今私たちは礼拝において、いわゆる「山上の説教」を連続して読み、み言葉に聞いています。５章から７章に至るこの長い説教は、ある時に一度に通して語られたものではないでしょう。主イエスが、折々に、弟子たちに、そしてみ言葉を聞きに集まってきた群衆たちにお語りになったことが、後から集められ、並べられてこのようなひとつづきの説教として残されたのです。しかし、折々に語られたことが、ただひとところに、順不同に並べられているのではありません。この山上の説教は、相当によく考えられた構造を持っているのです。次から次へといろいろな教えが語られていきますが、そこには、しっかりとつながりがあり、そして５〜７章の全体から、主イエスの教えの輪郭が浮かび上がるようになっているのです。水曜日の「聖書を学び祈る会」では、礼拝の説教に先行する形でマタイによる福音書を学んでおりますが、そこにおいては、山上の説教の構造を図にしたプリントをお配りしました。そのプリントは受付の前の棚にファイルされており、自由に取れるようになっていますから、興味のある方はご覧いただければと思います。それを見ていただくとわかりますが、山上の説教は、ある中心部分を囲んで、その周りに何重にも枠が設けられている、言わばタマネギのような構造になっているのです。それについて今それ以上説明していると長くなってしまいますからやめますが、その図を見ていただくと、山上の説教が、いかに周到に考えられた配列になっているかということがわかります。いろいろな教えが、ただ思いつくままに並べられているのでは決してないのです。ですから、山上の説教を読んでいくに当っては、個々の教えを見つめるだけではなくて、全体の中でのその教えの位置や、前後の教えとの関係ということを意識していく必要があります。本日は５章の１７〜２０節を読みますが、ここは、前後の教えとの内容的なつながりがわかりやすい所です。先週は１３〜１６節を読みました。そこには、「あなたがたは地の塩、世の光である」という教えが語られていました。地の塩、世の光は、この世によい味をつけ、明るく照らすという働きをするのです。それは１６節の言葉で言えば、「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」ということです。主イエスを信じ、従っていく信仰者は、人々の前で「立派な行い」をしていくのだと教えられたのです。そのことを受けて本日の１７節以下が語られていきます。ユダヤ人たちにとって、「立派な行い」と言えば、律法の教えを忠実に守って生きることでした。「律法や預言者」という言い方がここに出てきますが、これは、私たちの言葉で言えば旧約聖書のことです。旧約聖書は、その最初の５つの書物が「律法」、そしてイスラエルの歴史や預言者たちの教えを記した部分が「預言者」、それ以外が「その他」という三つの部分に分けられるということが、この当時既に定着していました。律法と預言者というのは旧約聖書の主要部分なのです。そこに語られていることに従って生きること、特に律法を守って生きることこそ、神様の前に正しい、立派な行いであると誰もが思っていたのです。立派な行いを人々に示せという教えを聞いた人々は当然そのことを思い浮かべるのです。主イエスはその人々の思いを察するように、「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためではなく、完成するためだ」とお語りになったのです。

当時、律法の教えに精通し、それを完璧に守っている、つまり立派な行いに生きている者の代表と思われていたのが、「律法学者やファリサイ派の人々」でした。彼らは旧約聖書の律法を日夜学び、それをきちんと守り行っていくためにはどのように生活すべきかを研究し、そしてそれを実践すると共に人々に教えていたのです。「立派な行いをしなさい」ということは、あの律法学者やファリサイ派の人々のようになりなさいということだろう、と誰もが思ったことでしょう。ところが主イエスは２０節で、人々がびっくりするようなことを言われたのです。「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない」。「義」とは、正しさ、正しい行いです。あなたがたの正しさが、あの律法学者やファリサイ派の人々よりもまさっていなければ、天の国に入ることができない、神様の救いにあずかることができない、と主イエスは言われたのです。律法学者やファリサイ派の人々以上の、正しいこと、立派なことをしなければならない、これは大変なことだ、いったいどうしたらよいと言うのだろうか、と人々は思ったに違いありません。その思いに応える形で、次の２１節以下が語られていくのです。２１節から５章の終わりまでは、律法のいろいろな教えをとりあげて、「このように命じられている。しかし、わたしは言っておく…」という形で、主イエスの教えが語られていきます。そこに、律法学者やファリサイ派の人々にまさる義の姿が教えられていくのです。例えば、「殺すな」と律法に教えられているが、しかし主イエスは、兄弟に対して腹を立てること、「ばか」とか「愚か者」と人をののしることも、人を殺すことと同じだと言われるのです。殺人を犯さなければ「殺すな」という律法を守っていることになる、それが律法学者やファリサイ派の人々の義です。しかしあなたがたは、隣人に対する怒りの心をも制御しなさい、それが、律法学者やファリサイ派の人々の義にまさる義なのだ、と主イエスは語っていかれるのです。そのようにして、本日の箇所は先週の所を受け止めつつ、後の所へとつながっているのです。そして、先週の箇所以来語られている主題は、主イエスを信じ、従っていく信仰者が、地の塩、世の光として、人々の前で示すべき立派な行いとはどのようなものか、ということなのです。

