苦しみの人ダビデ
月の第四の主の日には、サムエル記下よりみ言葉に聞いています。本日は第15章を読みます。この15章から19章にかけて、ダビデ王の息子アブサロムが父であるダビデ王に背いて反乱を起こしたことが語られています。ダビデはそのために一時エルサレムから、ヨルダン川の東側のマハナイムという所に逃れなければならなかったのです。ダビデの晩年の、大きな苦しみ、悲しみの物語がここから始まるのです。ダビデの生涯は苦しみの連続でした。彼はまだ少年の時に、神様によって選ばれ、イスラエルの王となるべく立てられましたが、そのことのゆえにサウル王に命を狙われ、逃げ回らなければなりませんでした。その苦しみを経て、ようやく全イスラエルの王となりましたが、それでめでたしめでたし、後は平穏な余生を、というわけにはいきませんでした。彼自身が大きな罪を犯して、その結果としての苦しみを負わなければならなかったということもありました。また、先月、13、14章から読んだように、自分の子供たちの間に起った憎しみと殺人のために嘆き悲しまなければなりませんでした。さらに畳み掛けるように、息子アブサロムに背かれ、殺されかけたのです。考えてみれば、これほど苦しみの連続である生涯は珍しいと言えるかもしれません。ダビデは旧約聖書を代表する信仰者です。マタイ福音書の冒頭の主イエスの系図にも、信仰の父と呼ばれるアブラハムに続いて名前が出てくる人です。そのダビデは、このような苦しみの中を歩んだ人だったのだということを私たちはしっかりと知っておかなければなりません。その苦しみの中をどう歩んだかというところに、彼の信仰があるのです。そのことを、この物語において見つめていきたいと思います。
アブサロムの反逆
アブサロムが何故父ダビデに反逆を企てるようになったのか、その理由ははっきりとは語られていません。4月に読んだ13、14章の、妹タマルを陵辱した異母兄アムノンへの復讐、そのためにダビデの怒りをかい、亡命を余儀なくされたこと、ようやく帰還を許されたが、二年間ダビデの前に出ることすら許されなかったこと、などが父ダビデへの憎しみを生んでいったのかもしれません。しかし4月の時にも申しましたが、事はそれだけではないと思います。アムノンとの事件は、王位継承をめぐる争いという面を持っているとその時申しました。アブサロムには野心があったのです。また彼はそれだけの行動力もあり、また14章25節以下に語られているように、大変魅力のある人物でもありました。人をひきつけるものが彼にはあったのです。そういうことを自覚した彼が、自分こそダビデの後のイスラエルの王となるのだ、という思いを持ったとしても不思議はありません。そして彼はそのことを、自分の力と策略で実現しようとしたのです。
その第一歩として彼がしたのは、1節にあるように、「戦車と馬、ならびに五十人の護衛兵を自分のために整えた」ということです。つまり、自分の私兵、親衛隊を作ったのです。それと並んで彼は、2節以下のことをしました。「アブサロムは朝早く起き、城門への道の傍らに立った。争いがあり、王に裁定を求めに来る者をだれかれなく呼び止めて、その出身地を尋ね、『僕はイスラエル諸部族の一つに属しています』と答えると、アブサロムはその人に向かってこう言うことにしていた。『いいか。お前の訴えは正しいし、弁護できる。だがあの王の下では聞いてくれる者はいない。』アブサロムは、こうも言った。『わたしがこの地の裁き人であれば、争い事や申し立てのある者を皆、正当に裁いてやれるのに。』」。このことの背景は、イスラエルの王は最高裁判官をも兼ねているということです。いろいろな問題の裁定を求めるために国の各地から王のもとにやって来る人々がいるのです。アブサロムはその人々の心を、ダビデ王から、6節の言葉を用いれば「盗み取った」のです。それは「お前の訴えは正しいし、弁護できる。だがあの王の下では聞いてくれる者はいない」と言うことによって、そして「わたしがこの地の裁き人であれば、争い事や申し立てのある者を皆、正当に裁いてやれるのに」と言うことによってです。