相応しい者であるか、どれだけ潔白な、清い心であるか、というような、自分のこと、自分の姿に向いてはいません。彼の目はあくまでも主なる神様の方に向けられ、神様を尋ね求めているのです。神様のみ前に進み出ることができるような清い、汚れない者ではない、しかしひたすらに、この世界の、また自分の人生の原点であられる神様を求め、神様と共に生きることを願い求めて礼拝の場に集っている、それが詩人の思いであり、姿勢なのです。そのように主を求め、御顔を尋ね求めていく中で、彼は一つの確信を与えられました。それがこの詩の7節以下に歌われていることです。

「城門よ、頭を上げよ。とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。栄光に輝く王とは誰か。強く雄々しい主、雄々しく戦われる主。城門よ、頭を上げよ。とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。栄光に輝く王とは誰か。万軍の主、主こそ栄光に輝く王」。

「城門よ、頭を上げよ」。この城門とは、神様の都エルサレムの城門であり、その神殿の門です。その門に対して、「頭を上げよ、身を起こせ」と言われている。それは、大きく門を開けということです。何故なら、「栄光に輝く王が来られる」からです。その王を、門を大きく開いて迎えよということです。「栄光に輝く王」とは、人間の王様ではありません。それは主なる神様です。主なる神様が、ここに、この神殿に、この礼拝の場に来られる、だから門を大きく開いて迎えよ、というのです。これはもともとは、大事なお祭りが行われる時に、神殿の祭司たちが歌った歌の言葉だったのかもしれません。祭りの開始に当って、祭司たちが、主なる神様の到来を告げ、神殿の門を大きく開くように命じるのです。しかしこの詩の文脈においてこの言葉の持つ意味は、そういう儀式の開始の宣言を超えています。詩人は、主なる神様のみ前に進み出て礼拝をすることができる人は誰か、と問うたのです。誰でもが神様のみ前にノコノコと進み出ることができるわけではない、礼拝をするには、それにふさわしい清さ、潔白さ、純真さが求められるということを、畏れをもって覚えたのです。自分のような者は、とても神様のみ前に進み出ることができるような者ではないと感じたのです。しかしそれでも自分は主の御顔を求めたい、そこにこそ、自分の人生の意味があり、目的がある、言い換えれば自分の歩みの拠り所がそこにある、つまり彼は、神様を礼拝することを切に願い求めたのです。その時彼はこの言葉を示された。それによって彼の発想に大きな転換が与えられたのです。それまでは、自分が神様のみ前に出るということを考えていた、そのためには何が必要か、どのような相応しさが必要かということを考えていた、しかし今、この言葉によって示されたのは、礼拝はそのようにして成り立つものではないということです。私たちが神様のみ前に出ると言うよりも、実は神様が私たちのところに来て下さるのだ、私たちは、大きく門を開いてその来たりたもう主をお迎えするのだ、神様を礼拝するとはそういうことなのだ、と詩人は示されたのです。私たちが神様の所へ行くのではなくて、神様が私たちの所へ来て下さる、それによって私たちは礼拝をすることができる、人生の意味、目的、拠り所、土台である神様との交わりを与えられ、神様と共に生きる者とされる、詩人はこのことを示され、それを喜びをもって歌ったのです。

 神様が私たちの所に来て下さる、そのことが本当に実現したのは、主イエス・キリストの誕生においてでした。主イエスが、2000年前、ベツレヘムの馬小屋でお生まれになった、それは、神様が、私たちの誰よりも貧しい姿で、私たちのところに来て下さったということです。これが、私たちの原点、2001年の起点となっている1なのです。詩編24編の詩人が喜びをもって歌った、栄光に輝く王の到来、それが主イエス・キリストにおいて実現したのです。私たちは、そのことを起点として、今この時を生きているのです。

 「栄光に輝く王が来られる」そのことによって、「どのような人が、主の山に上り、聖所に立つことができるのか」という詩人の畏れ、不安はぬぐい去られました。栄光の王が来られる時、神殿の門は大きく開け放たれるのです。そして栄光の王は、その御顔を尋ね求める全ての者たちを伴って、その門から聖所に入るのです。つまり詩人たちは、この栄光の王に伴われて、主の山に上り、聖所に立つことができるのです。礼拝をすることができるのです。そこではもはや、私たちの相応しさ、清さ、潔白さが問われることはありません。来たりたもう栄光の王に免じて、どのような者でも神様のみ前に出ることができるのです。礼拝をすることができるのです。礼拝に対する畏れが失われたわけではありません。しかし詩人は、今や自分が畏れつつも大いなる喜びをもって、神様を礼拝することができることを確信しているのです。

 この世に来たりたもうた主イエス・キリストによって私たちが与えられているのもこれと同じ恵みです。主イエスは、神様のみ前に出ることなどできない罪人である私たちのためにこの世に来て下さり、その私たちの罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さいました。そのご自身の死を通して私たちに罪の赦しを与え、私たちが、神様の子として新しく生きることができるようにして下さったのです。この主イエスの恵みによって、今や私たちは神様のみ前に、子として進み出ることができます。神様を、天の父とお呼びして、礼拝をすることができるのです。主イエス・キリストがこの世に来て下さった、その紀元1年の出来事は、私たちのための城門が大きく開かれ、私たちが、まことに相応しくない者であるにもかかわらず、神様のみ前に子として進み出て、礼拝をすることができるようになった、そういう出来事だったのです。そのことが、私たちの歩みの紀元であり、起点なのです。

 それ以来2000年、この世界は、人類は様々な変化をとげてきました。大いに進歩発展したという面もあれば、変わらない面もあり、逆に悪くなってしまった面もあるでしょう。しかしその2000年の間、世界のどこかで、途切れることなくなされ続けてきたこと、それは、主イエス・キリストの父なる神様への礼拝です。紀元1年の原点によって可能とされた神様への礼拝が、この世界の、人類の、2000年の歴史を貫いている、表には現れない隠された縦糸なのです。今私たちはその礼拝をもって新しい21世紀を歩み出そうとしています。ここにこそ、私たちの原点、起点、人生の拠り所、土台、目的があり、21世紀、2001年を神様の恵みを覚える意味ある時としていく根拠があるのです。

 先ほどは、マタイによる福音書第6章32節後半からが共に読まれました。ここは、本年度の私どもの教会の主題聖句です。ここに語られていることも、私たちが礼拝において与えられる恵みです。「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」。神様が、独り子主イエス・キリストによって私たちのこのような天の父となって下さったことを、私たちは毎週の礼拝において、み言葉によって示されているのです。そしてそのみ言葉によって、「何よりもまず、神の国と神の義を求める」という歩みが与えられていきます。それは、天の父なる神様こそがこの世界と私たちの人生を支配し、導いておられることを信じ、その神様のみ心に従っていくことをこそ求めていくことです。それもまた、礼拝を守りつつ生きることの中でこそ与えられていく歩みです。そしてそのような歩みには、「そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」ことが約束されています。「これらのもの」とは、私たちが生きていくのに必要なもの、私たちの人生を本当に支え、養い、はぐくみ、そこに意味と目的を与えるものです。それは、天の父なる神様を礼拝していくことの中で、神様から与えられていくのです。私たちの人生の、この世界の、原点、土台はこの父なる神様との交わり、礼拝にこそあります。その礼拝への門を主イエス・キリストが大きく開いて下さったことを起点とする、第三の千年紀、第21世紀の始まりの年であるこの2001年を、神様を礼拝しつつ歩んでいきたいのです。

牧師 藤 掛 順 一

[2001年1月1日]

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