信仰者は立派な行いをする、そのことを主イエスはここで私たちに求めておられます。このことを私たちは心して聞かなければならないでしょう。この問題はなかなか複雑なものがあります。聖書や教会の教えを知らない世間の人々は、信仰者、特にクリスチャンは立派な行いをする人だと思っているきらいがあります。自分はそんな立派な人にはなれないからクリスチャンにはなれない、と言う人もいます。他方では、クリスチャンなんて、立派な者のふりをしている偽善者だ、と思っている人もいます。そういう世間の誤解に対して私たちは、クリスチャンは決して立派な人間ではないし、立派な行いができなければクリスチャンになれないなんていうことはない。私たちは自分が立派な人だなどとは思っていない。むしろ自分が罪人であり、その罪を主イエス・キリストによって赦していただいたのであって、赦された恵みへの感謝に生きているのだ、と言います。聖書の教える救いは、私たちが立派な行いをする正しい人になることによって得られるものではなくて、主イエス・キリストが、私たちの罪を背負って十字架にかかり、身代わりになって死んで下さったことによって、恵みとして与えられるのです。だから私たちは罪人であるままで、その救いにあずかるのです。それがキリストの福音、喜びの知らせです。特に使徒パウロは、人は律法の行いによっては義とされない、キリストにおける神の恵みによってのみ義とされるのだと語ったのです。それが私たちの信仰です。しかしそのことを前提としつつ、主イエスはここで私たちに、信仰者として立派な行いをせよ、と命じておられるのです。主イエス・キリストによる救いにあずかって生きる信仰者は、よい行い、立派な行いをしないでいいのではありません。むしろそれを熱心に追い求めるのです。信仰者としての生活を整えようとするのです。そのことをおざなりにしてしまってはならないのです。 信仰者として、よい行いに励もうとするときに、当時の人々がまず心にとめたのは、旧約聖書の律法でした。本日共に読まれた旧約聖書の箇所、申命記第４章には、その律法がどのようなものとして与えられたのかが語られています。律法は、イスラエルの民がエジプトの奴隷状態から解放され、救われて、これから神様が与えて下さる約束の地に入ろうとしている、その時に与えられました。この律法を忠実に守っていくことによって、イスラエルは、諸国の民の中で、知恵と良識ある賢明な民として、また主なる神様が常に共にいて下さる神の民として歩むことができるのです。そしてその律法の中心にあるのは十戒です。十戒をしっかりと守っていくことこそ、律法を守り、よい行いに励むことの基本なのです。主イエスは、旧約聖書以来のこの信仰の伝統を受け継がれました。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない」あるいは、「天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一角も消え失せることはない」というみ言葉はそれを示しています。律法を、十戒をしっかりと守り行うことは、主イエスを信じる信仰者たちにも求められているのです。それゆえに私たちも、月に一度、礼拝において共に十戒を唱え、それを私たちの生活の指針としているのです。