不平や不満を持って裁きを求めている人に、「あなたの言い分は正しい、もっともだ」と言えば、いとも簡単にその人の心を掴むことができます。この人は自分を支持してくれる、いい人だ、と思われるのです。そして、「私が裁く立場なら、つまり私が王であれば、あなたの願い通りの裁きをしてやれるのに、今のあの王では道理も通らんからなあ」と嘆いてみせることによって、「ぜひアブサロムに王になってもらいたい」と思う人を一人獲得することができるのです。次にやって来るのが、今の人と裁判で争っている敵であっても同じことを言うのです。「あなたの主張は正しい」。そうやってどちらも自分の支持者にしてしまう。実際に自分が裁く立場にはないから、いくらでも無責任なことが言えるのです。このようにしてアブサロムは、不満のある人をどんどん自分の支持者に引き入れていきました。どこの世界にもよくあることです。さらに彼は、5節にあるように、「彼に近づいて礼をする者があれば、手を差し伸べて彼を抱き、口づけした」とあります。これも、人々の支持をとりつけるためによくなされるポーズです。アブサロムは王子ですから、それなりの尊敬をもって礼をする人たちに、「そんな堅苦しいことは必要ない、私たちは仲間じゃないか」という態度をとる、すると人々は、ああこの人は偉ぶらない、庶民的な人だ、と彼のことが好きになるのです。
アブサロムのこのような策略には別の意味もあると指摘する人もいます。2節に、彼が訴訟にやって来る人々にその出身地を尋ね、「イスラエル諸部族の一つに属しています」と答えると、先程のようなことを語っていったとあります。この「イスラエル諸部族」というのは、後に南王国ユダと北王国イスラエルに分裂していった、その北の諸部族のことを言っているのではないか、とも考えられるのです。ダビデはユダ族の出身です。その地盤はイスラエルの南部です。彼はまずユダ族の王となり、サウル家の王を擁立しようとする人々との戦いに勝って全イスラエルの王となったのです。そのことに対して北部の諸部族はあまりよく思っていないところがある。アブサロムはその北部諸部族に自分を売り込み、ダビデに敵対する地盤を得ようとしたのではないか。そういう思惑も推察することができるのです。
このようにかなり周到に準備をした上で、アブサロムはついに旗揚げします。それは7節によれば、四十歳になった年の終わりのことだったとあります。しかしここは前の口語訳聖書では、「そして四年の終りに」となっています。新共同訳聖書の底本となっている本文では「四十年」という言葉になっており、それは「四十歳」ということだと理解されてこう訳されているわけですが、それはむしろ「四年」という言葉が間違って伝えられた結果ではないか、と考える学者も多いのです。そちらを採用するなら、アブサロムは今見てきたような準備を四年の間着々となし、その上で事を起こしたということになります。
アブサロムがダビデへの反旗を翻したのは、ヘブロンにおいてでした。ヘブロンは彼が生れた町です。つまり出身地です。それは、ダビデがユダの王として即位した所です。アブサロムはそこを選んで、自分が王となると宣言したのです。ここにも彼の周到な計画があります。自分が生れ育った故郷において王となる意志を明らかにすることで、故郷の人々、同胞たちを大切にするという姿勢を示し、支持を訴えるのです。しかしヘブロンはダビデにとっても地元です。ダビデが最初に王となった所なのですから、ダビデへの忠誠心も強いと考えられます。しかしそこにもう一つの要素があります。それは、ダビデがこのヘブロンからエルサレムに新しい首都を築き、そこに移ったということです。ヘブロンの人々にしてみれば、ダビデ王に見捨てられたという思いもあったでしょう。アブサロムはその心理を利用しようとしている。ヘブロンで王となることによって、ヘブロンの人々に、あのダビデが王となった時の喜びと誇りをもう一度味わわせ、それによってダビデよりも自分を支持するように誘導しているのです。そしてこのことと先程のことを合わせて考えるならば、アブサロムは自分の出身部族であるユダ族とその中心地ヘブロンを大切にし、そこを根拠としつつ、ダビデ王にあまりよい思いを抱いていない北の諸部族の支持をもとりつけているのです。彼の反乱はそういう綿密周到な計画に基づくものであり、彼はそういうことのできる人だったのです。