けれども主イエスがここで語っておられることは、クリスチャンも律法、十戒をしっかり守って歩みなさい、ということではありません。「わたしが来たのは、律法を廃止するためではなく、完成するためである」というみ言葉に注目しなければなりません。主イエスは律法をただ廃止しない、と言われたのではなく、それを完成する、と言われたのです。それはどういうことを意味しているのでしょうか。「完成する」という言葉には、それまでのものとの連続と非連続の両方の面があります。それまでのものを廃止したり、捨てたりするのではなく、完成する、という点に注目するならば、連続、継承という意味が前面に出ます。しかし完成という言葉は、不完全なものを完成する、という意味でもあります。そこにはある新しさ、変化、つまり非連続の面があるのです。主イエスが来られたことによってもたらされた律法の完成、その新しさ、変化とはどのようなことなのでしょうか。

「完成する」と訳されている言葉は、前の口語訳聖書では「成就する」となっていました。「わたしは律法を成就するために来た」とも読めるのです。「完成する」というと、未完成なものに手を加えて完成する、という感じになりますが、「成就する」というと、律法の目指しているところを実現するという意味になります。この言葉はむしろそのように理解した方がよいかもしれません。主イエスは、より完成された律法をお定めになるためではなくて、律法が目指していたものを実現なさるために来られたのです。それでは主イエスはどのようにして、律法が目指していたものを実現なさったのでしょうか。それは、十字架の死と復活によってです。律法の成就、完成は、主イエスの十字架の死と復活において成し遂げられたのです。

そもそも、律法の目指していたものとは何でしょうか。それは、私たち人間が、神様の救いにあずかった者として、神様の恵みの下で、神様の民として生きることです。先程の申命記の箇所に出てきた言葉で言えば、「いつ呼び求めても、近くにおられる」神様と共に歩むことです。またそのように神様と共に歩むことによって、隣人との関係においても、互いに愛しあい、相手を尊重していくよい交わりに生きることです。十戒は、前半で神様との関係を、後半で人間どうしの関係を語ることによって、このことを示しています。十戒を中心とする律法は、そのような歩みのための指針なのです。しかし人間は、この指針に従って歩むことができず、エジプトの奴隷状態から解放し、約束の地を与えて下さった神様の恵みを思わず、それぞれ自分の好き勝手な方向へと歩んでいってしまいました。それが私たちの罪です。その罪の結果私たちは、近くにいて下さる神様を見失い、呼び求める思いをも失い、そして隣人とのよい交わりをも失ってしまう者となっているのです。主イエス・キリストは、その私たちの罪を全てご自分の身に背負って、ご自身は何の罪もない神の独り子であられるのに、十字架の死刑になって下さいました。この主イエスの身代わりの死によって、私たちの罪が赦されたのです。そして父なる神様は主イエスを死者の中から復活させ、新しい命を与えて下さいました。主イエスによる罪の赦しを与えられた者が、神様と共に新しく生かされ、死にも勝利する恵みの内に置かれることがこの復活によって示されたのです。この主イエスの十字架の死と復活によって、律法の目指すこと、私たち人間が、神様の救いにあずかった者として、神様の恵みの下で、神様の民として生きることが実現したのです。主イエスはこのことのためにこの世に来られました。律法と預言者が差し示し、実現しようとしてきたことが、神様の独り子主イエスの十字架と復活において成し遂げられたのです。主イエスによって実現しているこの恵みの下で、神様の民として生きることこそが、律法の完成にあずかることです。主イエス・キリストを信じる信仰者として私たちがなすべきよい行い、立派な行いとは、このことに他なりません。私たちは、信仰者として励むよい行いの基準を、ここにこそ求めなければならないのです。クリスチャンはよい行いに励む、そのよい行いというのは、世間の人々がこれはよい行いだと思うようなことではありません。世間の基準が私たちのなすよい行いを決めるのではないのです。またそれは、私たちがこれこそよい行いだと思うことですらありません。私たちのなすよい行いのあり方を決めるのは私たちではないのです。主イエス・キリストが、そのご生涯と、十字架の死と復活によって成し遂げて下さった律法の成就完成、それこそが、私たちのなすよい行いを決める基準です。信仰者はこの基準にしっかりと立ってよい行いに励まなければならないのです。

この世の基準、私たちの基準でよい行いをしていこうとすることと、主イエスの十字架と復活による律法の成就を基準とすることとでは、どんな違いが生まれるか。先週の礼拝の説教において、既に少しそのことにふれました。この世の基準、私たちの基準でよい行いをしていこうとする時に、そこに起ることは、私たちが人々から称賛され、あの人は立派な人だとほめられることです。しかし主イエスは、そういうことを求めてはおられません。１６節に語られているのは、「人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」ということです。私たちのよい行いが、天の父なる神様への信仰と讃美を生んでいく、そのようなよい行いをこそ主は求めておられるのです。その行いとは、独り子主イエスの十字架と復活によって、神様が私たちの罪を赦して下さった、その恵みの内に、神様の民として生きる者の行いです。それは言い替えるならば、天の父なる神様の下で、その子どもとして生きることです。神の独り子であられる主イエスが、私たちのために十字架にかかって死に、復活して下さったことによって、私たちは、主イエスの父なる神様を、私たちの父とお呼びすることができるようになったのです。父なる神様に愛される子として生きることができるようになったのです。この恵みの中で、私たちが喜んで、感謝して生きていくならば、その私たちの行いを見る人々の中に、私たちの天の父をあがめる思いが与えられていくのです。

私たちに求められているのは、主イエス・キリストの十字架と復活によって実現した神様の恵みによって生きることです。「あなたがたの義が、律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない」というみ言葉が語っているのもそのことです。律法学者やファリサイ派の人々は、自分が律法をどれだけしっかりと、忠実に守っているか、ということを、自分の救いの拠り所としているのです。その自分の義、自分の正しさを立てようとしているのです。しかし主イエス・キリストを信じる信仰者は、そういう自分の義、自分の正しさを拠り所として生きるのではないのです。私たちを支えている義は、主イエス・キリストの十字架と復活によって神様が与えて下さった義です。それは、人間が努力してうち立てるどんな義にもまさる、神の義です。その神の義をいただき、それによって生かされ支えられて歩むことこそ、律法学者やファリサイ派の人々の義にまさる、主イエスを信じる信仰者の義なる生活なのです。この神様から与えられる義によらなければ、天の国に入ることは決してできないのです。天の国とは、神様の恵みのご支配です。そこに入るとは、その恵みのご支配の下に生きる者となることです。それが、救いにあずかることです。この天の国、救いに私たちはどのようにして入ることができるのか。それは、私たちが自分で正しい者、義なる者になることによってではなかったのです。この天の国を与えられる人については、あの八つの幸いの教えの最初と最後に語られていました。「心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである」「義のために迫害されている人々は幸いである、天の国はその人たちのものである」。心の貧しい人というのは、自分の中に豊かさ、正しさ、誇るべきものを何も持っていない、自分の義において徹底的に貧しい者です。そういう人は、神様が与えて下さる義によりすがるしかないのです。義のために迫害される人も、自分の義を人々に理解してもらえない、認めてもらえないという現実の中で、人間にではなく、ただ神様に支えを求めるしかないのです。天の国、神様の恵みのご支配は、そのような者にこそ与えられるのです。律法学者やファリサイ派の人々の義では、天の国に入ることができない。それは、彼らの義がまだ足りないからではありません。彼らは、自分の義を立てることに夢中で、神様からの義、主イエス・キリストによって与えられる義を求めようとしていないからなのです。

私たち信仰者は、地の塩、世の光として、よい行いに励むのです。十戒をかみしめ、その指針に従って歩むのです。しかしそれは、その私たちのよい行いによって救いを得るためではありません。私たちがよい行いに励むのは、主イエス・キリストの十字架と復活によって与えられた、罪の赦しと死への勝利の恵み、その神様からの義にあずかり、父なる神様の子として生きることを許された者として、その恵みに応えて生きるためです。つまり自分の義を立てるのではなく、神様の義によって生かされて歩むのです。そこには、律法を掟として、戒めとして守っていくより以上の、豊かな、そして自由な人生が開かれていくのです。その豊かさと自由が、この後の２１節以下に、具体的に語られていくのです。

牧師　藤 掛　順 一
[2000年5月21日]

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