さらに彼の周到さは、自分が蜂起するに当ってイスラエル全部族に密使を送り、角笛の音を合図に、「アブサロムがヘブロンで王となった」と言わせたことにも現れています。今のように、遠くで起った出来事も瞬時に伝わっていくような時代ではありません。それを彼は、前もって密使を送ることによって、この蜂起を全国に一斉に知らしめ、全イスラエルの人々を動かそうとしたのです。彼の思惑は当りました。ヘブロンのアブサロムのもとには、彼を支持する人々が次第に集まってきたし、全イスラエルの人々の心がアブサロムに移り始めたのです。さらにアブサロムは、12節にあるように、ダビデの顧問であったギロ人アヒトフェルという人を自分のもとに迎え入れました。この人はダビデの宮廷における重鎮の一人です。ダビデとの個人的なつながりも深い人です。どういうつながりかというと、23章34節にある、ダビデの三十人の勇士たちの中に、「アヒトフェルの子エリアム、ギロ人」とあります。ダビデのもとには多くの外国人の部下がいたということは前にも申しましたが、その一人の父親がこのアヒトフェルなのです。そして彼の息子、勇士エリアムの名前は、11章3節にも出てきます。そこにはこうあるのです。「ダビデは人をやって女のことを尋ねさせた。それはエリアムの娘バト・シェバで、ヘト人ウリヤの妻だということであった」。つまり、エリアムはダビデがウリヤから奪い取って妻としたバト・シェバの父なのです。ですからアヒトフェルはバト・シェバのおじいさんです。勇士エリアムは自分の娘を、同じ三十人の勇士に名前がある後輩ウリヤのもとに嫁がせていたのでしょう。そのバト・シェバをダビデが妻としたことによって、アヒトフェルはダビデの宮廷における重鎮となったのです。しかもバト・シェバのおじいさんですから、もうかなり高齢だったでしょう。若いアブサロムのもとに、ダビデの顧問でもあり親戚にも当る老練な重鎮が加わることは、アブサロム支持者の層の厚さを示す出来事であり、宣伝効果も抜群です。そして宣伝効果だけでなく、実際このアヒトフェルは、この後の17章を読むと、ダビデを打ち破るための最も効果的な策をアブサロムに進言しています。しかしその進言は退けられました。それでダビデは救われたのです。もしもアヒトフェルの進言が入れられていたなら、ダビデの命運は尽きていたでしょう。そういう優れた人物がアブサロム側に加わったのです。
主のみ心に委ねて
息子アブサロムが周到に準備された反乱を起し、多くの人々の心がアブサロムに傾いている、それはダビデにとって、晴天の霹靂、大きなショックだったでしょう。この苦しみの中でダビデはどうしたでしょうか。彼はまず家臣たちと共にエルサレムを脱出します。14節で彼はこう言っています。「直ちに逃れよう。アブサロムを避けられなくなってはいけない。我々が急がなければ、アブサロムがすぐに我々に追いつき、危害を与え、この都を剣にかけるだろう」。ヘブロンからエルサレムはそう遠くはありません。ぐずぐずしていると、アブサロムの率いる軍勢が攻めて来て、逃げられなくなってしまうのです。しかしダビデがエルサレムを逃れようとしたのは、身の安全のため、というだけではありません。このままでは、アブサロムが攻めてきて我々に危害を加え、そして「この都を剣にかけるだろう」と言っています。エルサレムの町とその住民のことを彼は考えているのです。エルサレムは、彼がエブス人から攻め取り、イスラエルの首都とした町です。そこに、神の箱を迎え入れて、主なる神様の都としたのです。その都が戦いによって破壊されてしまうことを避けたいというのが、彼の思いでした。そしてそのことは、24節以下に語られていることと結びついていきます。エルサレムの東にキドロンの谷があります。そこを渡って荒れ野へと進んでいくダビデたちの一行に、ツァドクをはじめとするレビ人たちが、神の箱、契約の箱を担いでついて来ていました。彼らは祭司です。逃れていくダビデの一行と行動を共にし、神の箱を持ち運んで、その都度犠牲を献げ、祭儀を行おうとしていたのです。それはつまり、ダビデたちの一行に主なる神様が共にいて下さることのしるしです。エルサレムからは逃れなければならなくなったが、主なる神様はなお我々と共にある、と主張できるのが、神の箱の存在なのです。しかしダビデは祭司たちに言います。「神の箱は都に戻しなさい。わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう。主がわたしを愛さないと言われるときは、どうかその良いと思われることをわたしに対してなさるように」。「神の箱は都に戻せ」とダビデは言うのです。これは一つには、先程のエルサレムの場合と同じく、神の箱を戦いに巻き込むようなことがあってはならないということです。そしてもう一つは、神の箱を携えて逃れていくことで、言わば神様を自分のための人質にとるようなまねはしない、ということです。源氏によって京の都を追われた平家が、幼い安徳天皇と三種の神器を持って西国へ逃れていったようなことをしないということです。ここに、ダビデの信仰者としての姿がはっきりと表されています。彼はこのせっぱつまった苦しみの中で、神様を畏れ敬うことを失ってはいないのです。自分の苦しみを解決するために神様を利用するのではなく、神様のみ心に自分の歩みを委ねているのです。「わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう。主がわたしを愛さないと言われるときは、どうかその良いと思われることをわたしに対してなさるように」。これは、自分の苦しみの現実と、これからの運命を、主なる神様のみ心に委ねている言葉です。今のこの苦しみも、主なる神様のみ心によって生じている、そしてこれからのことも主なる神様のみ心の通りになっていく、それが自分にとってよいことであれ悪いことであれ、それを受け入れようと言っているのです。
このダビデの信仰が、17節以下のことをももたらしています。エルサレムを逃れていくダビデの一行につき従う人々の閲兵が、キドロンの谷にあった離宮のところで行われました。そこに、ガト人イタイという人が、六百人の家臣を連れて来ていました。しかしダビデは彼にこう言ったのです。「なぜあなたまでが、我々と行動を共にするのか。戻ってあの王のもとにとどまりなさい。あなたは外国人だ。しかもこの国では亡命者の身分だ。昨日来たばかりのあなたを、今日我々と共に放浪者にすることはできない。わたしは行けるところへ行くだけだ。兄弟たちと共に戻りなさい。主があなたに慈しみとまことを示されるように」。逃亡し、これからアブサロムの軍勢と戦わなければならなくなるであろうダビデです。味方の数は多ければ多いほどよいはずなのです。しかし、外国人で亡命者であるあなた方まで戦いに巻き込むことはできない、今は旗色が悪い私と共にいるよりも、「あの王」つまりアブサロムのもとに身を寄せた方が賢明だ、あなたは私に対して何の義理もないのだから…、と勧めているのです。それはもう彼が、これから起る戦いの帰趨を主なる神様のみ心に委ねているから言えることです。自分の歩みを主なる神様のみ心に委ねたダビデは、苦しみの中で、このような余裕を保つことができているのです。
知恵と力を尽して
このように、運命を神様に委ねているダビデですが、それは彼がもう何もしないでただ成り行きに任せているということではありません。祭司たちを神の箱と共に都に帰らせたダビデは、祭司ツァドクとアビアタルの二人に、彼らの息子たちを伝令として、アブサロムの陣営の様子をダビデに伝えるように命じます。つまり、祭司たちと神の箱をエルサレムに留まらせたことは、アブサロムの動向についての情報を得るためでもあったのです。そしてもう一人、アブサロムのもとに、言わばスパイとして送り込まれた人がいます。32節以下に出て来る、アルキ人フシャイです。彼もダビデと共に行こうとしたのですが、ダビデはむしろ彼にこう頼むのです。「わたしと一緒に来てくれてもわたしの重荷になるだけだ。都に戻って、アブサロムにこう言ってくれ。『王よ、わたしはあなたの僕です。以前、あなたの父上の僕でしたが、今からはあなたの僕です』と。お前はわたしのためにアヒトフェルの助言を覆すことができる。都には祭司ツァドクとアビアタルもいて、お前と共に行動する。王宮で耳にすることはすべて祭司のツァドクとアビアタルに伝えてほしい。また、そこには彼らの二人の息子も共にいる。ツァドクの息子アヒマアツ、アビアタルの息子ヨナタンだ。耳にすることは何でもこの二人を通してわたしのもとに伝えるようにしてくれ」。つまりこのフシャイは、ダビデを見限り、アブサロムについたように見せかけつつ、あの老練なアヒトフェルの助言を覆し、ダビデに有利な状況を作り出すために遣わされたスパイなのです。17章を読むと、彼がその役割を見事に果たしたことが語られています。ダビデはこのように、エルサレムを放棄して荒れ野に逃れつつ、これからアブサロムが入ってくるエルサレムに、しっかりと楔を打ち込んでいるのです。自分の歩みを神様に委ねるというのは、自分では何もしないで成り行きに任せることではありません。力と知恵を尽して、精一杯のことをするのです。努力するのです。その上で、その全てがどうなるか、それを神様のみ心に委ねるのです。それは、いわゆる「人事を尽して天命を待つ」ということと似ています。自分のできることを精一杯した上で、後は神様のみ心に任せるというのはそういうことだと言ってもよいでしょう。
嘆き悲しみの中で
けれども、ここに描かれているダビデの姿には、「人事を尽して天命を待つ」という言葉では言い表しきれないものがあります。それは、30節に語られている姿です。「ダビデは頭を覆い、はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上って行った。同行した兵士たちも皆、それぞれ頭を覆い、泣きながら上って行った」。神の箱という言わば「錦の御旗」を放棄し、神様のみ心に身を委ねてエルサレムを逃れていくダビデ、しかしまた出来うる限りの手を打ち、最善を尽しているダビデ、そのように、神様を信じて、人事を尽してみ心を待つ生き方をしているダビデですが、そのダビデが、キドロンの谷を渡り、オリーブ山の坂道を上っていく姿は、深い嘆きに満ちた、涙の歩みなのです。「頭を覆い、はだしで」というのは、嘆き悲しみを表す姿です。息子に背かれ、落ち延びていかなければならないダビデは、このように深い嘆き悲しみの内に涙を流しているのです。それはもはや、「人事を尽して天命を待つ」というような落ち着いた姿ではありません。信仰者としてのダビデの姿は、決して、信仰のゆえにどんな苦しみの中でも落ち着いて、余裕を持って生きている、などというものではないのです。苦しみの中で、自分のできる精一杯の努力をしつつ、その全てを主なる神様のみ心に委ねつつ、しかし悲しみ嘆き、涙を流しつつ生きている、それが、旧約聖書を代表する信仰者ダビデの姿なのです。
坂を下る者
ダビデが涙を流しつつ上っていったオリーブ山の坂道を、逆に下っていき、そしてエルサレムのために涙を流された方を私たちは知っています。その方の流された涙は、人々の罪とそれによって引き起こされる悲惨な現実を嘆き悲しむ涙です。そしてその方は、エルサレムに入り、そこで捕らえられ、数々の苦しみと辱めを受け、十字架につけられて殺されました。それはご自分の罪のゆえではなく、私たちの罪と、そこから生じる様々な苦しみ悲しみのため、その赦しと救いのためです。ダビデが、そして私たちが、人生の歩みにおいて体験する苦しみと嘆きを、この方、主イエス・キリストが担って下さるのです。私たちのために、神様の独り子主イエスが、苦しみを受け、十字架にかかって死んで下さった。その恵みを信じるからこそ、私たちは、苦しみの中においても、自分のできる精一杯の努力をしつつ、その全てを神様のみ心に委ねて生きることができるのです。
牧師 藤 掛 順 一
[2002年5月26日]
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